國體護持總論
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著書紹介

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基幹物資の缺乏

以上の檢討によれば、生産至上主義は、人類が地球上に生存するにおいて、自らの首を絞める思想であつて、いづれの修正主義もこの本質的矛盾を克服することはできない。ベルリンの壁の崩壞に象徴される世界の變化は、資本主義が共産主義に勝利したのではなく、生産至上主義計畫經濟を全體主義的に展開する歴史的實驗が失敗したに過ぎない。資本主義といふ生産至上主義の將來に展望が開けたのでは決してない。あたかも、同じ親から生まれた兄弟において、弟を亡くして狼狽へる兄の姿にも似てゐる。

そこで、新たな人類と地球の安定と共生のための理念を創造するについて、先づ、國家、世界、地球を政治的、經濟的に不安定化する要因が何であるのか、その本質についての分析と認識から始めなければならない。

思ふに、まづ、世界の「不安定化要因」の第一に擧げられるのは、食料不足に代表される「必需物資の缺乏」である。生活必需品及びそれを生産、保存、流通させるため必要な水・食料・資源・エネルギーなどの「基幹物資」が確保できないといふ危機が最大のものである。このやうな危機は、戰爭や内亂などの人爲的なものや、異常氣象や災害などの自然的な原因による凶作などもあるが、それは一次的な原因であつて、凶作などによる飢餓と貧困は、究極的には政治的要因と云へる。

前述したとほり、アマーティア・センによれば、「貧困とは自由の缺如である」とされ、全ての飢餓や貧困は、たとへ自然災害を契機とする場合であつても、終局的には不平等と自由の缺如といふ政治的要因に全て起因するとされた。それゆゑ、たとへば、北朝鮮における人民の飢餓と貧困は、「暴政」といふ典型的な政治的要因によるものであつて、それを解決するには政權打倒しか解決策はなく、經濟援助で解決のできる問題ではないのである。

ともあれ、このやうな飢餓と貧困をもたらす政治的要因の根底には、水・食料・資源・エネルギーなどの「基幹物資」を他國に依存するといふ基本的な自由貿易の國策が存在してゐる。基幹物資の安定供給は、國家の獨立を經濟的側面から支へる重要な要素である。國家の獨立とは、基本的には政治的獨立であるが、經濟的に他國に從屬することは、結果的に政治的獨立を失ふ。それゆゑ、基幹物資を完全に自給してゐる國家こそが、眞の獨立國家であり、他國にそれを依存しない點において「安定國家」と云へる。なぜならば、逆に、國家が、すべての基幹物資を他國に依存してゐる場合(自給率が零)、他國の政治状況、經濟状況、食料生産状況などが變化すれば、それによつて輸入ができなくなり、國民生活や國民經濟などに重大な影響を及ぼして、國家の存立が危うくなり不安定化する。ましてや、その基幹物資を輸入する相手國と紛爭状態になることは、國家の滅亡を招くことになる。大東亞戰爭は、さういふ意味でエネルギー戰爭であつた。それゆゑ、基幹物資の依存率が高ければ高いほど(自給率が低ければ低いほど)その國家は不安定であり、逆に、その依存率が低ければ低いほど(自給率が高ければ高いほど)その國家の安定度は增すといふことになる。つまり、基幹物資の自給率は、そのまま國家の安定度指數といふことになるのである。

さうすると、世界は、そのやうな安定度指數(自給率)の高い國家が多ければ多いほど世界全體の安定度指數は增すといふことになるのは當然のことである。いはば、世界に占める安定國家の「占有率」が世界全體の安定度指數といふことになる。

この世界に占める安定國家の占有率は、國家數、人口、領土面積などの個々の要素も考慮して考へなくてはならないが、いづれにせよ、これからの國際關係は、全世界が協力して各國の自給率を高め、安定國家の占有率を大きくする方向こそが世界の平和と安定をもたらすことを自覺し、その方向へ向かふことを國際社會が規範化していくことが必要となる。

この方向は、これまで世界が歩み續けてきた自由貿易による基幹物資の國際共存關係を構築してきたことと對極の方向となる。マルクスに決定的な影響を與へたデービッド・リカード(David Ricardo)は、この自由貿易政策を理論的に基礎付けたとされるが、それは「利益」、つまり經濟的利潤の獲得は自由貿易がそれを實現するといふものであつて、それ以上の理論でもそれ以下の理論でもない。アダム・スミスと同じく、これまでの重商主義的な保護貿易政策を批判して、自由貿易政策を唱へた。つまり、自由貿易によつて、各國が輸出對象となる商品の生産費が他國のそれと比較して有利(優位)となる商品をそれぞれ集中的に生産して相互に輸出して貿易することにより國際分業を促進させ、これによつて相互に利益をもたらすとする比較生産費説(比較優位説)を主張したのである。

しかし、この理論は誤つてゐた。それは、我が國が幕末に開國して、明治期に臺頭した國内産業資本の要請によつて、この比較優位説により自由貿易を展開した結果、國際競爭が激化して、リカードの云ふやうな國際分業による相互利益の確保は實現できなかつた。歐米は自由貿易では「利益」をもたらさないと認識し、再び保護貿易主義に戻つた。アメリカでは昭和五年の『ホーリー・スムート法』による保護貿易化であり、イギリス連邦諸國では昭和七年の『オタワ會議』による經濟ブロック化である。これが世界恐慌などの引き金となり、歐米依存經濟であつた我が國は、大きな經濟的打撃を受け、これらの「地域主義(Regionalism)」による經濟ブロック化による經濟破綻を回避するために、獨自の地域主義である大東亞共榮圈の建設を推進しようとして大東亞戰爭に突入した。つまり、我が國は、歐米によつて二階に上げられたのに(開國を求められて自由貿易を強いられたのに)、後になつてその梯子を外された(自由貿易を認めずに保護貿易の壁に阻まれた)といふことである。

そもそも、重商主義といふのは、皇紀二十三世紀から二十四世紀(西紀十六世紀末から十八世紀)にかけて西ヨーロッパ諸國において支配的であつた經濟思想とそれに基づく政策のことであり、自國の輸出産業を保護育成し、貿易差額によつて資本を蓄積して國富を增大させようとするものであつた。

これに對するものとしての重農主義といふのは、ローマ帝國の衰亡が農業生産力の低下にあるとの教訓から、皇紀二十五世紀(西紀十八世紀後半)に、フランスのフランソワ・ケネーなどによつて主張された經濟思想とそれに基づく政策のことである。富の唯一の源泉は農業であるとの立場から農業生産を重視する。そして、重商主義を批判し、レッセフェール(自由放任)を主張したのである。この考へ方はアダム・スミスの思想に大きな影響を與へた。

また、これに類似するものとして、農本主義がある。これは、西洋の重農主義とは全く無關係に、古代支那では、生活必需品である食料を生み出す農業を「本」として、その生産手段としての土地を重視し、それから派生して奢侈品を製造販賣する商工業を「末」とするものである。つまり、古代支那における「社稷」の言葉は、建國に際して土地の神(社)と五穀の神(稷)の二神を祭ることに由來するものであり、これを特に積極的に受け入れたのが儒家(儒教)であつた。そして、これが政治經濟思想の中核となつて、江戸時代の我が國でも受け入れられた。しかし、これは、國學においては、古くは『古事記』にある天照大神の「齋庭稻穗の御神敕」(資料二3)に基づくものと理解されるものであつて、儒教を新たに受容したものではなく、古代理念に回歸したものとして當然のことであつた。

ところが、地球の安定のために「齋庭稻穗の御神敕」を奉じて國家と社稷との雛形構造を維持することをせず、歐米は、リカードの口車に乘せられて國富の追求のため自由貿易主義へと歩み出した。しかし、我が國がこれによつて富國を實現すると、再び保護貿易主義へと旋回した。そして、歐米は、大東亞戰爭後において、過去になした保護貿易主義から再び自由貿易主義による世界を構築し始めた。初めに重商主義的な保護貿易時代から自由貿易時代、そして、この自由貿易の誤りを認識して保護貿易時代へと戻つたが、そのことが大東亞戰爭の原因となつたことから、再び戰爭にならないために自由貿易時代へと再び戻つたといふことに過ぎない。この自由貿易時代へと戻つたのは、自由貿易主義がリカードの云ふやうなものであると再び信じたのではなく、國際政治において、戰爭の危險を回避し、連合國の支配體制を確立するためのご都合主義的な便法である。國際政治的な支配の枠組みを構築するための手段としての制度にすぎず、その自由貿易といふのも、現實は、各國の事情により關税障壁や特定品目の指定などをせざるをえず、完全な自由貿易といふものはありえない。そもそも、完全な自由貿易を目指すといふならば、貿易には競爭力の弱い國の産業停滯や失業の增加などの問題が發生しうることは不可避であつて、これを貿易摩擦と稱して國際政治紛爭の種にすること自體が矛盾してゐるのである。

ともあれ、現在は、再び世界は別の意味で危險な状態となつてゐる。我が國は、徹底した國際分業と相互依存を求められ、自給率を極度に低下させ、「戰爭ができない國」になつた。否、「戰爭ができない國」といふよりは、「各國で戰爭が起これば國家として存續することができない國」になつたのである。このことは、GHQがその目的を達成したことではあつたが、この相互依存が逆に戰勝國の足を引つ張る事態となつた。それは、世界の南北問題など世界的な階層化と窮乏化による政治不安や經濟不安が世界を覆ひ盡くしたためである。

自由貿易は、必然的に國際的分業化を促進させることになるから、基幹物資の生産分業化を推進することになり、生産國と消費國との兩極分化が進行する。消費國化する國家は、當然に自給率を低下させて不安定化する。一方、生産國は、自給のための生産物を超える餘剰生産物を輸出することから、その意味では不安定要因はないが、相互依存は促進されるため、その餘剰生産物を消費國に輸出することによつて外貨を獲得し、自國に不足するその他の基幹物資については消費國化する。餘剰生産物が減少し、あるいは餘剰生産物の需要が低下することでも、生産國は不安定化する。その意味では、リカードの比較生産費説(比較優位説)は、相互依存を促進させて不安定化するための理論であつたといへる。

そして、その相互依存がさらに進向すると、假に、基幹物資を全て自國で生産しうる完全自給國家であつても、繼續的に餘剰の基幹物資を他國に輸出産品として貿易を營む場合は、これを貿易收支上の財源として交換的に輸入した財貨も二次的な必需品として國内經濟に組み込まれることになる。

なぜならば、人は、初めから耐乏生活をし續けてゐればそれに慣れることができるが、その耐乏生活を續けてきた人が一旦贅澤な生活をし始めると、その生活を快適と感じるのは束の間のことで、直ぐにその奢侈な生活に慣れてしまふ。ところが、再びその奢侈生活から急に耐乏生活を強いられると、さう簡單に直ぐに慣れるものではない。つまり、奢侈生活を續けると、それに馴致し、それが當たり前の生活になる。過剰消費が過剰消費でなくなる。繼續的に過剰消費生活が續けば、奢侈品が必需品となる。そして、それが相對的に基幹物資化していくといふことである。これを家計支出の觀點から云へば、食料や光熱水費などの「必需的支出」と、教養娯樂、外食などの選擇的サービスと家電製品、乘用車、衣料品などの選擇的商品などの「選擇的支出」との區別とが、生活の多樣化、高級化、奢侈化の流れによつて、その區別が消失していくことでもある。生産と消費が擴大するといふことは、「奢侈の必需化」を生むことである。

このやうな状況下で、消費國、生産國のいづれかが内亂・戰爭に卷き込まれた場合、貿易當事國雙方の經濟に影響を及ぼすのであり、これらの相互依存の經濟體質が國家と世界の不安定要因となるのである。この内亂・戰爭の原因は、經濟的要因のみならず、宗教的要因や民族的要因も加味されるので、さらに、發生確率も高まり、その不安定さは大きくなる。從つて、タンカーの仕切り構造や二重船殻體構造のやうに、世界と地球全體の危險回避のための危險分散方法として、自給率の高い國家を數多く世界に出現させなければならないのである。しかし、連合國は、ヤルタ・ポツダム體制とその經濟面であるGATT(WTO)・IMF體制により自由貿易の擴大による世界主義(グローバリズム)といふワン・ワールド化して經濟覇權の實現を目ざしてゐるため、各國の經濟は他國と一蓮托生の状況となつた。

そしてまた、自由貿易は必然的に貿易收支の不均衡を招來する。各國の國際貿易競爭力に差異があることの歸結でもある。それがリカードの致命的な理論的缺陷であつた。貿易不均衡を是正しようとする見解は、不可避的に自由貿易を制限し又は否定する保護貿易主義や制限貿易主義ないしは管理貿易主義に依據するはずであるが、アメリカの對日要求に見られるやうに、自由貿易の徹底が貿易不均衡を是正するとの幻想と自己矛盾の滿ちた連合國の主張が世界を席捲してゐるのである。連合國のいふ自由貿易とは、「連合國の、連合國による、連合國のための自由貿易」に過ぎないのである。

また、現在の自由貿易體制は、貿易爲替の自由化を基軸として始まつた。ところが、現状はどうであらうか。貿易決濟は、外國爲替相場市場において外國爲替取引によつて行はれるが、ここで取引されてゐる取引額のうち、「實業」の貿易決濟の取引額が占める割合は極僅かである。その殆どすべては、「虚業」の賭博取引である。關係者は、これを「投機」と稱して正當化するが、明らかに「國際賭博」であり、外國爲替相場市場といふのは、「常設の博打場」のことである。つまり、爲替取引は、貿易決濟といふ産業資本主義のためにあるのではなく、いまや專ら博打で利鞘を稼ぐ賭博經濟とそれを支へる金融資本主義に乘つ取られてゐるのである。

爲替相場の推移をメディアで日常的に報道することは、賭博經濟を推奬し、世界全體を賭博社會化することになる。賭博場である爲替相場の存在自體が元凶なのであつて、完全フロート(變動相場制)、ペッグ制(固定相場制)、あるいは通貨バスケット制(複數通貨を基準)など、そのいづれが妥當なのかといふ腦天氣な次元の問題ではない。

尤も、昭和四十六年に、ドルの金交換停止などによつてブレトン・ウッズ體制が崩壞し(ニクソン・ショック)、固定相場制から變動相場制へ、金融自由化、爲替取引完全自由化(為替取引の實需原則を廃止)、金融商品、金融派生商品の多様化と擴大化といふ一連の流れは、通貨それ自體を投機対象化して賭博經濟を一層加速させることになつたのであつて、その博打場では、樣々な金融商品が取り扱はれ、それ以外にも先物市場といふ博打場まであり、基幹物資までもが大量に先物取引される事態になつた。このやうな賭博經濟に世界全體が支配されてゐることから、基幹物資の亂高下を生じさせ、世界經濟に甚大な影響を與へて不安に陷れてゐる。

從つて、これらを容認して包括するGATT(WTO)・IMF體制の存在は、世界的な經濟格差を助長して固定化し、世界全體を不安定化させる最大の要因であることが明らかである。

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