國體護持總論
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著書紹介

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通貨發行權を巡る攻防の歴史

新たな經濟學の構築するについて、次に檢討しなければならないのは通貨制度に關してである。通貨制度については、そもそも通貨發行權は誰に歸屬するものなのか、そして、通貨の本質とは何なのかについて檢討しなければならないのである。そのためには、通貨と通貨發行權にする歴史を振り返る必要がある。


現在、ヨーロッパ連合(European Unin EU)では、統一通貨ユーロ(Euro)の通貨發行權をヨーロッパ中央銀行(European Central Babk ECB)に委ねたことによるソブリン・リスク(sovereign risk)が囁かれてゐるが、そもそも歴史的に見れば、國王の持つ統治權(sovereign)の中で最も重要なものの一つに通貨發行權があつた。これは、財政の錬金術である通貨發行益(シニョレッジ、seigniorage)を打ち出の小槌(通貨發行權)から繰り出せるからである。そして、發行した貨幣によつて租税を徴収し納税させることによつて社會に循環流通させて行けば、發行した貨幣の信用を高めることになり、「貨幣」は信用力を得て「通貨」(currency)となり、さらに、法律により強制通用力を得て「法貨」(legal tender)となる(本稿では、特段の場合以外は通貨と法貨とを同視して通貨と呼稱し、これと貨幣とを對比して論述することとする。)。

貨幣の信用力が弱いときには、納税は物納によることになる。そして、物納された商品を市井に流通させるときに、對價として貨幣を徴求すれば、徐々に通貨となる。つまり、通貨發行權は、租税徴収權と不可分な關係にあり、これを車の兩輪として金融政策と財政政策を統一的に行つてきたのである。これらは、世界の各國において概ね共通したものであつた。


ところが、租税徴収權は、國家の存立とその財政のためにはどうしても切り離せないものであるが、通貨發行權の場合は必ずしもさうではなかつた。通貨は僞造されてはならないし、僞造されれば、通貨制度の根幹が揺らぐ。しかし、僞造しにくい金屬貨幣を作らうとしても、高度な鑄造技術を國家が保有してゐるとは限らない。たとへば、室町時代に明錢を大量に移入して流通させたこともあつた。

そして、歴史が金屬貨幣から金本位制による兌換紙幣への時代へと移行すると、國家以上に保有する金の量が多い大富豪が、その財力に物を言はせて、打ち出の小槌である通貨發行權を國家から奪つて利益を得ようとすることになる。まさに、イギリスとアメリカには、通貨發行權の爭奪を巡るこのやうな攻防が繰り廣げられた歴史があつたのである。


まづ、貨幣經濟が發達してゐなかつたイギリスでは、ロンドンで兩替商などを營む金細工師(金匠、ゴールド・スミス、goldsmith)の銀行家たちが事實上の通貨發行權を持つてゐた。それを、十二世紀の初めにヘンリー一世(Henry Ⅰ)が取り上げて、初めての英國通貨を發行した。ところが、ゴールド・スミス(銀行家連合)は、再び通貨發行權の奪還に成功する。その事件が、クロムウェルによるイギリスの清教徒革命(Puritan Revolution)であり、その結果、イギリスの中央銀行となるイングランド銀行(The Bank of England)が設立され、以後、イギリスの通貨發行權は奪はれたままになつてゐる。中央銀行といふのは、國家から通貨發行權を付與された民間銀行複合體で、他の私的銀行を統括して金融政策を行ふものであり、政府とは別の組織である。


そして、これと同じやうな攻防がアメリカ合衆國でも起こつた。一九一〇年、J・P・モルガン、ジョン・ロックフェラー、ポール・ウォーバーグなど十一人により、合衆國から通貨發行權を奪ひ取つて中央銀行を設立するための秘密會議がなされ、それをウィルソン大統領(Woodrow Wilson)が、一九一三年に、クリスマス休暇で議員が居ないのに議會を開いて、電撃的に秘密會議の決定に基づく法案を成立させ、中央銀行への返濟財源に充てるための所得税徴収法まで成立させたのである。そして、翌一九一四年にFRBが設立され、合衆國の通貨發行權は奪はれた。これは、「合衆國議會は貨幣發行權、貨幣價値決定權ならびに外國貨幣の價値決定權を有する。」とするアメリカ合衆國連邦憲法第一章第八条第五項に明らかに違反してゐた。


なぜこのやうになつたかについては、獨立戰爭以來の伏線があつた。合衆國は、十八世紀に、財政が脆弱なまま長期に亘る獨立戰爭を行ひ、その戰費などを歐州の民間銀行から調達し、實質的には通貨發行權を奪はれてゐた。獨立戰爭終結後の一七八二年には、最初の中央銀行であるバンク・オブ・ノースアメリカ(The Bank of North America)が設立されるが、恒久法にすると憲法違反となるので、その後も、時限立法による中央銀行として、一七九一年にファーストバンク・オブ・ユナイテッドステイツ(The First Bank of United States)、一八一七年にセカンドバンク・オブ・ユナイテットステイツ(The Second Bank of United States)が設立された。

ところが、ジャクソン大統領(Andrew Jackson)は、一八三一年、歐州の銀行による支配に異議を唱へた。すると、暗殺未遂の災難に遭つた。その難から辛うじて逃れたジャンソン大統領は、暫定的に中央銀行として認める時限法を更新する改正をしなかつたため、セカンドバンクは一八三六年に消滅した。


そして、そのことが引き金となつて起こつたのが南北戰爭である。南軍も北軍もイギリスの銀行から戰費の調達を行つた。イギリスの銀行は究極のリスクヘッジ(risk hedge)を行つて、南北戰爭終了後における恒久的な中央銀行の地位を狙つたのである。ところが、南北戰爭後の一八六二年に、リンカーン(Abraham Lincoln)は、アメリカ政府(財務省)の政府紙幣であるグリーンバックスドル(Greenbacks dollar)を發行し、歐州銀行複合體の支配からの脱却を図らうとした。これは、中央銀行が發行するドルではなく、アメリカにおける初めての憲法通貨(法貨、Constitutioal Money)である。そして、これにより一八六五年にリンカーンは暗殺されるのである。


暗殺と言へば、ケネディ大統領(John Fitzgerald Kennedy)の暗殺も同じである。ケネディは、アメリカに大量に眠る銀の埋蔵量に着目し、FRBの金本位制から合衆國獨自の銀本位制へと移行することが可能であるとして、一九六三年に、銀本位制により合衆國發行の法貨を發行する大統領行政命令(executive order 11110)を發令した。ケネディこそ、FRBに奪はれた合衆國の通貨發行權を取り戻すことに最も熱心で勇氣のある大統領であつた。そして、ケネディもまた、大統領行政命令を發令した同じ年の十一月二十二日にダラスで暗殺されるのである。


また、こんなことがある。大東亞戰爭末期の昭和十九年、ケインズは、アメリカのブレトン・ウッズの國際會議にイギリス代表團を引き連れて參加し、ブレトン・ウッズ體制の基軸となる國際通貨基金(International Monetary Fund IMF)と國際復興開發銀行(世界銀行、International Bank for Reconstruction and Development IBRD)の設立に盡力したが、この會議でバンコールシステム(bancor-system)の導入を提唱した。これは、イギリスなどが提唱したもので、金(gold)など三十種類の基本財を本位財とした「バンコール」(bancor)といふ人工貨幣單位(世界通貨)を導入する案であり、アメリカ一極支配に反對したケインズの提案である。

しかし、ドルを世界通貨として通用させたいFRBの金融傀儡國家アメリカの強い反對を受け、しかも、この提案を阻止するため、アメリカはイギリスに實質的に無擔保で大量の貸付を行ふ米英金融協定の破棄することになると申し入れたことから、イギリスはこの提案を斷念し、金本位制を維持することを条件としてドルの一極體制を支持することになつた。ケインズは、第一次世界大戰後においては、金本位制への復歸に反對して管理通貨制度を提唱したが、第二次世界大戰後は金本位制を支持したのである。まさにご都合主義の通貨制度理論であつた。ともあれ、ケインズは、アメリカから歸國の直後に急死する。死因は、滯在中に起こした重度の心臟發作が小康状態を保つたものの、後に容體が惡化したためとされてゐる。

それがどのやうな意味を持つとしても、ケインズの生涯は、ドルを世界通貨にすることによつて、FRBが實質的な世界の通貨發行權を獨占しようとする企てに反對することが如何に困難であるかを物語るものであつた。


ところで、我が國について言へば、中央銀行としての日本銀行は、明治十五年に日本銀行條例に基づき唯一の發券銀行(日本銀行券)として株式會社類似の特殊法人として設立された。そして、大東亞戰爭中の昭和十七年に戰時體制強化のために日本銀行法が制定されて特殊法人(資本金一億圓、政府出資五十五パーセント)となつたが、戰後は、再び中央銀行としての獨立性を回復させ、歐米の例を無批判に模倣して金融と財政とをさらに分離させる傾向にある。

現在、我が國政府は、日本銀行に通貨發行權を獨占させてゐる(日本銀行法第四十六條)。そして、その發行限度はその發行額と同額以上の保證物件(地金銀、商業手形、國債、政府證券、外貨、外國為替など)の保有を必要とする保證準備制度がとられてゐる。これは、兌換の引換準備として金銀塊の保有を求める正貨準備制度とは異なり、一切の中央銀行の資産も同列に保證物件とし、その限度をもつて發行限度とする制度のことである(最高發行額制限制度)。つまり、二國間でキャッチボールをすれば、いくらでも通貨發行ができる仕組みになつてゐるのである。

しかも、これは、最高發行限度を越える銀行券の發行を認めないとする最高發行額直接制限制度ではなく、一定の條件のもとでは制限額を越える銀行券の發行を認めるとする最高發行額屈伸制限制度といふ管理通貨制度を採つてゐる。要するに、限度がないのと同じである。

これは、世界が金本位制からその廢止へ、兌換券から不換券へ、そして、固定相場制から變動相場制へといふ動向と連動してゐるもので、これまでの財(商品など)とそれを媒介する通貨(媒介通貨)との實物的對應關係は完全に喪失するに至つてゐると言へる。


また、通貨發行權に關して言へば、帝國憲法では明記されてゐないが、通貨發行權は、性質上當然に國家に歸屬する。ちなみに、帝國憲法制定前の明治十五年の日本銀行條例は、帝國憲法第七十六條第一項により、帝國憲法に矛盾しない法令として遵由の效力があることからして、國家の通貨發行權を日本銀行に付與することは、これによつて國家固有の通貨發行權(政府券發行)が否定されない限り合憲であるといふことになる。そして、通貨發行權にする事項は、前に述べたとほり、帝國憲法第六十二條の租税法定主義による租税徴収權の規定と一體となるものであるから、明文規定はないとしても當然に憲法事項である。さうすると、日本銀行條例といふ法令は、帝國憲法施行後は、實質的な憲法となつたのである。そして、それが昭和十七年の法律によつて變更されたとしても、同じく帝國憲法第七十六條第一項に基づいて同法律は有效となるのである。


ところで、大東亞戰爭の敗戰によるGHQの軍事占領下で日本國憲法と稱する占領憲法が制定されたが、その實質的な草案となつたマッカーサー草案の第七十六條には、「租税ヲ徴シ金錢ヲ借入レ資金ヲ使用シ竝ニ硬貨及通貨ヲ發行シ及其ノ價格ヲ規整スル權限ハ國會ヲ通シテ行使セラルヘシ」として、租税徴収權と通貨發行權を一體として規定してゐた。しかし、最終的に占領憲法では通貨發行權の條項は削除された。マッカーサー草案における通貨發行權の規定は、前に述べたアメリカ合衆國連邦憲法の第一章第八條第五項の「合衆國議會は貨幣發行權、貨幣價値決定權ならびに外國貨幣の價値決定權を有する。」に由來するものである。それが削除されるに至る詳細な經緯は明らかではないが、GHQ内部に居たFRBの手先が削除させたとすることは容易に推測しうることなのである。

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