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サンフランシスコ講和条約と東京裁判史観

我が国がGHQの「全部占領」による「非独立状態」から「部分占領」(米軍基地提供、沖縄等未返還)を受認した「独立状態」へと法的に転換しえたのは、旧日米安保条約とともに昭和26年9月8日に締結されたサンフランシスコ講和条約によつてである。

今年は、この講和条約が締結されたから50年目であるが、未だに、この条約は我が国に東京裁判史観による歴史解釈を義務づけたといふやうな謬論を唱へる売国奴がゐる。

その嚆矢は、昭和61年、中曽根康弘内閣の後藤田正晴官房長官の発言であつた。

それは、「東京裁判(極東国際軍事裁判)についてはいろいろな意見があるが、日本政府はサンフランシスコ対日平和条約で、東京裁判の結果を受諾してゐる。」とし、我が国政府が東京裁判史観に基づく歴史解釈をとらざるを得ないのは、条約によつて法律的に拘束されてゐるからだ、との見解を表明したことにある。

その源流は、昭和57年6月28日、鈴木善幸内閣時代に起こつた、いはゆる「教科書誤報事件」に端を発し、同年8月27日の宮澤喜一官房長官談話により、中韓に我が国の教科書検定の権限を実質的に付与することを約束して、それが正式に同年11月24日に「近隣諸国条項」として検定基準に盛り込まれたことにある。

この論理から、中韓が内政干渉を行ひ続け、我が国の対中韓「謝罪外交」、中韓の対日「叩頭外交」が始まり、それ以来、首相の靖國参拝にまで暗雲が垂れ込めて今日に至つてゐる。

確かに、サンフランシスコ講和条約、すなはち、日本国との平和条約の第11条は、「日本国は極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。・・・」と訳されてゐるが、この「裁判を受諾し」といふ部分は、原文(Judgments)を忠実に翻訳すれば、「判決を受諾し」となることは国際法学者の定説である。そして、その意味は、後段の「刑の執行」を継続するための法的権限を付与するためのものであつて、その刑の執行の合法的根拠を「判決」に求めるといふ、純然たる法律問題に過ぎない。

そもそも、条約で国家と国民の歴史観(思想)を拘束することなどはありえないことである。ましてや、GHQの占領政策は、民主化と自由化であつたといふのであるから、思想強制することは自由主義の根幹に反するのであり、この条約の解釈も自由主義に反しないものでなければ論理矛盾になつてしまふ。全体主義国家の中韓の論理で解釈されるやうな条約ではないのである。

しかも、第25条によれば、「・・・第21条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいづれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益を与へるものではない。・・・」と定め、その第21条には、「この条約の第25条の規定にかかはらず、中国は、第10条及び第14条(a)2の利益を受ける権利を有し、朝鮮は、この条約の第2条、第4条、第9条及び第12条の利益を受ける権利を有する。」とある。ここでの「中国」と「朝鮮」が何を指すのかについては紙面の関係で説明を留保するが、仮に、いづれの見解に立つても、そもそも第11条が除外されてゐるため、中国(中華民国及び中華人民共和国)及び朝鮮(大韓民国及び朝鮮民主主義人民共和国)との関係で、第11条の拘束力の範囲に関する解釈がいかやうであつても、東京裁判、そしてその裁判ないし判決の結果について容喙する権利が中韓にはないことは明らかである。

ましてや、東京裁判は、国際法上も罪刑法定主義に違反したものとして、現在はこれを無効とするのが国際的な定説である。そもそも、国家には、交戦権、つまり戦争する権利がある。尤も、現行憲法を有効であるとする前提に立てば、我が国だけが世界で交戦権のない国家(現行憲法第9条第2項後段)といふ希有な存在となるので、我が国がもし今後武力を行使すれば、我が国自体が被告人となつて世界史上初めて裁かれることになるであらう。しかし、少なくとも戦前の我が国には交戦権があつたことは確かであるから、その戦争は国家の犯罪ではなく、国家の権利である。

ところで、「国家は国家を裁けない」し、講和条約が締結されれば、それまでになされた対手国の行為は全て失効するとするのが、ウェストファリア条約(1648)からヘーグ条約(1907)までの間に確立した国際法の原則である。それゆゑ、国家主権の発動としての交戦権を行使した担ひ手が「戦争犯罪人」となるはずがなく、それを違法に裁いた東京裁判の被告人、すなはち「A級戦犯」といふ立場は、決して「犯罪者」ではなく、違法な判決の刑の執行を受けた「犠牲者」(公務死としての戦死者)であり、靖國神社の御祭神として国家的に祀られることについては、現行憲法が有効とする前提の下では無理だが、これを無効とすれば帝國憲法下においては至極当然のことなのである。

平成13年10月7日記す 南出喜久治

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