各種論文
トップページ > 各種論文目次 > H21.05.11 いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の七›ミサイルと拉致と国籍1

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の七›ミサイルと拉致と国籍

四月五日の内憂外患

今年の四月五日は内憂外患の一日であつた。「内憂」とは、またしてもNHKが反日偏向報道を垂れ流したことである。NHKスペシャル・シリーズ「JAPANデビュー」第一回『アジアの“一等國”』において、我が軍と官憲が臺灣人匪賊の内亂を鎭壓したことを臺灣獨立をめぐる「日臺戰爭」の攻防であるかの如く描く荒唐無稽の編集で貫かれてゐた。このシリーズのオープニング・タイトルにおいて、モンタージュ手法やサブリミナル手法などの違法な情報印象操作が驅使されたことは勿論のこと、しかも、その内容においても、臺灣人の多くが抱く強い親日感は微塵も紹介されず、專ら反日感情を煽る證言等で彩られた反日プロパガンダ以外の何者でもなかつた。我々は勿論、この番組を見た心ある臺灣人が強い怒りを表明してゐるのである。

そして、この日に起こつた「外患」とは、あたかも反日プロパガンダを垂れ流したNHKと示し合はせかたのやうに北朝鮮のミサイルが發射されたことである。つまり、捏造報道といふ思想的ミサイルが着彈すると同時に、北朝鮮による軍事的なミサイル發射がなされたのである。NHKとは「North Heel Korea」(北の卑劣な韓國)の略語ではないか、と錯覺するほどの日であつた。

北朝鮮のミサイル開發

ところで、北朝鮮は、この日にミサイル發射を強行し、「人工衞星」の打ち上げに成功したと發表したが、實際は明らかに失敗であつたことから、翌六日、平壌で検討會が開かれ、そこで宇宙開發計画の責任者が強く叱責された。北朝鮮の悲願は、自前による軍事用GPS(全地球測位システム)を獨自に確保するために「人工衞星」を打ち上げることであり、その技術集積の過程において大陸間彈道ミサイル(ICBM)の開發が容易に實現できると判斷したのであるが、これが今回も失敗したのである。しかし、北朝鮮は、引き續き自國のミサイル防衞体制を確立させるために、今後は、中共とは距離を置きつつ、ロシアと強く手を組むことになるであらう。

北朝鮮は、これまで中共からの經濟援助の見返りとして、中共に対し、重要な地域と據点を租借させてしまつてゐる。北朝鮮最大の鐵鋼資源である茂山鑛山その他の金鑛や炭鑛などの採掘權はいまや中共の手に渡り、北朝鮮は中共の植民地と化してゐる。これは、北朝鮮の實質的な保護國(宗主國)は中共であることを意味し、韓半島(朝鮮半島)有事の際、中共は自國の權益を保護する目的で人民解放軍が中朝國境を越えて北朝鮮を軍事占領するための正當性を附與し、さらに、韓半島の唯一の正當な政權が北朝鮮であることを主張して、その版圖である南朝鮮(韓國の支配領域)も中共が三十八度線を超えて直接に占領支配しうる口實を與へたことになる。そのため、北朝鮮は現支配体制の打倒をもなしうる中共に対する不信感を抱き、急速にロシアと強く手を結んで中共による宗主國支配と干渉を牽制する必要があるからである。

昭和三十六年に締結された中共と北朝鮮との間の中朝友好協力相互條約は、一方が敵國の侵略を受けて戰爭状態となれば、他方は軍事その他の援助をしなければならない義務を定める相互軍事條約である。その後、平成三年に韓國と北朝鮮とが國連に同時加入するなどして中韓關係が構築されたことから、中朝關係は變化したものの、基本的な關係は維持されてゐる。北朝鮮がいはゆる「瀬戸際外交」を執り續けるのは、この軍事條約を逆手に取つた戰略であつて、中共が北朝鮮の暴發によつて一蓮托生に戰爭に引き込まれる危險を回避するために、これまで中共は北朝鮮の過大な要求に應じてきた。しかし、北朝鮮としても、この路線を繼續することは、もはや限界に達してゐる。

ロシアもまたその情況を敏感に受け止めてゐる。そこで、平成二十一年四月二十四日、北朝鮮訪問を終へたロシアのラブロフ外相が、ソウルで記者會見を行ひ、ロシアが自國領内から北朝鮮の人工衞星打ち上げに協力する用意があると表明した。これによつて、北朝鮮は、今後もロシアの協力を得てミサイル防衞体制を強化できる道が保障されたことになる。「渡りに船」とはこのことである。そして、翌二十五日、北朝鮮外務省報道官は、このことを踏まへて核再処理の再開を表明したのである。

當初は、今回の北朝鮮のミサイル發射に対しては、これまでと同様に國連安保理での非難決議がなされるべきところ、同月十四日に國連安全保障理事會の議長聲明の發出に留まつた。それは、前述の事情が存在するからであつて、蚊帳の外に置かれミサイル發射阻止に対して何もなしえなかつた我が國では、中曽根外務大臣談話において表面上はこれを評價したものの、その中で、「今回、我が國を含む關係各國が自制を求めたにもかかわらず、北朝鮮がミサイル發射を強行したことは、我が國を含む近隣國が核やミサイルの脅威に引き續き晒されている中での安全保障上の重大な挑發行為と言わざるを得ず、我が國として容認できるものではありません。」と空しく述べたが、我が國政府の首腦としては、議長聲明に留まつたことについて屈辱感と敗北感を隱しきれなかつた。そして、この敗北感は現實のものとなつた。それが、同月二十四日のロシアのラブロフ外相聲明と翌二十五日の北朝鮮の外務省聲明であつて、これらによつて、この度の一連の騒動における北朝鮮の外交的勝利をもたらしたのである。

戰闘と兵站の一體性

そもそも、北朝鮮のミサイル開發問題は、戰略核兵器開發と不可分一體のものである。これは、我が國が非獨立の占領下にあつた昭和二十四年に冷戰時代の共産圈向けの輸出統制のための機關として發足した「対共産圈輸出統制委員會」(COCOM ココム)から始まる長い歴史から捉へ直さなければならない問題である。

我が國がココムに正式に加入したのは、獨立回復後の昭和二十七年十一月十四日であるが、冷戰構造の崩壞に伴つて規制の大幅緩和が進み、遂に平成六年に解散となつた。そこで、平成八年には、通常兵器などの輸出を管理するワッセナー協約(新ココム)が成立した。しかし、これには法的拘束力がない。我が國では、ココム發足に連動して「外國爲替及び外國貿易管理法」及びこれに基づく政令である「輸出貿易管理令」を占領下の昭和二十四年に制定し、これが現在に至つてゐるが、これはザル法と言つても過言ではない。

現に、北朝鮮で平成九年までの九年間に「彈道ミサイルの誘導装置の開發・製造部門」などでミサイル開發に携はつてゐた元技師でアメリカに亡命した者が、平成十五年五月十五日に、「北朝鮮の大量破壞兵器開發について核・化學・生物の大量破壞兵器と彈道ミサイルの製造に必要な機械類、部品はほぼ百パーセント外國からの輸入に頼つてきた。この輸入品の内九十パーセントが日本から直接さまざまな方法で調達されてゐた。」など語つたことや、原子力や核兵器、ミサイル開發に欠かせない技術や知識を持つた我が國の失踪者は十九人であるとした「特定失踪者問題調査會」(荒木和博代表)の發表などからして、核開發問題と拉致問題とは表裏一體の軍事問題であることが解る。

つまり、ノドン、テポドンの彈頭、エンジン、燃料、爆薬だけが中共經由の外國製品であるが、胴體、誘導システム、電氣系統、配管などは全て日本製であり、特に、長距離ミサイルの胴體は、限りなく真円に近いステンレスやアルミ合金のシームレスパイプでなければならず、内部配管についても、強い耐酸性などの耐化學薬品のシームレスパイプでなければならない。それが製造できるのは、我が國では、新日鐵、住友金屬、JFEの三社しかない。その中でも、真円率の高いシームレスパイプが製造できる技術はJFEが持つてゐると言はれてゐる。このシームレスパイプをロシア經由で北朝鮮が迂回輸入することは可能であり、貿易業者や商社などがこれに介入することになると、エンドユーザーが誰なのかの追跡が全く不可能となる。さらに、積出港、輸出量などにも抜け道があり、詳細な實態把握が殆どできてゐないのが實情であることから、現行の「輸出貿易管理令」は全くのザル法なのである。もし、我が國が本氣になつて北朝鮮のミサイル開發を阻止しようとするのであれば、再発防止策ないしは再調達防止策として、少なくともミサイルの真円胴體に轉用しうるシームレスパイプなどについて、これまでの輸出品やこれからの輸出品の輸出先、使用先、設置先などを徹底的に追跡調査しうる権限と義務を税關検査官に附與することが絶對に必要なのであるが、我が政府は、これに副つた輸出貿易管理令の改正を全く行はないのである。北朝鮮に対する上辺だけの經濟制裁を行つてはゐるが、それには實効性がなく、軍事轉用可能物資についてはこれまで通り全く影響がない。

軍事轉用可能物資の輸出管理の強化と使用設置状況の追跡などを徹底することは、技術的には實用不能であることが明らかなMD(ミサイル防衞)計画に膨大な開發費用などの無駄金を投入するよりも最も有用な防衞政策の一つであることは明らかなのである。ところが、官僚も政治家も、活動家なども、これを提言する者は皆無に等しい。

しかし、このやうな視点が缺落してゐるのは、今に始まつたことではない。「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち」としてきた傳統的な「兵站輕視」の弊害でもある。兵站行動(後方支援)は、戰闘行動と表裏一體のものであつて、両者を分離獨立させることは軍事理論の常識からして到底あり得ない。ところが、後方支援は武力の行使ではないとの詭辯によつて占領憲法第九條を解釋し、イラク特措法などを制定したことは噴飯ものと云へる。

その意味では、北朝鮮の防衞理論の方が正鵠を得てゐる。北朝鮮は、両者を一體のものとして、ヒト、モノ、カネを總動員して、技術者の拉致と軍事轉用可能物資の密輸によつて核開發とミサイル開発を繼續してきたことになる。我が國は、拉致、覺醒剤と僞札の製造なども組織的に手がける北朝鮮のやうな無法國家、犯罪國家ではないことは當然ではあるが、せめて戰闘と兵站との一體性を基軸とする防衞構想を構築する必要がある。しかし、「日本國憲法」といふGHQの軍事占領下の非獨立時代に制定された占領憲法を「憲法」であると錯覺してゐる限り、それは永久に實現しえないことになる。

アメリカ、ロシア、中共などの核兵器や彈道ミサイルは認めるが、開發途上にある北朝鮮のそれは認めないといふのが、ヤルタ・ポツダム體制とその軍事的側面としてのNPT體制(核不拡散條約體制)である。つまり、大泥棒や強盗団は認めるが、後に續かうとする猿真似のコソドロは絶對認めないといふ偏頗な體制である。周圍を取り巻いてゐる核武装の軍事大國(アメリカの核の傘下に隱れる我が國を含む)に對抗するために、弱小零細國の北朝鮮が戰略核兵器とミサイルの開發をして自衞的核抑止力を強化することは本來的に國家固有の自衛權として認められる。我が國がこれに反対し批判するのであれば、我が國は自國の自衞權をも否定しなければならず、自國の自衞權のみを主張するのは二重基準の論理破綻を招くことになる。

しかし、北朝鮮がNPT體制から脱退して核武装することは自衞權の行使として認められることになるとしても、拉致は絶對的に容認することはできない。その意味では、我が國の対北朝鮮政策は優先順位が間違つてゐる。拉致事件の解決を二念なく最優先課題としなければならないのである。思ふに、世界の核問題については、我が國も北朝鮮と同樣に、NPT體制からの脱退を宣言する必要がある。全面核廢絶、つまり、全ての國家に核兵器の廢絶義務を課するNPT體制に改變されなければならないことを目的として、NPT體制からの脱退をあへて表明するのである。北朝鮮やイランなどの核問題を契機として、明確に全ての核保有國に抗議してNPT體制の改變を國際世論を喚起させるために、それからの脱退を表明するのである。これは北朝鮮のやうな國家組織的な拉致事件などを犯す無法國家が脱退する場合とは明確に異なる。大泥棒(アメリカ)の蔭に隱れた茶坊主のやうな子分(日本)に成り下がつて、コソドロ(北朝鮮)だけを批判し、大泥棒(アメリカ、ロシア、中共など)を全く批判することができないやうでは國際的にも説得力がない。自らが大泥棒の手先家業から足を洗つて、みんな揃つて泥棒や強盜を止めようと提言することである。さうして初めて北朝鮮の核兵器のみならず世界の核兵器廢絶を求める説得力が生まれることになる。

拉致事件と占領憲法

しかし、拉致事件については、一歩の譲歩もすることはできない。絶對無條件で原状回復論による解決を求める姿勢を嚴格に貫かねばならないことは勿論である。

國際法の父とか、自然法の父と呼ばれてゐるフーゴー・グロティウスは、『戰爭と平和の法』の中で、正當な戰爭(正義の戰爭)といふ概念を提唱した。これが「正戰論」である。正戰には三つある。第一は自己防衞のための「自衞戰爭」、第二は不法に奪はれた財産の回復のための「回復戰爭」、そして、第三は財産の不法侵奪や邦人拉致などの不法行爲を回復し再發防止のために行ふ「處罰戰爭」である。しかし、その後、第一次世界大戰後に「國際連盟規約」や「不戰條約」を經て、自衞戰爭以外に、國際連盟規約違反の戰爭をなす國家に對する制裁としての戰爭のみを合法的な戰爭(正戰)とした。そして、國際連合憲章では、正戰を自衞戰爭のみとし、その自衞戰爭の中に、集團的自衞權に基づく戰爭を含むものとした(第五十一條)。しかし、この集團的自衞權といふものは、本來の自衞權(個別的自衞權)とは全く異質のものである。この條項が生まれたのは、冷戰構造が構築されつつある状況の中で、アメリカが中南米を含む全米を影響下(支配下)に置くことを目的としたチャプルテペック決議(後の全米相互扶助條約)に基づく軍事行動については國連安保理の許可を不要とするために編み出したことにある。當初の國連憲章の原案では、集團的自衞權の行使は安保理の許可が必要となつてゐたことから、ソ連の拒否權發動を懸念して、憲章本文に集團的自衞權の條項を入れることになつたのである。そして、個別的及び集團的自衞權の行使については安保理に対する事後の報告事項とし、事前の承認事項ないしは許可事項としなかつたのである。それゆゑ、集團的自衞權は個別的自衞權と同質のものであるとし、いづれも國家の「固有の権利」であるかの如き國連憲章第五十一条の表記に副つた主張は、自衞戰爭をこれまで正戰としたきた國際慣習からして到底認めることはできない。集團的自衞權は、あくまでも国連憲章によつて認められた權利であり、固有の權利(自然權)ではありえない。また、集團的自衞權とは異なり、個別的自衞權が固有の權利(自然權)であるとしても、占領憲法が憲法であるならば、これを行使すること(交戰權を行使すること)が否定されてゐるのであるから、個別的自衞權も占領憲法においては否定されてゐることになるのである。たとへていふならば、肉食妻帶することは人の自然權であるとしても、佛教の戒律によつて僧がこれをなすことを禁止することはできるのであつて、その戒律がある限りこれを犯す者はやはり「破戒坊主」であることに變はりはないことと同じである。

ところで、我が國がサンフランシスコ講和條約(桑港條約)や日華平和條約、日ソ共同宣言等を締結して「戰爭状態」を終了させて國連に加入してゐるにもかかはらず、國連憲章には未だに敵國條項(第五十三條、第百七條)があることからすると、この條項が削除改正されない限り、これに對抗しうる我が國の自衞措置として、我が國もまた連合國を現在もなほ敵國と看做しうる權利があるはずである。つまり、我が國は、連合國に對し、正戰として「回復戰爭」と「處罰戰爭」を行へる權利が認められることになる。

それゆゑ、ロシア(舊ソ連の承繼國家)によつて現在もなほ不法に侵奪され續けてゐる北方領土の奪還、韓國によつて不法に侵奪され續けてゐる竹島の奪還については「回復戰爭」が可能であり、我が國にホロコーストの目的で原爆を投下しながらも、いまだに核軍縮をなさないアメリカに対しては核による報復の「處罰戰爭」が可能である。我が國には核による對米報復權が認められるといふことである。しかし、この權利があることと、その權利を直ちに行使しうるか否かとは全く別問題である。手續等の要件が滿たされない限り、直ちに行使しうるものでないことは勿論である。それは、國際法が定める手續を遵守する戰爭を以て合法な戰爭と定義されることから、最終的には、カロライン号事件(1837+660)以降に國際慣習として確立してきた自衞權行使の三要件である:-
●急迫性(急迫不正な侵害があること)
●補充性(その侵害を排除する上で他に手段がないこと)
●相當性(排除するための實力行使は必要最小限度であること)
が必要となつてくるであらう。

その意味では、北朝鮮による拉致事件の最終解決については、被害者全員の身柄引渡請求、拉致事件の関与者や指示者の特定と被害状況等についての調査報告要求、我が國による直接の調査を容認させる請求、犯人の引渡請求などをなし、それでもこれらに應じない場合は、武力による奪還と軍事制裁をなすことの警告等をなし、これらの適正な段階的手順を經て、回復戰爭ないしは處罰戰爭によることができるのであり、これ以外に解決の方法は殘されてはゐないのである。

ところが、占領憲法を憲法として錯覺し續ける限り、拉致事件は永久に解決しないことが解る。つまり、再び自衞權の話に戻るが、占領憲法は、そもそも「自衞權」を否定してゐるからである。假に、「自然權」として自衞權が認められるとしても、前に述べたとほり、それでもその自然權としての自衞權を放棄したのが占領憲法である。にもかかはらず、占領憲法は自衞權を認めてゐると主張する多くの法匪が居る。この法匪とは、占領憲法の解釋を生業(なりはひ)とする憲法學者(憲法業者)などのことである。詭辯を弄して、我が國には自衞權があり、自衞隊は合憲であると強辯する。さうでなければ、占領憲法解釋業者として失職するので、自己保身のためにその詭辯を主張するのである。

ところが、自衞權の行使は、當然に交戰權(rights of belligerency)の行使に含まれる。占領憲法との關係では、交戰權とは、占領憲法の原型であるマッカーサー草案の原案となつたマッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)に初めて登場した「政治用語」であり、これは、自衞戰爭も一切認めないといふ徹底したものである。その第二原則にはかう書かれてゐる。

War as a sovereign right of the nation is abolished.(國家の主權的權利としての戰爭を放棄する。)

Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.(日本は、紛爭解決の手段としての戰爭、および自國の安全を保持するための手段としての戰爭をも放棄する。)

It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.(日本は、その防衞と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。)

 

No Japanese army, navy, or air force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.(いかなる日本陸海空軍も決して保有することは、将來ともに許可されることがなく、日本軍には、いかなる交戰者の權利(交戰權)も決して與へられない。)

これは、占領憲法の前文と第九条の原型であつて、それゆゑ、交戰權の解釋についても、現在の政府見解のやうに、「戰いを交える權利という意味(狭義説)ではなく、交戰國が國際法上有する種々の權利の総稱(廣義説)」であるといふやうな生やさしい解釋が罷り通るものではない。戰爭とは、武力を用ゐる外交であつて、戰爭を始め(宣戰權)、戰闘を遂行又は停止し(統帥權)、戰爭を終結して講和を締結すること(講和權)に至るまでの一連の行爲を「交戰權」と規定したことに他ならないのである。

また、自衞權ないし交戰權を明文規定を以て否定した占領憲法の解釋においても、「自然法」を持ち出して、自然權としての自衞權が認められるとする解釋が許されるのであれば、軍事占領下の非獨立状態、すなはちバーンズ回答と降伏文書にある「subject to(隷屬)」状態での占領憲法の制定は、帝國憲法第七十五条の類推解釋により無效であり、假に、帝國憲法に明文規定がないとしても、自然法により無效と解釋されなければ論理性を缺くことになるのである。

五月三日の憂鬱

ところで、内憂外患の四月五日が過ぎると、しばらくして今度は日本のいちばん重い一週間となつた。正確には、四月二十八日から五月三日までの六日間である。四月二十八日(昭和二十七年)は、帝國憲法第十三条により桑港条約が發效して獨立を回復した日であり、翌二十九日は先帝陛下の昭和節である。さらに翌三十日(昭和二十二年)は、占領下で樞密院や皇族會議が廢止され、翌五月一日(昭和二十二年)は、正統典範が翌二日限り廢止することになつた日である。

そして、さらに翌三日は、日本のいちばん忌まはしい國辱の日である。GHQによる二大占領政策である東京裁判(極東國際軍事裁判)の開廷日(昭和二十一年)と占領憲法の施行日(昭和二十二年)がともに五月三日であり、この日を祝ふことは屈辱以外の何ものでもない。しかも、昭和二十一年四月二十九日の天長節に、GHQは、東條英機元首相らA級戰犯二十八人の起訴状を發表し、明治節である同年十一月三日に占領憲法が公布されることとなつた。東京裁判で絞首刑となつた七士の絞首刑執行は、當時皇太子殿下であらせられた今上陛下の天長節である昭和二十三年十二月二十三日になされた。いづれも占領下のこととで、我が國が抗拒不能であることをよいことに、歴代の天長節を見せしめのために穢すことを目論んで日程が組まれたのである。

続きを読む

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ