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トップページ > 各種論文目次 > H22.06.28 さらば、「熱海・興亜観音」

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さらば、「熱海・興亜観音」

熱海市伊豆山には、松井石根陸軍大将の発願による興亜観音がある。これを本尊とする宗教法人礼拝山興亜観音(以下「観音法人」といふ。)の規則第三条によれば、「この法人は興亜観音を本尊として日華大東亜戦歿者を怨親平等に祀りその供養につとめると共に公衆礼拝の施設を備へ慈眼視衆生の観音の眞義をひろめることを以て目的とする。」とある。この観音法人の規則は昭和三十年四月三十日に静岡県知事によつて認証されたもので、同年五月十一日に観音法人は設立されたのである。


ところが、静岡地方法務局熱海出張所に備へ付けられた法人登記簿によると、観音法人の登記簿の目的欄にもこれと同様の記載があるが、「慈眼視衆生」とある部分が「茲眼視衆生」となつて、「慈」が「茲」と誤記され、「心」が欠落してゐる。

そもそも「慈眼視衆生」(じげんししゅじょう)とは、妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五にある一句を音読したもので、書き下し文で表記すれば、「慈眼を以て衆生を視(みそなは)す」(『法華経(下)』岩波文庫)となる。どうしてこれが法人の目的とされてゐるのかと云へば、それは松井大将の法華経信仰、観音信仰に由来するものであり、観音法人が日蓮宗(法華経信仰)の系統であるからである。


ところで、法人の最も重要な目的における「慈眼視衆生」の「慈眼」(じげん)が「茲眼」(しげん)となり、「茲眼視衆生」となつてゐるのであれば、観世音菩薩の「慈眼」(いつくしきめ)を以て衆生(人間)を見行(みそなは)すのではなく、衆生(人間)の「茲眼(このめ)」を以て他の衆生(人間)を見下すといふ意味になつてしまふ。どうしてこの重大な誤記に誰も今まで気付かなかつたのか、私は全くもつて理解に苦しむ。否、むしろ、この「心」の欠落が、その後に観音法人に関連して次々と醜い紛争が起こり、今もなほ新たな紛争が起こつて終息の目途が立たずに零落したのは、この「こころ」を失つたことをまさに暗示してゐたものと感じざるをえない。


これまでに起こつた観音法人を巡る醜い紛争や、現在も続いてゐる紛争については余りにもおぞましいことなので、ここではその詳細な内容については触れない。ただ、今も出口の見えない紛争をいつまでも続けてゐる「両陣営」に云つておきたいことがある。観音法人の目的にある「怨親平等」と「慈眼視衆生」を忘れ去り、松井大将の発願に背いてゐることを自覚すべきである。誤字のままの「茲眼視衆生」が一人歩きし、観音法人が「興亜観音を守る会」(以下「守る会」といふ。)の全役員に対して「入山禁止」を通告し、それが解除されないまま会長の中村粲氏は去る六月二十三日に逝去されたため、それが入山禁止が解除される機会を永久に失つたことになる。守る会の人々には、誰一人として興亜観音に弓引く者は居ない。観音法人への批判と興亜観音への批判とを混同した傲慢不遜な態度である。そのことは訴訟を取り下げても観音法人を私物化してゐる歴史的事実は払拭されない。しかも、その首謀者の黒岩徹氏は、皇統をDNA論のみで語る唯物論者であるとして、私が平成十八年八月に批判して論争した相手でもある。また、中村粲氏はNHKに対する訴訟や教科書裁判で共に戦つた同志であつたので、そのことからすると私は当然に中村粲氏の側に立つべきであるとの意見があり、それをしないことに対して、卑怯だとか優柔不断であるとか、あるいは感情をむき出しにして聞く耳に堪えないほどの暴言を吐く輩も居た。


しかし、守る会の終身会員であつた私が、それでも中村粲氏の旗振り役をしなかつたのは、さうしたからと云つて興亜観音に平穏さが戻る糸口を全く見いだせないことを痛感してゐたからである。それよりもしなければならないことがあると信じてゐたからである。守る会が、いくら声を張り上げたとしても、観音法人の代表役員や責任役員の人事に全く関与できない。だから、もつと冷静になるべきである。

また、観音法人の住職その他の役員には、この紛争を解決できるだけの指導能力、自治能力、調整能力が全くない。只々、黒岩氏の旗振り役をするだけである。こんな零落した観音法人に何の期待ができるといふのか。


しかし、そのやうな醜い紛争の最中にも、政治結社和心塾の諸君は我が意を体してよく奉仕してくれたことを私は誇らしく思つてゐる。まさに、いづれの紛争当事者にも与することなく、興亜観音への参道の竹垣を設置したり、清掃等の奉仕活動等を実践して、専ら興亜観音への勤労奉仕をしてくれたからである。決して、特定の者に対して傲慢にも入山拒否を決める観音法人の役員のために奉仕したのではない。あくまでも、興亜観音の護持と殉国七士の慰霊のためにしたものであることを私はよく理解してゐるからである。

私は、この和心塾の奉仕活動が紛争当事者の内省を促し、その傲慢さを戒めて紛争解決の契機となることを痛切に願つたが、残念なことに、ついにそれが実現することはなかつたのである。


そもそも、興亜観音は、その縁起からして、観音法人として一部の者だけの専横によつて運営される性質の追悼施設ではない。観音法人の役員になつたからと云つて、興亜観音の運営を好き勝手にして、その意にそぐはない者を排除することなどはできない。もし、そのやうなことをして諍ひを犯すのであれば、それこそ潔くお山から去るべきである。

「争ふ全ての者は、興亜観音から去れ。」私の云ひたいことはこのことである。「日華大東亜戦歿者を怨親平等に祀りその供養につとめる」興亜観音のお膝元で、紛争し続けるのは明らかに興亜観音発願の趣旨と目的に反する。同志であるべき者の間で怨みを増幅させる者が日華(日支)の怨親平等を説くのは笑止千万であり、観音法人を運営する住職らには、紛争解決のための事態収拾能力が全くなく、一方の旗振りだけをして火に油を注ぐことしかできない者には、慈眼視衆生の意味は理解できない。


思ふに、私はかねてから、興亜観音は、昭和四十年に靖国神社の拝殿に向かつて左奥に建てられた「鎮霊社」と比肩されるものとして捉へてきた。鎮霊社は、嘉永六年以降の官軍の御英霊を合祀した本殿とは別に、合祀の対象外とされた殉国の御英霊と諸外国の戦歿者の御霊の二座が祀られてゐるものであるが、「鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが、御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象」とされてゐるのである。


この違ひはどこからくるのか。それは、本殿の御英霊のみを「殉国の御霊」として顕彰し、それ以外の御霊は殉国の御霊ではないとすることにある。これと同様に、興亜観音は、「日華大東亜戦歿者を怨親平等に祀り」とあり、怨親平等に重きを置くがため、皇軍の御霊を「殉国の御霊」とはしてゐない。日華双方の戦没者を単に「奉慰」の対象とするだけである。それもそのはずである。興亜観音は観音法人の「仏教施設」なのである。仏教などの本尊や絶対神を唱へる宗教では、「殉教」はあつても「殉国」の思想はない。仏の教へや神の教へに殉じた人々を殉教者として「奉慰」することはあつても、「顕彰」まではしない。観音法人の目的からすれば、厳密には殉国を否定しなければならない。少なくとも肯定することはできない。皇軍将兵の御英霊に対し顕彰を行はず、奉慰だけに閉じこめることになる。これが興亜観音を本尊とする観音法人の本質なのである。


しかし、私には、支那の戦歿者を「奉慰」する心はあつても、これと我が皇軍の御英霊を同列にすることはできない。殉国の御霊として奉慰顕彰すべきである。日華の戦歿者を平面的に同列に取り扱ひ、殉国の御霊を「顕彰」しないことを本質とする観音法人の教義(目的)に従ふことは私には到底できないのである。

このやうな差異を生ずる原因はどこにあるか。それは、仏教には世界観はあるが国家観がないからである。仏教では、殉教は語れても殉国を語ることはできない。殉国者を顕彰することを本質とせず、国家観のない興亜観音に、私は今後も固執する気持ちが全く起こらないのである。


また、興亜観音のある境内地に、靖国神社で合祀されてゐる「殉国七士」の遺骨灰が安置されてゐるが、これもまた観音法人の教義(目的)からすれば、「顕彰」の対象ではない。私は、これは絶対に顕彰の対象とすべきであり、この地に安置すべきものではない考へてゐる。ではどうするのか。それは、同じく遺骨灰が安置され、明確に顕彰の対象としてゐる愛知県幡豆郡幡豆町の三ヶ根山にある殉国七士廟に移置して顕彰されるべきである。そして、長野に眠つてゐる殉国七士の大部分の遺骨灰もまた三ヶ根山の殉国七士廟に移置して遺骨灰を統合して顕彰の対象とされるべきである。

そして、最後に、観音法人に対して意見を述べたい。


宗教法人法第八十一条第一項には、「裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。」と規定され、その第二号には、「第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたってその目的のための行為をしないこと。」を解散命令の事由と定めてゐる。なほ、第二条といふのは、「宗教団体」とは、「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする・・・団体をいう。」とあることから、規則で定められた目的も含めて、目的を著しく逸脱した行為をしたことや、目的のための行為を一年以上しないことが解散請求の事由と規定してゐる。それゆゑ、観音法人が、その目的として定めた「怨親平等」や「慈眼視衆生」の眞義を否定し続け、殊更に紛争行為を常習とし、誤字のとほりの「茲眼視衆生」を実践してゐることからして、「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたってその目的のための行為をしないこと」に該当すると解されることから、観音法人は解散命令が出されるべきである。守る会は利害関係人に該当するから、解散命令を請求できることになるが、やりたい人がすればよいのであつて、私としては決してこれに与しない。なぜならば、私は、観音法人の下にある熱海・興亜観音と決別することをここに宣言するからである。


しかし、解散命令の対象となるやうな不名誉な事態を回避して、観音法人は任意解散をすべきであらう。観音法人は、歴史的使命を喪失し、目的の不達成を理由として、宗教法人法第四十三条第一項により任意に解散し、興亜観音は然るべき地に遷座されるべきと考へてゐる。松井石根大将の名誉のためにも、あくまでも観音法人は任意解散がなされることが望ましい。


ところで、興亜観音が鎮座する熱海の地は、松井石根大将と縁がある地ではあつても、「日華大東亜戦歿者を怨親平等に祀りその供養につとめる」ための地として特段の意義のある場所ではない。それどころか、この地は、過去から多くの紛争があつたためか、お山全体が陰鬱さに包まれ、邪気に覆はれてゐると感じてゐるのは私だけであらうか。少なくともこの争訟多発の地に興亜観音を安置し続けるべきではないと思ふ。このままでは、日華大東亜戦歿者の怨親平等どころか、国内の怨親平等ですら実現しえないのである。


では、どこに遷座すべきなのか。私は、興亜観音を沖縄の石垣本島に遷座されるべきであると考へてゐた。この地は、石垣本島は石垣市であり、その市政区域に尖閣諸島がある。尖閣諸島は我が国の領土であり、その領土の最前線を見据ゑる石垣本島に、日華大東亜戦歿者の怨親平等を願ふ興亜観音が遷座されることが最も望ましいことと考へる。


 このやうに、殉国七士の遺骨灰を三ヶ根山に統合し、石垣島に興亜観音を遷座していただき、「熱海・興亜観音」から「石垣・興亜観音」へと時代を切り開き、これによつて観音法人が役目を終へて解散する。私はこのことを切実に望んでゐる。




平成22年6月28日記す 南出喜久治

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