各種論文
トップページ > 自立再生論目次 > H22.01.01 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第二回:蔭膳と位牌祭祀」

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第二回:蔭膳と位牌祭祀

おせち料理をいただくときに使ふ「祝ひ箸」といふのは、「神人共食」のためのものです。「祝ひ箸」は、両端が細くなつた白木の丸箸ですが、丸いのは、「玉(たま)」を意味し、「玉」は「霊(たま)」を意味します。また、「祝ひ」とは、「齋ひ」であり、神事であるために白木を用ゐます。

そして、両端が細くなつてゐるのは、両方が箸として使ふことができるためです。片端(下端)は人が、もう片端(上端)は神(祖霊)が使ふためです。神と人とが共に食する神事のための「神具」です。この上端は人が使ふものではありません。取り箸として使ふためではありません。

絶対に上端を使つてはダメといふのではありませんが、「神人共食」といふ意味があることを自覚する必要があります。自覚すれば自づと行動が定まります。上端を使ふとしても、御先祖様に代はつて、おせちを子供達らに取り分けて与へるといふ気持ちがあればよいのです。

祝ひ箸は、正月だけではなく、祝儀一般に使ひます。これも祝儀自体がすべて神事だからです。しかし、私たちは、日常的に神人共食の世界で暮らしてゐますので、祝儀のときだけではありませんが、特に、祝儀のときは丁寧になります。それは、祝儀のときが特別な「ハレ(晴れ)」であり、それ以外の日常的なものは「ケ(褻)」だからです。

ところが、「ケ(褻)」のときも、特別に神事を続けることがあります。それは、「蔭膳(かげぜん)」です。「陰膳」とも書きますが、私は、これが「お蔭様」の意味を強調する必要があるので「蔭膳」の表現を用ゐます。

この蔭膳といふのは、長期の旅行や異境に身を置く人の無事を祈る習俗とされてゐますが、高野山奥の院御廟では、現在でも欠かさず毎日二回、空海に御膳が供へられてゐます。この御膳もまた蔭膳です。これはまさに神人共食の変形です。それゆゑ、お蔭様といふ感謝の御膳としての「蔭膳」なのです。

このやうな祭祀の風習は大事に守り続ける必要があります。仏壇や神棚にお供へするのも、御先祖様への蔭膳として自覚して実践することです。その場合、御先祖様専用のお箸をもお添へすることが祭祀の実践となります。あなたの家の宗教や宗派による制約があるかも知れませんが、出来る限り可能な方法を選んで祭祀の復活を心がけることです。私の場合は、祭祀を完全復活させるために、祭祀否定、皇室否定を公言した親鸞を宗祖とする浄土真宗から離脱して棄教しましたが、その時期は、両親が身罷つてからでした。さすがに、両親の存命中には棄教はできませんでした。棄教したことは、決して宗旨替へではありません。御先祖様が邪教に拉致されてゐたのを祭祀の強い自覚と志によつて奪還したといふ誇りによるものであり、邪教から他の邪教に渡り歩いたのではありません。しかし、棄教はしましたが、浄土真宗の仏壇はそのままです。これは、父が幼いときに、これを厨子の如くに背負つて石川県から汽車に乗つて京都まで運んだ由緒ある仏壇だからです。また、国家神道の名残りの神棚も昔から我が家にありました。棄教したからといつて、別の邪教が言ふやうに、仏壇を叩き壊せ、神棚を潰せ、などとは決して思ひません。そのままで祭祀は完全復活できるのです。なぜなら、祭祀は理念ではなく、実践だからです。


ところで、第一回の「神人共生」では、「単身生活の人、家族などとの共同生活の人など、様々な生活の形がありますが、それぞれの生活の場で、清く聖なる空間を確保してみてください。そこを祖霊の座として、そこに向かつて御挨拶するのです。」と書きました。この「祖霊の座」といふのは、具体的には、既存の仏壇でも神棚でもよいのです。むしろ、一般的には、仏壇や神棚のある所は心が安まる場所であるはずです。そのまま祭祀の場所とすればよいのです。もし、仏壇も神棚もない場合には、それぞれの感性で、清浄な場所を確保してみてください。部屋の片隅でも結構ですから、清浄を保てる程度に高い位置に設けてください。


では、そこに何を設けるのか、といふことが次の課題です。

かうでなければならない、このやうにしなければならない、といふやうな堅苦しい決まりなどはありません。思ひ思ひの方法ですればよいのです。しかし、こんな抽象的なことを言ふだけではよく理解できないでせうから、少し具体的に話してみます。

まづ、祭祀をするには、少なくとも誰の祭礼なのかを決定しなければなりません。父の祭礼か、母の祭礼か、または、祖父、祖母、さらには、七代前の御先祖様の祭礼なのか、あるいは、すべての御先祖様の祭礼なのか、といふことです。御命日の祭礼の場合、個別的な祭礼になりますが、そのときは、その霊位(あるいは戒名)を掲げます。一般には、位牌を使ひます。和紙に霊位(戒名)を墨書して白木の位牌に貼付して特別の祭壇を設けることもあります。これは、いはゆる「位牌祭祀」といふものです。

私の家にある仏壇に納めてある位牌は、「繰出し位牌(箱型位牌)」です。この繰出し位牌といふのは、箱型の位牌で、その中に、御先祖様や父母の霊位(戒名)が一枚づつ個別に書かれた二ミリ程度の薄い何枚もの位牌が集合的に収納されたもので、その祭礼に際して、一番前にその霊位(戒名)の位牌を繰出しして行ふのです。これは、「大和位牌」とも言ひます。

位牌の種類には、我が国(本土)の「大和位牌」の他に、沖縄では、「沖縄位牌」(ウチナーイヘー)があります。これは位牌立ての中に、上下左右に位牌を安置する構造のものです。それ以外の位牌としては、「唐位牌」があります。これは、位牌一個につき一人ないしは夫婦一組の名前や戒名を記入するものです。そして、このやうな位牌を用ゐた祭祀は、韓国、台湾などにも見られ、このやうな位牌祭祀は、祖先祭祀の主流を占めてゐるのです。



平成22年元旦記す 南出喜久治

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ