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トップページ > 自立再生論目次 > H22.03.26 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第十五回 祭祀と統治」

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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第十五回 祭祀と統治

すめろきは いはひまつりて しろしめす くにうしはくは たれしいきほひ (天皇は祭祀して知ろしめす 国領く(統治)は垂れし(基づく)勢ひ(権力))


 古事記上巻に「汝(いまし)が宇志波祁(うしはけ)る葦原(あしはら)の中(なか)つ国(くに)は我(あ)が御子(みこ)の知(し)らす国(くに)ぞ」といふくだりがあります。こゝには皇統の正統性が示されてゐるのですが、「うしはく」といふ言葉と「しろす」といふ言葉が出てきます。

 この「うしはく」といふ動詞の意味と、「しろす」又は「しらす」とその尊敬語である「しらしめす」又は「しろしめす(知し召す)」といふ動詞の意味について、古くからいろいろと解釈がなされてきました。

 「うしはく」の方は、「大人(うし)」か、その語源と思はれる「主(ぬし)」である貴きお方が「はく(履く、帯く)」こと、つまり、身につける、帯びることであるといふことからして、主(うし)として領有する(領地を治める、支配する)といふ意味だとされてきました。

 これに対し、「しろす」又は「しらす」、ないしは「しろしめす」又は「しらしめす」は、いろいろと解釈が分かれます。本来の意味とされるのは、「知る」が認識を意味することから、それは内心の行為のことであり対外的な行為ではないと理解されるところですが、これを祝詞などでは「治ろし召す」と表現されるなどして、「うしはく」と同じ意味に理解されるやうになりました。

 これに対しては、国学の興りとともに異議が唱へられ、本居宣長などは、この両者が異なるものであると主張し、また、伊藤博文の『憲法義解』でも「知らす」とは憲法上の「統治」のことであるとし、「うしはく」とは、現実の、いはば政治的な現実的「支配」のことであるとするかのやうです。そして、これを支持する見解やそれ以外の様々な見解もありますが、結局のところ、「しらす」と「うしはく」の両者を区別し峻別しなければならないと意気込む割にしては、誰もその具体的な違ひを明確に説明できないのです。「統治」と「支配」とが違ふと言つてみたところで、観念的なものに過ぎません。


 しかし、もつと素直に考へる必要があるはずです。古事記に、現代のやうな抽象的で理念的な憲法上の「統治」と、現実的な政治上の「支配」といふやうな複雑な区別があつたとは到底思はれません。古事記を、そんなちんけで瑣末な合理主義によつて理解されてはたまりません。もつと、御先祖様や皇祖皇宗の御心を受けて、清く明き直き心で見つめれば自づと判るはずです。単純なことに真理があるはずです。上代では、今のやうに即物的な時代ではありません。祭祀と言霊の世界です。さうであれば、最も大切な祭祀のことに関して、相応しい言葉があるはずです。


 結論を申せば、天皇は、日(太陽)を読み(知り)、月を読み(知り)、「日読み」(暦)を司られることから「日知り」(聖)にあらせられるので、その日と月を「しろしめす」のが祭祀(いはひまつり、いつきまつり)を意味し、「うしはく」とは明確に区別されるものです。つまり、「しろしめす」は「祭祀」、「うしはく」は「統治」を意味するのです。

 「天(あめ)の下(した)知(しろ)し召(め)しける皇祖(すめろき)の神(かみ)の命(みこと)の・・」(万葉集4098)とか、「皇后(きさきのみや)則(すなは)ち神(かむ)の教(おしへ)の験(しるし)有(あ)ることを識(しろしめし)て、更(さら)に神祇(あまつかみくにつかみ)を祭祀(いのりまつ)る」(日本書紀)などといふくだりを理解すれば、「しろしめす」とは、神祇祭祀(天皇祭祀)を意味してゐることは一目瞭然のはずです。

 ところが、合理主義者どもは、稲作を中心とした農耕による恵みへの感謝とそれを守つて子孫に受け継がせていただいた御祖先様への感謝を、祖先祭祀と自然祭祀などの祭祀といふ形で続けられてきた上代のなりはひを理解できず、ただ、言語学的な真似事で言葉の意味を理解しようとするだけで、本質が全く理解できないのです。


 我が国には、「王覇の弁へ(わうはのわきまへ)」といふものがあります。これは皇室の伝統的な統治理念であつて、この原型は、『古事記』や『日本書紀』にある宝鏡奉斎の御神勅に見られます。『古事記』上巻によりますと、「詔者、此之鏡者、専為我御魂而、如拝吾前、伊都岐奉。次思金神者、取持前事為政。(みことのりたまひしく、「これのかがみは、もはらわがみたまとして、わがまへをいつくがごといつきまつれ。つぎにおもひかねのかみは、まえのことをとりみもちて、まつりごとせよ」とのりたまひき。)」とありまして、天照大神の御霊代(みたましろ)、依代(よりしろ)である三種の神器の一つである「宝鏡」の「奉斎」と、これに基づく思金神(おもひかねのかみ)の「為政」とを識別してゐます。「宝鏡」を「いつきまつる」(祭祀)ことと、「まつりごと」(政治)とは、このやうに識別されてゐます。つまり、「斎」(王道)と「政」(覇道)とを弁へることです。「斎」(王道)のことを「権威」、「政」(覇道)のことを「権力」と言ひ換へても同じ趣旨です。権力は権威によつて正統性が付与されます。それゆゑ、祭祀が主で、統治が従なのであつて、統治は祭祀から導かれる力なのです。


 このやうなことは、世界でも見られます。部族の長老と族長との関係も同じです。族長は、いざとなれば部族の行く末について最後の判断をして行動します。いはば族長は「権力者」です。しかし、長老は、もと族長であつたり、それこそ最も長生きをした老人であつて、族長のやうな決定権はありませんが、族長の相談を受けます。族長も長老の意見を真摯に受け止めます。それは、長老が部族の祭祀を取り仕切り、部族のこれまでの歴史を一番知つてをり、部族をこれまで率ゐてきた豊富な経験を持つてゐる「権威者」だからです。いはば「しろしめす人」だからです。このやうなことは、少し性質が異なりはしますが、イギリス国王ジョージ六世と労働党党首アートリー及び保守党党首チャーチルとの関係と似てゐます。


 なほ、「弁へる」といふことは、いはば担当を決め、主任を決めることです。完全に分離、分割することではありません。つまり、天皇(総命、スメラミコト、オホキミ)の「王者」としての「権威」(大御稜威)に基づく「覇者」への委任により、覇者がその「権力」によつて統治する原則です。これは、天皇の親裁による政治(親政)ではない「天皇不親政の原則」でもありますが、あくまでもこれは原則であつて、國家の変局時には例外的に「天皇親政(天皇親裁)」に復帰する点において、「統治すれども親裁せず」の原則なのです。これと似て非なるものとして、「君臨すれども統治せず」といふ言葉がありますが、これとは本質的に異なります。この点を間違へずによく注意しておいてください。この違ひについては、拙著『くにからのみち』に詳しく述べてゐます。


 ところで、我が国の立憲君主制の理解についても、「君臨すれども統治せず」の原則であるとする見解が多いのですが、これは歴史も憲法も知らない愚か者の誤つた考へです。そもそも、「君臨すれども統治せず」といふのは、極めて馬鹿馬鹿しい事件から生まれた制度です。それは、イギリスの王室と議会との確執から生まれました。ジェームズ二世の末娘であつた英国女王アンが死亡したことに起因します。女王アンには直系の子がなく、弟はカトリックであることから、議会はプロテスタントの親戚を捜し、イギリス王ジェームズ一世の孫であるドイツのハノーヴァー選帝侯ジョージ一世を英国王室の後継者としてイギリス国王に迎へました。しかし、ジョージ一世といふ人は、ドイツ生まれのドイツ育ちの当時五十五歳であつたことから英語が殆ど解りません。解らないので、国民に対しては沈黙によつて威厳を示して接しました。接すると言つても、「沈黙は金なり」といふやうに、何も声をかけたり質問されたりしませんでした。また、そんなことはできませんでした。国民にはその方が威厳を示せてよかつたのかも知れませんが、議会にはそれが通用しません。ところが、ジョージ一世は、英語を勉強する気がなく、そのために議会に出席しても審議内容が全く理解できず、退屈で仕方がなかつたのです。そのうち、どうせ解らないのなら出席する必要もないとして、議会に出席することもなくなりました。議会としても、どうせ出席しても解らないのは好都合であり、しかも、出席しなくなれば尚更のこと歓迎すべきことでした。そのやうなことから、君臨すれども統治せずといふ慣行が確立したのです。「見ざる、聞かざる、言はざる」といふ処世術ではなく、「見えず、聞こえず、言へず」の無能力の状態です。「しろしめす」とは大違ひです。「しろしめさず」といふことですが、それよりも「しろしめせず」といふ状態です。このやうに、単なる飾り物の「傀儡王政」のことを「君臨すれども統治せず」といふのです。


 しかし、これは我が国とは全く異なります。帝国憲法第四条には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」とあり、同第五十五条第一項に、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ」とあることから、「天皇は、統治権を総攬せらるるも、各般の政務を一々親裁せらるるものに非ず。」と解されてゐます。これは、親裁されないものの、統治権を総覧されるといふことは、拒否権の行使が憲法上も認められるといふことです。天皇は元首として君臨されてゐることは勿論のこと、内閣のなす政務に対して拒否権を行使され、あるいは不行使の御聖断を以て「総攬」され、一旦緩急有れば、親裁(親政)が復活するといふ性質のものです。


 ところが、「しろしめす」を「統治」のこととし、天皇が統治権を総攬されるといふ帝國憲法第四条がありながら、それでも「君臨すれども統治せず」と解釈する者が居るのですから、支離滅裂な見解と言はざるをえません。天皇大権も憲法も否定しながら、それでも尊皇と強弁する似非尊皇に過ぎません。もし、帝国憲法が「君臨すれども統治せず」の憲法であると主張し続けるのであれば、先帝陛下(昭和天皇)は、二・二六事件処理と敗戦処理の二回に亘つて憲法違反を犯されたといふ批判を腹を決めて主張しなければなりません。


 繰り返しますが、天皇は、祭祀と統治の双方を司られるのであり、祭祀と統治の区分は、宝鏡奉斎の御神勅における「斎」と「政」の弁へ(斎政の弁へ)に由来します。これは、「聖」と「俗」の区分であり、それが「祭」と「政」の区分、「王」と「覇」の区分(王覇の弁へ)の原型として、これらはすべて相似的な雛形構造となつてゐるのです。そして、私たちの祖先祭祀、自然祭祀などは、この天皇の司られる祭祀(天皇祭祀)の雛形となつてゐることは勿論のことです。それが「くにからのみち」です。天皇が日々お勤めされる天皇祭祀を臣民が有り難くお見守りするだけではなく、私たち臣民も一緒にその雛形である祖先祭祀、自然祭祀、神祇祭祀を日々実践しなければならないのです。




平成二十二年三月二十六日記す 南出喜久治


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