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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第二十一回 祭祀と斎戒沐浴

もゝにちに やひらでなして たゝへける とほしろしかみ くにのとこたち
  (百に千に 八開手為して 称へける とほしろし神 国之常立尊)


父から聞いた大正十年ころの話です。京都の六角堂の隣に、私の曾祖父と祖父が営んでゐた公衆浴場業の店(風呂屋、銭湯)がありました。銭湯の裏方、つまり釜焚きは、火力調節などをしてお湯の温度やお湯の量を目測と経験で管理するものでしたから相当な技術を要する仕事で、しかも、営業を終へてからの風呂掃除と翌日のための水張りの仕込みは長時間を費やす重労働です。私も両親が病気であつたことから、中学生から家業を継いでその仕事に従事してきましたので、それが重労働であることは骨身にしみて実感してゐます。重油を燃料にして機械化が進んだ現代の風呂屋とは違つて、大正時代から私が家業に従事してゐたころまでは、すべて人力で薪や大鋸屑(おがくず、ひっこ)を運び込んで釜焚きがくべてゐましたので、相当に高度な技術を要する重労働であつたのです。ですから、素人を雇つて釜焚きをさせることができませんので、釜焚きには専門職の人を雇つて頼むことになります。普段は祖父がしてゐましたので、常雇ひは不要であるとしても、臨時雇ひの交代要員が必要になつてきます。
 当時は、流しの釜焚き職人が居ました。今でいふと、専門職のフリーターといふところでせう。しかも、今の定住性のあるフリーターではなく、全国各地を転々と流浪する人たちです。そのやうな人は他の職種にもあります。たとへば、流れ床屋といふ職業もありました。ハサミとカミソリを持つて、全国各地を渡り歩く床屋(散髪屋)です。固定した床屋の店を持たない、といふよりも床屋の店が持てない人が腕(技術)を頼りに各地を流浪しながら床屋の仕事をして生計を立ててゐる人たちです。

あるとき、祖父のもとに、ある流しの釜焚きが臨時雇ひを願ひ出てきましたので、釜焚きに採用しました。その名は「熊さん」です。おそらく熊三とか、熊五郎とかの名前でせうが、父としては「熊さん」といふ記憶しかありません。名字も知りません。しかし、その熊さんは、六角堂の縁日に並ぶ露店を仕切るテキ屋の親分でした。テキ屋の親分が、どうして流しの釜焚きをしてゐるのかと思ふでせうが、このころのテキ屋の親分は生業を持つてゐたのです。それがテキ屋の親分の矜持だつたのです。むしろ、全国各地の縁日の露店を取り仕切るため、その期間中に最寄りの銭湯で釜焚きをして働くのです。流しの釜焚きは、もちろん「三助」もします。三助とは、求めに応じて銭湯の客の体を洗つたりする仕事です。縁日の露店を取り仕切つて堅気の客を楽しませ、銭湯で三助をして堅気に奉仕するのがテキ屋の親分の役回りと心がけてゐたのです。まさに古きよき時代でした。

その六角堂の縁日に父(尋常小学校四年生ころ)も出かけました。すると、詰め将棋の店がありました。将棋盤に詰め将棋の局面が置かれてをり、料金を払つた人が詰めればその料金の倍額を返すといふものです。料金がいくらかは知りませんが、賭将棋の商売です。父は子供ですし、もちろんそんな高い料金を払ふお金を持つてゐませんが、以前から将棋に興味があつたので、他の大人の客が料金を払つて挑戦してゐるのを見てゐました。何人も挑戦してゐましたが、誰も詰められませんでした。すると、詰め将棋の露天商が今までそのその露天商の客との試合をじつと見てゐた父に声を掛け、「坊(ぼん)、金とらへんから、いっぺんやつてみい」と言ひました。父はその誘ひに乗つて、次の一手、またその次の一手と次々に打ちましたが、結局は詰め切れませんでした。そして、あきらめて帰らうとしたところ、その露天商は、「坊(ぼん)、金払えや」と言ひます。約束が違ふと言ひましたが、どうしても払へと言つて引き下がりません。仕方なく持つてゐた小遣ひ銭を渡しましたが、これでは足らないといふのです。そして、不足額を支払はすために、「坊(ぼん)の家はどこや。一緒に行くから案内せえ!」と言ひます。仕方なく、祖父に叱られることを覚悟して、すぐそこの風呂屋ですと言つて、熊さんの居る湯屋の裏口(勝手口)まで案内したさうです。さうすると、その露天商は、釜焚きをしてゐる熊さんの姿を見るなり突然驚いて、「親分!ここに居られたんですか!」と言つたまま絶句しました。熊さんが、「どうしたんや?」と言ふと、露天商は、「すんません。親分の御ひいき筋とは存じませんでした。お恥ずかしい限りです。」と言つたさうです。そして、熊さんは、その後事情を聞いて、「うちの坊ちゃんだけとちごうて、これからは子供を騙したり誘うたりするなや。お前の恥はワシらみんなの恥や。」と諫めて、巻き上げた小遣ひ銭を取り返してくれたさうです。そのとき、父は初めて熊さんがテキ屋の大親分であることを知り、その男らしさに感動したさうです。

それから父は、熊さんに大きな関心を寄せるやうになりました。あるとき、風邪を引いて高熱を出しながらも無理して仕事をしてゐるので、祖父が布団で休ませて医者を呼ぶんで診てもらつたらしい。雇主に迷惑をかけたくないとして固辞してゐましたが、医者に来てもらつて薬を貰つたので、熊さんに飲ませるため父が水を運んだら、熊さんは、なんと貰つた何日分かの薬を全部一遍に飲んでしまひました。そして、その後、急に苦しみ出したので心配してゐると、しばらくしてケロッとして起き出したといふのです。強靱な体の持ち主だつたのでせう。
 また、熊さんには、妙な癖がありました。普通の人なら、食事のときは、ご飯とおかずとを交互に食べるものですが、熊さんは、ご飯を先に食べ出すと、ご飯だけを全部食べて、それが終はるまでおかずには一切手を付けません。そして、ご飯を食べ終はると、今度はおかずだけを食べるといふ妙な癖がありました。これは、渡世人として身についた独特の律儀さを持つた人柄のためだらうと思ひます。

その律儀さは、仕事に現れてゐました。それは、風呂掃除の際、バケツで湯船のお湯を別のところの湯船に移し替へる作業をするとき、熊さんは、まづ柏手を一拍打つてから、バケツを持つて立て膝を付いて身構へ、バケツに汲んだ湯を手際よく見事な放物線を描いて放り投げ続け、殆ど溢すことなく遠くの浴槽に湯を移したり、洗つたタイルの壁に向けて湯を膜のやうに広げて撒水して汚れを洗ひ流します。神業のやうな職人芸だつたさうです。そして、最後に自分が湯に浸かるときも一拍して「戴きます」と言つて湯に浸かります。つまり、神事として仕事をしてゐるのです。

熊さんは、全身に見事な彫り物がある、折り目正しい渡世人でした。お風呂に浸かるとき、まづは体を洗つてから湯船に浸かります。体を洗はずに掛かり湯だけして湯に浸かつたり、掛かり湯もせずに湯に浸かつたりすることは、湯水を冒涜することだと言ふのです。本当は「湯に浸かる」のではなく、「お湯を戴く」のです。食事をするときに、「戴きます」の儀礼と柏手を打ちますが、お湯もまた同じことです。熊さんは、斎戒沐浴が神事であるとして、柏手を打つのです。特に、うけひ(誓約)のときの斎戒沐浴が神事であることは疑ひがありません。父はそのことを熊さんから教はつてから、お湯を戴くとき、黙礼(拝)か合掌、あるいは柏手を打つことになつたさうです。そのことを私は幼いときに父から聞いて、私もまた感動し、熊さんは今どこに居るのか、会ひたいと言つてせがみました。しかし、所在は判らないし、存命でも相当の高齢です。
 それ以来、私も熊さんを見習つて、お湯を戴くときはいつも事前に黙礼(拝)するやうになり、大きくなつて釜焚きや風呂掃除をするやうになると、熊さんの職人芸に挑みました。そして、最近では、熊さんの話を思ひ出し、熊さんを見習つて初心に返り、お湯を戴くときには拜と拍をするやうになりました。

もともと、柏手は感謝、賛意、賞賛、歓迎の表現です。柏手は、開手とも言ひ、神を拝するときの作法(神拝作法)は、二礼(二拝)、二拍手、一礼(一拝)ですが、出雲大社や宇佐八幡宮では四拍手となり、国之常立尊の場合は八開手(八拍手)です。伊勢神宮では、現在も八度拝といふ作法が行はれてゐます。正しい柏手の打ち方としては、両手の平を合はせたのち、右手を一寸程度引いてずらしてから打ちます。あまり大きな音をたてる必要はありません。
 ところで、「柏手」は「拍手」の誤写であるとの見解があります。つまり、拍手の「拍」の手偏が木偏と間違へられて「柏」になつたといはれてゐるのです。しかし、柏とは、上代、飲食物を盛り、祭祀具として用ゐられた木の葉の食器のことであり、古事記にも出てきます。ですから、柏手とは、お供へ物を盛りつけた柏を手向けする手といふ意味であり、決して誤写ではありません。
 また、「拝」は、神様に対し頭を下げて敬ふ自然な気持の現れとしての作法です。また、「拍手」は、驚きや喜びの心情を表す我が国独特の礼法です。昔は、神様にお参りするときだけでなく、天皇さまに対し奉りても拍手を行つたのです。
 漢籍にも「禮之用和為貴(れいのようはわをもつてたふとしとす)」とあり、「拝」は敬ふ心、「拍手」は和の心であり、その二つを合はせて行ふことは最も敬虔な気持の現れなのです。

食事と沐浴の際に、いづれも柏手を打つことは、これもまた祭祀の実践です。それを子供達にも伝承させて行くのです。これが祭祀運動です。食事のときは当然ですが、子供にそのことをしつかりと教へ、お湯を戴く際に柏手を打つて拝ませ、お湯によく浸からせるときは、一から百までの数を読ませるといふ無味乾燥したことをさせるよりも、教育勅語を唱へさせます。子供にとつては、数を読ませるよりも、充実感と達成感があります。普通の早さで唱へると約一分です。間違へば「元へ!」とか、「元い!」と号令してもう一度初めから唱へさせます。このやうにして、お風呂に入るたびに祭祀実践の心が鍛へられることになるはずです。

平成二十二年十二月一日記す 南出喜久治


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