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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第三十九回 臣民の条件

とつひとも すめらみもとに つかへむと そのこころねに あみだあふるる
(外つ人も天皇の御許に仕へむとその心根(眞情)に涙溢るる)

この歌は、ジョージ・ランボーン・ウエスト博士に捧げたものです。ジョージ・ランボーン・ウエスト博士(以下は、単に「博士」と略称します。)は、紛れもなく「臣民」です。アメリカ人なのに臣民なのです。それは、どうしてか。臣民とは何かといふことについて、つまり、臣民の条件について少し話してみたいと思ひます。


そのためには、まづ、博士のことを語る必要があります。博士は、昭和四年、米国テキサス州の生まれで、テキサス大学で法学博士の学位を得た後、いくつかの大学の教授を歴任され、ダラス市で弁護士をされてゐました。

何度も訪日されましたが、それは、幼いときに、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の存在を知つて日本にあこがれたことが契機となつてゐます。全国各地を回られ、大東亜戦争や占領憲法などに関して講演もされました。もちろん、小泉八雲が住んだ松江も訪れ、出雲大社など数多くの神社を参拝されてゐます。そんなことがご縁となつて、小泉八雲と同じやうに、島根の日本人女性と結婚されました。


博士の日本での消息や講演の内容、博士の考へを知る手がかりとしては、『天皇陛下にお仕へしたい ウエスト博士の思ひ出』(昭和五十一年、難波江通泰著)や、『憲法改悪の強要』(昭和五十五年、共著)などがありますが、平成八年の『国際秘密力』(世界世論に関する法廷のための論議 大和魂を持つ日本人に捧ぐ)といふ博士の上梓された集大成の本が最も重要なものです。


最後の公式的な来日が平成六年であり、私は、同年九月二十四日に御殿場で、お招きを受けて初めて博士にお会ひしました。

すると、驚くべきことに、博士は、私の上梓した『日本国家構造論ー自立再生への道ー』で、真正護憲論を主張してゐることを知つておられたのです。そして、今回の来日の目的は、ご神意に基づき真正護憲論を日本において定着させることであるとされ、「清水澄博士のご遺志は弁護士である貴方(小生のこと)が引き継いでもらつてゐるので安心して帰国できます。どうかよろしく頼みます。」といふことを話されました(千代子夫人が丁寧に通訳されました。)。


私は、それまで、博士が共著として上梓された『憲法改悪の強要』を読み、占領憲法は憲法ではなく、マッカーサー・コンスティチューションに過ぎないと主張されてゐたことや、「天皇陛下にお仕へしたい」と述べられてゐたことなど、博士の簡単な経歴しか存じあげてをりませんでしたが、拙著のことや清水澄博士のことまで詳しく知つておられるとは思つてもゐませんでした。ただただ恐縮し、未だに多くの人が占領憲法が憲法であるとする洗脳状態から抜け出せず、「小生微力ニシテ之ガ對策ナシ」といふ清水澄博士の無念さを私も共に味はつてゐることの恥ずかしさ、悔しさと、私への博士の熱い期待に応へなければならないとの重責を感じながら、身命を賭して邁進します、とお誓ひすることが精一杯で、他に言葉は出ませんでした。


その後、古神道のこと、出雲大社のことなど、いろいろな話をされ、我が国の國體や伝統に関する造詣の深さを知りましたし、博士の眼光の鋭さは、清浄なる心の持ち主であることの証であると感じました。そして、なんと博士は、自ら全員を先導されて、参加者全員で天皇陛下万歳を三唱して君が代を斉唱した後、『ラバウル小唄』は占領憲法無効論(真正護憲論)の応援歌であると明言されてその一番目の歌詞を、しつかりとした日本語で三度繰り返して独唱されたのです。思はず、二番目からは、博士につられて私も歌つてゐました。


「さらばラバウルよ 又来るまでは しばし別れの 涙がにじむ・・・」


なぜ『ラバウル小唄』が真正護憲論の応援歌なのかについて、このときお尋ねしなかつたので、その真意は不明でした。


ところが、それから一年ほどが過ぎたころ、馬野周二先生とお会ひしてから、その含意を理解することができたと思ひました。馬野周二先生は、博覧強記の国際人であり、私の真正護憲論を当初から支持してゐただいた方です。その馬野先生から、私に連絡があり、どうしても会ひたいので京都に来たいと仰つて、指定された京都のホテルでお会ひしたことがありました。そして、馬野先生は、博士とは米国在住時からの親密な関係にあり、博士の『国際秘密力』は、馬野先生が熱心に博士に勧められて上梓されたものであると説明された上で、この書籍を博士から是非とも私に一冊贈呈したいとの直接の依頼と伝言があつて持参したとのことでした。馬野先生は、博士とともに、世界経済が混乱する元凶が金融巨大資本の暴走であることを早くから指摘されてをり、その活動をされてゐる博士の仕事や活動に対して様々な妨害行為がなされ、博士はこれらの迫害を長く受け続けたため、ついには故郷のテキサスからメキシコに逃れて、そこでインディオが生きた伝統的な拠点に、八百万の神々と皇祖皇宗を祭つて祭祀を行ふ神社(斎場)を建設し、その祭主(神主)となつて日々祭祀を務めて過ごしてをられると聞きました。

そして、この『国際秘密力』を手にして表紙をめくると、博士の写真と日の丸、そして、天皇陛下にお仕へしたいといふ文字が目に飛び込んできて、その神々しさに思はず目頭が熱くなりました。それ以来、このことを思ひ出す度に、その有り難さに涙がこぼれます。


私は、この書籍は博士が馬野先生に託された私への日本再生のための依頼と激励であると受け止めました。そして、博士の敵とともに闘ふためには、自立再生論しかないと確信し、初めてお会ひしたときの博士のお言葉を噛みしめながら、博士のことについていろいろなことを馬野先生にお聞きしました。馬野先生は、私が博士とお会ひする以前に、博士に私の『日本国家構造論』をアメリカに送つてゐたことを話され、博士自身は日本語を読めないので、馬野先生が拙著の内容の要旨を書いた英文の手紙を同封して説明しておいたといふことでした。なるほど、あのときのことはそのためだつたのかと思ひましたので、私はさらに、『ラバウル小唄』のことを馬野先生に尋ねました。馬野先生は、いろんな博士のアメリカや日本での様々なエピソードを話していただきましたが、それでは、どうして真正護憲論の応援歌と説明されたのかについて正確には解らないとされました。しかし、これが真正護憲論の応援歌だと言はれたのであれば、おそらく自立再生論の手段としての真正護憲論のことを理解されてゐた上でのことではないか、と話されたのです。そして、今村均大将の話やラバウルの戦略的意義、ラバウル小唄の歌詞について、二人でいろいろと話したり、ラバウル小唄を歌つたりしてみると、こんなふうな共通の理解に到達しました。

それは、真正護憲論と自立再生論とは、手段と目的の関係にあることを博士が知つてをられたため、大東亜戦争において、内地からの物資供給を不要とする完全自給自足を実現した「ラバウル要塞」を自立再生社会の雛形に見立てられたのだと思つたのです。太古の社会は自給自足社会であり、それを将来において発展的に建設するのが自立再生社会(まほらまと)です。その社会に戻るまで、つまり「又来るまでは」「しばし別れ」だといふことで、その手段として不可欠なものが真正護憲論だからこそ、その応援歌なのだと理解したのです。博士が、真正護憲論の先にある自立再生論を心底から理解されてゐたことを確信し、それ以来、私は、『ラバウル小唄』を機会がある毎に口ずさむことが習慣になりました。


ともあれ、私がこれまで出会つた人の中で、これほど透徹した清らかな「臣民」の感性を持つてゐる人は博士が初めてです。臣民であるか否かは、日本の国籍を持つてゐるか否かで決まるのではなく、天皇の赤子であることの誇りと感動、祖先祭祀、英霊祭祀、自然祭祀を実践して、父母から祖先、そしてその彼方に皇祖皇宗、八百万の神々へと続くことの感動と感謝(ちちははと とほつおやから すめみおや やほよろづへの くにからのみち)を持ち続け、皇統護持のために身命を捧げることができるか否かで決まります。


我々の多くは、日本国籍のある日本人(日本国籍人)であり、生まれながらに日本(国籍)人でせうが、初めから決して臣民にはなれないのです。生まれながらの臣民は居ません。祭祀の実践によつて「臣民に成る」のであり、「臣民として育つ」のです。臣民もまた、修理固成(おさめつくりかためなす)の過程を経るのです。ですから、博士は、異国の地に生まれながらも、艱難辛苦を経て、我々以上にすばらしい臣民になつた人です。



日本人であれば、臣民になれると思つたら大間違ひです。現在、保守的言動をしてゐる人の殆どは臣民ではありません。皆さんが保守の言論人や活動家だと思つてゐる人には、一人も臣民は居ないと言つても過言ではありません。たとへば、保守的文化人とされてきた福田恆存氏も臣民ではありません。同氏の言動の中に、祭祀の二文字は全く出てきません。もちろん、祭祀の実践もありません。言論人とはそんなものです。これらの人は、和風の知識人であつても臣民ではないのです。「和魂漢才」とか「和魂洋才」などと言ひますが、彼らは、「洋魂和才」であつて、決して「和魂和才」ではないのです。


臣民に成れば、自立再生論が自づと身に付きます。さうであれば、その手段としての真正護憲論は自然と理解できます。理性だけで理屈を捏ねくり回しても真正護憲論は理解できません。地を這ふ虫は、空を飛ぶものを理解できないからです。理解の次元を異にするからです。自律系の本能と感性を研ぎ澄ませて祭祀を実践すれば、認知の次元を高めて臣民に成れるのです。それによつて、真正日本人である博士に一歩でも近づくことができるのです。


臣民に成るためには、日本の国籍を持つて、日本語を読み書きできるといふだけではダメで、文化伝統と和歌の素養を育むことも含めた臣民に成るための教育と祭祀の実践が必須となり、最終的には、天皇の赤子となつて天皇祭祀の雛形である祖先祭祀などを実践することの「臣民の誓詞」を行ふことが必要になります。

ですから、これとの比較からしても、日本国籍を事後的に取得する「帰化」の場合は、当然にこの「臣民の誓詞」とその実践がなされることが帰化の絶対条件としなければならないのです。そうでなければ、日本は、祭祀の理解も実践もできない愚かな「非臣民日本人」ばかりで溢れてしまひます。一人でも多くの、醜の御楯(しこのみたて)となる臣民を育てることが國體と皇統を護持することになるのです。すめらみこといやさか。

平成二十四年六月一日記す 南出喜久治


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