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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第五十六回 家産と貨幣経済(その二)

かてともの おかみがつくり ださずして うちでのこづち ふるふはなどて
  (食料と商品政府が作り出さずして打出の小槌(通貨発行権)振るふ(行使する)のは何どて)

食料や商品などの物資に価値があるといふのは、それを使用したり消費したりできるからで、そのことは他人の誰であつても同じですから、他人の持つてゐるものと自分の持つてゐるものとを交換したりするのです。これを難しく言へば、使用価値と交換価値と言ひます。だから、この双方が備はつてゐるのが物資の持つてゐる本質的な性質なのです。


ところが、通貨はさうではありません。交換価値しかないからです。もう少し厳密に言へば、使用価値がないものは、これがあることを前提とする交換価値はないことになりますから、通貨には交換価値すらないのです。ところが、これに交換価値があると信じられてゐるのが現代です。


享保の大飢饉(1732+660)のときに、百両の大金を首からぶら下げたまま餓死した商人が居たと報告されてゐます。飢饉のときは、食料がないのですから、いくら百両もの大金があつても、これで買へる食料がありません。ましてや、貧しい人達に冷淡であつた強欲な商人には、こんなとき誰も率先して食べ物を売つたりはしません。だから餓死してしまつたのです。

もし、小判に食料としての使用価値があれば、つまり、小判を食べて餓えを凌げるのなら餓死しませんが、小判は食べ物ではありません。小判は金貨ですから、これに含有してゐる金(gold)を取り出して、金箔などに使ふ使用価値はあつても、餓えを凌げる代物ではありません。

このことは、現代の通貨の場合でも同じです。食料が手に入らない状況になれば、金属で造られた鋳造貨幣は勿論のこと、紙幣でも食べられるものではありません。山羊でも食べないでせう。「いざとなつたら」紙くず同然になります。ところが、「いざとなつたら」といふ時に備へて、通貨を貯め込むのが現代人です。特に、流通経済が全国隈無く発達してゐる我が国では、通貨貯蓄率が高いのです。シベリアなどで生活する人達は、家に食料の缶詰を貯め込みます。通貨を貯め込んでも雪と氷に閉ざされれば、食料の買出しにも行けなくなるからです。だから、「金持ち」ではなく「缶詰持ち」が豊かな家族なのです。「いざとなつたら」のために、通貨ではなく食料を貯めるのが健全な危機意識のある人間なのですが、現実はさうではないのです。


これほど不思議なことはありません。通貨の価値は幻想であることに気付かないのです。こんな幻想の上に立つて経済を語ることは、危機に対応できる経済学ではありません。


パブロフの条件反射といふことを聞いたことがあるでせう。条件反射とは、動物において、訓練、学習、経験によつて後天的に得られる反射行動のことですが、ソ連のイワン・パブロフが犬を使つた実験で発見したものです。ベルを鳴らしてから犬に餌を与へることを何度も訓練して学習させると、そのうち、ベルが鳴つただけで、餌が出てこなくても犬は唾液を分泌することになるのです。


これと同じで、通貨は幻想なのに、通貨を見ると(ベルがなると)それに価値があると認識する(唾液が分泌する)のです。価値があると幻想するのが、その通貨圈で生活する全員が陥つてしまふと、集団ヒステリーのやうに、本来は価値がないものを価値があるとする共同幻想空間で暮らすことになるのです。


ところが、いざとなつたとき(災害、飢饉、戦争などのとき)それがバーチャル(幻想)であると思ひ知らされます。


第一次世界大戦後のドイツで、パン1個が1兆マルクとなるほどのハイパワーインフレになつたとき、ある二人の兄弟の話を聞いたことがありました。それは、兄は勤勉で、コツコツと貯金し質素倹約の生活を兄の家族はしてゐましたが、これと対照的に、弟は一人暮らしで、その日の稼ぎをすべて酒代にし、その日暮らしの飲んだくれ生活をし、家には呑み干した後のビール瓶をため込んで、そのために寝る場所もないやうな自堕落な生活をしてゐました。ところが、そこにあのハイパワーインフレが襲つてきました。すると、兄の貯金は紙くず同然になつて生活に困りましたが、弟は、ため込んだビール瓶を再生用に売り渡して巨万の富を得たといふ話です。


この話は、正直者が悲運に見舞はれ、怠け者が幸運に恵まれるといふ理不尽さが、戦争によつてもたらされたといふ物語として語られてきましたが、果たしてさうでせうか。通貨の幻想を信じた正直者の兄が悲運に見舞はれたのであり、ビール瓶を本能的に資源としてため込んだ弟が幸運に恵まれるのは当然なのです。この弟が、大量生産、大量消費の社会の染まり、ビール瓶を廃棄物としてその都度廃棄してゐたとすれば、兄も弟も、幻想に浸つた二人として、同じやうに貧困に喘いだといふ物語になつてしまふのです。


つまり、この物語は、ビール瓶は物資として、使用価値も交換価値も備へたものであり、通貨にはそれがないことの教訓として見直さなければならないと思ひます。ただし、大金持ちになつた弟は、その後は通貨の幻想の中にどつぷりと身を委ねることとなり、最後は兄弟二人とも通貨の幻想の虜となつてしまつたことを忘れてはなりません。


いざとなれば、物資が通貨の役割をするのです。これを商品通貨と言ひます。つまり、使用価値と交換価値とを共に備へた物資が本来の通貨の持つ機能を復活させるのです。


江戸時代では、金属通貨もありましたが、全国経済において主要な商品通貨となつたのは「米」でした。ですから、飢饉などのときは、「米」が通貨から食料物資に自然と転換できたのです。そして、その備へとして、「囲ひ米」(囲ひ籾)といふのがありました。

初めに行つたのは、八代将軍徳川吉宗による享保の改革のときで、このときは、米価調節策として行はれました。どうしてかといふと、吉宗は紀州藩での財政再建の手腕を見込まれて将軍職に就き、質素倹約を奨励し、天領(幕府直轄地)で米を増産させ、当初の400万石から450万石まで増産させたのです。

これが全て流通米として流れると米価が下落し、幕府の財政に支障が出ます。そこで、流通米と備蓄米とに分けて、出荷調整を図つて米価の下落を防ぎました。

しかし、米価調整の目的として囲ひ米を行つただけで、このときは、備荒(凶作、飢饉、災害に備へること)のためではなく、ましてや、加藤清正の行つた籾米備蓄のやうな軍事上の籠城目的でもありません。

そのために、吉宗の行つた投機目的の備蓄では、何時までも備蓄しない短期備蓄なので、値段が高騰すればすぐに放出することになります。そのために、吉宗が享保の改革を行つた後に起こつた享保の大飢饉のときには無力でした。先ほどの、百両の小判を首からぶら下げて餓死した商人の話が出てくる、あの享保の大飢饉です。そして、このやうな飢饉を繰り返すごとに、備荒貯蓄(備蓄)が行はれるやうになり、その後、諸藩や郷村でも行はれることとなつて、寛政の改革(松平定信)のときにこれが本格化しました。当然のことながら、この囲ひ米は籾米であり、だから、囲ひ籾とも呼ばれたのです。


また、米に関しては、我が国が行つた朝鮮半島における米作奨励政策によつて、外地米が内地に大量に流入し、そのために内地米の価格を暴落させて米処の東北地方の農家が困窮して娘を女衒に売らなければならない悲劇が起こり、そのことが昭和初期の二・二六事件の背景となつたといふ歴史的事実があります。


このやうに、歴史を学ぶといふのは、知識を得て歴史オタクになるのではなく、智恵を得て現代に活用するためにあります。「歴史を学ぶ」のではなく、「歴史に学ぶ」のです。これらのことを学べば、現代における農業政策、特に米政策は自づと見えてくるはずです。


つまり、これまでの減反政策を廃止し、増反政策へと方向転換することです。そして、備蓄米と流通米とを区分し、消費量に見合つた流通米量の出荷調整を行へば、米価は安定します。そして、その余の米はすべて籾米のまま備蓄米とします。農家は、増反により補助金なして生活できることになり、農村に人が戻つてきます。寛政の改革のときになされたやうな、旧里帰農令(人返し令)のやうな無理矢理の法律を作らなくても、農村には人が集まつて活性化し、稲穂を戴いて天孫降臨する神話を持つ祭祀の民が復活することになるのです。


(つづく)

平成二十五年十一月一日記す 南出喜久治


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