自立再生政策提言

トップページ > 自立再生論02目次 > H26.04.01 連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編 「第一回 逆事と祭祀」

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第一回 逆事と祭祀

いとしごの あらきのにはに うちふして あすのわかれに なみだあふるる
(愛し子の殯の庭に打ち臥して明日の別れに涙溢るる)
うちしづむ こころのなみに ただよひて あがこのかげを したふゆうぐれ
(打ち沈む心の波に漂ひて吾が子の影を慕ふ夕暮れ)
さかごとの ちくらのおきど おひてなほ ひたすらあゆむ くにからのみち
(逆事の千座の置き戸負ひて尚只管歩む國柄の道)
さかごとに などてたやたふ ことやある いにしへびとの たどりきしみち
(逆事に何どて揺蕩ふことやある古人の辿り来し道)
さりとても やむにやまれぬ かなしさを いかでわするる ことぞあらんや
(然りとても止むに止まれぬ悲しさを如何で忘るることぞあらんや)
ひとりゆく こころけだかき いとしごよ わがみちてらす ともしびとなれ
(一人逝く心気高き愛し子よ我が道照らす灯火となれ)

 「祭祀の道」の連載を終へ、新たに「千座の置き戸」として、これからは内外の時事問題なども視野に入れた新たな連載を開始することにします。まづ、第一回は、「千座の置き戸」の名前に由来する話から始めます。


 親より子が先に亡くなることを大和言葉で「さかごと(逆事)」と言ひます。仏教や儒教などでは、これを「逆縁」と言つて忌み嫌ひますが、古神道による祭祀の道では、そんなことはありません。死を悼むことはあつても忌み嫌ふものではないのです。神道で死を汚れとするのも、おそらくは儒教や仏教の伝来、それに延喜式による神道の変質によるものと思はれます。「祭り」といふのは「奉り」の類語で、祖先や一族の死者の霊を迎へて、手向け物を献上し、神人共食で語り合ふことですから、死者を忌み嫌ふことはないのです。


 逆縁といふ言葉は、そもそも仏教用語で、仏に反抗し、悪事をなし、仏道を誹つたことが逆に仏道に入る因縁となることを意味しますが、それが転じて、親が子の供養をするなど、年長者が年少者の供養をすることの意味になりました。


 そして、儒教では、逆縁は最も親不孝なこととされ、忌み嫌はれることとなり、我が国でも、親は葬列では子の位牌や遺影を持つてはならないとか、親は火葬場に行つてはならないなどの風習が広がりました。特に、儒教の強い形骸が残る韓国では、今では少なくなりましたが、逆縁では密葬して葬式をしないことも昔はありましたし、祖先の墓に納骨させないこともありました。こんなことは到底納得できる話ではありません。


 「親が死に子が死んで孫が死ぬ」。


 これはめでたい意味の俳句として詠まれましたが、これは逆縁ではなく順縁を説いたものだからです。しかし、子が親よりも前に先立つことは、子が身勝手な自殺をしたのではない限り、どうしてそれが「親不孝」として忌み嫌はれるのか理解に苦しみます。一神教的で、しかも一方方向的な祭礼を重視した形骸化した儒教だからこそ、そんなことを言ふのです。子が先立つのは、決して「親に対する不孝」ではなく、「親の不幸」であつて、子に責任はありません。


 特攻隊の隊員が、親に先立つ不孝を詫びるのは、自己の死を自覚しながらの「大義親を滅す」の思ひの裏返しだからです。孝から忠へ、そして祖国愛へとつながる本能の序列において、最も高次の本能である祖国愛に殉じた人を英霊として祭るのですから、親に先立つた息子を「親不孝者」とは決してしないのです。


 人の死は、その周りに居る残された人たちに様々な波紋を残します。その死が、事件、事故、災害、戦争などの様々な原因や理由の違ひによつて、誰かを怨んだり、誰かから怨まれたりすることになります。誰かが原因となり、あるいは本人が原因となつて人を巻き込むことが多いからです。そのやうなことのない不慮の災害や突然死の場合は、誰に対しても怨まず、誰からも怨まれないことが多く、それだけでも残された者の苦しみが少なくなることは幸ひです。  しかし、普通の場合は、怨みを残し、怨みを受けるものですが、ここで皆さんによく心に刻んでほしいことは、たとへどんなに大きな罪を背負つて死に至つても、「怨みに報ゆるに徳を以てす」を説いたものが「古事記」にあることです。


 それは、スサノヲノミコトが高天原を追はれるときの「ちくらのおきど(千座の置き戸)」のことです。スサノヲは、ウケヒによつて、後にアマテラスの養子となるアメノオシホミミノミコトを産み、これによつて心の至純さを証明できたのですが、どういふ訳が高天原に戻つた後に傍若無人な振る舞ひをしたことから、すべての罪状を「ちくらのおきど」に並べ立てられ、それを一身に背負つて過酷な罰を受け、高天原を追放されます。追放といふのは、神の世界では死刑を意味するのです。このスサノヲの高天原追放の話には、語られてゐないもつと深い話があるはずです。


 高天原を通報されて出雲に下つたスサノヲは、見違えるほどの活躍と貢献をするのです。そこには、高天原の神々に対する恨み辛みが全くありません。出雲とは世界の雛形であり、スサノヲは専心に地球上の人々の苦しみを取り除くことに尽くす姿が古事記には示されてゐるのです。


 スサノヲのやうな神は、世界には居ません。スサノヲは至尊であり、だからこそ、イザナギ→スサノヲノミコト→アメノオシホミミノミコト→ニニギノミコト→ホオリノミコト→ウガヤフキアエズノミコト→カムヤマトイワレヒコノスメラミコト(神武天皇)と続く男系男子の皇統の皇祖であることに我々は大きな誇りを感じることができるのです。


 罪とは、すへての人々の心身の病であり、それは心身の貧困が原因です。世界の人々の病や貧困を救ふのはスサノヲの本願です。それゆゑ、どんなときにでも祭祀を実践して逆事を乗り越え、我々もスサノヲの本願を実現したいものです。



平成二十六年四月一日記す 南出喜久治


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