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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第十二回 元号と皇紀と世界暦

こよみする ひしりのつとめ はたされて たみやすかれと いのりたまひき
(暦(日読み)する日知り(聖)の務め果たされて民安かれと祈り給ひき)
こよみとは ひしりのすめが さだむもの たみがみだりに かふるべからず
(暦(日読み)とは日知りの皇統が定むもの民が妄りに変ふるべからず)


去る9月19日に、私は、原告訴訟代理人7名の主任代理人として、いはゆる「元号訴訟」を提起しました(東京地方裁判所民事第38部係属の平成26年(行ウ)第458号、元号使用義務付け等訴訟事件)。


これは、公立大学である「滋賀県立大学」の今年3月卒業における「卒業証書・学位記」の交付年月日と卒業生の生年月日が、いはゆる「西暦」で表記されたことに、本能的に不信感、嫌悪感、違和感を抱いた親子が、その訂正を求めることを求めた裁判です。


この裁判のこれからの推移については、いづれ段階的にリアルタイムで詳しく解説することになるとは思ひますが、今回は、この訴訟で主張してゐる具体的な主張や予測される争点などの専門的な解説はせずに、この訴訟を提起した背景の根本事情について、詳しく説明したいと思ひます。


まづ、原告の親子には、宗教的な潔癖感があるために、これを私的な問題に留めるのではなく公的な問題として受け止めて、訴訟提起に踏み切られたことに、私は、敬意と感謝をしてゐる次第です。

 私的な問題に終はらせるのではなく、そこに秘められた大きな公的な問題があるとして勇気を持つて行動させたことは、私が取り組んでゐる北朝鮮による拉致事件や児童相談所による児童拉致事件などについての問題意識と共通するものがあると思つてゐます。


ところで、この卒業証書では、年数の冒頭に「西暦」とは書かずに、これを省略して「2014年」とか「1991年」としか表示しないものでした。

しかし、このときに同時に交付された「高等学校教諭一種免許状」には、発行年月日と生年月日には「平成」と表記した年号が記載されてゐて、全く一貫性がないのです。


滋賀県(総務部総務課)では、平成12年10月に、「親しみやすく わかりやすく 読みやすく」(「役所ことば」改善の手引)を発行して、その中で「公文書における年(年度)の表示は、原則として元号を使用することにしていますが、社会的には西暦の使用も一般的になっています。こうしたことから、誰もがよりわかりやすい文書とするために、元号使用の原則は維持しながら、西暦を併記することにしましょう。」とし、「併記を推進したい文書例」として、「長期計画など、将来のことを表すことの多い文書における年の表示」、「一定期間の推移を示す文章、表、グラフにおける年の表示」、「刊行物の表紙や背表紙に記載する年の表示」、「公報、各種広報紙に記載する発行日」、「県民向けの催しのための案内パンフレット」が例示されてゐました。


この基準からしても、滋賀県立大学の卒業証書の発行年月日は、少なくとも「平成26年(2014年)3月21日」としなければならなかつたはずですが、意図的にこれがなされなかつたのです。


そもそも、「西暦」と言葉は、訳語としては誤りです。これは、不注意による「誤訳」ではなく、明らかに意図的な「虚訳」です。これは、朝日新聞の慰安婦報道や福島第一原発の「吉田調書」に関する報道などが「誤報」ではなく「虚報」であつたこととは比べものにはならないほど、格段に著しい「虚訳」であり、「War of aggreion」(攻撃戦争、先制攻撃)を、略奪の意味を含んだ「侵略戦争」と横田喜三郎が「虚訳」したことに勝るとも劣らない歴史的な「虚訳」なのです。


「Western era」を「西暦」と訳したのなら正しいのでせうが、西暦に対応する原語は、「Christian era」です。これをあへて「西暦」と訳してゐるのです。これを正確に約せば、「キリスト教暦(基督教紀元暦、基督暦、基紀暦)」となるはずですが、明治維新政府内に浸透してゐたキリシタンたちが、その宗教色に隠してキリスト教をわが国に浸透させるために、あへて「西暦」と「虚訳」して普及させ、それが敗戦後に一層促進されます。


そして、ついには、いはゆる「2000年問題」を隠れ蓑にして、一挙に「キリスト教暦」の浸透が加速されて今日に至つてゐます。いはゆる「2000年問題」といふのは、コンピュータの世界の問題だけではありません。この年(平成12年)の前年である平成11年には、「男女共同参画社会基本法」が制定され、翌12年には、「児童虐待の防止等に関する法律」が制定されて、児童相談所に、親権者の同意なしに無令状で児童を「一時保護」と称する「拉致」ができる権限を拡大させ、また、厚生労働省が、大量の向精神薬を一挙に認可して、多くの精神障害者を増産させたのです。


これによつて、家族の崩壊と女性の社会進出が推し進められ、さらには、心療内科や精神科と称する医療部門が拡大増員されて気分障害者として一括りにされる精神障害者を一挙に300万人の「リピーター」を産み出し、これによつて、親子や夫婦の家庭生活を分断隔離させ、何でもかんでも精神病患者として扱ふことになりました。これによつて、家族から孤立した「個人」を増産させ、家庭を崩壊させる方向へと促進させてきたのです。


「2000年」になつた後は、年数を1桁や2桁で表記できる利便性があると喧伝し、元号を使はずにキリスト教暦で表記することを奨励し、マスコミや企業も一斉にキリスト教暦で表記することになつたのです。これこそが、「2000年問題」と称されてきた真の目的でした。


個人主義といふ合理主義が生んだ史上最大の宿痾は、ルソーによつて完成したのですが、エドマンド・バークは、フランス革命を目の当たりにし、『フランス革命についての省察』を著して、「御先祖を、畏れの心をもってひたすら愛していたならば、1789年からの野蛮な行動など及びもつかぬ水準の徳と智恵を祖先の中に認識したことでしょう。」「あたかも列聖された祖先の眼前にでもいるかのように何時も行為していれば、・・・無秩序と過度に導きがちな自由の精神といえども、畏怖すべき厳粛さでもって中庸を得るようになります。」として、フランス革命が祖先と伝統との決別といふ野蛮行為であることを痛烈に批判しました。そして、バークは、ルソーを「狂へるソクラテス」と呼び、人間の子供と犬猫の仔とを同等に扱へとする『エミール』のとほりに、ルソーが我が子5人全員を生まれてすぐに遺棄した事件に触れて、「ルソーは自分とは最も遠い関係の無縁な衆生のためには思いやりの気持ちで泣き崩れ、そして次の瞬間にはごく自然な心の咎めさえ感じずに、いわば一種の屑か排泄物であるかのように彼の胸糞悪い情事の落し子を投げ捨て、自分の子供を次々に孤児院へ送り込む」とその悪徳と狂気を糾弾しました。


また、イボリット・テーヌは、「ルソーは、奇妙、風変りで、しかも並すぐれた人間であったが、子供のときから狂気の芽生えを心中に蔵し最後にはまったくの狂人となっている」「感覚、感情、幻想があまりにも強すぎ、見事ではあるが平衡を失した精神の所有者であった」と評価したのです。


このルソーの人格の著しい歪みと人格の二重性は、ルソーが重度の精神分裂症と偏執病(パラノイア)であつたことによるものですが、犬猫の仔が親に棄てられても立派に育つので人間の子供も同じにするとのルソーの信念は、11歳から16歳にかけて親のない浮浪児であつたために窃盗で生活してきたことの経験からくる怨念による転嫁報復の実行であつたのでせう。このやうな反吐の出る人でなしの思想が人類の未来を切り開く正しい考へであるとする妄信が現代人権論であり、おぞましい悪魔の囁きに他ならなりませんが、これを真に受けて実践してゐる行政の出先機関が、まさにこの児童相談所なのです。


また、児童相談所には、この思想的なもの以外に、組織防衛的な動機により、児童の拉致を繰り返します。それは、組織の自己保存本能とでもいふべきものです。一時保護といふ児童拉致を繰り返すことによつて「実績」を積み重ね、年々予算を拡大して組織維持と増殖を図らうとする不純な動機があります。


このやうな児童相談所の活動は、子供を家庭から切り離し、家族の解体を促進させます。ロシア革命は、まさにそれを目指した革命でした。レーニンは、法律により家族制度を廃止し、家族制度存続の一翼を担ふ養子制度をも廃止しました。それは、エンゲルスの『家族・私有財産および国家の起源』に基づき、廃絶すべき私有財産制度が家族制度によつても支へられてゐる構造であるとされたからです。この考へは、ルソーからフーリエに引き継がれた家族制度解体論に由来するものですが、特に、レーニンを支へたアレクサンドラ・ミハイロヴナ・コロンタイといふ女性革命家の貢献が大きいのです。家族制度は、封建時代の産物であり、かつ、資本主義の温床であるとした上で、資本主義社会における女性労働者の増加により家族の解体が進み、共産主義社会では、さらにそれが促進され、家事と育児の社会化によつて女性は解放されて家族は消滅するとする「女性解放論」を唱へて事実婚を奨励したのです。


しかし、その結果、ソ連は一体どうなつたのでせうか。家族の解体に伴ふ性風俗の紊乱、そして、少年の性犯罪や窃盗事犯の増加をもたらし、堕胎と離婚が増加して出生率の低下を招きました。また、その原因の背景には、第一次世界大戦やロシア革命によつて大量に生じた孤児の存在もあつたのです。そのため、スターリンは、昭和元年に孤児の救済を目的とした養子制度を復活させ、さらに、昭和19年には、ついに家族制度を廃止した法律を廃止して、逆に家族制度の強化する方針に転換したのです。家族制度は、国家制度との相似性があることから、家族の解体は伝統国家の解体を決定づけます。それを断念したときから、ロシア革命は挫折したことになつたのです。


同様に、中共でも、毛沢東の文化大革命は、毛沢東の失政を隠蔽するために紅衛兵が「造反有理」を掲げて子が親を告発糾弾することを奨励し、家族崩壊を推し進めたものであつたが、当然のことながら破綻しました。


このやうな歴史に学べば、現在の児童相談所の存在は、個人主義による家族の解体を目指す革命組織に等しい存在であることが解ります。確かに、目を覆ひたくなるやうな児童虐待は戦後著しく増加しました。その原因は、占領政策による家族解体政策にあり、「本能の劣化」が原因です。このやうな「犯罪行為」に対しては警察力で対応しなければならないのであり、これに児童相談所が対応できる能力も意思もあるはずがありません。しかし、組織権力の増殖のために、児童相談所は、「児童虐待」でないものを「児童虐待」として仕立て上げなければ組織増殖ができないので、児童拉致を繰り返し、益々家庭崩壊に拍車をかけてゐます。


いま我々に突きつけられてきた、いはゆる「2000年問題」といふのは、このやうなロシア革命を、再びわが国で実現させるために、「家族の解体」と「個人主義の徹底」を目指す尖兵として、児童相談所等の組織が存在してゐるといふことに気づかなければならないのです。


いはゆる西暦といふのは、「AD」と言ひますが、これは、ラテン語でアンノ・ドミニ((Anno Domini、AD)、つまり、イエス・キリストが支配君臨してゐる年数といふ意味のキリスト教の紀元(基紀)であり、宗教思想上においてその中核となる宗教概念となつてゐるものです。


それを意図的に浸透させた人たちと、元号は天皇制の象徴であるに思想的な拒絶感を持つてゐる人たちが連携して、宗教的潔癖感のない大衆といふ愚民を洗脳して、これを浸透させてきたのです。


我が国には、「元号法」はあつても、基督教紀元暦法(西暦法)は存在しません。ですから、国民には、基督教紀元暦といふ宗教紀元の表示を受容しなければならない義務はないのです。


私は、本件の訴訟と同じ主張で国家賠償訴訟を提起したことがあります。それは、平成18年のことですが、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長が静岡刑務所に服役中に、被収容者が刑務所に対して各種出願を行ふ「願せん」に、キリスト教紀元西暦を意味する「20   年 月 日」と印刷された文書があつたことから、これを違憲・違法であるとして戸塚校長の訴訟代理人として提訴したことがありました(東京地方裁判所平成18年(ワ)第22787号事件)。しかし、国は、年号を訂正して元号を使用することの自由を奪つてゐないなどとの詭弁を弄して責任逃れをして、違法性はないと主張してきたのです。


この事件における国の答弁としては、「わが国は元号法はあるが西暦法はないこと、西暦がキリストの誕生の年(実際は生後4年目)を紀元とする西洋の暦であることは認める」とし、さらに、「基督教暦を使用しなければならない義務はないとする点については、刑務所内の文書等に年表記するに当たって西暦を使用しなければならない義務はないという限りで認める」といふ曖昧な認否をしましたが、少なくとも、いはゆる「西暦」が「キリスト教紀元暦」であることを否定しませんでした。ですから、今回の訴訟において、被告の国は、どんな認否をしてくるのでせうか、大いに興味があります。これは、まさに安倍内閣に突きつけられた試金石ともいふべき問題なのです。


「西暦」は習俗化してをり、多くの国民には宗教的潔癖感がないので、多数決原理によつて西暦(基督教紀元暦)を使つてもよいのではないかといふ議論がありますが、これは「自由主義」を否定する著しい暴論です。たつた一人でも、これに宗教的潔癖感で拒絶する人が居れば、それを保護するのが「自由主義」なのです。信教の自由といふのは、多数決原理で否定できるものではないのです。


ここに、「民主主義」と「自由主義」との決定的な理念の違ひがあります。民主主義とは、多数者が少数者を弾圧する思想システムですが、自由主義とは、多数者と謂へども、多数決原理によつて少数者を弾圧できない思想システムなのです。その意味では、これらは正反対の原理です。


私は、宗教的潔癖感によつて「西暦」と「虚訳」された「基督教紀元暦」を拒絶する少数者に寄り添つて、その「自由」を守るために、この訴訟を引き受けました。この訴訟で問ふのは、数による横暴を究極的な本質とする「民主主義」に対抗できるのは、少数者の権利と自由を守る「自由主義」しかないといふことなのです。


「祭祀の道」の「第六回 太陰太陽暦と祭祀」(平成22年1月30日)で、私は、今回の主張の基礎となるものを述べてゐますので、もう一度読み直していただきたいと思ひます。ここでは、明治5年の改暦のことや、真正太陽暦(立春元旦説)のことについて述べてゐます。

このうち、真正太陽暦(立春元旦説)といふのは、戦前の国際連盟において、伊勢の皇太神宮を基点として、その真上の天空を通る子午線を基準とした真正太陽暦(日本暦)を採用したうへで立春を元旦とすることが提案されて検討されてゐたのですが、残念なことに、我が国が昭和8年3月に国際連盟を脱退したことによつてその採用が見送りになつた経緯があつたことを述べました。


このやうな先人の智恵が生かされずに実現できなかつたことが、現在の世界の混乱、とりわけ、宗教対立が背景にある世界の紛争の原因の一つとなつてゐるのであり、そのやうな事態になつたことは残念でなりません。


わが国には、固有の紀元である「皇紀」があり、これを世界的に復活させるべきです。現に、わが国の残留将兵に率ゐられたスカルノなどによるインドネシア解放戦争によつて、インドネシアは独立しましたが、そのときにおける独立宣言の年号は、「2605年8月17日」と表記されました。

これは、皇紀年号であり、これは、「宗教暦」である「基督教紀元暦(西暦)1945年」ではないのです。


皇紀や元号には、「宗教色」はありません。歴史的伝承と天皇による改元といふ事実に基づくものだからです。元号はわが国固有のものですが、皇紀は世界的な普遍性がありました。ですから、インドネシアの独立宣言も「皇紀」で表示されたのです。わが国がポツダム宣言を受諾して、その直後に独立が奪はれた状況において、インドネシアの独立宣言に容喙できる余地は全くなく、これはスカルノらによるインドネシア独立政府の独自の判断により、誉れある皇紀を採用したといふ歴史的事実なのです。


しかし、現在の世界情勢を大きな視座から俯瞰すれば、イスラム教の勢力が昂揚し、キリスト教の勢力が減退してゐることが、世界の様々な問題を引き起こしてゐる原因になつてゐることが明らかです。欧米のキリスト教勢力による独善的な世界支配は、そろそろ終焉に向かつていますが、このやうな独善的な特定の宗教支配を一刻も早く終はらせなければ、世界平和の道は益々遠のきます。


少しでも世界平和への道を模索しようとするのであれば、全世界の国家や地域が全て参加する国際会議において、特定の宗教色がない非主教的な暦(紀元)、すなはち「世界暦(World era)」を創設することによつて、世界平和に貢献できる一助のとなるはずです。


この「世界暦(World era)」は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教などの特定の宗教とは無縁的に独立した、全く宗教性のない暦(紀元)の年号であるべきです。


地球誕生や人類誕生の時期、それに、立春、冬至などの観測現象などを根拠とする科学的な考察によつて設定された紀元(暦)を創設する必要があります。それには、その有力候補の一つとして、勿論「皇紀」も含まれます。


いづれにしても、年数表記は統一しなければ、国家行為や国民生活に混乱を生じますので、国家としては、紀元表記を統一させなければならない義務があります。これは、国語においても、勝手に個々人が文法や単語を決めて流通させれば混乱するので、国語表記と文法を統一させて、法令や生活言語の意味を共通認識させなければならないことと同じなのです。この義務化を人権侵害だと主張するのは、個人主義の極限的な謬説であつて、到底受け入れられるものではありません。


従つて、わが国において、宗教色のない「元号」で年数表記を統一させることを義務付けさせることは当然のことであつて、これとは逆に、宗教色のない元号を拒絶して、特定の宗教暦であるキリスト教紀元暦で年数表記を義務付けする主張は、仮に、それがクリスチャンの手前味噌な主張ではないとしても、あるいは、他宗教ないしは無宗教の人の主張であるとしても、信教の自由を否定する論理矛盾の主張であることは明らかであり、いはゆる「人権意識」、「自由意識」が欠落した見解であると断言せざるを得ないのです。


平成二十六年十月一日記す 南出喜久治


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