自立再生政策提言

トップページ > 自立再生論02目次 > H27.07.15 連載:第三十一回 方向貿易理論 その四【続・祭祀の道】編

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第三十一回 方向貿易理論 その四

おのおのに いへのかりてを つくりなす しくみてだてを ともにまなばん
(各々に家族の糧を作り生す仕組み手立てを共に学ばん)


(承前)


では、「経済的自立」(経済主権)を回復するためには、どうしたらよいのでせうか。

経済的自立のために、自立再生社会を実現することを国是として真の独立を目指そうとしても、現在の国際分業と相互依存の国際体制から容易に抜け出すことはできません。


ある国が、突然、これから国際経済の枠組みから抜け出しますとして、その後一体どうするかの計画性も示さずに宣言したとしたら、国際社会ではとても本気とは受け止めず単なる冗談としか評価されず、誰も相手にしてくれないし、そんなことを言つたことによつて国際的な信用を落とすことになるだけかも知れません。


しかし、もし、それが本気だとすれば、「一国独立主義」の宣言であり、自由貿易体制から決別し、これに挑戦することになりますので、国際社会からの反発と報復を受けて、世界のグローバル経済体制から排除され、貿易禁止などの経済封鎖によつて「小水の魚」の如く国家が滅亡する危機に直面するかも知れません。


しかし、いまのところは、現実的には、どこの国もそんな宣言をする可能性がありませんし、そんな宣言は宣戦布告でもあるまいし、決して国際紛争でもないのですから、いきなり経済封鎖といふのもありえないと思ひますが、そのやうな劇的な宣言をして国策転換をしたとすれば、その動きを歓迎する人が世界に多く居るはずです。


金融資本による賭博経済といふ反吐の出るやうな閉塞状況に陥つてゐる世界に向けて、自国の独立と国民の生活を守るために自給自足体制に向けて努力を続けて行かうとすることは、世界の多くの人々が願つてゐることですし、反グローバル化運動や新保護主義の動きも、これと通底するものです。


しかし、この動きに対しては、グローバル主義に毒された国家群とそれを支配してゐる世界の金融資本勢力は絶対に阻止してきます。そして、もし、国家レベルでそのやうな動きがあると察知すれば、当然これを根絶やしにしてしまふ工作をしてくるはずです。


また、もし、そのやうな動きが現実化して来たとすれば、ありとあらゆる手段を用いてそれを潰しにかかることは確実です。なりふり構はず、突然の経済封鎖をして脅しをかけてくることはあり得るかもしれません。

しかし、そのやうな事態が進行して国家存亡の危機が迫れば、その国家は、真の独立と自存自衛のために、他国から基幹物資を軍事的に收奪することも、国家本能である自衛権の発動としての「自衛戦争」として認められることになります。大東亜戦争は、まさにこのやうな自存自衛のために基幹物資を確保するエネルギー戦争といふ一面がありました。


大東亜共栄圏といふのは、わが国が主導する複数国家群による自給自足体制の確立を目指したもので、いはば「自給自足国家連合」の構想だつたわけです。これは、欧米のブロック経済に対抗する手段として考へられた過渡的なもので、その究極の理念は、一国独立主義(一国自給自足体制)の確立だつたのです。欧米との貿易による経済的依存から脱却することが、政治的にも経済的にも軍事的にも独立することになります。そして、大東亜共栄圏に属する国家間の貿易ですべての基幹物資を確保し、大東亜共栄圏といふ経済ブロックを一単位とする自給自足体制を完成させることによつて、欧米と対峙し、戦争遂行能力と戦争抑止力とを同時に高めることができるものでした。

しかし、それは、当然、開戦前の時期に、平和裏に構築しなければならないものですが、わが国は、残念なことに、大東亜共栄圏を確立する前に開戦し、開戦と同時に大東亜共栄圏の構築に着手することになつてしまつたのです。


今の国際体制は、欧米からすれば、この教訓から、再びわが国が欧米に対抗してくることがないやうにするために、①わが国の基幹物資自給率を低下させること、②大東亜共栄圏を連想させるやうな、わが国が主導する数カ国との緊密で鞏固な経済ブロック(自給自足国家連合)を構築させないこと、といふわが国に対する制約を課して出来たものです。

具体的には、『日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定』によるMSA(Mutual Security Act)体制と、国内における農業基本法等の農業法制によつて、わが国は基幹物資の自給率を世界基準と比較しても「超低率」にさせられる仕組みができ上がつたのです。

広く浅くの相互依存関係を徹底させることによつて、わが国の自給率を低下させ、戦争をしたくても「戦争ができない国家」、「戦はずして降伏する国家」にさせることに成功しました。


そもそも、江戸期までの我が国は、いはゆる鎖国政策により自給自足経済を確立させ、産業技術、文学、芸術など多方面に創意工夫が施された独自文化を開花させてきた経緯があります。そもそも、「鎖国」といふネガティブな言葉は江戸時代には用ゐられてゐませんでした。この鎖国といふ言葉は、開国を正当化するためのデマゴギーとして用ゐられた言葉でした。江戸期の我が国は、その民度において明治以降よりも高い側面があり、しかも、自給自足が実現できてゐた国家でしたから、それによつて平和を維持してきたのです。これは、「鎖国」といふよりも、自給自足体制を崩壊させない限度において特定国との貿易を許容するといふ、徹底した保護主義による貿易政策だつたわけです。


ですから、「開国」か「鎖国」かといふ対外経済交流の現象面の分類に意味はなく、「依存経済」か「自立経済」かといふ経済体制の本質面の分類が最も重要な国家方針を見定める試金石であることを歴史から学ばねばなりません。


江戸期のわが国は、自給自足体制をとることができる潜在的能力があり、また、それが必要だつたので、貿易における保護主義をとつたのであつて、「手段や目的としての鎖国」ではなく、「結果としての鎖国」だつたのです。


ですから、「貿易」と「鎖国」とは対立した概念ではなく、手段と目的の関係として調整統合しうる概念です。貿易をするか鎖国するかといふ二者択一ではなく、どんな目的と方向に向けて貿易するのか、といふことです。

自由貿易を徹底的に推し進めることによる「依存経済」にするのがよいのか、それとも、自由貿易を縮小し廃止させる方向によつて「自立経済」にするのがよいのか、といふ選択が求められてゐます。ですから、これからは、当然に後者を選択し、「将来において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を継続する。」といふ、貿易の目的と方向が必要となります。そして、これについて全世界的な合意がされるべきなのです。


本を正せば、グローバル主義も、グローバル化自体が目的ではなく、手段であつたはずです。それは、世界の平和と繁栄を実現することを目的とし、その手段としての自由貿易によるグローバル化であつたはずです。それゆゑ、自由貿易によるグローバル化の手段に勝るとも劣らない他の手段があれば、それぞれの長短を比較吟味して、より良いものを選択することは、世界の多くの人々が賛同しうることなのです。


この「方向貿易理論」といふ世界変革に向けた思想には、これまでの思想とは少し異なる性質があります。それは、これまでの世界思想といふのは、何らかの政治、経済的な変革を求めるものとして、その確立された一定の具体的な内容がありました。そこでは、目的と手段を示し、それに至る課程を説明するものです。

ところが、「将来において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を継続する。」といふ理論は、いはば「方向」のみを提示し、それによつて到達しうる具体的な目的や理想世界をあへて示しません。強いて目的があるとすれば、それは完全自給自足による自立再生社会の実現といふ「方向性の目的」だけであつて、到達すべき具体的な社会構造まで確定させてゐるものではないのです。

いはば、これまでの世界思想(理論)が「スカラー(状態量)」の思想(理論)であるのに対し、この理論は「ベクトル(方向量)」の思想(理論)です。そして、この理論を「方向貿易理論」と名付けるとすれば、この理論には、次の二つの利点があります。


一つは、具体的な社会構造の到達点を示すことは、その固定化し硬直した価値観を示すことになり、それが今までの思想対立の主な原因でしたが、この理論ではその問題が少ないといふ点です。

確かに、リカードらの自由貿易思想も、ある意味では逆方向を目指した一種の方向貿易理論でしたが、歴史的に見て、これが誤りであつたことが帰納的に証明されたことは前に述べました。①自由貿易といふ理念や金融資本家及び貿易商の自由な活動を「保護」することと、②国内で生活をしてゐる多くの人々の営みが金融資本及び貿易商の活動によつて理不尽な影響を受けないやうに「保護」することの、いづれの「保護」が政治に求められてゐるのかといふことを突きつける必要があります。

これを「自由貿易」か「保護貿易」かといふ次元の問題にすり替えてはダメなのです。どちらの「保護」を優先するのかを判断すれば、多くの人は②(後者)だと言ひます。その②(後者)の方向こそが「将来において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を継続する。」といふ方向なのです。そして、その方向を選択することによつて、それぞれの国がその実情に合はせて具体的に創意工夫して自給率を高めるやう実現して行くことになるだけです。


二つめは、この理論は、反グローバル化運動や新保護主義などにも共通した「手段」としての理論であり、これらと矛盾しない様々な思想や理論と連携し取り入れられるものであるといふ点です。

世界には、多くの民族、宗教があり、各地の気候風土も異なり、基幹物資の種類も多く、様々な地域に偏在してゐる状況では、政治、経済、社会の構造を一律的、画一的に提示する硬直した思想を定着させることは本質的に無理があります。これまでの世界思想は、一律の政治、経済、社会の構造を全ての国家や地域に均一に押し付けるものであり、各国・各地の風土や文化などと適合せずに軋轢と対立を生じさせて行き詰まりました。しかし、この方向貿易理論は、方向性だけを示すもので、そのやうな硬直性はありません。

そして、なによりもこの「方向貿易理論」は、世界と国家、地域と家族に備はつた自己保存本能、自己防衛本能である「自衛権」に適合するものであるといふことです。


では、わが国においては、これに基づいて具体的にどのやうに展開して行くのかが次の課題になります。


次回は、いよいよ方向貿易理論の核心について述べることにします。

南出喜久治(平成27年7月15日記す)


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