自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第四十一回 ダブルスタンダード

つじつまの あはぬものごと さしおきて ひとをばさとす うきよはべめり
(辻褄の合はぬ物事差し置きて人をば諭す憂き世侍めり)


不幸なことに、「日本会議」などのやうな似非保守の典型が我が国の言論空間に蔓延つて久しい。

彼らは、国民の情感に訴へることには長けてゐるものの、法論理に弱く、万事に御都合主義的なダブルスタンダードを受け入れて、ポピュリズムに犯されて覇気を失つた保守風味の輩に過ぎず、我が国を再生させる能力は全くない。


承詔必謹論を持ちだして占領憲法を「憲法」として認めながら、その憲法を遵守することを疎かにし、押しつけ憲法など口汚く批判し、解釈改憲を繰り返す。

しかも、占領憲法では国家をあらゆる分野において防衛する法制度ができないとか、占領憲法には国家観がないとか、さまざまな批判を繰り返し、だから「改正」する必要があると宣ふ。


これまで、承詔必謹論といふ、天皇褒め殺しの言説を公然と行ひながらも、正規の改憲を前倒しした解釈改憲を繰り返してきた改憲論者は、教育勅語の「國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」といふ徳目を全否定する醜い姿を曝してきた。


承詔必謹論を持ち出すのであれば、占領憲法は帝国憲法と同様に不磨の大典として金科玉条として遵守する必要があり、その憲法の不備を論ふことは承詔必謹論と矛盾することに気付いてゐない。見事なダブルスタンダードである。この点では、護憲論者の論理の方が矛盾はないが、護憲論者に対しては、占領憲法の原理原則からではなく、占領憲法が否定した事柄(歴史伝統)から批判するので、全く議論が噛み合はない。


それどころか、新しい憲法無効論として確立した「真正護憲論(講和条約説)」を唱へる私に対して、日本会議などは蛇蝎の如く嫌つて排除し、護憲論者に向けられる以上の罵詈雑言を浴びせてきた。


それはどうしてか。


事実を積み上げて行ふ論理の土俵では真正護憲論に完敗するからである。このことは、占領憲法を憲法として認めた上でこれを改正しようとする改憲論者のみならず、これを改正しないとする護憲論者についても同じである。


彼らは、占領憲法真理教の信者であることにおいて共通する。いづれも「戦後保守」(戦後体制保守)だからである。

彼らが苦手なのは論理だけではない。法的安定性、立憲主義の見地からしても、改憲論も護憲論も矛盾を来すのである。つまり、真正護憲論と学術的な議論をすると敗北することを知つてゐるので、絶対に議論できないのである。

これまで、真面に議論してきた者はない。真面ではないチンピラが揶揄したり些末なことを言ひ募つてきたことがあつただけである。そもそも、真正護憲論の理論がどんなものかを知らない者が批判するからなんとも始末が悪い。といふよりも、真正護憲論の法理論を理解できる能力がないために、その無能さを隠さうとして騒いでゐるだけである。


改憲論者は、護憲論の申し子であるSEALDs(シールズ)とも議論できない。占領憲法真理教の信者同士で議論したら、今回の安保法制が占領憲法違反であるとすることに全く真面な反論ができないのである。


占領憲法真理教の学者たちも、自分たちの教へ子に占領憲法真理教を植ゑ付けたために、その護憲運動を支持せざるをえない。教へ子たちは、「狼少年」の学者たちが作つたフランケンシュタインの怪物なので、これを無視することができなくなつてきたのである。


これまで、占領憲法の効力論争は、戦後最大のタブーとされ、占領憲法の解釈を生業としてきた学者(憲法解釈業者)たちは、我が国が戦後レジームからの脱却を果たすについての最大の抵抗勢力となつてしまつた。


私は、今年の冒頭所感(国民新聞掲載)で、「改憲氷河期」といふ論文を発表した。ちくらのおきど第十九回「国民主権」(平成27年1月15日)でも同じことを述べた。


その予測通り、今回の安保法制は難産の末に生まれたが、これ以上の難産を経験したくないとする国民感情が蔓延し、幸ひなことに占領憲法の改憲は絶望的になつた。占領憲法改正の抵抗勢力を抱へる政権与党では不可能であり、仮に、占領憲法改正勢力が野合して3分の2を占めて改正の発議をしたとしても、占領憲法真理教に毒された国民は、国民投票によつて過半数で否決することは目に見えてゐる。国民投票で否決されれば、それがトラウマになつて二度と改正の試みはできなくなる。

それでも改憲運動の利権集団は、組織防衛と利権確保のために運動を継続する。それが実現不可能と判つてゐても、利権の追及としてはこの道しかない。

しかし、これではダメだと思つてゐる人が圧倒的に多いが、それでもこれに追従する。これまでずつと改正論を主張してゐたのに、いきなり真正護憲論に鞍替へしたりすると、回りから仲間外れにさせられてしまふので、それが怖いから出来ない。国家の将来よりも我が身の将来の方が大事なのである。


ところが、日本会議の会員にも心ある人が数多く潜んでをり、これまで、私に対する排除一辺倒の姿勢が少し弱まつた感がある。いまでは日本会議の本部にも相当の動揺と逡巡があり、地方組織(支部)に至つては相当柔軟になつてきてゐる。もう、改憲はできないので、いまこそ占領憲法の効力論争を始めようとの真摯な動きが出てきた。


改憲論者は、安保法制に対して、SEALDs(シールズ)や日弁連などが唱へる「立憲主義違反」の主張に対して頬被りしたままである。占領憲法を憲法として認めるために、安保法制が立憲主義違反であれば、我が国の憲政史上最大の立憲主義違反の出来事が、占領憲法の制定にあつたと切り返すことができない。独立を失つて、GHQによる完全軍事占領期の時代に、GHQの強権に隷属(subject to)して制定された占領憲法が立憲主義違反の産物であると言ひ切ることもできない。「立憲主義」といふ言葉が、これほどまでに公然とダブルスタンダードで使はれてゐることに、誰一人として反論できないほどのテイタラクなのである。


我々は、いまこそ歴史の具体的な事実を正確に検証し、帝国憲法の改正によつて占領憲法が成立したとされる事実経過が、果たして「立憲主義」の法理に適合したものであつたのか否かについて厳しく見つめ直す必要がある。


我が国は、昭和20年8月14日にポツダム宣言を受諾し、同年9月2日に降伏文書に調印した。これらは、帝国憲法第13条の講和大権に基づくもので、これによつて我が国の独立が奪はれてGHQの占領が開始し、最終の講和条約(出口条約)となるサンフランシスコ講和条約第1条(a)により、「日本国と各連合国との間の戦争状態は、・・・この条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。」まで、約6年8ヶ月間の「被占領トンネル」の入口に位置する講和条約である。

この降伏文書の邦文訳によれば、「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ、本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス。」とされてゐるが、ここに、「制限ノ下ニ置カルル」といふ訳文は、外務省による意図的な誤訳である。つまり、「subject to」は「隷属)」であつて「制限」ではないのである。従つて、占領時代では、当然のやうにGHQの完全な隷属下に置かれてゐた。


ところで、昭和21年4月4日から独立回復した昭和27年4月28日までの間、「英文官報」(英語版官報)が発行されてゐた。これは、外務省の終戦連絡事務局と法制局との協議によつて作成し、GHQの承認を得て掲載されるものであつて、我が国の法令は、すべてGHQとの条約交換公文方式によつて公布、公示されてきた。そして、占領憲法についても、特に厳密にGHQの承認を得て帝国憲法改正案(占領憲法)の英訳文を作成して掲載されたものである。


どうして英文官報が存在したかと言へば、昭和20年9月2日の降伏文書調印の直後に発令されたGHQの布告によつて「英語を公用語とする」とされ、占領期間中に発行を義務付けられた「英文官報」が我が国の法令等を記載した公式文書となつたからである。邦文官報の内容は単にその訳文に過ぎず、解釈に争ひが生まれたときは公用語である英文の原文に従ふこととなり、占領憲法も英文官報に掲載された英文(THE CONSTITUTION OF JAPAN)が原文といふことなのである。


つまり、GHQの完全軍事占領下の非独立時代に、しかも、「戦争状態」下で占領憲法は生まれたのである。これを「憲法」として「有効」だと強弁するのは、立憲主義に違反する法匪の言説に他ならない。GHQによる天皇の憲法改正発議権の簒奪があつたこと(第73条違反)、国家の異常な変局時には憲法改正ができないこと(第75条違反)などからして、占領憲法は憲法としては無効であり、帝国憲法は現存してゐる。そして、帝国憲法第76条第1項の「無効規範の転換」規定に基づいて、占領憲法は「講和条約」の限度においてのみ効力が認められるに過ぎないのである。


ところが、承詔必謹を持ちだして、天皇がこれを「公布」したのであるから無効なものでも憲法として有効になるなどと主張する輩の見解があるが、これは天皇に責任転嫁することを目論むものであつて二重の意味で不敬である。

まづ、天皇の公布行為は、法令を周知させる形式的行為であり、公布があれば無効のものが有効になるのではない。さらに、GHQ隷属下の天皇の公布を以て無効のものでも有効であるとすることは、天皇の政治的無答責を定めた帝国憲法第3条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」に反して、天皇に公布行為による政治的責任を押しつける行為に他ならない。


占領憲法を作つた責任も、それに重大な欠陥があるとする責任も、すべて天皇に擦り付けて、自分たちには責任がないとするのが敗戦利得者の唱へる承詔必謹論である。


我々は、真の意味での「戦後レジームからの脱却」を実現して国家再生のための第一歩を踏み出す必要がある。それが「占領憲法無効宣言」の運動なのである。

欧米や中共や韓国、北朝鮮などによる歴史の捏造や改竄を批判する前に、自らの頭の上にたかる蠅を追ひ払へ!

我々は、自国の戦後史の評価において、占領憲法が憲法として有効に制定されたとするとんでもない「偽史」を糺すことから始めなければならない。

南出喜久治(平成27年12月15日記す)


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