自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第七十四回 薬漬け その二

めしうどに のませつづけし やまひだね くすとあざむく ひとやのつかさ
(囚人(収容者)に飲ませ続けし病種(毒)薬と欺く人屋の司(刑務所、施設、病院))

第六十四回 薬漬け(平成28年12月1日)で述べたやうに、刑務所や精神病院だけでなく、障害者施設、特別養護施設、児童養護施設などの隔離施設は、精神医療産業の得意先であり、大量の向精神薬を提供し続けてゐる。


そして、恐ろしいことに、この精神医療産業を推進する政策の理論的根拠となつてゐるのが、未だに科学的証明がなされてゐない心理学の仮説、といふよりも科学的にそれが否定されてゐるにもかかはらず、今も尚これに基づいて推進してゐることを知つてもらはねばならない。本稿はそのための続編である。


世の中には、他にも、明確な科学的誤りであることが解つてゐるにもかかはらず、その誤りを認めることの責任追及を免れるために、あるいは、それによつて形成された利権の擁護と増殖を図る政策的意図のために、その誤りを絶対に正さないことが多くある。


心理学関連だけに限つても、たとへば、サブリミナル効果といふのは科学的に否定されてゐるにもかかはらず、これがあるとして訴訟まで起こした事件や、多重人格者が存在するとの主張、エティプス・コンプレックス(フロイト)とエレクトラ・コンプレックス(ユング)といふものがあるといふ主張、バナーム効果や確証バイアスによつて否定された深層心理テストやロールシャッハ・テストのペテンなどがある。


そして、トラウマとか、フラッシュバックといふ言葉を聞いたことがあると思ふが、その根拠となる「記憶」の科学的検証からして、これらも存在しない。といふか、自己暗示に等しいものであることが明らかになつてゐるのである。


フラッシュバックとは、過去の記憶が無意識に思ひ出され、かつそれが現実に起こつてゐるかのやうな感覚が非常に激しく蘇ることを指すものとされてゐる。それは、「抑圧された記憶」(Repressed Memory)といふ、無意識下に封印された記憶があるといふ仮説を前提とするもので、これはフロイトの仮説である「トラウマ(心的外傷)論」に依拠する。


しかし、フロイトが提唱したトラウマ論といふ仮説は、今もなほ科学的証明が為されてゐないものであるにもかかはらず、ジュディス・ハーマンが、『心的外傷と回復』の中で、子どものころの性的虐待などが「抑圧された記憶」として成人後も多くの女性を苛んでゐるとの見解を示して、これが大流行となつて世界的に定着したものの、現在では、このトラウマ論及び「抑圧された記憶」の理論は、エリザベス・ロフタスの科学的実験によつて否定されてゐるのである。


記憶といふのは、実際に見聞きした「認知的事実」が脳内で不変的に保存されるものではない。記憶は、アナログのビデオレコーダー的なモデルではなく、認知的事実と空想や想像を混在させて編集したり書き換へしたり上書きのできるデジタル的なモデルとして捉へられる。


記憶にない事実であつても、多くの人や親などの信頼できる人が自己の記憶とは異なる事実の存在を強調すると、いつの間にかその記憶にない事実が、あたかも自己が認知した事実のやうに記憶として創造することを、ロフタスは実験によつて証明した。そして、抑圧された記憶の仮説についても同様で、これが存在しないのである。


つまり、事実認識と記憶とが一致しないとき、つまり、「認知的不調和」が起こつたとき、人は、その解消のために、都合のよいやうに記憶を書き換へることができる。嘘をつくといふ認識ではなく、本当にそれが真実であると思ひ込むことがあるのである。記憶違ひが起こることや、忘却して記憶にないといふことが起こるのも、記憶が不確かになるといふことが起こることを経験すると、感覚的にも記憶といふのは不動固定のものではないことが解るはずである。


「記憶に御座いません」といふ政治家の常套文句も、あながちウソではないし、警察や検察が、自白を強要するための常套文句として、「よーく考へて思ひ出せ!」といふのも、記憶の上書きによる虚偽自白を求めてゐることになるのである。


記憶が上書きされて認知的事実と異なる場合のことを「False Memory」と言ひ、この日本語の訳語として「虚偽記憶」又は「過誤記憶」(齋藤学)と呼ばれるが、このデジタル的な上書きのメカニズムを利用して隔離施設の収容者の気分障害を治癒する心理療法が開発されつつあるが、隔離施設では、これらを全く採用しない。これまで通り、フロイトの仮説に従ふことでなければ、これまでの政策を全否定することになり、責任が問はれることになるからである。


しかし、これまでの薬物療法は、記憶が不変固定されてゐるといふ非科学的なフロイト理論を前提とするものである上に、薬物によつては記憶の上書きは不可能であり、むしろ、重篤な副作用や依存症を引き起こすものであり、これによる隔離施設の医療措置は、まさに人間を毀してしまふ最も危険な行為なのである。


また、隔離施設では、薬物療法以外には何らの療法も行つてをらず、単なる「薬漬け」である。仮に、形だけの心理療法を行つてゐたとしても、その療法の前提は、やはりフロイト理論によるものであつて、非科学的なものに過ぎない。


それどころか、大人ですら重篤な副作用や依存症を引き起こす向精神薬を児童に投薬することは恐ろしい限りである。これは、精神医療産業を推進拡大する利権を擁護して、釜中の魚の如き「民族浄化」を実現して民族の消滅を推進する政策なのである。

南出喜久治(平成29年5月1日記す)


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