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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第八十回 中江藤樹

いたましき あまたのひとを たすけゝる さかしらひとの おやはいかにか (痛ましき 數多の人を 助けゝる 賢しら人の 祖は如何にか)

この和歌は、「祭祀の道」第25回の「祭祀と孝養(平成23年1月3日)」の冒頭に掲げたもので、ここには、次のやうなことを書いてゐました。



また、世界の人々は、世界における聖人や偉人、賢人とされる人々について、結果や成果のすばらしさだけを評価し、そのすばらしい結果や成果を生んだのであれば、その過程において親や家族を捨てても許されるとする傾向があります。「結果オーライ」といふ結果主義、成果主義による評価です。否、それ以上に、親や家族を捨ててでも、世界の為に生涯を捧げるのであればたとへ結果や成果が残せない場合でも努力自体がすばらしいことだとするのです。

例を挙げると切りがありませんが、キリストも釈迦も、マザー・テレサも野口英世も、みんな親を捨て家族を捨て結果や成果を出しました。少なくとも親とは隔絶した生活をしてゐます。これらの人は、確かに悟りを開き、多くの人を救ひ、偉大な功績を残し立身出世したから良かつたですが、誰彼でも成功するとは限りません。何万分の一、何億分の一の確率でしか成功しないのです。ところが、その功名に刺激されて、これらの人々の後に続かうとして、その何万倍、何億倍の人が、出家したり、奉仕や研究、事業などに没頭して、親を捨て家族を捨ててゐるのです。

もし、出家などをして親や家族を捨てた人が、社会的に評価できる形で何らの成果や結果も残せなかつたとしたら、どう評価するのでせうか。いはゆる「プータロー」とどこが違ふのでせうか。

世の中の価値観が結果主義や成果主義に基づくとなると、不真面目な人間が親や家族を捨てることについて口実を与へることになり、家族や社会、そして国家の秩序が乱れることになります。そのためにも、このやうな結果主義、成果主義を否定して、世界の聖人や偉人、賢人などの評価基準を一から見直さなければならない必要があります。

その見直しをするための切つ掛けとして、二人の人物を比較してみます。それは、中江藤樹と野口英世の二人です。


まづ、中江藤樹についてです。余り知られてゐませんが、後に「近江聖人」と呼ばれたのが中江藤樹です。藤樹は、農業を営む中江吉次の長男として誕生し、九歳の時に伯耆米子藩主加藤家の百五十石取りの武士である祖父中江徳左衛門の養子となり米子に赴きました。元和二年(1617+660)米子藩主加藤貞泰が伊予大洲藩(愛媛県)に国替へとなり祖父母とともに伊予へ移住しますが、元和八年に祖父が死去し、祖父の家督百石を相続して加藤家に仕へました。ところが、寛永十一年(1634+660)、二十七歳の藤樹は、近江に残した老母の孝養のため幾度も礼節を尽くして致仕(辞職)を願ひ出ましたが許されなかつたので、思ひ余つて遂に脱藩し、死を覚悟して追手を待ちました。このころの脱藩は、藩の秩序統制が緩みに緩んだ幕末における吉田松陰や坂本龍馬などの脱藩の場合とは大違ひであり、このころの脱藩は確実に死を意味しました。ところが、思ひがけずも追つ手は現れず、近江に帰つて母に孝養を尽くしたのです。藤樹にとつて、脱藩は孝の端緒であり、追つ手を迎へて死を覚悟するのは忠の堅持です。孝なくして忠なし。藤樹は、忠孝一如、忠孝一本の実践として脱藩による死を覚悟した初めての人です。求道や名望のために妻子を捨て父母を捨て、それなりの成果や功績を得た者が余りにも多い中で、藤樹の実践は無類の光芒を放つてゐるのです。

後の人は、藤樹が近江に帰つてから私塾を開き、多くの陽明学的学績を残したことを評価する人が多いのですが、そのことは、やはり結果主義、成果主義に毒されたものと云へます。藤樹の評価は、母への孝養のために死を決して脱藩したことにあり、これこそが陽明学的実践であり、教育勅語の神髄なのです。後の残した学績などは二の次なのです。


次は、野口英世についてです。平成十六年の新千円札の肖像画でも有名になつた人物です。英世(清作)は、明治七年、福島県の貧農の家に生まれ、幼い頃、囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負ひ、その火傷による皮膚の癒着を直すため、学校関係者の協力で手術費用を募金で集めて手術を受けて快癒したことから、高等小学校卒業後、東京に出て苦学して医学の道を志しました。明治三十年、医術開業試験に合格し、翌三十一年に北里伝染病研究所の助手となり、細菌学の研究に入りました。そして、明治三十三年に渡米して、カーネギー研究所やロックフェラー医学研究所の助手となり、ガラガラヘビの抗毒血清の発明や梅毒病原菌の純粋培養に成功するなどの功績を上げたことから、大正四年には帝国学士院から恩賜賞を授与され、大正七年には中部アメリカや南アフリカで熱病の研究を続けましたが、昭和三年にアフリカで黄熱病の研究中に同病に感染して死亡しました。

これだけを聞けば立志伝中の人で、千円札の肖像になるのも不思議でないと思はれます。しかし、英世は、あちこちから多額の借金をして踏み倒し、婚約者の実家から受けた婚約持参金三百円も渡米のための渡航費に充てるといふ婚約詐欺まで犯してゐます。その借金の総額は当時のお金で一千円(現在の一千万円から二千万円)程度でした。だから、それを記念して千円札の肖像になつたのだとといふ皮肉まで聞こえてきます。

また、英世が、清作といふ親が付けた名前を英世に変へたのも、詐術を用ゐたものであることが指摘されてゐます。坪内逍遥の流行小説に「当世書生気質」がありますが、弁舌を弄し借金を重ねながら自堕落な生活を送る登場人物の名前が「野々口精作」であつたことから、その名前が自分の名前とよく似てゐることにショックを受け、しかも、英世自身も借金を繰り返して遊郭などに頻繁に出入りする悪い常習癖があつたことから、郷里の者と共謀して改名を決意し、別の集落に住んでゐた同名の「清作」といふ人物に頼み込んで、自分の生家の近くにあつた別の野口家へ養子に入つてもらひ、第二の野口清作を作り出した上、「同一集落に野口清作といふ名前の人間が二人居るのは紛らわしい」といふ申立をして、戸籍名を改名することに成功したのです。


 (中略)


しかし、さらに決定的なことがあります。英世の母・野口シカは、英世が囲炉裏に落ちて大火傷を負つたことを生涯にわたつて後悔したと伝へられてゐますが、そのシカは、遠くに居る英世に一目会ひたくて、幼いころに習つた字を一生懸命に思ひ出しながらたどたどしく英世にこんな手紙を書きます。それは、明治四十五年、シカ六十歳、英世三十五歳のときでした。


 おまイの しせにわ(出世)には みなたまけました
 わたくしもよろこんでをりまする
 はるになるト みなほカイド(北海道)にいてしまいます
 わたしも こころぼそくありまする
 ドカはやくきてくだされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ
 いしょ(一生)のたのみて ありまする
 にしさむいてわ おかみ(拝み) ひかしさむいてわおかみ しております
 きたさむいてわ おかみおります みなみたむいてわ おかんておりまする
 はやくきてくたされ いつくるトおせて(教えて)くたされ
 これのへんち(返事)ちまちてをりまする ねてもねむられません


しかし、英世は、直ぐに帰国せず、それから三年後の大正四年になつて帰国し、やうやく母との再会を果たします。それは帝国学士院から恩賜賞を授与されることの日程に合はせた帰国でした。それ以後、英世は一度も帰国してゐません。シカはそれから三年後の大正七年に亡くなりますが、英世は、シカ死亡後昭和三年に自らが死亡するまでの十年の間、シカの葬儀や御先祖の墓参のために一度も帰国することがありませんでした。

シカは、英世に、研究を投げ捨てて帰国してほしいとまでは望まなかつたはずです。帰国してでも研究を続けられる方法と工夫がないのだらうかといふ期待を抱いたのでせう。それは、一人になり老後の心細さがあること英世に解つてほしかつたからです。それに応へてあげることがどうしてできなかつたのでせうか。英世からすれば、孝養よりも出世が大事だといふことです。親が寂しがらうが、親の死に目に会へなくても、顕微鏡を覗き続けて立身出世することの方が大事だつたといふことなのです。それは、余りにもあじけない人生ではないでせうか。


これは、孝養と立身出世を両立できないものと考へるからです。しかし、工夫をすれば孝養と成果を生むための努力とは両立しうるのです。優先順位を間違へてはいけません。

こんな親不孝者の放蕩息子が、少しばかり成果や功績を上げたからと言つて、千円札の肖像になるにもかかはらず、命がけで孝養を尽くし、しかも大きな学績上の成果を上げた中江藤樹が紙幣の肖像にならないこの国は、どこか間違つてゐるのではないでせうか。

みなさん、英世の借金と同額の千円札を見るたびに、英世の母が子を思ひ続けるまめやかな心を思ひ出し、それぞれの孝養と自らの精進にひたすら邁進することを心がけてください。そして、野口英世に代はつて、中江藤樹の肖像が千円札を飾る日が来るやうに働きかけようではありませんか。


いま、この記述を補充するところはあつても訂正するところは一つもありません。中江藤樹は、我が国の宝であり、世界に胸を張れる誇りなのです。

家族の復活などを憲法改正草案に加へた自民党であれば、野口英世のやうな、親を捨て、遊郭遊びに溺れて結婚詐欺をするやうな家族否定の人間を千円札の肖像にしておくことを直ちに廃止させるのが当然ではないでせうか。


ところで、平成29年4月29日に発行された『キリスト教を世に問う!』(展転社)といふ奥山篤信氏の著作があり、ここには付録として、「マザー・テレサの仮面を剥ぐ」といふ論説が付いてゐて、マザー・テレサが宗教の仮面を付けて悪事をなしてきたことが暴かれてゐます。この著作は、キリスト教がいかに欺瞞に満ちたものであるか克明に記述した力作であり、マザー・テレサの欺瞞は、その付録扱ひですが、キリスト教の全体像を理解するためには一読する価値はあります。


しかし、私は、マザー・テレサや野口英世の仮面を剥ぐことやキリスト教を批判することを目的とはしてゐません。日本人として堅実な歩みを続けるためには、「祭祀」を身に付けなければならないのですが、奥村氏の著書は確かに良書ではあつても、画竜点睛を欠いてゐます。それは、「祭祀」の「さ」の字も出てこないからです。


宗教を批判する者が、無宗教者であつたり他宗教者であれば、それは手前味噌の話に過ぎません。宗教は、祭祀によつて初めて淘汰されるのです。

南出喜久治(平成29年8月1日記す)


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