自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百二十七回 自存自衛の道 3/6

ひのやまの はいのおほひし あれとちに かてをみづから つくるさきもり
(火の山の灰の覆ひし荒れ土地に糧を自ら作る防人(ラバウル要塞))


【資源等の種類】


これまでのことを踏まへて、我が国が自存自衛の道を探求するためにも、世界における資源等を取り巻く状勢について考へる必要があり、そのためには、その前提となる資源等の種類、特に、電力源について考へてみたい。


まづ、石炭である。

これは内陸に存在し、埋蔵量が多ければ自給自足が可能であり、陸軍国家であれば、その防衛も容易である。

しかし、このエネルギー源は、熱効率と廃棄物処理などの問題から、過去の資源等となりつつあり、現に、支那の山西省ではこれを殆ど掘り尽くしたため、質の悪い石炭を無理に採掘して燃やすため、PM2.5などの大気汚染が広がり、地球規模で生活環境を悪化させてゐる。モンゴルも同様で、北京よりも大気汚染は酷いのである。


そのため、なんと言つても、エネルギーの主力、電力源は石油となる。天然ガス、シェールオイルを含めると、世界の大半がこれに依存してゐる。


しかし、産油地域が偏在してゐるために、これに頼るとなると、ホルムズ海峡、マラッカ海峡などのチョークポイントとシーレーンの防衛が欠かせない。


我が国の自衛隊は、米第七艦隊の補完組織として宿命づけられ、これが対米従属国家であることの証左でもある。


田中角栄の失脚は、石油輸入の独自外交を行つたことなどでアメリカから疎まれた結果であり、中川昭一の没落も、尖閣の試掘調査を始めようとしたことにある。尖閣の開発は、資源輸入国から資源輸出国へと転換しうる可能性を秘めてゐたことから、中川昭一は完全に追ひ落とされたのである。

しかし、対米従属を墨守する者であれば、追ひ落とされない。小泉純一郎や安倍晋三らは守られるのである。


ところで、いまや、アメリカは、石油生産世界第2位の資源国であり、シェールオイルの埋蔵量を考へれば、エネルギーの完全自給国家になる能力がある。そのために、アメリカ第一主義を唱へて、世界の警察官を辞めても痛くも痒くもないことになる。

今後は、アメリカにとつて、ホルムズ海峡、マラッカ海峡、それにシーレーンなどに対する防衛価値が稀薄になる傾向が強くなることは必至である。


また、中共は、一帯一路政策を展開しつつ、新疆のウイグル油田の開発を進めてゐる。ウイグルを完全制圧することは、中共の国益にとつて重要なことになる。新疆は石油と天然ガスの埋蔵量が豊富で、これまでに38カ所の油田、天然ガス田が発見されてゐる。

新疆の石油と天然ガスの埋蔵量は、それぞれ中共全体の埋蔵量の28%と33%を占めてゐる。これまで中共では国内最大の油田であった黒竜江省の大慶油田の生産量が近年では減少してきたために、新疆の油田の重要性が増してきたのである。


次は、原子力である。

我が国は、CIAのスパイである正力松太郎に欺された振りをして、核の平和利用といふ詭弁を受け入れ、我が国のエネルギー政策をアメリカに隷属させることと引き換へに、将来において核武装への道に転用できると期待したものの、目論見は外れ完全な失敗に終つた。

そして、昭和63年の発効から30年間の期限を迎へた日米原子力協定が、平成30年7月17日に自動延長されたが、この「自動延長」の結果、米国からの通告があれば一方的に協定を破棄され再処理が出来なくなる極めて不安定な状態となつたのである。

つまり、日米原子力協定の自動延長により、日本の原子力利用が米国の完全管理下に置かれることになり、完全な対米隷属国家となつてしまつたのである。

このことは、日米原子力協定に限つたことではない。昭和47年の沖縄返還においても、米軍による極東紛争に我が国が引き込まれる可能性のある日米安保条約第6条の「極東条項」は、これを削除するのであれば米軍は全面撤退するぞといふ恫喝によつて削除が認められず、また、日米安保条約が自動延長された後の昭和52年に結ばれた日米防衛協力のための指針(ガイドライン)によつて、自衛隊はアメリカの傭兵化への大きな一歩を歩み出して、それが新ガイドラインへと引き継がれて今日に至つてゐる。


このやうな原子力発電について、その発電量を国内自給量と看做し、エネルギー自給率に組み入れて計算し、原発が停止してゐるので自給率は8%に下がつたと喧伝することは、まやかしの最たるものである。


そもそも、原子力発電(原発)は、平時でなければ使へない。また、完全な核廃棄物処理ができない。便所のないマンションに等しく、弱点が多すぎる「パイプのお化け」である。原発は、占領憲法と同じで、平時でなければ通用せず、だんだんと毒素が蓄積し全身を侵す代物なのである。


また、原発防衛は不可能である。警察、自衛隊は守らない。そんな法制度になつてゐない。民間のガードマンだけで形骸化したセキュリティ対策を行つて自己満足してゐる。チンケな防犯対策の訓練しかできないし、その訓練もナイフを持つた幼稚な単独犯しか想定してゐない。重武装した集団ゲリラ攻撃や無人戦闘攻撃機(ドローン)による原発テロがあることを全く想定してゐない。

敵国の原発攻撃による二重の損害(電源消失と原爆投下と同様の被害)に対応することができてゐないので、完全武装解除されてゐるに等しいのである。


その他、自然エネルギーの風力、太陽光などは、ベース電源になりえないし、発電効率と耐久性に問題がある。また、費用対効果、コストパフォーマンスからすれば、メタンハイドレードが主力として採用されることは到底不可能である。


【自由貿易といふ幻想】


そもそも、自由貿易といふものは、資源等が遍在してゐるから、それを公平に配分するために唱へられて実施されてきたものではない。

これまで大規模に行はれた貿易といふのは、大航海時代といふ欧州の大侵略時代、植民地奪取時代のことであり、それを維持するための正当性の隠れ蓑として、「自由」貿易なるものが唱へられた。


そして、マルクスに決定的な影響を与へたデービッド・リカード(David Ricardo)は、この自由貿易政策を理論的に基礎付けたとされるが、それは「利益」、つまり経済的利潤の獲得は自由貿易がそれを実現するといふものであつて、それ以上の理論でもそれ以下の理論でもない。アダム・スミスと同じく、これまでの重商主義的な保護貿易政策を批判して、自由貿易政策を唱へた。つまり、自由貿易によつて、各国が輸出対象となる商品の生産費が他国のそれと比較して有利(優位)となる商品をそれぞれ集中的に生産して相互に輸出して貿易することにより国際分業を促進させ、これによつて相互に利益をもたらすとする比較生産費説(比較優位説)を主張したのである。


しかし、この理論は誤つてゐた。それは、我が国が幕末に開国して、明治期に台頭した国内産業資本の要請によつて、この比較優位説により自由貿易を展開した結果、国際競争が激化して、リカードの云ふやうな国際分業による相互利益の確保は実現できなかつた。

欧米は自由貿易では「利益」をもたらさないと認識し、再び保護貿易主義に戻つた。アメリカでは昭和5年の『ホーリー・スムート法』による保護貿易化であり、イギリス連邦諸国では昭和7年の『オタワ会議』による経済ブロック化である。これが世界恐慌などの引き金となり、欧米依存経済であつた我が国は、大きな経済的打撃を受け、これらの「地域主義(Regionalism)」による経済ブロック化により経済破綻を回避するために、独自の地域主義である大東亜共栄圏の建設を推進しようとして大東亜戦争に突入した。つまり、我が国は、欧米によつて二階に上げられたのに(開国を求められて自由貿易を強いられたのに)、後になつてその梯子を外された(自由貿易を認めずに保護貿易の壁に阻まれた)といふことである。


そもそも、重商主義といふのは、皇紀23世紀から24世紀(西紀16世紀末から18世紀)にかけて西ヨーロッパ諸国において支配的であつた経済思想とそれに基づく政策のことであり、自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によつて資本を蓄積して国富を増大させようとするものであつた。

これに対するものとしての重農主義といふのは、ローマ帝国の衰亡が農業生産力の低下にあるとの教訓から、皇紀25世紀(西紀18世紀後半)に、フランスのフランソワ・ケネーなどによつて主張された経済思想とそれに基づく政策のことである。富の唯一の源泉は農業であるとの立場から農業生産を重視する。そして、重商主義を批判し、レッセフェール(自由放任)を主張したのである。この考へ方はアダム・スミスの思想に大きな影響を与へた。


しかし、イギリスでは、穀物の輸入に高い関税を課す穀物条例が一部の者だけを利するだけで国家全体の利益にならないとのリカードの意見に支配されて、穀物条例を廃止して穀物の輸入自由化に踏み切つた(1846+660)。その結果、それまで百パーセント近い小麦の自給率が10パーセント程度に落ち込み、二度の大戦中に食料難となり食料調達に苦しんだのである。そこで、昭和22年(1947+660)に『農地法』を成立させて食料自給率の向上を推し進めたのである。このやうに、国家の本能的直観によつて大きく政策転換をした結果、イギリスだけでなく、西ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、カナダは、昭和57年(1982+660)ころまでに食料自給率を百パーセントを超えるまでに回復し、完全にリカードの論理から脱却した。リカードの論理は、帰納的に否定されたのである。我が国だけが、いまもなほリカード信仰を維持して、諸外国とは反対に自給率を低下させ続けてきたのである。


また、関税なるものは保護貿易の最たるものであり、これを自由に操作し、貿易赤字を是正するとして政府が民間貿易に関与するのは、重商主義の典型であつて、いはゆる自由貿易とはほど遠いものである。それが今では、政治や軍事の世界までに拡張してゐる。軍事装備品の輸出入を政府が取り決めて貿易収支を調整するのは、政治や軍事が貿易による経済活動に完全に取り込まれてゐることを意味してゐるのである。


しところが、いまもなほ自由貿易が叫ばれてゐる。しかも、WTOに加盟することを特別に許されたものの、自由貿易とはほど遠い中共がこれを唱へるといふ、目が眩むやうな倒錯すら起こつてゐる。

それゆゑに、いまや自由貿易といふ言葉は、これを貿易における世界共通の原則であり、保護主義を否定するのが建前ではあるが、単に自国の利益を追求するための道具として用ゐられてゐるだけで、すでに底が割れてゐるのである。それをそのまま真に受けてゐるのが我が国なのである。といふよりも、さう唱へなければ、資源等を世界に依存して命脈を維持しなければならない我が国の宿命なのである。


今や資源等の確保に関する経済政策と安全保障とは不可分の関係であり、国際政治は、これを抜きにしては成り立たないのである。

南出喜久治(令和元年7月15日記す)


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