自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百三十回 自存自衛の道 6/6

ひのやまの はいのおほひし あれとちに かてをみづから つくるさきもり
(火の山の灰の覆ひし荒れ土地に糧を自ら作る防人(ラバウル要塞))


【電力事業の国有化】


我が国が、自前の電力源を確保して対外的に自存自衛の道を歩むことになれば、国内の民生が向上する契機となる。しかし、これについてこれまで通りの惰性による施策では、民生の向上は実現できない。これを実現するには、まづ、電力事業を国有化することである。なぜ国有化するかと言へば、これまでの電力事業の民営化によつて、私企業では、たとへば、原発事故の処理を充分に行へず、機能不全となつて、その責任の所在を不明確にしたことを知つてゐれば当然であると解るはずである。

電力事業のみならず、国家と世界にとつて極めて有用な技術とその普及については、営利企業に委ねるべきではない。

これらの技術的恩恵は、国民や世界の人々が等しく享受されなければならず、利益を求める私企業の活動原理とは相容れないものである。


ところが、世界的な傾向としては、税制度が富の再配分といふ本来的な役割を放棄して、逆進性の高い消費税を導入し、所得税及び法人税等の累進課税を緩和ないしは放棄する傾向にある。我が国も広い範囲に適用される消費税を導入して、その税率を上げる方向にあり、法人税等は減税する。いまや、富の再配分のための累進課税といふ言葉は死語になりつつあるのである。


このやうな傾向にあつて、我が国が黒潮発電といふ独自の電力源を獲得する場合には、新たな富の再配分のための施策を講ずる必要がある。

そのために、電力事業を国有化することを前提として、「累進価格制度」といふ新しい富の再配分制度を導入する必要がある。


【累進価格制度】


国家の基本政策は、貧困と病気から国民を解放することにある。ところが、これまで、世界のすべての政府は、格差是正に必要な富の再配分のために「累進税制」を導入してゐたが、これが近年になつて劇的に後退させた。

富裕層を優遇するために、累進税制を廃止あるいは減退緩和させ、法人税の減税、所得税率の平準化による貧困層への相対的増税、さらには、逆進性の強い消費税等を導入した結果、所得格差と資産格差などの経済格差が一層広がつた。このやうな世界の趨勢にあつて、民間における経済活動もまたこれに追随するのであれば、世界全体の格差は拡大する一方である。


民間では、財貨やサービスといふ商品を販売する場合、その価格は原則として均一である。富める者も貧しい者も、これを購入するときは同じ価格であるから、消費税といふ逆進性を議論する以前に、これ自体が「逆進価格」なのである。

政府が、累進税制を放棄して、格差是正に配慮しないのであれば、企業の社会的使命として、富める者には価格を高く、貧しい者には価格を安くして、商品価格を決定する「累進価格」を導入することも必要であるが、およそ利益追求を目的とする私企業に、そこまでの社会的使命を自覚させることは難しい。また、継続的供給がなされる商品でなく、一回的な供給の商品である場合は、富裕者が貧困者の名義借りで購入するといふ悪用を阻止し得ないのである。


そもそも、所得格差は社会の格差が拡大する主因ではない。むしろ、所得格差の結果による収益性資産の保有格差(資産格差)が全体としての格差を増幅させてゐるのであるから、私企業が累進価格制度を導入したとしても、その商品が国民の全階層に等しくその需要を満たすものであるもの以外では余り意味がなくなる。


いづれにしても、累進税制をここまで後退させてきたが、今からでも遅くない。徐々に累進税制の方向に転換する必要がある。法人税の減税をしないと、海外からの投資が鈍るとか、国内企業が海外に流出して国内雇用が失はれるなど言はれるが、バカも休み休みに言へ。そんな企業や投資家は国賊であるから、我が国から出て行けと言へばよいのである。我が国の民度はそれほど低くない。法人税が減税されなくても、それが社会貢献であると誇りを持つて、納税して我が国で踏みとどまり、事業手腕を振るつて活動を続ける事業家が我が国には多いので心配は無用である。むしろ、志も勇気もなく、ただ儲かればよいと思つてゐる輩は、我が国に入つてきてくれない方がよいし、出て行つてくれた方が社会がよくなる。


【電力料金の累進価格】


電力事業を完全国有化する必要があるのは、この累進価格を電気料金に適用させるためにある。

そして、この累進価格の制度設計としては、租税の三原則、つまり、公平、中立、簡素に従つて行へはよい。国有事業である電力料金の徴収といふのは、租税と同じ性質があるので、租税と同じ原則が適用されるべきだからである。


それゆゑに、客観的に容易に判断しうる「外形標準」に拠らざるを得ない。外形規模の大きさは、格差の原因であり結果でもあるといふ推定が働くので、外形標準課税のやうに、事業規模ないしは生活規模の大きさを示す総売上高ないしは総所得額を基準とする価格決定が必要となる。しかし、外形標準課税の場合とは異なり、生活者が扶養する家族数(同居親族数)や事業者が雇用する従業員数(正規雇用者数)の大きさは、社会貢献の指標となるものであるから、この価格決定において減額要因と認識することになる。


以上のことから、累進価格の理念よる価格決定は、事業規模の指標となる総売上高や生活規模の指標となる総所得額に比例し、従業員数(正規雇用者)や扶養家族数(同居親族数)に反比例したものとなり、さらに、調整乗数と格差乗数を導入して累進性を維持し、累進価格の理念を実現することになる。

つまり、このことをもつと簡略に説明するとすれば、この累進価格制度の導入によつて、大家族には減税し、単身者には増税する方向が生まれて、家族制度を鞏固にすることができ、企業には、黒潮発電によつてこれまで以上に低く抑へられた電気料金を徴収し、低所得者層には電気料金を免除するといふことになるといふことである。そして、これにより、低所得者層の可処分所得は増大し、企業はコスト削減によつて国際競争力が高まることになるので、法人税や所得税の累進課税も抵抗なく受け入れられることになる。


そして、このことを契機として、世直しを始めなければならない。衣食足りて礼節を知ると言はれる如く、物質文明、近代(均代)文明に毒された生活から脱皮させて、家族制度の復興により祭祀の道に回帰させることになる。


【むすび】


これまでの世界思想は、すべてV字型構造を持つてゐる。つまり、V字型世界思想構造と呼ばれるものである。例として挙げられるのは、①共産主義革命思想(マルクス・レーニン主義)、②ナチズムの思想、③キリスト教国の思想(例へば、カトリシズム、十字軍思想といふ宗教的政治思想)、④白人優越思想(選民思想、有色人種の奴隷化肯定思想)などである。

これらの思想は、およそ5つの仮説の設定で説明される。


先づ初めに、遙か彼方の遠い過去に理想郷(ユートピア)が存在したとの第一仮説を設定する。①では、差別のない「原始共産制社会」であり、②では、争訟のない「純潔ゲルマン民族社会(神聖ローマ帝国とホーエンツォレルン家のドイツ帝国)」であり、③では、一切の不安のない楽園としての「エデンの園」、④では、「白人支配による世界秩序」なのである。いづれも歴史的かつ科学的な根拠のない想像(空想)の世界である。


そしてさらに、その理想郷(ユートピア)の秩序を乱す存在が現れ、社會が混乱、堕落したとの第二仮説を設定する。①では、私的所有と貨幣制度による「貧富の差の発生(富の蓄積)」と「階級対立(階級闘争)」の現象であり、②では、ユダヤ人やジプシー等の社會進出及び混住・混血による「ゲルマン社会の混乱現象」と、それを加速させゲルマン民族の弱体化を目的としたベルサイユ条約体制の確立であり、③では、禁断の木の実、バベルの塔及びソドムとゴモラの町に象徴されるやうな人間の原罪(欲心・無明)による「民族の分裂・対立」、「言語の混乱」及び「異教の乱立」、④では、黄禍論(Yellow Peril イエロー・ペリル)に基づき「日本の世界進出」による世界支配秩序の混乱現象である。


さらに、第三仮説は、救世主の出現である。①では、共産主義革命思想で武裝した前衛党である「共産党」の出現、②では、「ナチスト」の出現、③では、「キリスト」の出現(復活)、④では、盟主アメリカの出現である。


第四仮説は、その救世主によつて第二仮説の障害を除去して浄化し過去の理想郷に近い社会へと進展し到達するために、特定の政治的過程を必要とする仮説である。①では、プロレタリアート独裁(その前衛党としての共産党独裁)といふ過程、②では、ヒトラー率ゐるナチストの独裁政権といふ過程、③では、法王国家のキリスト教宣教師らが遍く全世界に布教して異教徒を駆逐するといふ過程、④では、日本を衰退滅亡させる過程である。


最後の第五仮説は、第一仮説と同等の、将来における理想郷が実現するとの仮説である。①では、「共産主義社会」の実現(国家の消滅)、②では、ヴェルサイユ条約体制を打破してユダヤ人等のゐない理想的なゲルマン民族の純潔社会である「第三帝国」(エスタンジア)の実現、③では、キリスト教が全世界統一教(宗教独裁)となることによる「キリスト教世界」の実現、④では、日本の滅亡による白人の世界支配世界(西高東低社会)の実現である。


これらは、いづれも予定説的な信仰思想である。予定説(predestination)とは、ユダヤ教とキリスト教に共通するメシア思想の教義であつて、誰が救済されるのかは神のみの意志によつて予め定められてをり、熱心に祈ることの見返りとして実現するものではないとの教理であつて、これらの革命思想構造の原形は、このメシア思想に見出すことができる。


ところが、これらの思想は、いづれも歴史の虚構と現実との乖離によつて崩壊した。それもさうである。第一仮説そのものが架空であつたからである。


世界の真の歴史は、ケルト族、古代ゲルマン族などの全世界の祭祀の民(土の民)が、祭祀を否定する宗教の民(砂の民)によつて、殺戮され、駆逐され、改宗されて、世界は見せかけの繁栄の裏で、解決し得ない矛盾と混乱に陥つて堕落して今日に至つてゐる。


もし、世界が自存自衛の道を歩み、祭祀社会の復活を目指すならば、世界に再び真の平和が訪れることになる。これをV字型世界思想構造で説明すれば、理想郷であつた世界の祭祀社会が崩壊し、その堕落の淵にあつても、極東にある祭祀の民である大和民族が生き続け、我が国がいよいよその使命に基づいて救世主となり、武力に依らずに、再び宗教の民(砂の民)に祭祀が人類の生命起源に発するものであることをしろしめして祭祀統一を図つて祭祀復活を果たすといふ世界思想が生まれてくるのである。


これを実現させることが我が国の使命であり、その世界の中心に天皇が御座すのである。

南出喜久治(令和元年9月1日記す)


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