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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百四十五回 祭祀と宗教 その六

いつきすて おやうまごすて ゆだぬれば すくふとだます あだしのをしへ
(祭祀棄て祖先子孫棄て委ぬれば救ふと騙す外國の宗教)


先ほど述べた儒者の多くは廃仏思想を唱へますが、中には、何から何まで支那への憧れを持つ支那気触れも出てきます。藤原惺窩も初めはさうでした。


衣装や名前を支那風にする程度であれば、我が国の伝統や文化を直ちに破壊することはありませんが、過去の歴史においては、支那気触れの者たちによつて、大和言葉を廃して国語を支那語にしようとしたり、祭祀を否定して国家を滅亡させる存亡の危機を生んだことがありました。


結論を言へば、過去における我が国最大の危機は、支那の律令制と支那伝来の仏教がもたらしたものです。


それは、遣隋使、遣唐使の時代に遡ります。

特に、遣唐使が盛んな時代には、藤原仲麻呂や玄昉、それに吉備真備などが入唐して帰朝しましたが、これらは、いはゆる支那気触れの者たちです

国家統治は、支那の律令制を模倣して営まれました。


律令制の導入については、藤原仲麻呂が支那の律令制に倣つて官職名をすべて唐風に改称し、天皇といふ名称も廃止して皇帝とするなど、我が国の歴史や伝統を悉く破壊しようとしたのです。

律令制の完全な導入は、我が国古来の政治風土を破壊します。このことは、藤原仲麻呂でなくても、上層部が支那気触れであつたため、早晩、唐風改称になつた筈です。


しかし、藤原仲麻呂の乱が起こり、仲麻呂が除去されために、唐風改称は原則として廃止されました。藤原仲麻呂が謀反を起こさなければ、太政大臣を大師、左大臣を大傅、右大臣を大保といつた改称のままだつた筈です。


次に、同じ頃に我が国に危機をもたらしたのは仏教です。


これも仏教気触れの文武天皇、聖武天皇、光明皇后、孝謙天皇(称德天皇)と続けば、神国を仏国土とすることに抵抗がなくなつたためです。


さうなれば、仏国土を修めるのは僧侶であり、神国の祭祀を行ふ天皇である必要はなくなります。といふよりも、高僧が天皇となつて仏国土を修めればよいといふことになります。

だから、称德天皇は、道鏡を天皇としようとしたのです。


藤原仲麻呂と一緒に入唐し帰朝した吉備真備は、藤原仲麻呂の謀反を阻止して滅ぼした軍師として貢献しましたが、称徳天皇による皇統断絶の危機に立ち向かふことがありませんでした。

吉備真備は、後の孝謙天皇(重祚の称徳天皇)となる聖武天皇の皇太子である阿部内親王に漢書を教授した、いはば家庭教師でしたので、称徳天皇が道鏡を天皇にしようとする企てに対して、もし、やまとだましひ(和魂)を持つてゐたのなら、身命を賭して阻止した筈ですが、それをしませんでした。


しかし、和気清麻呂が、「天之日嗣、必立皇緒、無道之人、宜早掃除」(あまのひつぎは必ず皇緒を立てよ、無道の人よろしく早く掃除すべし)と、称徳天皇の御叡慮に反する宇佐神宮の託宣が下つたとして奏上すると、その返照は、これが嘘の報告であるとして勅勘を受けて遠島となりました。しかし、皇統は護持されたのです。


和気清麻呂は、仏教気触れでも支那気触れでもなかつたので、これができたのです。やまとだましひを持つてゐたからなのです。


学者が右大臣にまで上り詰めたのは、吉備真備と菅原道真の二人だけですが、吉備真備は、何度も藤原氏の横暴により左遷されながらも不死鳥のやうに復帰して右大臣になつた人ですが、藤原仲麻呂とは程度の違ひはあるにせよ支那気触れであることに違ひはありませんでした。


しかし、菅原道真は右大臣になつたことから、危機感を抱いた藤原氏によつて左遷され悲嘆の晩年を過ごし、太宰府の地でなくなりました。

菅原道真は、藤原仲麻呂と道鏡の出来事が百数十年前にあつたことを当然に知つてゐました。支那気触れは国を滅ぼすことを知つてゐたのです。


そのために、遣唐大使に任ぜられても、唐の混乱等を理由に遣使の再検討を求める建議を提出して遣唐を廃止しようとしましたが、支那気触れの者たちによつて、廃止は許されないまま、道真は遣唐大使の職にあり続けながら遣唐を拒み続けたのです。そして、延喜7年(西暦907年)に唐が滅亡したことから、遣唐使の歴史は終はり、以後は国風文化が花開いたのです。

菅原道真は、左大臣の藤原時平の讒言で太宰府に左遷されたとされてゐますが、その背後には支那気触れの一大勢力がその讒言を後押ししたためです。


心だに 誠の道に かなひなば 祈らずとても 神や護らむ


と詠つた菅原道真には、やまとだましひがありました。


和魂漢才とは、和魂を以て漢才を用ゐるといふことです

和魂、すなはち、やまとだましひとは、本能のことであり、漢才(からざえ)とは理性のことであると理解すればよいのです。

本能とは祭祀、理性とは宗教に代置することができます。


この和魂漢才を我が国において醸成できる環境を作つたのが、菅原道真です。そのことによつて、紫式部の『源氏物語』にも「やまとだましひ」のことが述べられることになるのです。


この和魂漢才は、室町時代の偽書とされた『菅家遺誡』にも登場しますが、これが偽書であつても、和魂漢才が菅原道真の思想であることに何ら変はりはありません。


そして、時代が下ると、この言葉が「和魂洋才」と変化し、偏狭なナショナリズムに利用されたことから、GHQによつて迫害され、GHQ占領下では、英語(米語)を国語としようとする米国気触れが、過去の支那気触れと同じ誤りを犯そうとする動きがありましたが、悉く粉砕され、この和魂の精神は不易を保つてゐます。


このやうに、仏教は、我が国おいて、皇統を断絶させる潜在力を持つてゐます。仏教だけに限らず、およそ宗教には、その目的があるのです。

宗教国には、天皇は不要です。天皇家を宗家とする祭祀の民の家族主義ではなく、個人個人の救済や解脱を説く宗教は、すべて個人主義です。

家族主義を否定する個人主義、合理主義なのです。


自己の身命を捧げてでも、父母を守り、家族を守り、子孫を守ることを叶へてくれる世界宗教はありません。

世界においても、十字軍戦争だとか、中東紛争が繰り返させて終はりが見えないのも、キリスト教とイスラム教の宗教対立が背景にあります。

宗教は、信心のある者だけが救はれ、解脱できると説くのです。だから個人主義なのです。信心のないものは、親であらうが子であらうが救はれません。そして、信じた者であつても、人間の思考の産物であるGod(中心仏)によつて人間が造られ、そして救済されるといふ究極の循環論法を強制する宗教によつて、必ず救はれるといふ保障はどこにもないのです。


また、宗教の周辺でウロウロしてゐる哲学なるものは、全く有害無益なものです。たとへば、不完全な完全さ、非連続の連続、絶対矛盾的自己同一などの曖昧なことを説いた西田幾多郎の哲学によつて、世の中が良くなつたことは何一つありません。哲学が実世界の改善と万人の幸福に貢献したことなど、歴史的に全くありません。むしろ、混乱と闘争を生むことしかありませんでした。


宗教は、哲学に輪を掛けたやうに、矛盾を矛盾とせず深奥な教義であると洗脳します。「宗教は阿片である」と、F・フォイエルバッハは言ひました。これは、罪刑法定主義のフォイエルバッハの子です。これがマルクスに引き継がれました。


ニーチェの言葉に「神は死んだ。」といふのがありますが、ニーチェは、これに続けて「人間が神を殺した。そして、人間が神にならうとした。」と述べてゐるのです。


つまり、Godは、人間の想像の産物であるために、Godに対する生殺与奪の権を人間が持つてゐることを告白してゐるのです。だから、「人間が神にならうとした。」のではなくて、もともと人間がGodなのです。

ですから、Godによつて人間が造られて救済されるといふ観念を信じる者が救はれるといふ保証はどこにもありません。

信じる者は救はれるのではなく、信じる者は欺されるのです。


このことは、仏教も同じです.


仏とは、仏教における最高の存在を意味しますが、狭義の意味では、それは悟りを開いた者である仏陀(如来)のことです。そして、広義の意味では、仏陀に準ずる存在で悟りを開かうと修行している菩薩などが含まれます。

大乗仏教では、この如来や菩薩が「人間によつて」多く生み出されましたが、上座部仏教では、原則として、仏は釈迦牟尼仏のみです。


このやうに、大乗仏教は、まさに大風呂敷仏教であり、その中には鰯の頭も含まれてゐます。

そして、この人間によつて生み出された多くの如来や菩薩によつて救はれるといふ構造は、他の宗教と同じです。

一神教とか、多神教とかの皮相な分類で区別されるのではなく、人間が作つたGodとか、如来とか、菩薩とかによつて、その人間が救はれるといふ循環論法的構造は全く同じなのです。

南出喜久治(令和2年4月15日記す)


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