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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百五十一回 帝国憲法の現存証明 その一

ななそまり むをちのすめの いつくしき のりしろしめす とこしへのみよ
(七十餘六條の皇國の稜威奇しき法(大日本帝國憲法)知ろし召す永代の御代)


真正護憲論は、占領憲法が憲法としては無効であり、帝国憲法第76条第1項の示す無効規範の転換理論によつて、帝国憲法に基づいて締結された講和条約の限度で帝国憲法体制下で認められるとするものです。


しかし、占領憲法が憲法として有効であるとすることは、それを有効する主張する者に証明責任があるので、これを無効と主張する者にその証明責任はありませんが、真正護憲論は、占領憲法が憲法として無効であることまで証明してしまつたのです。


そして、真正護憲論は、占領憲法が憲法として無効であることを証明したことに加へて、帝国憲法が現存してゐることまでも証明してみせたことに最大の意義があるのです。


これまで、様々な機会でこのことを説明してきましたが、改めてここでその概要を時系列に従つて、これから述べる①から㉒までの「事件」に即して憲法問題に関連することを中心に説明したいと思ひます。


① 昭和20年6月26日 国際連合憲章署名。


これは、戦勝国連合が常任理事国となつて世界支配を行ふことを目的とした条約として、戦後支配体制を構築するためのものです。そして、我が国を敵国条項(第53条、第107条)によつて常に監視下に置き、将来において世界政治から締め出すためのものでした。

我が国が、この戦勝国連合の条約に加入したのは、昭和31年のことですが、敵国条項があることは、これに加入するか否かを問はず、無条件で制裁の対象とすることになつてゐたのです。


国際連合憲章の第53条は、次のとほりです。

1 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基づいて又は地域的機関によつてとられてはならない。もつとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第百七条に従つて規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基づいてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

2 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界対戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であつた国に適用される。


また、第107条は次のとほりです。


この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であつた国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。


つまり、戦勝国は、敵国である我が国などに対して、安全保障理事会の許可がなくても、どのやうな強制行動でもとることができるといふことなのです。


② 昭和20年7月26日 ポツダム宣言発表


ポツダム宣言(昭和20年7月26日署名、同年8月14四日日本国受諾)は、ドイツが無条件降伏した昭和20年5月8日以後のものですので、これは、我が国に対して降伏を求めるためのものです。

これには、一から十三の項目があり、五項以下は、降伏の条件を示してゐます。ですから、我が国は無条件降伏をしたのではなく、「有条件降伏の無条件(無留保)承諾」をしたといふのが正確な認識なのです。

ともあれ、憲法との関係で言へば、十項が意味を持つてゐます。


その原文では、

(10) we do not intend that the japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. the japanese government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the japanese people. freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.


となつてをり、これの外務省訳では、

「十 吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加へらるべし。日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし。言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は、確立せらるべし。」

となつてゐます。


ここでのキーワードは「revival and strengthening」(復活強化)です。民主主義的傾向の復活強化といふのは、帝国憲法に存在してゐた民主主義制度の復活強化を意味し、戦時体制や法律制度とその運用において、帝国憲法の臣民の権利を制約してきた一切の障礙を除去することを意味することから、帝国憲法自体の改正ではなく、その運用の改正を求めてゐたのです。また、それ以外の項目においても、帝国憲法の改正を求めるやうなものは一切ありませんでした。


そして、ポツダム宣言は、最後にかう締めくくります。

the alternative for japan is prompt and utter destruction.

「右以外の日本国の選択は、迅速且完全なる壊滅あるのみとす。」


アメリカは、マンハッタン計画により、このポツダム宣言署名の10日前の7月16日、ニューメキシコ州のアラモゴード砂漠のホワイトサンズ射爆場において、人類史上初の核実験「トリニティ」を実施して成功させ、原子爆弾を手に入れました。

それゆゑ、この脅しは現実性がありました。原子爆弾によつて我が国を完全に壊滅させ、ホロコーストを行ふことを意味する脅迫による強制であり、武力による威嚇です。


我が国が加入した「条約法に関するウィーン条約(条約法条約)」によれば、その第51条に「条約に拘束されることについての国の同意の表明は、当該国の代表者に対する行為又は脅迫による強制の結果行われたものである場合には、いかなる法的効果も有しない。」とあり、同第52条にも、「国際連合憲章に規定する国際法の諸原則に違反する武力による威嚇又は武力の行使の結果締結された条約は、無効である。」とありますので、これが適用されれば、ポツダム宣言の強要とそれによる承諾は当然に無効となるのですが、同条約第4条には、「この条約は、自国についてこの条約の効力が生じている国によりその効力発生の後に締結される条約についてのみ適用する。」として、ポツダム宣言の時代には遡及しません。

国際関係とは、まさに力の論理であり、大国のご都合主義であることが解ります。


③ 昭和20年8月12日 同月11日付けバーンズ回答、12日外務省着


ポツダム宣言を受諾するについては、政府内で葛藤がありました。

ポツダム宣言の内容に関する政府の問合はせに対する8月12日付けのジェイムス・バーンズ国務長官の回答(バーンズ回答)は、その邦訳では次のやうなものでした。


(一) ポツダム宣言ノ條項ハ之ヲ受諾スルモ右宣言ハ天皇ノ國家統治ノ大權ヲ變更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコトノ了解ヲ併セ述ベタル日本國政府ノ通報ニ關シ吾等ノ立場ハ左記ノ通リナリ

(二) 降伏ノ時ヨリ天皇及日本國政府ノ國家統治ノ權限ハ降伏條項ノ實施ノ爲其ノ必要ト認ムル措置ヲ執ル連合軍最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス

(三) 天皇ハ日本國政府及日本帝國大本營ニ對シポツダム宣言ノ諸條項ヲ實施スル爲必要ナル降伏條項署名ノ權限ヲ與ヘ且之ヲ保障スルコトヲ要請セラレ又天皇ハ一切ノ日本國陸・海・空軍官憲及何レノ地域ニ在ルヲ問ハズ右官憲ノ指揮下ニ在ル一切ノ軍隊ニ對シ戰闘行爲ヲ終止シ武器ヲ引渡シ及降伏條項實施ノ爲最高司令官ノ要求スルコトアルベキ命令ヲ發スルコトヲ命ズベキモノトス

(四) 日本國政府ハ降伏直後ニ俘虜及被抑留者ヲ連合國船舶ニ速ヤカニ乘船セシメ得ベキ安全ナル地域ニ移送スベキモノトス

(五) 最終的ノ日本國政府ノ形態ハポツダム宣言ニ遵ヒ日本國國民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス

(六) 連合國軍隊ハポツダム宣言ニ掲ゲラレタル諸目的ガ完遂セラルル迄日本國内ニ留マルベシ


このうち、(二)の「連合軍最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」との部分は、原文では、降伏文書のところで述べるやうに、「subject to」問題がありました。これは、「制限ノ下」ではなく、「隷属」といふ意味だからです。


また、(五)の「最終的ノ日本國政府ノ形態ハポツダム宣言ニ遵ヒ日本國國民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス」の部分のうち、この「最終的ノ日本國政府ノ形態」といふ部分は、

The ultimate form of goverment of Japan

を翻訳したものです。そして、この「ultimate」を「究極的」と解するか、「最終的」と解するかで見解の相違がありましたが、この点は、そもそもバーンズ回答を外務省が翻訳して政府内で決定し発表した上でポツダム宣言を受諾してゐることからして、「最終的」であると理解されてゐます。


この「最終的ノ日本國政府ノ形態」といふのは、國體政體二分論を定説としてゐた我が国では、「政体」を意味し、しかも、「日本國國民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定」といふのは、君民一体によつて自主的、自律的な意思決定によるものであれば、何ら問題はないと判断したのです。ところが、占領憲法は、「日本國國民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定」されたものではないことは明らかなのです。


もし、これが国民に「憲法制定権力」を付与したとするのであれば、宮澤俊義のいふ「8月革命説」の根拠の一つとなります。しかし、占領憲法は、帝国憲法の改正によつて生まれたために、天皇の憲法改正発議権(帝国憲法第73条)を否定して、新たに国民による「憲法制定国民会議」によつて生まれたものではありません。


また、バーンズ回答は、一つの解釈であつて、ポツダム宣言にも、後の降伏文書にも、「最終的ノ日本國政府ノ形態」なる文言はなく、ましてや、「憲法改正義務」があるとする規定は全くありません。

それゆゑ、「8月革命説」なるものは単なるフィクションに過ぎないのです。


そもそも、「革命」といふのは、独立国家の自律的な行為であつて、他国の完全軍事占領されて独立を奪はれた国家が、他国に強制された他律的な行為ではありません。

南出喜久治(令和2年7月15日記す)


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