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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百五十三回 帝国憲法の現存証明 その三

ななそまり むをちのすめの いつくしき のりしろしめす とこしへのみよ
(七十餘六條の皇國の稜威奇しき法(大日本帝國憲法)知ろし召す永代の御代)


⑨ 昭和20年9月20日 『「ポツダム」宣言の受諾に伴ひ發する命令に關する件』(緊急勅令)発令(同日施行)。


ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印は、まさに帝国憲法第8条による講和大権の行使による講和条約に他なりません。

これにより、我が国は、どこまで続くのか予測できない長い「占領トンネル」の入り口に突入しました。このポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印は、そのトンネルの入り口に位置する講和条約群「入口条約」です。


国際法的には、入口条約によつてGHQの占領統治が始まりますが、それを受け入れる国内法はありません。

そこで、帝国憲法第8条の緊急勅令によつて、国内統治の法制度を整備することになります。


帝国憲法第8条には、


「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ敕令ヲ發ス 此ノ敕令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ效力ヲ失フコトヲ公布スヘシ」


とあります。


これにより、9月20日、緊急勅令として、『ポツダム宣言の受諾に伴ひ發する命令に關する件』(昭和20年勅令第542号)が公布され、即日施行されます。これが、いはゆる「ポツダム緊急勅令」です。


そして、同日、これに基づく『「ポツダム」宣言受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件施行ニ關スル件』といふ「勅令」(昭和20年勅令第543号)の形式による「ポツダム命令」が発令され、以後、占領統治を受け入れた国内法的な整備調整がなされることになりました。


この緊急勅令は、


「政府ハ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合國最高司令官ノ爲ス要求ニ係ル事項ヲ實施スル爲特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ爲シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」


とする極めて簡潔な内容のものですが、これは、憲法を停止した上で、「特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ爲シ」うることを意味するものです。


つまり、帝國憲法の効力が存続したままであれば、憲法秩序と占領統治秩序とが正面衝突するので、これを解消するためには、緊急事態に対応する緊急勅令に頼らざるを得ません。しかし、緊急勅令と雖も、帝國憲法下で認められた権限であつて立憲主義に違反することはできず、しかも、緊急勅令は法律と同等の效力しかないので、帝國憲法を廃止したり否定することは不可能です。そこで、帝國憲法はそのまま存続させたまま、一時的にその「效力」を「停止」させる「憲法停止」の措置がなされたのです。


そこで、このポツダム緊急勅令によつて、それを公布施行する根拠となる帝國憲法第8条と、GHQ占領が終了して戦争状態を終了させた上で講和条約を締結して独立を回復するために必要な講和大権(同第13条)は、少なくともGHQ占領政策に国内法的根拠を付与する条項なので、これを停止することはできないものの、それ以外のすべての帝國憲法の条項を一時停止させることになつたのです。

従つて、憲法改正規定である帝國憲法第73条も占領中は当然に停止されるので、これに基づいてなされたとする憲法改正手続はすべて無効となるのです。


また、昭和26年9月8日には、ポツダム緊急勅令で停止されてゐなかつた帝國憲法第13条の講和大権に基づいてサンフランシスコ講和条約が締結され、翌昭和27年4月28日に同講和条約の発効により我が国は独立を回復するとともに、GHQ、対日理事会、極東委員会が廃止され、極東委員会による我が臣民の自由意思の「再検討」が実施されないまま本土だけで独立するに至り、同日、「ポツダム宣言の受諾に伴ひ發する命令に關する件の廢止に關する法律」(昭和27年法律第81号)が施行され、ポツダム緊急勅令は廃止されました。


つまり、ポツダム緊急勅令は、独立回復に廃止されるまで存続したのであつて、さうであれば、その存在根拠となる帝國憲法第8条及び同第13条を含む帝國憲法全体が存続してゐたことになります。


もし、帝國憲法が占領憲法と入れ替はるやうに改正されて帝國憲法の憲法的規範性が完全に喪失したといふのであれば、遲くとも占領憲法の施行時(昭和22年5月3日)には、帝國憲法の消滅と同時にポツダム緊急勅令も失効したとすることでなければ矛盾するからです。親亀(帝國憲法)が転けたのに、子亀(ポツダム緊急勅令)が転けない筈はないのです。


いづれにせよ、ポツダム緊急勅令によつて帝國憲法の大部分が停止状態になつてゐたのですから、もし、占領憲法を憲法として制定するためには、その効力が停止されてゐた改正条項(第73条)を停止状態から一時的に解除させるための新たなポツダム緊急勅令が公布施行される措置がない限り、帝國憲法改正手続に着手することは到底不可能なのです。それゆゑ、これがなされないまま、非独立時期の完全軍事占領下における改正手続が違憲無効であることは多言を要しないところです。


⑩ 昭和20年10月24日 国際連合憲章発効


戦勝国連合による戦後の世界支配体制が確立します。我が国は、この敵国条項により敗戦国として永久に取り扱はれることになりました。


⑪ 昭和20年11月27日 第89回帝國議會で上記9の緊急勅令の承認決議


これにより、前記9の緊急勅令が、帝国憲法第8条第2項の「此ノ敕令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ效力ヲ失フコトヲ公布スヘシ」に基づいて、帝国議会において承認され、法律と同等の効力維持することになつたのです。


⑫ 昭和21年11月3日 日本国憲法公布


占領憲法が帝国憲法の改正法として認められないことは、これまで述べてきたとほりです。その理由は多岐に亘ります。

項目だけを列挙すれば、以下の⑴から⒀までですが、⑴から⑾までは、占領典範の無効理由と共通した無効理由です。

 

 ⑴ 改正限界超越による無効
  ⑵ 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」違反
  ⑶ 軍事占領下における典憲改正の無効
  ⑷ 帝国憲法第75条違反
  ⑸ 典憲の改正義務の不存在
  ⑹ 法的連続性の保障声明違反
  ⑺ 根本規範堅持の宣明
  ⑻ 改正発議大権の侵害(帝国憲法第73条違反)
  ⑼ 詔勅違反
  ⑽ 改正条項の不明確性
  ⑾ 典憲としての妥当性及び実効性の不存在
  ⑿ 政治的意志形成の瑕疵
  ⒀ 帝国議会審議手続の重大な瑕疵


⑬ 昭和22年5月3日  日本国憲法施行


日本国憲法といふ法令が憲法として無効なものであれば、それが公布されても、無効なものは無効ですので、その施行日が来ても無効であることに変はりはありません。

しかし、帝国憲法第76条第1項により、占領憲法は、「占領トンネル」の入口から出口に至るまでの中間に位置する「東京条約」といふ講和条約として認めるものに過ぎません。


第76条第1項は、「法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ效力ヲ有ス」とあり、憲法といふ名称は用ゐてゐるものの、帝国憲法とは矛盾するものなので憲法としては認められませんが、GHQと我が政府との合意によつて成立した経緯からして、これを講和条約の限度で「遵由ノ效力ヲ有ス」とすることができるのです。


「無効行為の転換」といふ法理論があります。たとへば、無効の遺言(単独行為)であつても、それを受遺者に託して手渡した場合に、死因贈与(契約)としての効力を認められることがありうるといふことです。これと同じやうに、無効とされた憲法規範(占領憲法)でも、別の規範として有効と評価されることも起こりえます。これは、「無効規範の転換」です。


憲法改正行為は、外国との合意によるものではなく、その国だけで成立する単独行為ですが、条約は、国家間の合意ですから契約です。無効行為の転換では、無効な単独行為(遺言)が有効な契約(死因贈与)に転換して有効と評価かできるのと同様に、無効規範の転換でも、憲法として無効な占領憲法(単独行為)が有効な東京条約といふべき講和条約(契約)に転換して有効と評価できるのです。


占領憲法は、その成立過程において、GHQとの協議の結果として合意して成立してゐますので、講和条約としての実質を持つてゐます。

また、占領憲法が憲法であるとすれば、帝国憲法と抵触しますが、帝国憲法第13条の講和大権に基づいて締結された講和条約として評価されるのであれば矛盾抵触しません。

講和条約は、帝国憲法に基づくものですから、帝国憲法に矛盾しない存在です。


当時、早稲田大学の有倉遼吉(法学部教授)が、占領憲法は「講和大権の特殊性」によつて成立したものと述べてゐるのも、このことを意味するものと思はれます。


先ほどの無効行為の転換において、無効な遺言(単独行為)が死因贈与(契約)に転換したのと同様に、国内系の法体系からすると、我が国だけの手続で行つたとする無効の憲法制定行為(単独行為)が、実際は、国際系の法体系におけるGHQと我が国との講和条約(契約)として評価されるといふことです。


これが講和条約説の要諦です。

南出喜久治(令和2年8月15日記す)


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