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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百六十三回 飽和絶滅の危機 その七

ほやのきが はげしくしげる そのはてに さくらほろびて ともにつひゆる
(ほやの木(宿り木)が激しく茂るその果てに桜(宿主)滅びて共に潰ゆる)


「ワクチンなんて歴史的に効いたためしはほとんどありません。」


暗殺の可能性も囁かれた免疫学の権威者である亡・安保徹博士は、このやうに断言され、さらにこれに続けて次のやうに話されてゐた。


「弱めたウイルスを使ってワクチンを作っているわけで、本物の抗体ができないのです。今までにワクチンを打った人で、その後インフルエンザにかからずに済んだという例は1つもありません。」、「若い人は免疫力が高いのです。でも、様々な病気になるのは抗体がないからです。若い人たちがこの際、一気に新型インフルエンザにかかって抗体を作ってくれれば、ワクチンで作った抗体よりもずっと効果がある。しかもこっちはタダですよ。」


ここで、ワクチンが「歴史的に」効いたためしがあつたのではないかと思はれてゐるのが、英国のエドワード・ジェンナー(1749~1823)が作つた天然痘(疱瘡)の種痘ワクチンのことですが、次回に述べますとほり、これは相当に怪しいものです。


結論を言へば、これまでワクチンが効いたとする科学的証明がなく、理論的にもワクチンの免疫機序の説明には大きな矛盾があります。


もともと、ワクチンは、生来の免疫力に頼るだけで、免疫力を強化するものではありません。


喩へて言ふのであれば、どんなワクチンでも、ワクチンを接種するといふのは、難関の入学試験を受験する前に、「易しい模擬試験」を受けるといふことと同じです。


易しい模擬試験に合格した(ワクチン接種することによつて、死亡したり、アナフィラキシーショックが起こらない)としても、難関の入学試験に合格する(感染症に罹患しても死なない)とは限りません。ましてや、模擬試験に不合格(ワクチン接種により死亡する)となれば、入学試験に合格どころの話ではありません。


そして、そのこと以上に、問題は、「ワクチンは本当に効くのか」といふ有効性については明確な証明がなく、安全性の証明もないことが大問題なのです。


私は、平成22年7月23日付けの論文「子宮頚がん予防ワクチンの危険性」において、インフルエンザ・ワクチンに関して次のやうに述べてゐました。


「厚生労働省としては、この特例承認を行った後であっても、国民の健康被害が多発する恐れがあることが徐々に明らかになってきたことからすれば、速やかに特例承認を取り消すべき必要があった。堺春美医師と木村三生夫東海大学名誉教授の論文である『論説 どうなる今冬のインフルエンザワクチン WHO によるパンデミック宣言の真相解明のために欧州会議が調査を開始』(「臨床とウイルス」vol.38 No.1 2010.1所収)によると(注3)、「日本では、2010年1月までに、インフルエンザ(A(H1N1)2009)に罹患して死亡したのは146人。死亡率は人口100万あたり1.14。一方、A(H1N1)2009<単価ワクチン>接種を受けたのは1,647万人、死亡は107例。接種を受けた人の死亡率は100万あたり6.5、自然感染による死亡率の5.7倍であった。」とある。ワクチン接種による死亡率の方が高いということは、「殺人ワクチン」であると言って過言ではない。このデータは特例承認を取消すべきことの充分な根拠となるのである。」


つまり、インフルエンザ・ワクチンは、繰り返し接種することによつてギランバレー症候群に罹ることになる毒物であり、「インフルエンザ(A(H1N1)2009)に罹患して死亡する死亡率は人口100万あたり1.14」であるのに対し、「接種を受けた人の死亡率は100万あたり6.5」であり、「自然感染による死亡率の5.7倍」であることから、インフルエンザ・ワクチンは「殺人ワクチン」であると断言できます。


また、インフルエンザ・ワクチンだけが唯一例外的に殺人ワクチンなのではなく、すべてのワクチンは、殺人ワクチンであり、不妊化ワクチンであり、生命及び心身に悪影響を及ぼす「毒物」なのです。


子宮頸がんワクチンについても、接種による流産のリスク比較では、


「11.5%(接種群)vs10.2%(非接種群)」


であり、さらに、最後の接種から3か月以内の流産のリスク比較では


 「14.7%(接種群)vs 9.1%(非接種群)」


です。これは確実に接種すれば流産リスクが高くなることを示してゐます。これは、サーバリックについてですが、その他のものも同じ傾向があります。

にもかかはらず、厚労省は、流産のリスクは「ない」として強引に特例承認したのです。


不妊症は、習慣性流産も含みますから、これは確実に不妊ワクチンなのです。日本産婦人科医会は、一方では不妊ワクチンの接種を積極的に奨励し、他方では不妊治療を行ひます。露骨な悪徳医術集団による典型的なマッチポンプ医療です。


そして、母体保護法第14条による「人工妊娠中絶」を無制限に実施して、胎児虐殺を続け、産婦人科医はこれをドル箱としてゐます。これにより、少なくとも年間20万人以上の胎児が殺されて行く訳です。少子化になるのは必然と言へます。


母体保護法第14条には、


「都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。」


と規定してゐます。


第14条第1項第2号は、人道上は認められるものですが、同第1号の「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」とあるうち、「身体的理由」は理解できるとしても、「経済的理由」は到底理解できません。


もつと遊びたい、子育てしたくない、子育てすると時間も遊び金もなくなる、などなどと、安易に妊娠して安易に堕胎するといふ風潮を助長することに産婦人科医は加担し推奨してゐるのです。


占領憲法第97条には、


「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」


と規定してゐます。胎児は、「将来の国民」として占領憲法上も保護される存在です。それなのに、サイレント・マイノリティとして一方的に虐殺され続けてゐるのです。


自助、共助、公助の総力を挙げて胎児を保護すべきであるのに、子供を産むか産まないかの女性の選択権、自己決定権があるとの詭弁を用ゐて、「胎児を殺す権利」があると主張するのは、占領憲法を憲法であるとして主張する者ですが、こんなことが憲法違反の詭弁であることすら気付かないのです。そして、この偽善集団の意見に便乗して、産婦人科医は人工妊娠中絶利権を手放すことをしないのです。

少子化は、飽和絶滅の回避といふよりは、人工妊娠中絶利権によつて仕組まれた現象でもあるのです。


閑話休題。


現在、治験薬等の薬効を調べる臨床試験として二重盲検法のいふ方法が採用されてゐますが、これは、投薬の人体実験対象となる被験者を2つのグループに分け、一方(接種群)には治験用薬を、他方(非接種群)には偽薬(プラシーボ)を与へ、いづれも治験用薬を投薬したと説明して、誰に治験用薬を投与したかを知らせずに、その薬効を調査分析する方法です。


人間は、偽薬であつても、効果がある薬だと信じて投薬を受けると、心理効果によつて症状等の改善傾向が現れることがあります。効くと信じることによる心理状態が自己免疫力を高めることによつて効果が出る現象です。これがプラシーボ効果です。


接種群と非接種群の双方に等しくこのプラシーボ効果が現れますので、もし、接種群において、非接種群を上回る顕著な効果があれば、それは治験用薬の効果であると判断できるといふ訳です。


ところが、この方法には、いくつかの問題があります。まづ、被験者の絶対数です。少数であると、検査結果の誤差の幅が大きくなり、正確な数値が出ません。

アンケート調査のやうに、理性の作用による意志や認識を調査する場合は、数千人や数万人程度であつても、そのサンプル(被験者)の抽出が全体の縮図として適切であれば、数百万人、数千万人ないしは数億人の全体の意志や認識を推計学的に判定できる可能性がありますが、治験用薬の効果の判定の場合は、さう簡単には行きません。


一定時点における人の意見調査(アンケート調査)とは異なつて、臨床試験の場合は、投薬直後から相当期間の観察分析を必要とし、自覚症状の有無だけでなく病理学的な詳細な検査によつて初めてデータが集計される生理調査なので、調査の対象、調査期間、調査項目などの性質が全く異なります。


しかも、被験者の衛生観念や習慣も様々で、衛生環境が千差万別の生活実態では、感染症の罹患率、発症率も均等ではありません。個人の免疫力の強弱についても、人種、民族、地域、年齢、性別などとの相関関係も正確には把握できてゐません。それゆゑ、被験者の数が多くなればなるほど、必ずしも正確なデータが得られるといふものではないのです。


この方法では、科学的証明に必要な「再現性」がなく、正確な科学的調査分析とはほど遠いもので、単なる参考資料に留まるものですが、これを絶対的な根拠として、薬剤として承認されて行くことに問題があります。

これによつて、有効性と安全性が満たされたと看做す「疑似科学」なのです。


治療薬であれば、ある程度の「再現性」は担保されますが、予防のためのワクチンに至つては再現性は全く担保されません。


それゆゑ、ワクチンは、宗教と同じです。感染しなかつたのは、ワクチンのお陰であり、感染しても酷くならなかつたのもワクチンのお陰と思ひ込ませるからです。


私の論文である「子宮頚がん予防ワクチンの危険性」は、安保博士にも激励されて、20年以上も前に発表したものですが、いまでもさらに補充する事項はあつても訂正したり削除したりするものはありません。


安保博士は、先程も指摘しましたが、「歴史的に」ワクチンが効いたことがあるかのやうに話されましたが、これについても本当にそんな歴史的事実があつたかの検証が必要であり、そのことについても安保博士と話したことがありました。



これは、エドワード・ジェンナーの天然痘(疱瘡)の種痘ワクチンのことですが、種痘ワクチンが効いたといふエビデンスは存在しません。つまり、次回で述べますが、歴史的にも、


「ワクチンは、効いたと証明されたものが一つもない。」


と断言できるのです。


南出喜久治(令和3年1月15日記す)


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