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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百八十九回 祭祀の民 その三

おこたらず あまつくにつを つねいはひ まつりてはげむ くにからのみち
(怠らず天津國津(の神々)を常祭祀して励む國幹の道)


太古の昔は、人類のすべては祭祀の民でした。


厳しい自然環境の中で、自然の恵みを得て、自然の猛威から生活を守り、家族と部族の集団生活を続けて行くためには、祖先から受け継いだ知恵と知識、それに技術は欠かせないものでした。

命を受け継ぎ、それを子孫に引き継がせる綿々とした営みは、人は決して個人だけで生きて行けるものではなく、家族や部族が寄り添つて、お互ひに協力して生きて行けるのです。そして、死んだ者も生きてゐる者も、一団のたましひ(霊)のかたまり(玉)の中に居るとの思ひを抱き続けてきたのです。


それが、だんだんと暮らしがよくなつてくると、個人といふものが自覚されてきます。これは極めて自然なことですが、暮らしがよくなつてきたのは、祖先の努力が積み重なつた賜であつて、それに対する感謝の念が薄れてしまふことに理性の危ふさがあります。


特に、誕生と死亡といふ家族の出来事を分業体制が進むことによつて、それに立ち会つて見届けなくなつたことが生死の現実感を失つて、感謝の心を育むことが出来にくい環境になつたのです。


多くの人は、妻の出産の場にも立ち会はなくなりました。親の死に目にも立ち会ひません。誕生も死亡も想像力だけで理解するだけです。病院で出産し、病院で亡くなり、病院からの電話連絡などでそれを知るだけです。昔のやうに、家に産婆さんが来てお産をし、家で家族に看取られて死ぬことがなくなりました。生死をこの目で見届けなければ、その生死の意味と現実を実感できません。感謝の心が薄らぐのは当然か知れません。


女性の場合は、自ら出産を経験しますから、その出産によつて、自分が生まれたときに母親も同じ経験をしたことを感じます。誕生といふ生命の始まりを実感し、その母も、またその母も同じであつたことの共感が生まれ、祖先への感謝の心が生まれます。


その点、男性は、出産できる能力が備はつてゐないために、生命誕生の場の近くに居てその感動を共感する必要があります。


生命誕生は概ねその時期が予測できますので、男女ともそのやうな機会は持つことができますが、死亡の場合は、必ずしも、その場面に立ち会ふ機会があるとは限りません。そのために、葬儀を行ふことによつて死を看取ることの疑似体験が必要になつてきます。


死体が朽ち果てて蛆が湧くのを見たくない心情は理解できますが、それもまた生死が隔てられてゐることを実感しうる出来事なのです。戦争や災害などでは、他人の死と向き合つて、そのやうな死の現実を実感することもあります。


祭祀の民は、常に家族の生死と隣合はせで暮らしてきましたが、だんだんと生活が豊かで便利になつてくると、理性至上主義(合理主義)に囚はれて、祭祀を捨てて宗教を信じることになります。さうすると、死を忌み嫌ふことになり、葬儀でも納棺して人目には触れさせないやうにします。このやうにして、葬儀は死を実感することからだんだんと遠ほ退いて形骸化して行きます。


そして、キリスト教が生まれると、キリスト教では、祭祀を敵視することになり、それがヨーロッパに広がつて、祭祀の民を殺戮、迫害、追放しました。しかし、キリスト教といふのは、イエスの教へそのものではなく、ペテロとパウロが作つたキリスト教団の教へのことです。


そして、教団の組織防衛のために、祖先よりも神(God)を崇めよ、祖先を崇めてはならない、といふ教へになります。


祖先や親の教へとキリスト教の教へとが対立するとき、祖先や親の教へを捨てさせなければキリスト教の信仰を守らせ、教団の組織を維持することができません。祖先を捨て、親を捨ててでも、自己の信仰、すなはち、キリスト教の教へを守ることが、絶対個人主義として認める必要があります。


宗教とは、完全な個人主義です。さうでなければ教義は維持されず教団は崩壊するからです。


信仰の対象において、祖先かGodかの二者択一を迫り、God以外の別の神や祖先を拝める者は異教徒であるとして、旧約聖書では、至る所において、これまで述べてきましたとほり、Godは、異教徒を皆殺しにするやうに命令したといふ記述があります。


たとへば、イスラエル人はGodの命令に従ひ、敵の民族を男も女も子供も幼児も、さらにはその家畜をも皆殺しにしてゐましたが、たまたまミデアン人を打ち破つたとき、将来敵となる恐れのある成人男子は皆殺して、女と子供は奴隷にしやうとして生かしておいたことを知つた指導者モーセは、「神は皆殺しにせよ、と仰つたではないか」と怒り、女も子供も殺せと命じましたが、兵士たちが不満を恐れて、未婚の娘だけは殺さずに兵士たちの妾にしても良いと妥協しました。


このやうなキリスト教の教へは、博愛主義とか人権思想とは全く相容れないのですが、それは、キリスト教によつて世界をほぼ征服して異教徒が少なくなつたことから、偽善的な余裕が生まれことによつて、そのやうな思想をまき散らしますが、それは信者をさらに増やすための方便なのです。


ギリシア文明、ローマ文明には、神話はありましたが、理性を尊ふ個人主義、合理主義の文明であり、祭祀は忘れ去られました。キリスト教のやうな教団宗教はまだ誕生してゐませんが、祭祀よりも宗教が信仰の基軸になりました。多神教とか一神教といふ区別を強調してその違ひを論ずる人は多いですが、祭祀と宗教の違ひからすれば、目糞鼻糞の議論といふか、コップの中の論争に過ぎません。

これらはいづれも人間の理性の産物であることに共通してをり、宗教は個人主義と不可分一体の関係にあるといふことです。


祭祀の民の受難は、合理主義が蔓延し、祭祀から宗教へと信仰のあり方が徐々に変化してきたことに始まるのであつて、いきなりキリスト教による支配を受けたのではなく、その前に、まづ、広域多民族国家として領土を拡大した古代ローマ共和国の支配下に飲み込まれたことでした。


カエサルによるケルト人居住地域への侵略がありました。その侵略の様子は、カエサルの「ガリア戦記」が書かれてゐます。ガリアといふのは、必ずしも明確な地域の特定はできませんが、イタリアを除くヨーロッパの全域のケルト人(ガリア人など)の居住地域のことです。


古代ローマ共和国では、人々は、すでに祭祀を捨てて、多神教の宗教へと移行した時代であり、祭祀の民のケルト人は、古代ローマ共和国の支配による殺戮、迫害を受け、祭祀を守り続けることを困難にさせる政治的、文化的な強い圧力を受けてきたのです。


そして、キリスト教が成立し、ローマにおいてキリスト教が浸透し、ついには国教化されることによつて、祭祀は完全に否定され、祭祀の民は、改宗を強制され、それを受け入れなければ殺戮、追放されて、祭祀が根絶されてしまふことになつたのです。


もともと、祭祀の民であるケルト族の支族であるパリシイ族は、フランスのパリを拠点として生活してゐました。パリの語源となつたパリシイ族の祭祀の中心聖地がシテ島でした。

そのシテ島はパリの中心部を流れるセーヌ川の中州でしたが、いまやその祭祀の面影は全くありません。


祭祀の民パリシイ族は虐殺され、追放され、あるいはキリスト教に強制改宗させられて、細々と命脈を繋いできました。

ケルト族がいまのシテ島を見たら、その場でケルト族が虐殺され祭祀場を無残に破壊されたことを思ひ出し、シテ島にその面影が全くなくなつた変容ぶりに恐怖し無念さに号泣するはずです。そして、同じ祭祀の民なら、貰ひ泣きするでせう。


このシテ島の象徴としてその中心に聳え立つノートルダム大聖堂が、平成31年4月15日から発生した大火災によつて炎上崩落しました。

そして、その出火原因は、最終的には「詳しい出火原因は不明」との結論でした。パリシイ族の怨念の炎なのかも知れません。


この大聖堂の尖塔が焼け崩れ落ちる映像が世界に流れ、そのことに衝撃を受けた人は多いと思ひます。私は、この映像と、平成13年9月11日に起きた、ニューヨークのワールドトレードセンター (WTC)の炎上崩落の映像とが重なつて、文明の脆さと惨さを感じて衝撃を受けました。


そして、キリスト教徒がシテ島での「物の崩壊」を悲しむことに対する共感よりも、ケルト族がシテ島での「祭祀の崩壊」に血涙を流したことに同情して共鳴共感することの方が格段に強く感じたのです。


世界の人は、物の崩壊を悲しむことができるのに、どうして祭祀の崩壊、魂の荒廃を悲しむことができないのであらうか、といふ衝撃を受けたのです。


芸術的価値がそれほどあるとは思へない、あの尖塔を再建する予算があるのであれば、シテ島にて祭祀を営むケルト族の銅像でも建立して罪滅ぼしをしてほしいものです。

南出喜久治(令和4年2月1日記す)


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