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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百九十回 祭祀の民 その四

おこたらず あまつくにつを つねいはひ まつりてはげむ くにからのみち
(怠らず天津國津(の神々)を常祭祀して励む國幹の道)


西郷南洲翁遺訓には、文明といふものは野蛮なものであるとの趣旨が述べられてゐますが、何が野蛮なのかは、欧米の基準、特に、キリスト教のモノサシで決めることはできないといふ意味なのです。


そのことが文明なのか、野蛮なのかといふことについては、まづは「森」についての人々の認識に相違があることから、どうしても述べる必要があります。


「森」についての認識は、祭祀の民と宗教の民とは決定的に異なります。


森といふのは、祭祀の民にとつては、命を育む聖なる場所ですが、キリスト教では、悪魔が住む忌まはしい場所です。キリスト教が、森を焼き尽くしたり、木を切り倒して森をなくしてしまふのは、悪魔払ひのためです。


グリム童話にある「ヘンデルとグレーテル」の話は、貧しい木こりの夫婦の子供の兄妹が森に入つて、森に住む魔女を殺して、その財宝を奪つて幸せになるといふとんでもない話です。この魔女は、森に住む祭祀の民です。

ここでの兄妹の親の仕事である木こりといふのは、森の木を切つて、森の恵みを受けて生業をする者ですが、魔女に取り込まれてしまふ可能性のある卑しい職業として捉へられてゐます。


しかし、わが国では、古代から、杣人(そまひと)と言つて、読んで字の如く、木を無闇に伐採するのではなく、材木採取のために限定的に指定された「杣山」で暮らす人々が居ました。伐採すれば必ず植林をして杣を守り続けることを生業とする人々です。杣の木は切つても、それは生活をするための必要最少限度にとどめ、決して鎮守の森の木は切らないのです。


無益な殺生をせず、生きるために猟をする本能に忠実な動物と同じです。杣人は、儲けるために際限なく樹木を伐採して欲望を満足する計算高い理性的人間ではありません。


このことだけでもキリスト教の文明とは全く違ひます。キリスト教では、魔女の住む森をなくすことが文明であるとするのに対し、このやうな行為は、森を守らうとする祭祀の民からすれば神をも恐れぬ極めて野蛮な行為なのです。


ケルト人は、木々には、そこに宿る精霊、妖精があると信じてゐました。世界の民は、もともと祭祀の民でしたから、森を精霊の住処として守つてきました。わが民族は、それ以上に、あらゆる自然やモノにカミが宿つてゐると認識してゐます。


合理主義化した古代ギリシアや古代ローマの時代の神話においててすら、鬱蒼たる森は死者の国への入口であると考へられてきましたし、このころは未だに祭祀の心が残つてゐました。


このやうに、人々は、森を異界の聖域として恐れ敬つてきたのです。


ところが、キリスト教暦で言へば12世紀から13世紀に、ヨーロッパでは、史上最大の開墾運動が広がりました。

あちらこちらの木々を伐採して大規模な開墾をするのです。

その理由はキリスト教が説く「自然を征服する」といふ教義を実践する伝道師らの使命感によるものです。

伐採の対象は、大木、高木だけでなく、すべての森の木々です。特に、大木や高木には霊が宿るとする信仰があつたため、真つ先に伐採されました。


なかでも、オークや松などが生ひ茂る森が多くあるガリア(現在のフランス、ドイツあたり)に進出して、至る所にある森林の木を根こそぎ伐採しました。

そこは、ケルト人などの祭祀の民の生活の場でしたが、祭祀の民を異端児、異教徒、野蛮人として殺戮し、または追ひ払つてきたのです。異教徒は殺せ、といふ教へを忠実に守つたといふことです。


ところで、わが国には、造化三神として、『古事記』に書かれてゐる高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊尊と記される神があり、別名として、高木神(たかぎのかみ)、高木大神(たかぎのおほかみ)といふ御神名があります。


これは、高木が産霊(むすひ)の源として神格化され、ひたすら天に向かつて延びて行く強い生命力が化体されたもので、ケルト人らの祭祀の民と共通した認識です。


そのやうな大木、高木を伐採して、森を破壊し、森がなくなればなくなるほど、キリスト教にとつては魔界がなくなり、魔界に依拠した信仰を滅ぼしてしまふことができるといふことです。


さらに、その開墾によつて広がつた平地は、人々の生活の場となつて、生活の豊かさをもたらすことになり、さらにキリスト教の信者を増やすことができるので、一石二鳥となる運動でした。


ところが、余りに森を潰し過ぎたので、人の本能としての森に対する郷愁もあつて、小さな森を「ペット」として認めることになつたのです。大きな魔界として恐れてきたものでも、それが掌に乗るほど小さくなつて管理ができて飼ひ慣らすことができると、魔界に対する恐れが消えます。


大きくなれば手に負へなくなる虎やライオンなどの猛獣でも、小さな子供のときなら猫のやうに可愛く思つてペットとして飼ふ人が居るのと同じです。


ところが、いまでは、自然環境を守る運動が活発化して、森を守らうとするやうになつてきましたが、これは、森を壊してきた懺悔の心が本能的に蘇つたためです。


しかし、これは祭祀の復活を意味するものではありませんでした。資本主義の発展によつて資源を限りなく収奪し続けることが、持続可能な生産と人類の生存のための生態系を危ふくするといふ政治的、経済的な合理主義の思想として生まれたもので、森をモノとして見てゐるだけで、コトである祭祀の復活を意味するものではなく、むしろ祭祀を否定した思想の運動です。


ところで、わが国には、「桃太郎」伝説の「鬼」の原点となつた「温羅」(うら、おんら)の伝説があります。温羅は、百済から吉備に渡来して、火を吹いて山を焼き、岩を穿つなどして人々から恐れられてゐたとありますが、温羅は、たたら製鉄の民であるために、大量の木材を伐採して山を禿げ山にしてしまひ、植林をしないままなので、洪水を頻発させ、田畑を壊滅したからです。そのやうな害悪を齎す者を「鬼」と呼んだのです。


九州の筑紫平野に基山といふ山があり、その地には、スサノヲノミコトが高天原を追放されて、子の五十猛神(イソタケルノカミ)とともに新羅に行き、持ち帰つた木の種を最初に植へたとされる伝承があり、その麓には五十猛神を祀る荒穂神社があります。


日本書紀では、五十猛神は、天降りする時に多くの樹種を携へて、それを韓半島に持つて行きますが、そこには殖ゑずに、筑紫から植ゑ始めて各地に植ゑ続けた後、木の国(紀伊国)に住んだとあります。製鉄のためには大量の木材を伐採して消費するために、それを持続させるためには植林は欠かせません。しかし、その習慣が、韓半島では定着せず、わが国のみに定着してそれを守り続けたことを伝へてゐるのです。


そして、渡来してきた温羅が、植林をせずに、伐採し尽くし、製鉄を続けて山を禿げ山にして洪水を引き起こすことなどに対して、大和朝廷が彦五十狭芹彦命(ひこいさぜりひこのみこと)を遣はして退治したといふことなのです。


ところが、「桃太郎」の話は、いつの間にか、犬、猿、雉の子分と徒党を組んで鬼を退治し、鬼が持つてゐた財宝を根こそぎ略奪するといふ話になつてしまひました。こんな集団で強盗殺人を行つた話を子供に教へるのは、不謹慎極まりないことです。

「桃太郎」の話は、「ヘンデルとグレーテル」と同じやうな、相手が悪人であれば殺戮してその財産を奪つても許されるとする盗賊の物語となつてしまつたのです。


祭祀の民は、このやうな話を子供に語り継いではなりません。


話は戻りますが、ケルト人は、ヨーロッパ全域に住んでゐました。ドルイドといふ神官が居て祭祀を司りました。ドルイド教といふのは宗教ではありません。これは宗教ではなく祭祀の信仰形態なのです。


男系の血族単位の土地所有(家産制)といふ祭祀の形態であり、土地は個人所有ではありません。個人主義ではなく、家族主義なので、個人が所有するのではなく、家族が所有するといふことなのです。

ケルト人は、霊魂不滅、輪廻転生、祖先崇拝、英雄崇拝、自然崇拝といふ祭祀の民だつたのです。


ケルト人や古代ゲルマン人(東ゴート族、西ゴート族を含む)などの祭祀の民は、文明の戦争によつて殺され、追放され、強制的に改宗させられました。たとへば、カエサルの遠征を伝へる『ガリア戦記』とは、欧州西部のケルト人が居住してゐたガリアを侵略した残酷な物語なのです。


ケルト文化は、全世界における祭祀の民に共通した生活体系の「文化」であり、これがまさしく自立再生社会の原型となつてゐるものです。


キリスト教「文明」は、時代が下がつても、その野蛮性はなくなりません。むしろ、さらに露骨になり、祭祀の「文化」をことごとく踏み潰してきました。


それはスペインやイギリスなどによる大航海時代であり、大航海といふのは言葉の誤魔化しであつて、その実質は、大侵略、大虐殺時代でした。

祭祀の民は殺害され、征服され、改宗を強制されました。古代における祭祀の民の受難が、このころにも繰り返されたのです。祭祀の民は未開の人間で遅れてゐるので、人間ではないから殺しても奴隷にしても勝手であるといふ理屈でした。


その波は、当然にわが国にも押し寄せてきました。


南出喜久治(令和4年2月15日記す)


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