自立再生政策提言

トップページ > 自立再生論02目次 > R04.07.01 第百九十九回 祭祀の民 その八

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百九十九回 祭祀の民 その八

おこたらず あまつくにつを つねいはひ まつりてはげむ くにからのみち
(怠らず天津國津(の神々)を常祭祀して励む國幹の道)


世界を「民主主義vs専制主義」といふ単純な対立図式で語られる論調が横行してゐます。これは、どちらかを選択せよといふものではなく、民主主義を絶対善、専制主義を絶対悪とする図式であり、ウクライナを絶対善、ロシアを絶対悪と決めつけてゐるだけのものです。


しかし、特に、年配の人は思ひ出してみてください。

いはゆる60年安保のとき、反対運動の側に立つた左翼の南原繁ら大学教授たちが、「民主か独裁か」といふ馬鹿げたスローガンを用ひて扇動したことと全く同じです。「民主か独裁か」も「民主か専制か」も同じことです。しかし、民主と独裁とは両立するのです。否、民主から独裁は生まれるのです。

古代ローマのカエサル(シーザー)、フランス革命後のナポレオン、ドイツ・ワイマール憲法下のヒトラーなどは、いづれも民主制(共和制)の中から合法的に生まれた「独裁者」であることを忘れてはなりません。


つまり、民主制と専制制とは、独裁者を生み出す方式と手続の違ひに過ぎません。なぜならば、民主主義といふのは、多数決原理で意思決定を行ひ、多数者の意思を善とし、少数者の意思を否定する制度だからです。否定するどころか、多数者の意見に従はない少数者を弾圧することをも容認しうるのが「民主主義」です。

その多数者による弾圧から少数者を守る論理が「自由主義」です。ですから、民主主義と自由主義は、対極に位置する概念であり、民主主義は、非自由主義なのです。


民主主義で決められる領域が拡大すればするほど、自由主義が認められる領域が縮小してしまふといふ関係にあります。


いづれにせよ、民主主義は自由主義を弾圧する制度です。そして、民主主義は、多数決原理によつて多数者の意思を抽出し、その中の代表に全権を委ねることによつて専制が生まれます。これは、マックス・ウェバーの説いた「少数支配の原則」です。

このやうに、民主主義は、多数決原理によって専制者を選ぶ制度なのです。

しかし、民主主義によらずに専制者を選ぶ制度があります。特定の統治思想と組織暴力を背景として専制者(独裁者)を生み出す制度です。


ロシア、中共、北朝鮮などの国家を専制国家と呼んでゐますが、これらの国家でも「民主」といふ言葉を使ひます。権力者が依拠する特定の統治思想は民主的意思によつて形成されたものであると擬制して正当化するのです。そして、形式的な合議制の儀式によつて、独裁者に選ばれた手続の正当性を肯定します。


要するに、「民主」といふのは程度問題であつて、民主といふだけでは、国民の「自由度」の決定的な相違にはなりません。


ロシア、中共、北朝鮮などの独裁者は、反対者を裁判もせずに抹殺し、問答無用に言論弾圧するする点において、いはゆる民主主義の国家との相違であることは確かですが、それも程度問題です。


抵抗の自由、抵抗権、表現の自由、参政権を全く否定するのか、あるいは、その一部を認めるか、どの程度認めるかといふ「自由度」の有無とその程度が問題なのです。


ですから、民主主義か専制主義かではなく、自由主義か反自由主義か、といふ対比で語らなければならないのです。


分類上は民主主義国家とされてゐても、反自由主義の傾向が強い国もあります。我が国がさうです。

武漢ウイルスワクチンやマスクの危険性について指摘しても、児童相談所による被害、食品添加物等による健康被害などを指摘しても、政府とメディアとが一体となつて全く取り上げることはしませんし、一切報道しません。

ましてや、世界の経済を牛耳つてゐる国際金融資本が胴元を務める賭博経済の弊害などを指摘する意見は、全く報道できないのです。

このやうな言論統制(メディア・ブラックアウト)は大なり小なり世界的なもので、とりわけ我が国においては凄まじいものがあります。表向きは殺されないかも知れませんが、自由は確実に扼殺されます。


にもかかはらず、民主主義vs専制主義といふ図式で誤魔化して洗脳すること自体が言論統制そのものと言へます。


つまり、それぞれの国家の様々な政治制度における実質的な政治、経済、社会のあり方の具体的な内容を無視して、単に、形式的な政治制度を二者択一で語ることによつて、それとは異なる認識を排除することが容易となり、言論統制が容易にできるのです。


この二分法は、トロツキスト集団がネオコンに改組し、世界的に支持されなくなつた「共産主義」といふ覇権主義に代へて、誰も反対できない「民主主義」といふ革命の呪文を道具として世界革命を実現しようとする計画の一環として使はれてゐます。


ネオコンの民主主義といふのは、世界の均一化、国境の廃止、グローバル化、ワンワールド化です。ヴァイスハウプトのイルミナティの思想と同じです。これが、アメリカ独立戦争、フランス革命、ロシア革命、アラブの春、各地のカラー革命の源流であり、レーニンのソ連が崩壊した後に、レーニンと鋭く対峙したトロツキーの残党であるネオコンが、アメリカの政治を支配して世界革命の主役に躍り出た事件がウクライナ紛争なのです。


世界を近視眼的に見るのではなく、世界の大きな潮流を俯瞰して眺める必要があります。大航海時代といふ欧州によるアジア侵略、植民地争奪の時代、そして、我が国が欧米と対峙して大東亜戦争に至るまでの時代、そしてその後の戦勝国による世界統治時代、冷戦構造とその後のソ連崩壊、中共の台頭、そして、ネオコンによる世界のグローバル化を目指す民主主義革命の輸出戦争(アフガン戦争、イラク戦争など)、そして、これにロシアが抗した今回のウクライナ紛争への流れを正確に読み解く必要があります。


プーチンは、この欧米主導によるグローバル化に対抗して、ロシア主導のブロック経済圏を目指してゐます。習近平の一帯一路といふのも、中共主導のブロック経済圏の構築です。世界は、大東亜戦争後において、東西冷戦構造による欧米vsソ連とのブロック経済圏の対立がソ連崩壊によつて、ロシアと中共とを除外した欧米の経済圏が拡大しました。しかし、中共が経済的に成長して独自の経済圏(一帯一路)を構築してきたことで、欧米と中共の対立が顕著となり、ロシアはこれと狭間の中で、欧米からの東進によつて経済圏が縮小して行きました。

そのロシアが失地回復のためにウクライナにおける既得権を維持するために、令和26年のクリミア侵攻、令和4年のウクライナ侵攻となつた訳です。


ウクライナ紛争によつて、グローバル化の勢ひは減退し、ブロック経済化することになります。グローバル化は世界を混乱に貶めることになることは明らかなので、それが減退するのを是とすべきではありますが、ブロック化することによつて、大東亜戦争前の状態ないしは新たな冷戦構造が構築されて、世界は不安定化することに大差はありません。


ところで、ウクライナ紛争の長期化は、世界各国のエネルギーと食料の確保に重大な影響をもたらします。


世界のエネルギー自給率は、日本が12%、アメリカが106%、ドイツが35%、フランスが55%、イタリアが25%、中共が80%、ロシアが191%です。


そして、世界の食料自給率は、日本が37%、アメリカが128%、ドイツが101%、フランスが176%、イタリアが63%、中共が99%、ロシアが184%です。


しかし、食料を確保するための肥料が紛争の継続と拡大によつて不足します。肥料の生産量は、エネルギーと食料の自給率が高い国でも例外ではありません。肥料生産量は、アメリカが13%、ロシアが12%、中共が30%と低水準です。肥料がなければ食料は自給できないのです。


世界と比較して、ダントツに低い自給率の我が国が世界を巻き込んだ紛争の長期化は、我が国の食料安全保障やエネルギー安全保障を不可能にしてしまふ危険水域に至ることが必至です。我が国の軍事オタクが、防衛費の増額を叫んだところで、我が国は、他国からの原発攻撃を防ぐ術がなく、食料とエネルギーが枯渇すれば、弾薬がいくらあつても、その兵器を使ふオペレーター(自衛官)が餓死したり、戦闘機などがガス欠することになつて戦ふこともできないのです。


また、紛争の長期化は、食糧不足、肥料不足、エネルギー不足による価格高騰は当然に起こりますし、それどころが、それが輸入できなくなる可能性があるのです。


そのことを考へずに、北朝鮮にミサイル技術や核技術を提供し続けたロシアとウクライナといふ敵性国家の一方に過ぎないウクライナのみを支援し、ロシアと敵対するといふのは、余りにも矛盾した行為です。ウクライナは、中共に「遼寧」といふ空母まで提供して、我が国の領海侵犯を続ける中共を支援してきたのです。この敵性国家同士の紛争については、我が国は絶対に「局外中立」を守るべきでした。今からでも軌道修正はできます。


そもそも、中共の人民解放軍が発表した「超限戦」で述べてゐるとほり、陸海空天電脳(天は宇宙空間、電はサイバー空間、脳は人間の脳空間)までに戦争領域が拡大し、さらにその戦闘方法においても、火器使用による軍事戦争のみならず、経済制裁、金融制裁、資産凍結、兵站支援、メディア戦略、ワクチン戦略など、経済戦争、情報戦争、ワクチン戦争などを総合したハイブリッド戦争に突入した時代の紛争がウクライナ紛争なのです。


火器を使用することだけが交戦権の行使ではありません。そんな戦争は大東亜戦争の敗戦を以て終はりました。


ロシアへの経済制裁、金融制裁、資産凍結などの経済戦争を行ふことは、GHQの完全軍事占領期で制定されたとする占領憲法が禁止してゐる「交戦権」の行使といふ明らかな憲法違反を我が国政府は公然と行つてゐるのです。


そして、中共に空母まで提供して、我が国に軍事的圧力を加へ続け、北朝鮮に対して核開発とミサイル開発を支援し続けてきた敵性国家のウクライナに対して積極的に兵站行為を行つて参戦してゐます。これも交戦権の行使です。


我が国は、敵性国家同士の紛争に、インドのやうに局外中立を保つべきでした。

そのことをどの政党も指摘しません。戦争好きの政党ばかりです。安保法制であれほど大騒ぎしたサヨクは、どこに行つたのでせうか。


このやうな世界の潮流のなかで、民主主義と専制主義といふ単純かつ軽薄な図式で世界の将来を語ることはまことに危険です。


そして、いづれに与しても、紛争は終はりません。世界におけるすべての資源の偏在が、今後においても世界紛争の最大の原因であり、それが終息することはないのです。


それを解決できるのは、今後詳しく説明する祭祀の道なのです。

祭祀の道を歩むことは、自給率を高め、自給自足を実現することの指標となります。

南出喜久治(令和4年7月1日記す)


前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ