大阪高等裁判所平成28年(行サ)第55号 行政上告提起事件
上告人  吉岡由郁理
被上告人 京都府選挙管理委員会

上告理由書

平成28年10月31日

最高裁判所 御 中

上告人訴訟代理人          
弁護士   南 出 喜 久 治  

第一 総論

 一 原判決には、後記のとほり、理由不備及び理由齟齬の違法があり、その根底には、国民主権と民主主義の構成原理である統治の正当性を支へる多数決原理の絶対性を否定するなど、日本国憲法の解釈適用を誤つたものである。
 二 よつて、原判決を破棄された上、自判されるべきであると思料する(行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第312条)。

第二 代表民主制の下における選挙制度について

 一1 原判決は、代表民主制の下における選挙制度に関して、以下のとほり説示した。
代表民主制の下における選挙制度は,選挙された代表者を通じて,国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標とし,他方,国政における安定の要請をも考慮しながら,それぞれの国において,その国の事情に即して具体的に決定されるべきものであり,そこに論理的に要請される一定不変の形態が存在するわけではない。憲法は,上記の理由から,国会の両議院の議員の選挙について,およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという基本的な要請(憲法43条1項)の下で,議員の定数,選挙区,投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(同条2項,47条),両議院の議員の各選挙制度の仕組みについて国会に広範な裁量を認めている。したがって,国会が選挙制度の仕組みについて具体的に定めたところが,上記のような基本的な要請や法の下の平等などの憲法上の要請に反するため,上記のような裁量権を考慮してもなおその限界を超えており,これを是認することができない場合に,初めてこれが憲法に違反することになるものと解すべきである(最高裁昭和51年4月14日大法廷判決・民集30巻3号223頁,同昭和58年11月7日大法廷判決・民集37巻9号1243頁,同昭和60年7月17日大法廷判決・民集39巻5号1100頁,同平成5年1月20日大法廷判決・民集47巻1号67頁,同平成11年(行ツ)第7号同年11月10日大法廷判決・民集53巻8号1441頁,同平成11年(行ツ)第35号同年11月10日大法廷判決・民集53巻8号1704頁,同平成19年6.月13日大法廷判決・民集61巻4号1617頁,同平成23年3月23日大法廷判決・民集65巻2号755頁等)。
  2 しかし、これらの判断は、以下のとほり、いづれも日本国憲法に違反し、かつ、理由不備等の違法がある。
 二1 まづ第一に、原判決は、「代表民主制の下における選挙制度は,選挙された代表者を通じて,国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標」とするが、国民主権の下にあつては、そのやうな目標の制限はない。主権の性質である絶対性、無制限性、無謬性からすれば、何らかの「目標」なるものに拘束されないからである。すなはち、「選挙された代表者を通じて」反映されるべき特定の「目標」なるものは存在せず、代表者が公正に民意を反映して選出されることこそが「絶対的な要請」なのであつて、選挙制度のあり方は、国民主権の本質と不可分一体となるものである。
  2 そもそも、日本国憲法の前文及び第1条で定める国民主権主義は、「総国民」の中から、一定の要件に基づいて「選挙民団」を抽出し、それを総国民と同視し、選挙民団の意思決定を総国民の総意と擬制して、これに国民主権による統治の正当性の根拠を求めるものである。
  3 そして、基本的人権として認められてゐる選挙権に代表される参政権は、国家機関である選挙民団を通じて行使され、代表民主制における国民代表を選出する意思決定は、国民主権と民主主義の構成原理である多数決原理に基づくことが必須となるのである。
  4 従つて、「選挙された代表者を通じて」達成されるべき特定の「目標」があるかの如く、あたかも選挙制度を制度的保障のやうに理解してゐる原判決は、国民主権を換骨奪胎する選挙制度をも容認して、国民主権による多数決原理を根底から否定する危険性を孕んだものであるから、明らかに日本国憲法に反する判断を行つたことになる。
 三1 第二に、原判決は、「他方,国政における安定の要請をも考慮しながら」とするが、そもそも、日本国憲法には、「国政における安定の要請をも考慮」して選挙制度を制定しなければならないとする規定はない。「国政における安定の要請」といふのは、特定の政治思想に基づく政治上の要請であり、決して日本国憲法上の要請ではない。原判決は、政治上の要請と日本国憲法上の要請とを取り違へ、あるいは混同したものである。
  2 日本国憲法は、多党化による国政の不安定化を「積極的」に望むものではないとしても、決してそれを禁止するものではない。それが民意の反映であれば、日本国憲法上も容認されるのであり、国政の安定は、政治上の要請であつても、日本国憲法上の要請ではない。むしろ、多党化の状態がある時点での民意の正確な反映であれば、それを当然に容認するのが日本国憲法の要請であつて、その意味では日本国憲法はいかなる政治上の要請をも容認しうる無色透明、中立的なものと言へる。
  3 従つて、原判決が、「国政における安定の要請」といふ、日本国憲法上の要請ではない政治上の要請を日本国憲法に優先させ、あるいは日本国憲法と同等同価値の要請であると判断した点は、日本国憲法の解釈を誤つたものと言はざるをえない。
 四1 第三に、原判決は、これに続けて、「それぞれの国において,その国の事情に即して具体的に決定されるべきものであり,そこに論理的に要請される一定不変の形態が存在するわけではない。」とするが、この判断も日本国憲法に反するものである。
  2 すなはち、国民主権の下における選挙制度の形態には様々なものがありうることは認められるとしても、「論理的に要請される一定不変の形態」は存在するのである。それは、様々な選挙制度の中から、具体的に決定されるべき形態は、国民主権における民意を最も正確に反映できる選挙制度を選択した上で、しかも、多数決原理を厳格に維持する選挙制度でなければならないとする「一定不変の形態」であることが日本国憲法上の要請であるからである。
 五1 第四に、原判決は、「憲法は,上記の理由から,国会の両議院の議員の選挙について,およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという基本的な要請(憲法43条1項)の下で,議員の定数,選挙区,投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(同条2項,47条),両議院の議員の各選挙制度の仕組みについて国会に広範な裁量を認めている。」とするが、国会の裁量権は、国民主権の下での多数決原理によつて民意を正確に反映できる制度的技術の選択に関する裁量権に限定されたものであつて、それを超えたものではない。
  2 国民主権の下の代表民主制における選挙制度に求められるのは、民意の縮図として民意を反映した正確な議席占有状況を実現することにある。一般に、大選挙区制と小選挙区制を比較したとき、大選挙区制の方は、より「民意の反映」(民意の縮図としての相似性)を実現し、死票が少なくなる利点があるが、大選挙区制の選挙区の広域性のために、候補者に関する情報の周知性が乏しいとの難点があり、他方、小選挙区制ではその難点は比較的解消されるものの、当選者が一人に限定されるために民意の正確な反映はできず、その選挙区の比較多数の民意のみの「民意の集約」として当選者を決することとなり、死票が大選挙区制と比較して大量に出る難点がある。
  3 そのため、これまでの選挙制度は、大選挙区制、小選挙区制の組み合はせ、あるいは中間的な中選挙区制の採用などによつて、少しでも正確な民意の反映を実現しようとしてきたのは、まさに、日本国憲法の要請する国民主権の選挙制度の実現のためであつた。
  4 しかし、現在の情報化社会においては、選挙区の広狭とは無関係に、候補者に関する情報を取得することは容易であり、小選挙区制の存続意義はますます低下してゐる。むしろ、死票を増やし、そのために投票の棄権を誘発させる小選挙区制によつて、「民意の集約」などと称して死票を無視して代表を選出する制度の下では、比較多数派の専制を容認させる弊害を生ずるものであつて、日本国憲法上の要請を完全に否定するに至るのである。
  5 小選挙区制は、1選挙区に付き1名の選出するものであるから、その他の選挙区制よりも死票が多く生ずることは必然である。「投票の逆理」(コンドルセのパラドックス)により、落選させたい候補者が居ても、支持してゐない対立候補に投票して落選させることが難しいために、より多くの死票や棄権票が生まれる。これによつて選出された「民意の集約」なるものからは、「三乗法則」の選挙結果が生まれる。すなはち、政党の得票率に対して三次関数の政党の議席数が実現し、50%を大きく下回る得票率の政党が50%を遙かに超える議席数を獲得して、「民意の反映」との大きな乖離が生まれる。そして、小規模政党を国政から排除し、デュヴェルジェの法則の効果によつて二大政党制ないしは一党独裁制を出現させ、国民の多様な政治選択を奪つて単純な二者択一のデジタル選択に追ひ込み、国民の政治意識を劣化させ衆愚化させる。
  6 その意味において、現今の情報化社会における選挙制度を再構築させるには、小選挙区制から脱却する方向が必要であり、国会における選挙制度に関する裁量権は、自由裁量ではなく、小選挙区制からの脱却によつて、より民意の正確な反映を実現しうることを義務づけられた羈束裁量であつて、「国会に広範な裁量を認めている」との原判決の判断は日本国憲法に違反する。
 六1 第五に、原判決は、「したがって,国会が選挙制度の仕組みについて具体的に定めたところが,上記のような基本的な要請や法の下の平等などの憲法上の要請に反するため,上記のような裁量権を考慮してもなおその限界を超えており,これを是認することができない場合に,初めてこれが憲法に違反することになるものと解すべきである。」とするが、これは一般論として肯定できても、本件における上告人の請求を排斥するための判断において意味を持つものではない。
  2 すなはち、後述するとほり、国民主権主義の本質は、選挙や国民投票などによる国民の意思決定は、すべて多数決原理によるものであるが、原判決は、本件の最大の争点である「多数決原理」を「日本国憲法上の要請」であると説示しなかつた点において、理由不備ないしは理由齟齬の違法があり、この判断を遺脱して、結果的には多数決原理を日本国憲法上の必須の要請としなかつた点において日本国憲法に違反してゐる。
  3 なほ、原判決が引用する判例は、以上の主張を排斥することにおいて全く意味のないものであり、これを説示の「根拠」として引用した原判決には、理由不備ないしは理由齟齬の違法がある。

第三 小選挙区制と民意の反映について

 一1 原判決は、小選挙区制と民意の反映について、以下のとほり説示した。
小選挙区制は,全国的にみて国民の高い支持を集めた政党等に所属する者が得票率以上の割合で議席を獲得する可能性があって,民意を集約し政権の安定につながる特質を有する反面,このような支持を集めることができれば,野党や少数派政党等であっても多数の議席を獲得することができる可能性があり政権の交代を促す特質をも有するということができ,また,個々の選挙区においては,このような全国的な支持を得ていない政党等に所属する者でも,当該選挙区において高い支持を集めることができれば当選することができるという特質をも有するものであって,特定の政党等にとってのみ有利な制度とはいえない。小選挙区制の下においては死票を多く生む可能性があることは否定し難いが,死票はいかなる制度でも生ずるものであり,当選人は原則として相対多数を得ることをもって足りる点及び当選人の得票数の和よりその余の票数(死票数)の方が多いことがあり得る点において中選挙区制と異なるところはなく,各選挙区における最高得票者をもって当選人とすることが選挙人の総意を示したものではないとはいえないから,この点をもって憲法の要請に反するということはできない。このように,小選挙区制は,選挙を通じて国民の総意を議席に反映させる1つの合理的方法ということができ,これによって選出された議員が全国民の代表であるという性格と矛盾抵触するものではないと考えられるから,小選挙区制を採用したことが国会の裁量の限界を超えるということはできない(前記最高裁平成11年(行ツ)第7号同年11.月10日大法廷判決)。
  2 しかし、これらの判断は、以下のとほり、いづれも日本国憲法に違反し、かつ、理由不備等の違法がある。
 二1 まづ第一に、原判決は、「小選挙区制は,全国的にみて国民の高い支持を集めた政党等に所属する者が得票率以上の割合で議席を獲得する可能性があって,民意を集約し政権の安定につながる特質を有する」とするが、これは、まさに小選挙区制が「民意の反映」ではなく、「民意の集約」であることを認めたことになる。
  2 まづ、原判決は、「民意の反映」こそが国民主権の下での代表民主制の選挙制度における日本国憲法上の要請であるか否かについて、その判断を回避したのであつて、これ自体に理由不備の違法がある。
  3 仮に、原判決が、民意の反映が選挙制度の要諦であるにもかかはらず、小選挙区制が民意の反映を否定した民意の集約であるといふ「特質」を認定したのであれば、必然的に、小選挙区制は日本国憲法に違反するとの結論が導かれるはずである。
  4 ところが、この「民意の集約」が「政権の安定につながる]と判断し、この政治上の要請(しかも、比較多数党が依拠する要請)が憲法上の要請を凌駕するとすることは、日本国憲法の最高法規性を否定し、国民主権を否定する判断であるので、著しく日本国憲法に違反するものである。
 三1 第二に、原判決は、これに続けて、「このような(政権の安定につながる)支持を集めることができれば,野党や少数派政党等であっても多数の議席を獲得することができる可能性があり政権の交代を促す特質をも有するということができ,また,個々の選挙区においては,このような全国的な支持を得ていない政党等に所属する者でも,当該選挙区において高い支持を集めることができれば当選することができるという特質をも有するものであって,特定の政党等にとってのみ有利な制度とはいえない。」と説示するが、これらは、日本国憲法上の要請を述べたのではなく、政権政党の論理に副つた政治上の要請を述べただけである。
  2 すなはち、原判決は、前述したとほり、政治上の要請と日本国憲法上の要請とを混同し、しかも、その政治上の要請は、単に政権与党の政治上の要請といふ偏頗な政治思想に依拠したものであるに過ぎないにもかかはらず、それに日本国憲法上の要請以上の価値を認めてゐる点において、日本国憲法の最高法規性を否定した判断である。
 四1 第三に、原判決は、「小選挙区制の下においては死票を多く生む可能性があることは否定し難いが,死票はいかなる制度でも生ずるものであり,当選人は原則として相対多数を得ることをもって足りる点及び当選人の得票数の和よりその余の票数(死票数)の方が多いことがあり得る点において中選挙区制と異なるところはなく,各選挙区における最高得票者をもって当選人とすることが選挙人の総意を示したものではないとはいえないから,この点をもって憲法の要請に反するということはできない。」とするのであるが、小選挙区制における死票率と、それ以外の選挙制度における死票率とは明らかに前者が大きいことは、統計的な公知の事実である。
  2 しかも、小選挙区制の死票率の高さは、制度的に本質的なものであり、民意の集約とはまさに死票率の高さによつて実現した「民意の集約」なのである。
   3 「小選挙区制の下においては死票を多く生む可能性がある」のではなく、死票をより多く生む制度が小選挙区制であり、「可能性がある」のではなく、「必然性がある」のである。
  4 確かに、「死票はいかなる制度でも生ずるものであ」るが、小選挙区制以外である中選挙区制度や大選挙区制などの制度では、選挙区における当選者数が小選挙区制のやうに一人当選制ではなく、複数当選制であることからして、制度的特質として比較的に死票は少なくなることは確実である。それゆゑ、「死票はいかなる制度でも生ずる」のであれば、死票がより少なくなる制度を選択する義務が国会にあり、国会には選挙制度を自由裁量によつて選択することはできないのである。
  5 「死票はいかなる制度でも生ずるものであ」るので、どんな選挙制度でも選択することが許されるとして、国会の裁量権の範囲と態様を極大化する解釈を行つた原判決は、小選挙区制の憲法的な問題点を無視した、あまりにも乱暴な判断であり、明らかに日本国憲法に違反するのである。

第四 25%超ルールについて

 一1 原判決は、上告人が提示した25%ルールについて、以下のとほり説示した。
しかしながら,投票率が過半数に達しなかったとしても,自主的に投票に赴き,積極的に意思表示をした国民による有効投票の最多数をもって当選人を選定することが,選挙人の総意を示したものではないとはいえない。また,当選人の選定に相対多数を得ることをもって足りるとすることについても,上記(3)の説示に加え,法は,小選挙区制の選挙については,有効投票総数の6分の1以上の得票がなければ当選人にならない旨の規定(法95条1項1号)を置くことにより,一定の配慮を加えているということができる。他方,有権者の過半数の投票率が確保できない選挙を無効とした場合には,無効な選挙により再選挙を余儀なくされる事例が増加すると考えられるし,これを防止するために投票義務を課し,何らかの制裁の下に投票を強制する場合には,そもそも,そのこと自体,投票を国民の権利として規定する憲法15条1項や選挙人の無答責を定める同条4項との適合性に疑義が生じかねない。
 これらを勘案すれば,少なくとも,強制(義務)投票制度を採用せず,任意(自由)投票制度を前提にした投票制度とすることは,不合理であるとはいえない。
 そうすると,投票率には特に制限を設けず,投票義務を定めない任意(自由)投票制度を前提として,当選人の得票率にのみ上記の限度での制限を置く現行法の規定は,国民の総意を議席に反映させる1つの合理的方法ということができ,これによって選出された議員が全国民の代表であるという性格と矛盾抵触するものではないと考えられるから,25%ルールを採用しないことが,国会の裁量の限界を超えるということはできない。
  2 しかし、これらの判断は、以下のとほり、いづれも日本国憲法に違反し、かつ、理由不備等の違法がある。
 一1 原判決は、上告人が提示した25%ルールについて、以下のとほり説示した。
 二1 第一に、「投票率が過半数に達しなかったとしても,自主的に投票に赴き,積極的に意思表示をした国民による有効投票の最多数をもって当選人を選定することが,選挙人の総意を示したものではないとはいえない。」とするが、投票率が過半数に達しない選挙が「選挙人の総意」であるとする積極的な理由を示してゐない点において理由不備の違法がある。
  2 また、「自主的に投票に赴き,積極的に意思表示をした国民による有効投票」とあるが、「自主的に投票に赴き,積極的に意思表示をした国民」が必ずしも「有効投票」を投ずることはなく、「白票」ないしは「無効票」も存在する。これらの白票や無効票は、少なくとも立候補者のすべてを支持しない意思表示である。いはば、当選者を不信任とする投票行動なのである。
  3 さらには、そのことは、棄権者についても同様であり、投票所に行くこと自体を拒否し、すべての立候補者に対して不信任の意思表示を、棄権といふ「選挙行動」によつて表明してゐるのであつて、有効投票数の意思表示のみを以て選挙人の総意とすることの根拠は存在しないのである。
  4 選挙人の総意、すなはち民意の反映は、有効投票のみならず、白票、無効票の投票及び棄権といふすべての「選挙行動」によつて示されるものであつて、有効投票のみを以て選挙人の総意とすることは、まさに民意を反映したものとは言ひがたいものがある。
  5 つまり、棄権もまた選挙行動の態様であり、これも選挙人団における意思表明の方法なのである。選挙における有効投票を投じた者(有効投票者)の選挙意思のみが尊重されるのではなく、白票、無効票を投じ、あるいは棄権した者は有効投票を拒絶した者(有効投票拒絶者)の選挙意思も平等に尊重されるべきである。
  6 従つて、特定の候補者を支持した有効投票者と、すべての候補者を不信任とした有効投票拒絶者とは、同等同価値にその選挙行動が評価されるべきであり、その意味からも、投票率の過半数基準は、国民主権と民主主義の構成原理として必須のものとして採用される根拠となつてゐるのである。
  7 ところが、原判決は、投票率の過半数基準が選挙の有効性の根拠となることについての判断を回避した点において理由不備の違法を犯し、実質的には、この基準を不要とした点において日本国憲法に反した判断をなしたことになる。
 三1 第二に、原判決は、「また,当選人の選定に相対多数を得ることをもって足りるとすることについても,上記(3)の説示に加え,法は,小選挙区制の選挙については,有効投票総数の6分の1以上の得票がなければ当選人にならない旨の規定(法95条1項1号)を置くことにより,一定の配慮を加えているということができる。」とするが、公職選挙法の規定の合憲性についての判断が欠落してゐる点において理由不備の違法がある。
  2 そもそも、有効投票総数の6分の1といふ基準には、何らの合理性がない。もし、選挙人総数から有効投票数を控除した選挙人数(有効投票拒絶者。白票、無効票の投票者と棄権者の総数)を無視して、「自主的に投票に赴き,積極的に意思表示をした国民による有効投票の最多数をもって当選人を選定することが,選挙人の総意を示したものではないとはいえない。」、すなはち、「有効投票の最多数をもって当選人を選定することが,選挙人の総意」であるとするのであれば、例外なく、有効投票数を基準として比較多数の得票をした者を当選者とすれば足りるのであつて、これに6分の1基準の制約を設ける合理的な理由はなく、むしろ、一貫性のない矛盾した制度と言へる。
  3 原判決は、この6分の1基準が「一定の配慮を加えているということができる。」とするのであるが、一体誰に対して、あるいは何に対して「一定の配慮」をしてゐるのかが不明であり、この点において理由不備の違法がある。
  4 もし、配慮する必要があるとすれば、それは、立候補者全員に対して黙示による不信任の意思表示を行ふ棄権者等(有効投票拒絶者)への配慮として、25%超ルールで示したとほり、投票率及び絶対得票率(有効得票数を有権者総数で割つたもの)による当選有効の基準の設定を必要とするのであつて、当選の要件としての6分の1基準は、その配慮を満たしたものではありえないのである。
 四1 第三に、原判決は、「他方,有権者の過半数の投票率が確保できない選挙を無効とした場合には,無効な選挙により再選挙を余儀なくされる事例が増加すると考えられるし,これを防止するために投票義務を課し,何らかの制裁の下に投票を強制する場合には,そもそも,そのこと自体,投票を国民の権利として規定する憲法15条1項や選挙人の無答責を定める同条4項との適合性に疑義が生じかねない。」とするが、これも本末転倒の判断である。
  2 そもそも、過半数の投票率による選挙は、国民主権の下での選挙といふ意思決定ルールにおいて外すことのできないものである。従つて、過半数の投票率が確保できない選挙は無効であり、これは厳格な日本国憲法上の要請である。「無効な選挙により再選挙を余儀なくされる事例が増加すると考えられる」としても、そのやうな政治上の要請のために、日本国憲法上の要請を否定することはできないのである。原判決は、政治上の要請があるとして、日本国憲法上の要請を否定するものであつて、日本国憲法に違反した判断をなしたことが明らかである。
 五1 第五に、「これを防止するために投票義務を課し,何らかの制裁の下に投票を強制する場合には,そもそも,そのこと自体,投票を国民の権利として規定する憲法15条1項や選挙人の無答責を定める同条4項との適合性に疑義が生じかねない。これらを勘案すれば,少なくとも,強制(義務)投票制度を採用せず,任意(自由)投票制度を前提にした投票制度とすることは,不合理であるとはいえない。そうすると,投票率には特に制限を設けず,投票義務を定めない任意(自由)投票制度を前提として,当選人の得票率にのみ上記の限度での制限を置く現行法の規定は,国民の総意を議席に反映させる1つの合理的方法ということができ」るとするが、投票率の過半数を維持しなければならないのは日本国憲法上の要請であつて、原判決には、このことについての判断が欠落してをり、理由不備の違法と国民主権の日本国憲法の解釈を誤つたものである。
  2 投票率の過半数を維持するために、選挙制度の技術的な向上と民意が反映し易い制度の構築が政治上の要請として求められるのであつて、必ずしも投票義務の法制度による必要はない。しかし、現在のままの制度を改善せずに放置してゐる立法不作為と行政不作為を継続する限り、投票率の逓減傾向に歯止めがかけられないのである。そこで、このままの立法不作為と行政不作為が続くのであれば、一つの選択肢として、投票義務の法制度化が必要となるのである。
  3 原判決の判断は、国会の立法不作為と政府の行政不作為を許容して、国民主権の大原則を否定するもので、明らかに日本国憲法に違反する。
  4 そもそも、国民主権を維持するのは、国民の権利であると同時に義務でもある。日本国憲法第12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任がある。」として、「参政権」の義務性を肯定してゐる。参政権を不断の努力によつて保持しなければならない義務があり、棄権は、「参政権不行使の濫用」であり、これを禁止してゐるからである。
  5 世界には、投票義務を課す国家は多く、その態様も様々であつて、我が国においても、何らかの投票義務を課すことも検討されなければ、投票率が過半数を下回る漸減傾向を阻止することはできないのである。
  6 しかし、単純な法形式で投票義務を課すよりも、任意投票制度を維持しつつ、早急な選挙制度の総合的な改革によつて投票率が向上するやうな施策を講じて、投票率向上といふ政治上の要請を実現させるべきであり、それが日本国憲法上の要請であるとの最高裁判所の司法判断がなされない限り、憲法の番人としての最高裁判所の役割を果たせたとは言へない。このことは、一票の格差といふ、極めて形式的な平等の問題を遙かに超えた、国民主権の本質を揺るがす根本問題なのである。
  7 「強制(義務)投票制度」と「任意(自由)投票制度」とは、そのいづれであつても投票率が過半数を維持できるのであれば、自由投票制度によることが相応しいことは当然である。しかし、近年の選挙の投票率が過半数を維持できず、本件選挙では、30.12%といふ低さであることからすると、義務投票制度を導入しなければならない状況になつてゐる。ところが、原判決は、義務投票制度の目的とする投票率の過半数維持について言及することなく、投票義務の是非について判断するだけで、任意投票制度における投票率の過半数割れの日本国憲法的意味を判断してゐないのであつて、明らかに理由不備の違法を犯してゐるのである。
  8 また、原判決は、「投票率には特に制限を設けず,投票義務を定めない任意(自由)投票制度を前提として,当選人の得票率にのみ上記の限度での制限を置く現行法の規定は,国民の総意を議席に反映させる1つの合理的方法ということができ,これによって選出された議員が全国民の代表であるという性格と矛盾抵触するものではないと考えられる」とするが、ここにおいても、国民主権の下での現行の選挙制度において、過半数原則が除外されることの理由を示さない理由不備の違法に加へて、実質的には、過半数基準の例外として認められると判断してゐることからして日本国憲法に違反してゐるのである。
 六1 第五に、原判決は、「これ(現行法の規定)によって選出された議員が全国民の代表であるという性格と矛盾抵触するものではないと考えられるから,25%ルールを採用しないことが,国会の裁量の限界を超えるということはできない。」とするが、これは、結論のみを述べてゐるだけで、その理由を示してゐない点で理由不備の違法がある。
  2 投票率50%超、相対得票率(得票数を有効投票総数で割つたもの)50%超による25%超ルールは、国民主権下の代表民主制における代表選出といふ民意の反映において、最低限度遵守しなければならないものであるが、原判決は、これを否定する根拠と理由を示してをらず、明らかに理由不備の違法がある。
  3 上告人の主張する25%超ルールとは、本来であれば、投票率50%超、相対得票率50%超が選挙の有効要件とするものであるが、いはゆる「投票率のジレンマ」があることから、絶対得票率(有効得票数を有権者総数で割つたもの)が25%超であれば、投票率が50%以下であつても、選挙を無効としないとする見解なのである。
  4 ここで、投票率のジレンマといふのは、たとへば、投票率60%、相対得票率60%で、絶対得票率36%となる選挙の場合と、投票率45%、相対得票率90%で、絶対得票率40.5%となる選挙の場合とを比較すると、投票率50%超、相対得票率50%超のルールであれば、前者の選挙のみが有効となり、後者の選挙は無効となる。しかし、絶対得票率の比較からすれば、無効となる前者の選挙の方が有効となる前者の選挙を上回るといふ矛盾が生ずる。そのため、投票率50%超、相対得票率50%超のルールは、結果的には絶対得票率25%超のルールに代置できるので、後者の選挙の救済措置として、絶対得票率25%超ルールによることが公平性を満たすことになるからである。
  5 ところが、原判決は、国民主権と民主主義の構成原理である多数決原理から導かれる25%超ルールの意義と根拠に言及することなく、単に、この25%超ルールを「採用しないことが,国会の裁量の限界を超えるということはできない。」としたのであるが、前述したとほり、これは、単に結論を述べただけで理由不備の違法があることは勿論、「国会の裁量」権は、多数決原理を否定することはできないのであつて、このやうな判断は、明らかに「裁量の限界」を超えてゐることになり、原判決の解釈は日本国憲法に違反するものである。
 七1 社会学者コンドルセが発見した投票の逆理(コンドルセのパラドックス)によれば、投票において投票者一人一人の選好順序は推移的なのに、集団としての選好順序に循環が現れる状態となり、民主的な多数決原理の決定手段には欠陥があるとされる。しかし、このやうな欠陥は、4分の3以上の支持によつて決する仕組みでは解消されるとも言はれてゐる(アンスコム)。
  2 しかし、この選挙選考は、候補者全員の選考順序を決めた場合のことであつて、一人一票制の場合には適用がないので、これをそのまま現在の選挙制度に当てはめることはできないとしても、それでも多数決原理の決定手段が万能かつ絶対なものではないといふことを意味してゐる。
  3 ましてや、これらの投票選考の判断の前提は、全員の投票(投票率100%)を条件とするものであつて、棄権票や無効票の存在を前提とはしてゐないのであるから、民主的な多数決原理の決定手段としての選挙制度においても、有効投票率の低下(無効票、棄権票の増加)は、選挙制度による選考の公平性、正確性を害し、その制度的欠陥を増幅させることとなつて、明らかに民意の反映から遠のくことになるのである。
  4 従つて、選挙の有効性は、最低限度において半数を超える投票率であること不可分なものであるから、選挙の有効要件としての投票率を定めず、あるいは、極めて低い投票率を定める現行の公職選挙法は、国民主権を定めた日本国憲法に違反するので、これによる本件選挙は無効である。

第五 被選挙権の濫用について

 一1 原判決は、被選挙権の濫用に関して、次のとほり説示した。
ところで,本件訴訟は,選挙人が民衆訴訟(行政事件訴訟法5条)である法204条の選挙無効訴訟として選挙人たる資格で提起したものであるところ,民衆訴訟は,裁判所法3条1項の「法律上の争訟」ではなく同項の「その他法律において特に定める権限」に含まれるものとして,「法律に定める場合において,法律に定める者に限り,提起することができる」ものとされている(行政事件訴訟法42条)。
そして,法204条の選挙無効訴訟について,同条は選挙人又は公職の候補者のみがこれを提起し得るものと定め,法205条1項は上記訴訟において主張し得る選挙無効の原因を「選挙の規定に違反することがあるとき」と定めており,これは,主として選挙管理の任にある機関が選挙の管理執行の手続に関する明文の規定に違反することがあるとき又は直接そのような明文の規定は存在しないが選挙の基本理念である選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるときを指すものと解される(最高裁昭和27年12月4日第一小法廷判決・民集6巻11号1103頁,同昭和51年9月30日第一小法廷判決・民集30巻8号838頁,同平成14年7月30日第一小法廷判決・民集56巻6号1362頁,同平成26年7月9日第二小法廷決定・裁判集民事247号39頁)。
   (中略)
また,原告の主張は,泉健太が衆議院議員を辞職し,本件補欠選挙に立候補したことの動機,あるいは,同人を公認する民進党(旧民主党)の姿勢に関するものにすぎない。したがって,仮に,原告が主張するとおり,泉健太が衆議院議員を辞職し,本件補欠選挙に立候補したことに伴い,前回総選挙の際に民主党が提出した名簿から繰上当選人が選定され,民進党(旧民主党)の議席が減少しないという背景事情があったとしても,その適否又は当否は,本件補欠選挙における選挙人の投票行動を通じて判断又は評価されるべきものであって,本件補欠選挙を無効としなければ選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるものとは認められないというべきである。
  2 しかし、これらの判断は、以下のとほり、いづれも日本国憲法に違反し、かつ、理由不備等の違法がある。
 二1 原判決は、総論的に、「直接そのような明文の規定は存在しないが選挙の基本理念である選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるとき」も選挙無効の原因として認めるとする判例を引用しながら、各論的には、「泉健太が衆議院議員を辞職し,本件補欠選挙に立候補したことに伴い,前回総選挙の際に民主党が提出した名簿から繰上当選人が選定され,民進党(旧民主党)の議席が減少しないという背景事情があったとしても,その適否又は当否は,本件補欠選挙における選挙人の投票行動を通じて判断又は評価されるべきものであって,本件補欠選挙を無効としなければ選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるものとは認められないというべきである。」として、これに該当しないとしたが、本件選挙は、まさに、「選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるもの」である。
  2 そもそも、被選挙権の濫用を基礎づける事実としては、「泉健太が衆議院議員を辞職し,本件補欠選挙に立候補した」といふだけの単純なものではない。泉健太が平成26年12月14日投開票の第47回衆議院総選挙で京都府第3区選出議員選挙に立候補し、54,900票を得票したものの次点で落選し、比例区で復活当選してにもかかはらず、同選挙区での補欠選挙に立候補するために、わざわざ議員辞職までして、同選挙区に立候補した事実が主要なものであり、それには民進党(旧民主党)の意図が背景事情に存在してゐるとすることにある。
  3 平成26年の総選挙で選挙区選挙で落選し比例区で復活当選するといふ民意の審判を受けて、衆議院議員の地位を得た者が、同選挙区での当選者が辞職した特殊事情を踏まへてなされた本件補欠選挙に、わざわざ議員辞職までして、再び同一選挙区で議員資格を取得するために立候補することが被選挙権の濫用であると主張したのであるが、このことについて原判決は判断をしてゐない点において理由不備の違法がある。
  4 平成26年の総選挙では、京都府第3区の投票率は49.22%であり、そのときの泉健太の得票数は54,900票であり相対得票率は33.1%であつた(絶対得票率16.29%)。そして、同選挙区の本件選挙の投票率は30.12%であり、このときの泉健太の得票数は65,051票で相対得票率は65.4%であつた(絶対得票率19.69%)。いづれも25%超ルールの絶対得票率を満たさない。
  5 このやうに、投票率の低下にもかかはらず、泉健太の得票数と絶対得票率が向上したのは、辞任した宮崎謙介の後任候補が居なかつたことと、民主党が維新の党などと合併したことの効果であることを否定し得ないのである。
  6 また、平成26年総選挙で京都第3区で当選した宮崎謙介の得票数は59,437票で、その相対得票率は35.8%であるから、その投票者が当該選挙に棄権したと仮定すると、投票率は31.60%となり、本件選挙の投票率と殆ど同じであるから、本件選挙は、計算上は、宮崎謙介が出馬しない平成26年総選挙と同じ結果になつてゐるのである。
  7 本件選挙において投票率が史上最低となつた原因は、立候補者の選択肢がなく、すべての立候補者に対する不信任の意思を有する選挙人の棄権行為によるものであつて、泉健太を不信任とした棄権数と無効投票数の合計(有効投票拒絶者)は、少なくとも泉健太に投票した数を大きく上回るのである。
  8 つまり、この現象は、前述したとほり、落選させたい候補者が居ても、支持してゐない対立候補に投票して落選させることが難しいために、より多くの死票や棄権票が生まれるとする「投票の逆理」(コンドルセのパラドックス)がそのまま適用されたものであり、京都第3区の平成26年総選挙において宮崎謙介に投票した大部分が選挙人が棄権した結果なのである。そして、泉健太と民進党は、自民党が宮崎謙介の後継候補を見送ることになる選挙区情勢と選挙人の動向を逆手にとり、泉健太が議員辞職をして本件選挙に立候補したのであるから、このやうなことは前例のない異常な事態であつて、被選挙権の濫用以外の何者でもない。
 三1 また、原判決は、「直接そのような明文の規定は存在しないが選挙の基本理念である選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるとき」も選挙無効の原因であるとの判断を示しながら、本件選挙はこの要件に該当しないとするのであるが、これは、結論のみを示してその理由を示してゐない。
  2 つまり、被選挙権の濫用は、まさに「選挙の基本理念である選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるとき」に該当するものであるにもかかはらず、単にこれに該当しないとの結論のみを示して、その理由と根拠を示さなかった点において、理由不備の違法がある。