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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百九十四回 交戦権

たたかひを ゆるしあたはぬ いくさびと やたのからすも かかしとまがふ
(戦争を許し能はぬ軍人(交戦権なき自衛隊)八咫の烏も案山子と紛ふ)


令和4年2月24日から始まつたロシアのウクライナ侵攻によつて、わが国は、アメリカの属国として、直ちに戦争当事国のウクライナを支持・支援し、ロシアに対する経済制裁、金融制裁などを行つた。そして、同年4月7日は、G7外相会合や北大西洋条約機構(NATO)外相会合にも参加して軍事的連携を強めたことによつて、わが国は、占領憲法で禁止する「交戦権」を行使したことになり、占領憲法の実効性を否定した結果となつたのである。


しかし、このやうな重大な視点を指摘する者は殆ど居ないので、以下において詳しく論述したい。


交戦権(The right of belligerency)とは、マッカーサー・ノートで初めて登場した政治用語であり、そのときまでには国際法においても国内法においても法律用語として存在しなかつた概念である。しかし、これは、アメリカ合衆国憲法における「戦争権限」(war powers)と同じ意味であると国際法の世界では理解されてゐる。

ただし、belligerencyには、けんか腰とか敵対的といふ意味があるので、The right of belligerencyには、敵対的な外交権を含んでゐた可能性がある。


ともあれ、交戦権とは、戦争を開始(宣戦)して戦闘行為を遂行又は停止(統帥)し、最終的には講和条約によつて戦争を終結(講和)する権限のことである。国家の対外的権限としての外交権のうち、主に火器を用ゐる外交権が戦争権限(交戦権)なのである。

アメリカでは、この戦争権限は大統領と連邦議会とが分有してゐる(第1条第8節、第2条第2節)。我が国にも帝国憲法に戦争権限の定めがあり、宣戦大権(第13条)、統帥大権(第11条)、講和大権(第13条)によることになる。


ところで、「日本国憲法」といふのは、「THE CONSTITUTION OF JAPAN」といふ占領下において成立した正式公文の単なる翻訳文に過ぎないのである。

占領下においては、「英文を正式公文とする」とのマッカーサー指令に基づいて制定されたものが、「THE CONSTITUTION OF JAPAN」なのである。


昭和20年8月12日外務省に届けられたバーンズ回答にも、同年9月2日の降伏文書にも、「the Emperor and the Japanese Government rule the state shall be subject to the Supreme Commander of theAllied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuatethe surrender terms.」とあり、「subject to」、すなはち、天皇と日本国政府は、聯合国最高司令官の完全な「隷属下」に置かれたのであつて、「制限ノ下ニ置カルルモノトス」といふやうな、ポツダム宣言の受諾を誘導させるために外務省が行つた意図的な誤訳は全く通用しなかつたのである。

これにより、マッカーサーは、完全軍事占領(侵略)下において、公文指令を出し、占領下の法制は、英文官報によつて掲載された英文法令が正式公文となり、邦文官報の記載は、その単なる翻訳文であり、正式な公文書ではない。


そもそも、占領憲法第9条第2項後段の「The right of belligerency of the state will not be recognized.(国の交戦権は、これを認めない。)」といふのは、なんとも不可解な言葉である。

「交戦権は」の「は」は強調の係助詞であつて、主語を示す格助詞ではない。「国の交戦権を認めない」といふことであり、ここには主語が欠落してゐる。その主語は「連合国」である。もし、これが、「我が国は、交戦権(戦争権限)を放棄する。」といふ表現であれば国家の憲法としての自主性、主体性がある規定と評価できるが、これは「連合国は、(日本)国の交戦権(戦争権限)を認めない。」とする意味であつて、このことからしても占領憲法は連合国との講和条約であると評価することができるのである。


ともあれ、The right of belligerencyの訳語とされる交戦権は、現在わが国で占領憲法を憲法であると偽つて、これを飯の種にして大学の法学部で学生を洗脳することを生業にしてゐる奴隷道徳で洗脳された「占領憲法解釈業者」の中には、これをThe right of belligerents(交戦者の権利)と意図的に解釈して保身を企ててゐる。憲法業者たちは、「THE CONSTITUTION OF JAPAN」が正式公文であることを口が裂けても言はない。嘘がばれて、学者の地位と信用を失ふからである。


この「交戦権」(rights of belligerency)と「交戦国の権利」(belligerents rights,rights of belligerents)は全く異なる。後者は、まさに「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」(政府答弁)であるが、これを前者の交戦権と同じであるとすることはできない。交戦権とは、「交戦国」となりうる権利(能力)であつて、その交戦権があることを前提として交戦国の権利が認められるといふ関係にある。


いづれにせよ、占領憲法を前提とすると、我が国には交戦権がないことから、交戦国として認められる全ての権利もないといふことになる。占領憲法では、交戦国としての権利のうち、認められるものと認められないものとを検討する実益がない。親亀が転ければ子亀も転けるのである。


次に、このことを踏まへると、我が国には、果たして自衛権があるのか、といふことが問題とされる。思ふに、占領憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあることなどからすると、自衛権をも積極的に否定したとするのが、武装解除されて完全軍事占領の時期に制定された占領憲法について常識的で自然な解釈のはずである。しかし、詭弁を弄して、自然法としての国家の自衛権があると主張する者が多い。では、仮に、その立場に立つたとしても、占領憲法では交戦権が認められてゐないのであるから、交戦といふ手段による自衛権の行使は認められないのは当然のことである。自衛戦争は交戦による自衛権の発動であるから、我が国は自衛戦争をすることができない。交戦以外の方法による自衛権の行使、たとへば、国内の治安維持のための警察力による自衛措置、自警団などの民間防衛組織による抵抗などはできるが、自衛隊による国家の軍事防衛戦争は占領憲法に違反する。しかし、改憲論者や護憲論者は、我が国には自衛権があり、自衛戦争も許されるとの奇説を展開する。まさに、稀代の詭弁による解釈改憲である。集団的自衛権があるか否かの議論の前に、交戦権がなく自衛戦争もできないことの意味を本当に理解できてゐるのであらうか。


このやうに、占領憲法が憲法であることを認めるのであれば、自衛隊による自衛戦争はできないことになり、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とし、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」わが国は、戦争当事国のいづれも支持せず、また、敵対もせず、只管「局外中立」を維持することしかないのではないか。


占領憲法を憲法と認めるのであれば、決して勇ましいことを言つてはならない。只管「局外中立」を維持し、戦争当事国双方の負傷者などの救済、医療などの赤十字活動を含む純粋の人道支援に専念することこそが改憲論者と護憲論者が信じる「占領憲法」の「精神」ではないのか。


ところで、belligerency(交戦)といふ概念は、事実上の紛争状態であつて、宣戦布告がなされることを前提要件とはしない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、印パ紛争なども宣戦布告なき交戦である。しかも、近年では、サイバー空間、宇宙空間などに戦場は拡大し、火器を用ゐるものだけに限られない。火器を用ゐること以上に、生活インフラなどを破壊、停止させる攻撃が可能となつたので、いまや交戦の概念は、大きく拡大して変化してゐる。


平成11年に発表された、中国人民解放軍大佐の喬良と王湘穂による戦略研究の共著である『超限戦』では、これからの戦争形態を的確に予測してゐる。ここでは、25種類にも及ぶ戦闘方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙してをり、20世紀までの宣戦布告を行つて戦闘を開始してゐた火器使用の軍事主体の戦争は、もはや過去のものとなり、これからの戦争は、いはゆるハイブリッド戦争となる。そして、その戦闘領域は、6軍時代(陸、海、空、電、天、脳)に突入してゐる。「電」とは、サイバー空間、「天」とは宇宙空間、「脳」とは、マイクロ電子チップを人間の脳に移植して完全にロボット化して制脳する人類脳空間のことである。


それゆゑ、占領憲法第9条の交戦権の概念も、この戦争形態の激変に対応して広範なものに変化せざるを得ず、火器使用といふ行為に限定する前近代的な認識では無意味なのである。今回のロシアに対するわが国の経済制裁、金融制裁は、ロシアに対する交戦行為に明らかに該当し、さらに、ウクライナに対する支援は兵站行為(軍事支援)であつて、いづれも占領憲法の禁止する交戦権の行使なのである。

それゆゑ、護憲勢力と呼ばれる者たちが、安保法制の審議の際に、あれほど大騒ぎしながら、今回のことに完全に沈黙してゐるのは、護憲といふのは単なる見せかけだつたといふことが証明されることになつた。


北朝鮮もロシアも、経済制裁は宣戦布告とみなすと明言してゐるのは、交戦権の概念の拡大からして当然のことである。これに対する対抗措置をとるとの声明を否定することはできない。交戦に該当するか否かは、相手国との関係性で決定されるのであつて、相手国が交戦を仕掛けられたと判断したことを無視したり侮つてならないのである。

平成15年のイラク特措法により、武装部隊をイラクに派遣したことは、派遣先のイラクからすれば、占領憲法第9条第1項で禁止する「武力による威嚇」であることが明らかだつた。同項が禁ずるのは、「武力の行使」だけではないのである。


ところが、愚かな憲法学者(憲法業者)たちは、未だに、やあやあ吾こそは・・・といふ戦国時代さながらの弓矢や火器使用の交戦のみを交戦であるとしか認識できない思考停止を続けてゐる。「一発の銃声から戦端が開かれた」といふ類ひでしか、交戦を認識できないのである。憲法業者のすべては、占領憲法に「武力による威嚇」を禁止してゐることすら気付かない愚か者だつた。


さて、今回のロシア・ウクライナ紛争の根は深く複雑である。平成2年2月9日、ソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのベーカー国務長官との間で、東西ドイツの統一に向けた議論がなされ、その時、北大西洋条約機構(NATO)軍の管轄権が1インチも東方に拡大しないといふ「1インチ合意」の約束したことから、ゴルバチョフ書記長はこれを信頼して、ワルシャワ条約機構を平成3年に解体した。ところが、これが完全に反故にされてアメリカとNATOが違反し続けてきたことや、ミンスク合意を破棄する方向で履行を拒否してきたのがウクライナ側であつたことが現在の紛争の遠因であつて、しかも、北朝鮮に核技術とミサイル技術を提供してわが国に脅威を与へ続けてきた敵性国家がロシアとウクライナであるにもかかはらず、敵性国家の一方のみを善玉、他方を悪玉とする単細胞的外交判断によつて、将来に亘つてわが国の安全と生存を危ふくする結果を招くことが果たして国益に合致するものか否かを真摯に検討すれば、少なくとも当面は「局外中立」を保つべきであつた。


また、ウクライナは、香港の自治を壊滅させ、チベット、ウイグルを侵略し、尖閣や台湾に武力侵攻を狙つてゐる中共とも親密であり、中共の空母「遼寧」は、ウクライナの「ワリャーグ」といふ空母であり、ロシアの反対を押し切つてまでこの空母を中共に渡したウクライナを、どうしてこれほどまでに無条件で支援するのか。


戦時国際法は、戦争行為は、正規軍同士の戦争に限定してゐる。一般国民に武器を持たせて便衣兵として総力戦を戦はせ、国民をロシア軍の砲火の弾除けにすることを行はせる為政者は明らかに国民の敵であり犯罪者である。そのやうな戦時国際法違反の行為を平然と行はせ、ロシア軍に便衣兵掃討の正当性を与へて全国民を危険に晒し、また、アメリカの議会において9・11と真珠湾攻撃とを同一視する発言をするほど初歩的な歴史的知見を完全に欠落してゐるウクライナ大統領をわが国の国会でスタンディング・オベーションまでして支持するのは、正気の沙汰ではない。


アメリカは、ウクライナを傀儡としてロシアとの代理戦争において盛んに情報戦を仕掛けてゐるが、イラクに大量破壊兵器がなかつたのに、これを口実にイラクと戦争してイラクを壊滅させたといふ、とんでもない国際犯罪の前科がある。

「油まみれの水鳥」も、クワェート駐在のアメリカ大使の娘であることの素性を隠してTV出演での涙ながら行つた少女の演技も、すべてアメリカの「やらせ」であつたことをもう忘れてしまつたのか。


大航海時代におけるアジア侵略と植民地化を進めた欧米の残虐性、侵略性は留まるところを知らず、ついに、広島、長崎の無辜の国民を原爆で数十万人を大量虐殺し、ベトナム戦争で数百万人のベトナム人を虐殺したアメリカ。

そして、ポツダム宣言を受諾したわが国に対し日ソ中立条約を破棄して満州と千島列島、南樺太を侵略して無辜の国民を虐殺し、100万人にも及ぶわが国の将兵を強制連行し、アウシュビッツ収容所に勝るとも劣らない過酷な労働を強制して多くの者を処刑死、餓死、過労死させたのはウクライナとロシアで成り立つてゐた旧ソ連であり、その桁違ひの残虐行為を棚に上げて、今回の戦闘でウクライナ人とロシア人の桁違ひ少ない非業の死を殊更に騒ぎ立てるのは、欧米優越思想に依拠した明らかなアジア人差別が見て取れる。


いま、ファナテックに、第三者機関による事実検証を一切せずに、桁違ひに少ない民間人の虐殺などをジェノサイドだと大騒ぎし、これをすべてロシアの仕業だと喧伝して戦争犯罪だと喧しく叫んで付和雷同の支持を呼びかけてゐるが、これは、油まみれの水鳥などと同じ手法で踊らされてゐるのではないかとの素朴な疑問に、決してさうではないと誰が断言できるのか。


情報の隠蔽、捏造、操作は、国際金融資本に牛耳られた欧米のお家芸である。この常習者の行為をこれまでいくら批判しても、そのやうな声は、それこそ情報操作によつて掻き消されてきた。世界の世論といふものが如何に怪しげで不確かなものである危険性を我々は思い知らされてきたはずである。


そして、数年前から、BC兵器であるウイルス兵器を開発して世界に撒き散らした上、その予防のためとしてワクチンと称する殺人兵器を普及させる。マッチポンプの利権の追求である。ワクチンが安全で有効だとする虚偽の喧伝を繰り返して洗脳させ、「ワクチン公害」を世界に蔓延させた。そして、それをカモフラージュするために、ロシアのウクライナ侵攻を誘発させたのは、ウクライナを背後で操るアメリカの仕業である。

連合国によつて作られた国連体制は、アメリカとロシア、そして中共といふ常任理事国同士の紛争には全く機能しないことが露呈したのであるから、国連の解体を叫ひ、新たな国際組織を構築することが必要なのであるが、どの国もその主張をしない。


いづれにしても、今回のわが国政府による交戦権の行使によつて、わが国の桎梏となつてゐた占領憲法は死んだ。わが国は、これから世界秩序の激変によつて、国の内外において漂流の時代に突入することになる。


そして、今回のロシア・ウクライナ紛争の長期化によつて、最も深刻な経済的打撃を受けるのは、わが国のやうな、実物経済(実体経済)を基軸とせず、食料・エネルギーの自給率が低く、金融経済、賭博経済に左右され振り回されてゐる国家と地域である。


アメリカ、ロシア、中共、インド、ブラジル、南アフリカなどは、実物経済(実体経済)による食料とエネルギーの自給率の高さがあるので、それほど壊滅的な影響受けないが、金融経済、賭博経済に毒されて自給率を低下させ続け、国力を衰弱させたわが国は、そもそも戦争をしない国ではなく、戦争することができない国なのである。交戦権を放棄してゐるのであるから、決して火遊びすることはできないのであり、極めて危険なのである。


わが国において、思考停止した憲法業者の邪な言葉、それに、政府や全政党の政治家や官僚の口車に乗せられて、これまで述べたことを一切議論もせず、釜中の魚の愚民となつて、お花畑のやうにウクライナの人道支援などと浮かれて騒いでゐるうちに、国家は衰退する。


わが国や世界の善良なる人々は、「天下は悪に滅びずして愚に滅ぶ」といふ國柱會の田中智学の箴言を再認識すべきときなのである。

南出喜久治(令和4年4月15日記す)


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