國體護持塾について
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國體護持塾 使命: 「まほらまと(自立再生社会)」の実現



 

 

 

 人に志がなければならないのと同じように、国家にも志がなければならない。国家にとつて、私利私欲と経済的な国益よりも、国家の命運を賭した国家としての志がなければならない。人にとつて志というのは、生きる目的と希望であり、人に備はつた本性である。他の動物と異なり、これがなければ、人は精神の安定が得られず、生活が安定しない。人は、即物的な生活だけで満足する生き物ではない。祖先祭祀と自然祭祀などの祭祀生活ないしはその擬似生活としての宗教生活を営むことでなければ、魂の安静は得られないのである。

 

  真理と理想に近づく社会構造は、決して複雑なものであってはならない。単純明快であることが必要である。煩を去って朴に復る。これは、「良い考へは常にシンプル」(クリフォード・ハーパー)とか、「小さいことは美しい(スモール イズ ビューティフル)」(E.F.シューマッハー)、あるいは「単純なことは美しい(シンプル イズ ビューティフル)」という言葉で表現してもよい。複雑で難解な社会と経済の構造では、仮にそれが適正なものであつたとしても、それを理解し管理しうる者だけが社会と経済を支配する寡頭政治となり、支配構造に対する生殺与奪の権限を掌握した者が故意又は過誤によって過った運用をすれば全体の社会の経済の構造が脆くも崩壊することになるからである。

 

 そして、この国家の志、さらには世界の志として共通して必要なものは、この方向貿易理論の必然的な帰結である「自立再生論」を実現するという志以外には存在しえないことが理解されるはずである。

 

 自立再生の理念は、我が国の国体の精華であるにとどまらず、全世界を遍照する金剛智であって、単に、経済的側面のみならず、政治・文化・教育・生活その他の全ての社会事象を調和させる。そして、経済以外の不安定要因である宗教と民族の問題についても、宗教集団や民族集団は、自ずとそれぞれ同一の構成員による独立した単位共同社会に分離されて生活することになるから、これらの問題も殆ど解消するに至る。

 

 つまり、宗教紛争や民族紛争というものは、分業化体制の現実からして、どうしても異宗教徒同士や異民族同士が、それぞれの生活を維持するために混在混住し、雇用関係や事業関係などの経済的な相互関係を持たざるをえないことが最大の原因となっている。そこで、単位共同社会が形成され、それが大家族まで極小化して行く過程の中で、異宗教徒や異民族との経済的な相互依存関係が棲み分けによって解消する方向へ向かひ、紛争の根本原因が消滅することになるのである。

 

 そして、このような紛争原因が縮小し解消することによって官僚統制国家(全体主義)の役割も終了し、世界維新が実現し、世界と地球には再び安寧が蘇る。

 

 この世界維新とは、神勅の成就であり、その神勅とは、「修理固成」の御神勅のことである。つまり、天つ神が伊邪那岐命(いザナキノミコト)、伊邪那美命(いザナミノミコト)の二柱の神に賜はれた「於是天神諸命以、詔伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱神、修理固成是多陀用弊流之国、賜天沼矛而、言依賜也。(ここにあまつかみもろもろののみこともちて、いざなきのみこと、いざなみのみこと、ふたはしらのかみに、このただよへるくにををさめつくりかためなせ、とのりて、あめのぬぼこをたまひて、ことよさしたまひき。)」(古事記上巻)の御神勅である。

 

 さらに、この御神勅は、天照大神(アマテラスオホミカミ)が皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に賜はれた天孫降臨時の「葦原千五百秋之瑞穂国、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。宝祚之隆、当与天壌無窮者矣。(あしはらのちいほあきのみづほのくには、これ、わがうみのこのきみたるべきくになり。いましすめみま、いでましてしらせ。さまくませ。あまのひつぎのさかえまさむこと、まさにあまつちときはまりなけむ。)」(日本書紀巻第二神代下第九段一書第一)という「天壌無窮」の御神勅と、神武天皇の「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎。(かみはあまつかみのくにをさづけたまひしみうつくしびにこたへ、しもはすめみまのただしきみちをやしなひたまひしみこころをひろめむ。しかうしてのちに、くにのうちをかねてみやこをひらき、あめのしたをおほひていへにせむこと、またよからずや。)」(日本書紀巻第三神武天皇即位前己未年三月)という「八紘為宇」の御詔勅へと連なる。これを現代において具体化しうるのが、この自立再生論なのである。

 

  自立再生論は、これら御神勅を体現したものであり、その目指すものは、世界が自立再生論を選択し、これに基づく経済政策を実現して絶対平和を実現することである。トマス・モアの『ユートピア』、つまり「どこにもない場所」を探し求めるのではなく、単位共同社会が「どこにでもある場所」とすることである。

 

 そして、その指標は、自立再生論に基づく自給自足の閉鎖循環系である「単位共同社会の極小化」にある。世界主義や経済圏拡大主義(例へば、EC統合、道洲制)などの「拡散指向」は、「単位共同社会の極大化」をめざすものであり、それを地球規模にまで拡張することに飽き足らず、宇宙まで取り込むに至る。「拡散指向」によれば、地球の内部矛盾を隠蔽して一層深刻化させることは必至である。

 

 この「拡散指向」を捨てて、「単位共同社会の極小化」による「集束指向」によらなければ、地球と人類は救はれない。これまでの歴史は、「拡散指向」でここまで拡散・拡大してきた。人類は、そのまま放置すれば、拡散指向にあることから、「集束指向」の政策によって均衡を保つことができるのである。

  

 このようにして、世界の人々が雛形理論に基づいた自立再生論によって国際社会が集束(みすまる)したとき、そのとき同時に世界の人々の祭祀も復興し、すめらみことの御代となるのである。




参照抜粋元:「まほらまと」自立再生論より



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 地球は、人類だけではなく、生きとし生けるもの総ての生命の総体であり、複合的な生命の星である。地球上の総ての生命は、運命共同体の地球という大きな一乗の「オノコロシマ」という「宇宙船」に乗っている。今まで、余りにも人類中心の観点から「人権」が過度に強調され、人類の「生存権」のみが意識されてきた。さらに、「人類」を一つとみることなく、人種・民族・宗教などの区別と差別がなされて、さらに同じ民族間でも、その差別は歴史的・社会的に細分化されていった。

 

 これらは、人間以外の動植物は、人間の生存を維持するための「いけにへ」としてのみ存在するのだとする「人間中心主義」に由来する。これは人類の生存しか価値がないとする生命体間の差別思想であり、これが人間相互間の差別思想の原型となっている。この思想を契機として総ての差別化が促進されてきたことは歴史的事実である。これからは、人と地球を含めて、生きとし生けるもの総ての共生を実現しなければならない。

 

 人は、その置かれている社会現象と環境の影響下で学習し教育を受けているのであるから、社会現象が歪めば学習と教育が歪み、人も歪む。社会現象は、社会実体の反映であり、社会現象の歪みは、社会実体の歪みであるから、これを是正するには、先ず、学習と教育の是正に取り組まなければならない。現代教育の大きな歪みは、現代社会の実体の歪みを直接に反映しているのである。

 

 現代の教育制度は、学歴取得競争と就職競争に奉仕するものであって、これらの競争の自由を保障するものとして教育の機会均等を標榜しているに過ぎない。これらの競争の結果、勝者と敗者とに選別され、勝者は強者へ、敗者は弱者へと分化して、それが社会差別の形成要因となる。しかし、教育には競争原理が不可欠であって、これがなければ教育は成り立たない。

 

 ところが、その競争目的の設定を誤ると現代のように社会が荒廃する。現代教育の目的は、強者となって栄華を謳歌する「強者教育」であって、強者となって弱者を救済する「聖者教育」ではない。親が子供達に吹き込むのは、一流大学を出て一流会社や官庁に就職して他人よりも経済的に豊かな生活をすることが人生の目的であり、街で貧者を見かけたりすると、「勉強しないとあの人達のようになるから、しつかり勉強しなさい。」と差別意識と強迫観念を植えつける。「勉強して立派になって、あの人達を助けることができるように、しつかり勉強しなさい。」とは教へないのである。教育の世界にも効用均衡理論を導入し、能力と人格・見識とが共に備はらなければ、あらゆる場面での指導的地位を与へられないとの教育理念を確立すべきである。いまこそ、「徳と官と相配し功と賞と相対す」(西郷南洲遺訓)という言葉に真摯にみみを傾けなければならない秋(とき)であり、教育の歪みが政治、経済、宗教など社会全般を歪め、世界を危機に陥れる原因であることを自覚せねばならない。

 

 本項を以て締めくくるにおいて、本章の名を「萬葉一統」としたのは、二十一回猛士松陰吉田寅次郎矩方の『士規七則』の「凡生皇国宜知吾所以尊於宇内蓋皇朝万葉一統邦国士夫世襲録位人君養民以続祖業臣民忠君以継父志君臣一体忠孝一致唯吾国為然」(凡そ皇国に生れては、宜しく吾が宇内に尊き所以を知るべし。蓋し皇朝は万葉一統にして、邦国の士夫は録位を世襲し、人君は民を養ひ以て祖業を続ぎ、臣民は君に忠して以て父志を継ぐ。君臣一体、忠孝一致、唯吾が国のみ然りと為す。)に由来する。これこそが、座右として久懐を抱いて本書を貫くものである。

 

 教育に「教」あって「育」なく、宗教に「宗」あって「教」なく、政治に「政」あって「治」なき現代社会を打破して、人類が自己の教育・宗教・政治の原点を見つめ直して統合し、人類間の公平のみならず自然との共生を実現しなければ、地球は人類の利己によって崩壊する。今こそ、教育・宗教・政治を建て直し、共生の実践として世界が自立再生の道を歩むことこそが地球を救う唯一の道であり、祖国日本は、至誠を貫き、率先垂範して国家を経綸し、国体を護持して、その伝統による叡知と努力を世界に捧げて万葉一統の理想世界を実現すべき責務がある。

 

 

 

 

参照抜粋元:「まほらまと」自立再生論より