國體護持塾について
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塾長紹介

 

 國體護持塾 塾長 南出喜久治先生


プロフィール

 昭和25年京都市生まれ。京都市立堀川高校卒業。弁護士。税理士。憲法学会会員。独自の研究により新たな占領憲法無効論を完成させ、平成4年5月に、今上陛下に「占領憲法無効宣言」を諌疏する天皇請願を行なう。著書には「日本国家構造論ー自立再生への道」(政界出版社)、「燎原に火を灯せ」(共著、日本出版放送規格)、「現行憲法無効宣言」(萬葉社)、「日本国憲法無効宣言」(渡部昇一氏との共著、ビジネス社)等。主著「國體護持(初版)」を平成20年8月にインターネット上にて公開。平成21年4月、国書刊行会より「占領憲法の正體」が出版される。


 





 私の父は、召集を受けて北平(北京)にあつた支那駐屯軍司令部付の特務機關に將校として配屬され、停戰協定後の武装解除手續を完了させて祖國に復員したが、私が生まれる前の昭和二十三年六月十九日に衆參兩議院で教育勅語(教育ニ關スル勅語)などを排除し失效させる決議がなされたことに對して、痛惜の思ひを抱き續けてゐたのであらう。父は、私が教育勅語を暗誦できるやうになると、その無念さを語り出した。平成二年十一月一日に身罷つたが、その遺言状にはたゞ一言、「教育勅語を復活させよ」とあつた。これを義命の存するところと受け止めて、私はその後の人生を決めた。
 

 それまで推考してきたことに加へて、さらに獨自の研究を行つた結果、新たな占領憲法無效論(新無效論)を完成させ、父の遺言を實行する第一歩として、今上陛下に占領憲法無效宣言を諫疏する天皇請願を行ふ請願書を、平成四年五月二十六日に當時の内閣總理大臣宮澤喜一宛(總理府宛)に屆けた。それから、この理論を初めて世に問ふた前著『日本國家構造論』を完成させて上梓したのが翌平成五年十二月八日である。その十一日後に、この意義を深く理解してくれた母が急逝した。私は、母の柩に前著を入れて父の元に屆けてもらつた。それから平成六年七月三十日の祓庭復憲の「草莽崛起」運動の提唱へと進んて行つた。

 

 しかし、このやうな理論と運動に對する周圍からの風當たりは、まことに嚴しいものがあつた。運動は牛歩の如く遲々として大きくは進展しなかつたが、それでも樣々な困難と迫害を乘り越えてここまで來られたことは、神佛のご加護の賜であつたことを衷心より日々感謝申し上げてゐる。

 

 そのやうな日々の中で、これまでに得られた細やかな光明の一つとしては、いはゆる左翼とか極左に分類されてゐる人たちの中からも、私の新無效論を理解する人が少なからず出てきたことである。彼らからすれば、不本意ではあるが、論理を追求して行けば新無效論に到達せざるを得ないといふのである。だからと言つて、そのやうな人たちとは、立場を明確に峻別して新無效論の共同戰線を組むことはあつても、決して連帶することはない。なぜならば、新無效論は、國體護持と自立再生論の實現のために必要な理論ではあるが、所詮はその一里塚にすぎないからであり、本書の題名を國體護持としたのも、私の悲願は、このことを措いて他にはないからである。

 

 ところで、ある人によれば、むくつけき戰後空間において、徐々に戰後體制からの脱却を指向してゐる動きがあり、新無效論が理解される雰圍氣が生まれてきたとの指摘もある。しかし、反面教師である共産黨などの研究を長くしてきた私からすれば、その雰圍氣といふのは、逆に大きな危險を孕んでゐると感じてゐる。それは、「天皇拔きの民族主義」が席卷する土壤の生まれる危險と表裏の關係にあると感じてゐるからである。

 

 近い將來、皇室制度と民族主義との不可分一體性を否定する「天皇拔きの民族主義」から、さらに堕落して、天皇を民族の敵として位置づける「反天皇民族主義」へと誘導させる二段階の天皇制打倒論が、それなりの政治勢力となつて浮上してくると豫測される。といふのは、日本共産黨(以下「日共」といふ。)のこれまでの歴史がそれを示唆してゐるからである。(中略)

 

 最近、占領憲法第九條を改正して自衞軍を創設せよとか、愛國心教育を行へとか、保守層の琴線に觸れるやうな樣々な保守論壇の主張がなされてはゐるが、その中には、尊皇と皇統護持の至誠を保持せず國體護持の情熱を喪失してゐる言説が多い。まさに畫龍點睛を缺き、似て非なるものに他ならない。あからさまに「天皇拔きの民族主義」を掲げる言説であれば、それに對する保守層の警戒心も湧くが、お爲ごかしに、その本心を隱した「ハーメルンの笛吹き男」の言説も跋扈してゐるので、保守層はこれを眞に受けて騙される。そして、早晩、この騙しの手法に便乘して權力中樞に入り込む不逞の輩が出現するだらう。これまでの日共や旧社會黨などの主張の變遷過程から推斷すると、左翼勢力は、このやうな手法によつて保守層を取り込む戰略を選擇し、さらには自民黨や民主黨などに工作隊を送り込んでくるであらう。

 

 「天皇拔きの民族主義」と「反天皇民族主義」との共通項は、文字づらでは「民族主義」といふことになるが、實はさうではない。この兩者の糊代部分(共通部分)は、民族主義ではなく、實は「國民主權論」といふ反國體思想であつて、その源流は、おぞましいルソーの思想である。つまり、反國體同盟は、ルソー同盟であり、ルソー黨である。國民主權論自體がそもそも「容共思想」であり、「容ルソー主義」なのである。護憲派は云ふに及ばず、腐りきつた占領憲法を改正すれば眞面になると信じてゐる腦天氣な改憲派も、ともにルソー思想を支持することにおいては完全に一致してゐる。

 

 保守層の者は、「民族主義」といふ言葉を聞くと、思考停止となり無批判に共感してしまひ、「ハーメルンの笛吹き男」が導く方向が正しいものと錯覺してしまふ。慣れとは恐ろしいものである。異常なことが反復繼續すると徐々に麻痺してきて、そのうち、その異常さを感じなくなる。そして、ついに「釜中の魚」の運命を辿ることになるのである。

 

 その運命の果ては、野合による國體破壊である。それは、第一條(天皇條項)と第九條(武装解除條項)を同時に削除して、「日本共和國」となり、軍隊のある「普通の國」となることである。これは既視感ではない。これこそ、占領憲法の制定過程の辿り來し道である。占領憲法制定においては、占領憲法の第一條と第九條は、合はせ鏡の如く表裏の關係にあつたことを思ひ出してほしい。
その野合する具体的な内容はかうである。

 

 「皇室に對して、占領憲法制定によつて没收した皇室財産の一部を分與返還し、我が國最長の名門家系として存續させることは保障するが、憲法上の地位は喪失させ、第一條以下の天皇條項を削除して、皇室を憲法外の地位とする。このことと引換に、第九條第二項の武装解除條項を削除して、正式に軍隊を保持できる普通の國になる。」と。

 

 つまり、このやうな政治決着によつて占領憲法を改正するといふシナリオである。これは、自民黨の左派、民主黨の左派、公明黨、社民黨、日共などが大連立することによつて實現しうる。これらの勢力に共通するのは、ともにルソー教に入信した「國民主權論」の鞏固な信者たちであるといふ點であり、野合するための共通項としては、それだけで充分なのである。これにより、「共産」と「非共産」の區別は消失して統合される。過去に、犬猿の仲であるとされた「共産VS非共産」といふ政界圖式が解消され、國體破壞を目指す國民主權論者同盟としての「反國體同盟」が結成され、これによつて國體の完全壞滅を實現しようとする。犬猿の仲であつた薩長が倒幕のための同盟を結んで倒幕を敢行したのと同じ戰略である。(中略)

 

 いま、占領憲法を取り卷く環境として、護憲論と改憲論との「政治論爭」がある。これはあくまでも政治論爭である。ともに有效論であるから、改正といふ立法措置の是非を問ふ単なる「立法論」である。これに對し、無效論は、この護憲論と改正論といふ双子の有效論との間で占領憲法の效力を論議する「法律論爭」をしなければならない。占領憲法の效力の有無を問ふ「法律論」である。しかし、メディアは「政治論爭」だけを取り上げ「法律論爭」を報道しない。無效論の存在と内容を紹介し啓蒙することをしない。メディアは今もなほ祖國を壊し續けてゐる。

 

 このやうな状況の中で、「反國體同盟」の信者は、自民黨、民主黨にも入り込み、防衞問題や教育問題などに保守層には耳觸りのよい言葉を垂れ流し、「反國體同盟」へと國民を取り込んで行く。特に、占領憲法改正論者は、例外なく占領憲法を有效とする國民主權論者であり、悉く「反國體同盟」に屬する「ハーメルンの笛吹き男」なのである。繰り返し述べるが、国民主權論そのものが、本質的に「容共思想」であることを自覺すべきなのである。

 

 そして、この反國體同盟は、近い將來、突如として政治の表舞台に現れて、國體破壞の暴挙に出る。これまで無效論者に對して、護憲論者に對するよりも、逆恨みにも似た謂はれのない近親憎惡を抱き、最大の侮辱と罵詈雑言を浴びせてきた愚かな改正論者は、このとき初めて事の深刻さに驚愕し、「狼少年」の悲哀を感じるのであらう。そして、無效論は本來は正しいが政治の世界では現實的ではないなどと冷笑してきた言説が、詭辯による見苦しい保身であつたことを氣づくのであらうが、それは後の祭りである。保身によつて國を賣る、これを賣國奴と云ふのである。
それゆゑ、我々は、このやうな「天皇拔きの民族主義」と、その揺籃となり温床となつてゐる「占領憲法改正論」の論者とは、連帶することは勿論のこと、共同戰線を組むことは到底ありえない。國體破壞の國民主權論者であるから、これを明確な敵と位置づけて二念なく排撃するのみである。

 

 また、このやうな状況にあつて、今、さらにもつと深刻な問題なのは、「反日」とか「亡國」とかの勢力の存在よりも、「煩日」と「忘國」の民の存在である。マザー・テレサは「愛の反對は憎しみではなく、無關心」であると語つた。これと同じやうに、祖國を憎惡するのは「熱」があるが、しびと同然の「冷」え切つた人が居る。祖國に無關心であつたり、祖國を忘れてしまひ(忘國)、日本(祖國)のことを煩はしく思つて語ることも考へることもしない(煩日)といふ冷め切つた愚民が蔓延してゐるのである。

 

 このやうに現状を認識したとき、我々が救國を實現するために殘された時間は極めて少ない。一刻も早くこの危機的で閉塞的な情況を打破して、占領典範と占領憲法を含めた占領統治時代に生じた膿を摘出し、自立再生論によつて祖國と世界を再生させる必要がある。しかも、國體護持は單なる理論だけで實現しえない。實踐あるのみである。仮に、國體原理主義者とか天皇原理主義者であると誹られても、愚直に貫かねばならない。しかし、その實踐には、やはり確固たる理論が不可缺である。



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※本序言は、平成20年7月24日に塾長が書かれました。國體護持塾公式サイト公開時と時期を同じくして、平成21年8月30日には衆議院選挙が行われ、その内容および結果は、本序言に書かれてある通りの様態を呈しました。この祖国日本の緩急において、私達は億兆心を一(いつ)にして、義勇公に奉し、もって天壤無窮の皇運を扶翼しなければならない。 國體護持塾 運営本部



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國體護持塾 代表 平野ゆかり


 

平野 ゆかり代表ご挨拶

 

 日本とはどのような国でしょうか?これを考えることが、国家においても個人においても共通する考えるべき天分たるものだと思います。日本の国や我々日本人は、古事記にある<天地初めて発けし時->からご先祖様が脈々と受け継いできた、神とも繋がる、まさに祭祀の国です。

 大東亜戦争以降、我々日本人は、自己の責任のみではないにせよ、大切にするべき天分を忘れ、幻想のような繁栄と安全とを当たり前に享受し、今日まで至りました。現在の我々の周辺には閉塞感だけが漂います。それは何故でしょうか?教育勅語にあるような、皆で自分の家族のため、国家のために一生懸命、学び、働くこと、自分が生かされていること、また、先祖への感謝の気持ちや畏れといった気持ちを捨て去ってしまったからではないでしょうか?

 このような時だからこそ、国家とはどうあるべきか、臣民(日本人)とはどうあるべきかを自分自身で考えたところ、真の自立再生社会の創造を目指すこと、その一部を成す、帝國憲法が有効(現在の日本国憲法は無効)であるという考えでしか、真にこの国が自立した、幸福な国家となしえないのだというところに思いいたりました。

 國體護持塾 代表という重責を拝命しましたものの、私自身、真の自立再生社会の創造について、また、真の臣民たるために日々格闘し、勉強中です。
至らぬ点も多くあるかと思いますが、皆様のご指導とご鞭撻を賜りたく、何卒よろしくお願い申し上げます。

 



 

皇紀2670年(平成22年)9月11日

旧暦8月4日吉田松陰先生生誕の日

 

國體護持塾 代表 平野ゆかり