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武装解除条項と体罰禁止条項

連合国が我が国に突き付けた武装解除(武力禁止)に関する条項といふのは、ポツダム宣言の「日本国軍隊は、完全に武装を解除せらる」(第9項)とか、「日本国をして戦争の為再軍備を為すことを得しむるが如き産業」(第11項)を許さず、「日本国政府が直に全日本国軍隊の無条件降伏を宣言(すること)を同政府に要求す」(第13項)とか、降伏文書の「一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ聯合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告ス」、さらに、「一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ指揮官ニ対シ、自身及其ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ガ無条件ニ降伏スベキ旨ノ命令ヲ直ニ発スルコトヲ命ズ」であり、これらを忠実に引き継いだ現行憲法第9条第2項前段の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない(武装解除条項)。国の交戦権は、これを認めない(無条件降伏条項)。」である。

しかし、軍隊の完全武装解除といふのは、現実に存在する人的組織と物的装備を解除・解体することでは足りない。第一に、人的組織力の源泉となりうる教育と社会的構造を壊滅させ、第二に、物的装備力の源泉となりうる産業の復興を阻止しなければ完全とは云へない。

ドイツが第一次世界大戦の後に急速に復興して再軍備し、リベンジの第二次世界大戦へと突き進んだのも、戦勝国が上記第一と第二の施策をいづれも手付かずのまま放置したためであつた。といふよりも、そこまでの分析と認識がなかつたためである。

世界最大の思想戦争である大東亜戦争において、連合国は、この学習の成果として、第一と第二の施策を占領政策の中で実現させようとしたのである。

まづ、第二については、ポツダム宣言で「日本国をして戦争の為再軍備を為すことを得しむるが如き産業」(第11項)をも許さないことを明記し、我が国を農業国として閉じ籠めようとした。

ところがである。第一については、ポツダム宣言においては直接的な表現を避けた。何故か。それは、軍事占領下における占領政策の実施そのものが、「思想戦争」の遂行であつたからである。大東亜戦争は、武器による戦闘は停止したものの、思想戦争としての戦ひは、むしろこれからが本番であることを認識してゐたため、その戦略・戦術を敵国の我が国に察知させることはあり得ないからである。

では、どのやうに第一の施策を実行したのか。それは、まづ、ポツダム宣言に「日本国政府は、日本国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし」(第10項)として、日本弱体化政策といふべきところを「民主化」といふ言葉ですり替へれば、単細胞で軽薄な進歩的文化人の共感が得られると予測したのである。

連合国は、我が国の軍隊が世界最強とされる原因が、人的組織力の源泉である学校教育における教育方針、すなはち、基本教科の知識(知育)、教育勅語の徳目(徳育)と心身鍛練の教練(体育)にあると捉へてゐた。

そこで、知育のうち、歴史教育は日本断罪史観で洗脳し、徳育の源泉となる教育勅語は、昭和23年6月19日に衆参両議院でその失効・排除決議を行はしめ、体育の精神面(武道)を骨抜きにした「スポーツ」へと堕落させた。

つまり、体育の要諦である教練は、軍隊的統制と規律の基本を身に付けるものであり、その教育目的の実現のためには、体罰は不可欠となるが、これを禁止して教育を骨抜きにすることが日本弱体化を実現するものと判断した。

その趣旨に基づいて、昭和22年3月31日法律第26号「学校教育法」が制定される。

同法第11条には、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることができない。」と規定する。また、少年院法(昭和23年法第169号)第8条にも、「少年院の長は、紀律に違反した在院者に対して、左に掲げる範囲に限り、懲戒を行うことができる。
一 厳重な訓戒を加えること。
二 成績に対して通常与える点数より減じた点数を与えること。
三 20日を超えない期間、衛生的単独室で謹慎させること。
2 懲戒は、本人の心身の状況に注意して、これを行わなければならない。」
と規定した。いづれも占領下の法律である。

しかし、同じく占領下でなされた民法改正(昭和22年法第222号)では、その第822条第1項に、「親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。」とあり、親の懲戒権には体罰を禁止する条項はないのである。従つて、本来ならば教師の懲戒権にも体罰権があるが、学校教育法第11条但書で特に禁止されてゐるといふことなのである。

このやうにして、学校や矯正機関からは、「体罰」がなくなる。躾と教育にとつて不可欠な要諦である体罰を剔抉することによつて教育を荒廃させ我が国を弱体化させる。そのためには、職を賭してまで体罰を行つて教育目的を実現しようとする教師は、PTAや教育委員会といふ衆人監視体制により駆逐され、まともな教師が今ではゐなくなつた。児童、生徒からの暴力を受けても、これに反撃することもできない。教師が体罰をすることがないことを知つてゐるがゆゑに、腕力に自信がありそうな教師には、却つて挑発的に暴力を振るふが、それでもその教師は逃げ回ることしかできない。これでは教師はなめられて授業の秩序すら保てず、教室は荒廃し崩壊する。最悪の事態である。

このことは、現行憲法で武力の行使が禁止されてゐるので、近隣諸国から領空・領海が侵犯されても撃退できない自衛隊とよく似てゐる。現行憲法を有効とする学者や政府見解によれば、現行憲法第9条について、自衛権はあるが武力を行使できないとか、集団的自衛権はあるがそれ行使できないとか、全く意味不明の詭弁を用ゐて議論をしてゐるが、これらの論法を使へば、教師は、体罰権はあるがこれを行使できないとするのが学校教育法第11条但書の規定といふことになるのであらう。

権利自体はあつてもそれを行使できないといふことでは、自衛権も体罰権も同じ事情にあり、他者からなめられても反撃すらできないことを宿命付けられた自衛隊と教師とは同じ様相である。それゆゑ、この体罰禁止条項は、いはば教育における武装解除条項(武力禁止条項)ともいへる。

今、我が国の伝統を回復して再生させるためには、現行憲法の無効を宣言することこそが必要であるのと同様に、教育の荒廃、学校の崩壊を防き、民族教育の生気を回復するために最も即効性のある方法は、学校教育法第11条但書の「体罰禁止条項」を直ちに廃止することである。そして、何よりも必要なことは、教師の教育へ気概を復活させることこそ必要である。

そして、この条項を廃止させるための起爆的契機として、例へば、心ある教師が一致団結して、躾のままならない児童・生徒に対して一斉に体罰を加へて矯正する「Xデー」を決めて、全国的に敢然と実行するぐらゐの劇的な行動が必要となるのではなからうか。

平成13年11月21日記す 南出喜久治

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