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原状回復論

北朝鮮の国家的犯罪である拉致事件は、民間諸団体の忍耐強い活動が結実し、売国奴の巣くう我が國政府やマスコミも漸くその重い腰を上げるに至つた。この問題の真の解決は、金正日体制の打倒による北朝鮮人民の解放と新たな民主政体の樹立による北朝鮮人民の救済と自立といふ根元的解決なくして実現できず、その道のりは限りなく遠い。しかし、今までのやうな無明下での絶望的な彷徨と、これから始まるであらう一筋の光明へ向かふ行進とでは雲泥の差がある。

ところが、金正日体制やその走狗となつた内外の売国奴は、悪魔のささやきとして次のやうな「拉致継続論」とでもいふべき便宜主義を唱へる。

それは
『早期解決のためには、理不尽ながらも北朝鮮の犯罪行為を一旦は黙認して拉致被害者を現政権下の北朝鮮へ戻して拉致状態を継続し、その状況下で彼らの自由意思で永住帰国をするか否かを決断させるべぎである』
と。

 

しかし、これに従へば、拉致の事実関係が完全に迷宮入りしてこの問題が永久に解決不能となることが必至である。そのことが全ての拉致被害者の救出にとつて絶望的な事態になることを知りながら、軽薄な人権論を振り回す偽善者を装つて真相を知らない素振りをする者の論理である。

そもそも、拉致は犯罪であるから、拉致被害者を奪還した後に再び犯罪地(拉致監禁場所)へと戻すといふ行為は到底認めることはできない。仮に、拉致被害者が強くそのことを望んでも、二十数年間にわたつて強迫観念を植え付けられた拉致被害者の「自由意思」なるものは単なる「幻想」に過ぎず、拉致被害者の出国を拒否し、拉致状態の継続を否定することは拉致被害者らの自由を制限したり否定したことには絶対にならない。それを真に受けて現政権下の北朝鮮へ戻すことは、我が国政府が現政権下の北朝鮮による犯罪行為を承認して加担するといふ新たな棄民的犯罪を我が國が犯すことになるからであつて、たとへ道のりは遠くとも、この問題が解決へ向かふ第一歩は、いはゆる「原状回復」である。筋を通すことであり、拉致被害者とその家族が無条件で我が国に永住帰国して生活すること以外にはない。

 

ところで、この「現状回復」といふ論理は、なにも拉致事件だけのものではなく、暴力的に真意とは異なる状況に置かれた全ての事象について適用される論理なのである。それゆゑ、「占領憲法」の見直しについても、この「原状回復」の論理は当然に適用されるべきである。

日本国憲法といふ名の占領憲法(現行憲法)の見直しについては様々な見解があるが、その中でも「改正論」といふのは、その前提として現行憲法を「有効」とした上でその改正を行ふといふのである。拉致事件で例へれば、拉致被害者を一旦は現政権下の北朝鮮へ戻せといふ売国奴の拉致継続論と同じ論法である。

ところが、拉致問題につては原状回復論を主張する者でも、占領憲法の扱ひについては原状回復論を否定し、拉致継続論と同様の「改正論」主張をする者が余りにも多い。つまり、個々の国民については原状回復論で救済するだけの保護が与へられるべきであるが、国家については原状回復論による保護は与へられないとする二重基準(ダブル・スタンダード)であり、何ら論理性も一貫性もない。

つまり、現行憲法の改正論者は、理不尽ながらも一旦は現行憲法を「有効」であると認め、その制定時の不都合を治癒させようとする考へであつて、それがいかに実現不可能なものであることを知らない。否、知つてゐるはずなのに知らない素振りをしてゐる敗北主義に外ならない。

改正論の論理は、現行憲法を当然「有効」とし、これを金科玉条として絶対に改正すべきではないとする頑なな「護憲論」と本質的に同じ仲間である。つまり、いづれも「護憲論」であり、その条項の一部を改正すべきか否かの方向付けにおいて相違があるに過ぎず、「無効論」とは水と油の関係にある。

そして、その改正論者(護憲論者)は、無効論者に対して、その論理的な反論を行はずに、専ら、衆参両議院で無効宣言を多数決で行ふといふ無効論の方法は政治的には著しく非現実的と批判する。

しかし、ならば改正論者に問ひたい。そもそも、現行憲法第96条の改正条項に基づき、各議院の総議員の3分の2以上の賛成と国民の過半数の賛成といふ状況が今まであり得たのか。そして、これから以後もあり得るのか、と。

また、国民の賛否を問ふ国民投票手続を定める法律の制定もされてをらず、その法律の制定にも根強い反対がある。そして、現在では、各政党の支持率が一律に低下し、与党政権は、今までのやうな一党支配ではなく、多党連立政権とならざるを得ない状況で、与党内部でどの条項を改正すべきかを選定することだけでも困難である上に、それをどのやうに改正するかについての改正案をまとめること自体が不可能に近い。

それゆゑ、本音においては、改正は不可能であることを認識しながら、建前だけの改正運動を続けることにどれだけの意味があるのか。無効論が「非現実的である」といふ改正論者の批判は、そのままノシを付けて改正論者へお返ししたい。

むしろ、「原状回復論」といふ筋の通つた論理で国民や議員を説得し、衆参両議院の多数決で無効宣言決議をさせることの方がより現実的であり、今後、必ず実現しうる勝算はある。困難な拉致事件ですら、解決への光明は一日で差した。これが、憲法問題において起こり得ないといふとはない。現在の憲法問題における閉塞状況からして、これを根本的に解決したいといふ国民意識の地殻変動が起こる可能性は充分ある。この地殻変動は、改正論の軟弱な論理では起こすことはできない。耳障りのよい憲法改正論や教育改革論では我が國は絶対救へない。

 

これから突入するであらう憲法激動期には、「狂者の言」にこそ正統性と正当性が与へられる。在り来たりで袋小路に入つた憲法論や教育論に惑はされることなく、透徹した論理と卓抜した勇気が必要である。

平成14年12月2日記す 南出喜久治

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