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現行「皇室典範」無効宣言

其の壱

昨今、何かと宸襟を悩ませる事柄が多いことについて、皇室の藩屏となることを自己の信念として矜恃を保つ者にとつて拱手の日々を重ねることは誠に慚愧に堪へないが、いにしへよりの皇室の斯く有るべき姿を想起して皇統の連綿を祈るとき、やはりそこには熟慮の根底に、皇室の家法である皇室典範の在り方に思ひを致す必要がある。

しかし、ここでいふ皇室典範とは、GHQの完全軍事占領下の「非独立」状況で制定された現行憲法の下で「法律」として定められた皇室典範(昭和二十二年法律第三号)のことではない。GHQ占領下で法律として制定されたこの皇室典範(以下「占領典範」といふ。)は、帝國憲法時代の皇室典範(以下「正統典範」といふ。)とは似て非なるものである。

其の弐

そもそも、正統典範は、明治二十二年二月十一日、帝國憲法の公布と同日に制定され、その第六十二条には、
「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ」
とあり、さらに、帝國憲法第七十四条には、
「皇室典範ノ改正ハ帝國議會ノ議ヲ經ルヲ要セス 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ條規ヲ變更スルコトヲ得ス」
と定められてゐた。

そして、これらの意味について、帝國憲法に殉死された唯一の憲法学者であり最後の枢密院議長であつた清水澄博士が、「皇室典範ハ単純ナル皇室内部ノ家法ニ非ス統治権ノ主體タル天皇ヲ首長トスル皇室ト我國家トハ渾一融和シテ同化ノ状態ヲ形成ス是我カ君主國體ノ精華ナリ」、「皇室典範ト帝國憲法トハ共ニ相對立シ國家最高ノ根本法トシテ各特殊ノ畛域ヲ有シ互ニ相侵スヘカラス」(逐條帝國憲法講義)と解説されてゐるとほり、帝國憲法と正統典範は、いはゆる消極的な二元性の関係(原則的に相互不干渉の対等関係)にあつたのである。

しかし、正統典範については、現行憲法(占領憲法)の制定を契機として、昭和二十二年五月一日に「皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件」が公布され、
「明治二十二年裁定ノ皇室典範並ニ明治四十年及大正七年裁定ノ皇室典範増補ハ昭和二十二年五月二日限リ之ヲ廃止ス」
となり、これと差し替へるものとして、占領典範が同年一月十六日に公布されたのである。

其の参

ところで、現行憲法は、帝國憲法の改正法としてその存在根拠を有するはずであるが、この改正が帝國憲法第七十五条に違反して無効であることは、本頁においても小生が常々主張してゐるとほりである。つまり、帝國憲法第七十五条には、
「憲法及皇室典範ハ攝政ヲ置クノ間之ヲ變更スルコトヲ得ス」
と定められてをり、この規定は、天皇陛下自らが天皇大権を行使し得ない事由が発生して摂政を置かなければならないといふ一般的に予期しうる国家の変局時においては、帝國憲法と正統典範の改正を認めないといふ規定である。ましてや、敵国による完全軍事占領によつて天皇大権が剥奪又は制限されるといふ予期し得ない国家未曾有得の変局時(しかも非独立状態)に帝國憲法が改正できないとすることは、同条の類推解釈として理の当然のことであつて、現行憲法が絶対無効であることは法論理学的にも明確に肯定できるからである。

しかし、
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
とする現行憲法第九十九条の憲法尊重擁護義務規定が呪縛となつて、旧帝國大学系の学者が保身のために変節し、これらの学者とその門弟たちが今もなほただひとりの例外もなく現行憲法の有効性を主張してをり、その中にはこれを平和憲法などと絶賛する教育を行ひ、政府や国会議員などもまた、これらの変節学者とその門弟たちに主導された有効解釈に盲従し、現行憲法無効論を抹殺してきたのであつて、これらの学者たちこそ、戦後最大のタブーである現行憲法無効宣言運動の最大の抵抗勢力となつてゐるのである。

いづれにせよ、この現行憲法無効論と同様の理由により、正統典範の廃止と占領典範の制定は帝國憲法第七十五条に違反するので全て無効である。加へて、前述のとほり、正統典範第六十二条は、「改正」と「増補」のみを許諾する規定であり、全面的な「廃止」をすることは許されない。

「皇室典範ハ単純ナル皇室内部ノ家法ニ非ス」とする前述の清水博士の見解のとほり、確かに正統典範には、帝國憲法と渾一融和すべき国家的な性格があるため、帝國憲法にも正統典範に関する規定が存在してゐる。しかし、だからと言つて、皇室の自律権を全面的に否定する「廃止」は、皇室の家法(皇室の自治)の完全否定であり、國體の破壊行為であることは明白である。ましてや、GHQ占領下の「法律」で新たに占領典範を制定することも、皇室の自律権、自治権を侵害して否定することになることから、占領典範は無効となり、正統典範が復原するはずである。

其の四

歴史的に考察すれば、占領典範は、徳川幕府による皇室不敬の元凶である「禁中并公家諸法度」と同じ性質のものである。

徳川幕府による皇室不敬の所業は厳酷を極め、元和元年(西暦一六一五年)、禁中并公家諸法度により、行幸禁止、拝謁禁止を断行した。つまり、世俗な表現を用ゐるならば、幕府は、天皇を京都御所から一歩も出さず、公家以外は誰にも会はせないといふ軟禁状態に置いたといふことである。これは、たとへば、諸大名が参勤交代の途中、京都の天皇に拝謁する慣例を認めるとなれば、それがいづれは討幕の火種となることを幕府は恐れたからに他ならない。現に、寛政六年(西暦一七九四年)、光格天皇により、尊皇討幕の綸旨が、四民平等、天朝御直の民に下されるまで約百八十年の歳月を要し、文久三年(西暦一八六三年)に孝明天皇による攘夷祈願行幸で行幸が復活するまで、約二百五十年の長きにわたつて幕府の皇室軽視は続いたのである。

これと同じやうに、「国民主権主義」といふ人類最大の傲慢思想に基づき、「国会」と「政府」は、まさに徳川幕府が禁中并公家諸法度を定めて皇室弾圧をしたのと同じやうに占領典範を制定したのであつて、その目的は、権力者であるGHQとその承継者が皇室を傀儡化、形骸化させることにあつた。

先帝陛下が昭和二十一年から二十九年まで九年間続けられた全国御巡幸による御聖徳の実践などは、占領時代において、占領典範の目的が充分に徹底できなかつた間隙状況のなせるわざであつて、GHQから「主権委譲」を受けて今日に至つてゐる政府の下においては、さらに占領典範の目的を徹底させてゐるので、現在ではこのやうなことを皇室の自由意思で復活できる余地が全くない。政府は、皇室による象徴機能を「知」と「美」のみに限定し、「仁」の字が歴代の天皇の御名にある如く皇室の伝統である「徳(仁)」の実践を阻止し続けてきた。象徴機能から「徳(仁)」を抜き取れば「傀儡」とすることができる。政府としては、皇室に「徳(仁)」を実践させず、皇民との直接的なふれあいから遠ざけることが、傀儡に押しとどめ続けられる要諦であつて、これこそが尊皇倒幕の機運の芽を完全に摘み取ることができるからである。

其の伍

それゆゑ、占領典範の有効を前提として、現行憲法下での改革に勤しんだとしても、伝統保守回帰と皇統護持の道は遠のくばかりであつて、このことは現行憲法(占領憲法)の有効性を前提とする「改正」論議についても同様である。根が腐つた木に葉は繁らない。占領憲法を守れば伝統も靖国も民族教育も滅ぶ。そして、占領典範を守れば皇統も滅ぶ。このままでは、万葉一統の大樹は、静かに、しかも不可逆的に朽ち果てる。そんな危機に直面してゐることを我々は真剣に自覚すべきではないのか。

仮に、現状での改革を目指すとしても、次善の策として、占領典範を大幅に改正し、皇室の自律権、自治権を広範に認め、皇位継承決定権、宮家創設権、典範改正権、皇族関連施設及び皇室行事関連施設(京都御所、皇居、東宮御所、御用邸など)に対する施設管理権、行幸決定権、宮内庁長官その他の宮内庁職員全員の人事権と組織編成権などを陛下と皇族に委ねて御叡慮に従ふといふ大改革がなされなければならない。

この大改革こそが、本来ならば象徴天皇に相応しい制度改革であるはずである。このままでは国家国民の「象徴天皇」ではなく、政府、宮内庁の「傀儡天皇」であつて、一段とその傾向が加速するばかりであり、この大改革の趣旨を理解しうるか否かが、「伝統保守」か、「戦後体制保守」かの思想的分水嶺となるはずである。

極東国際軍事裁判の実施と現行憲法の制定といふGHQ占領の二大政策から解き放たれ、真の独立を実現するための「祓庭復憲」運動を展開することが刻下の急務であり、占領憲法の改正論といふ茶番に等しい不毛の議論から脱却して、現行憲法を破棄して無効を宣言するとともに、併せて占領典範を破棄しその無効を宣言することこそ我が国の自立再生への道であることを確信するものである。

平成17年1月7日記す 南出喜久治

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