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トップページ > 各種論文目次 > H17.01.17 「安重根」論

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「安重根」論

安重根(アン・ジュングン)とは、明治42年10月、ハルピン駅で前韓国総監の伊藤博文を射殺し、翌年死刑になつた人物である。カトリック教徒の朝鮮独立運動家であり、韓国、北朝鮮では義士とされてゐる。尤も、北朝鮮では、これを義士とすることにより反権力テロを正当化することになるので、その警戒心からむしろ否定的な評価であらう。

ともあれ、韓国併合を反対してゐた伊藤博文が殺害されたことから、我が国国内における韓国併合反対派はその大立者を失ひ、一挙に韓国併合へと突き進んだ。いはば、安重根は、自己の意思とは正反対に、日韓併合の最大の「功労者」なのである。安重根が処刑された年に韓国併合がなされたのであるから、まことに皮肉な結果である。

ところで、この事件については、かなり周知されてゐることであるが、伊藤博文が韓国問題でロシアを刺激させないために会談の予定をしてゐたロシアの大蔵大臣ココーフツォフの出迎へ受けた際、小柄な安重根が随行のロシア兵の股をくぐるやうな格好でブローニング拳銃を撃つたが、その弾丸は伊藤博文の右肘を抜けて臍下に止まつて、致命傷ではなかつたことである。そして、致命傷となつた弾丸は別の弾丸で、それは伊藤博文の肩から胸へ、伊藤博文の上方向から狙撃されたフランス騎馬銃のものであり安重根が撃つたものではなかつた。このことから、安重根以外に真犯人がゐるのではないか、ロシアの関与があるのではないか、あるいは日本国内に関与者がゐるのではないかなどの憶測が生まれ、真相は闇に包まれたが、政治的には、韓半島をめぐる日露間の緊張関係を回避するために安重根の単独犯行といふことで決着したのである。

安重根としても、伊藤博文の行つた多く罪状を指摘して犯行に及んだ以上、自己が犯行に及ぶことをダシに使はれ、その影に隠れて誰かが伊藤博文を仕留めたとすれば、まさにピエロであつて義士にはなれない。安重根がそのことを知つてゐたかは不明であるとしても、どうしても、自分が伊藤博文を殺したことにしなければならない必要があつたのである。これもまた皮肉で憐れな結末である。そして、たかだか殺人未遂にすぎない者が殺人既遂とされて、日韓併合の口実とされた可能性があることについて、韓国人の殆どが知らされてゐないのである。

韓国では、このやうに、推測と憶測の事実を美化と礼賛の目的で確定的な事実であるとし、あるいは事実を歪曲してでも自国の歴史に不都合な評価を徹底的に排除する傾向が強く、このやうなことは安重根以外にもあつて、特に、邦人に対する政治テロの礼賛は凄まじいものがある。たとへば、趙明河(チョミョンハ)の場合もさうである。朝鮮独立運動家の趙明河は、昭和3年5月、台湾の台中で、香淳皇太后の実父である皇族の久邇宮邦彦王(クニヨシワウ)を短刀で襲つて重傷を与へ、その後死に至らしめたことで死刑になつたことが天安市にある独立記念館にある石碑に刻まれてゐる。ところが、趙明河の投げた短刀は、邦彦王が乗車してゐた自動車の運転手にカスリ傷を負はせただけで、邦彦王は全く無事だつたから、その因果関係には完全な偽りがある。この記述は、カスリ傷一つ負はせてゐないのに死刑になつたことに憤つてゐる趣旨でもない。当時は、「皇族ニ対シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ処ス」(刑法第118条)とされてゐたために死刑になつたのであつて、罪刑法定主義に適合したものでやむを得ないことであるが、安重根の場合と同様に、未遂に過ぎないのに既遂であるとしてゐるのである。

このやうに、安重根にしても趙明河にしても、いづれも事実を歪曲してまで韓国では「義士」になつてしまふ。手段や結果はともあれ、その志が純粋であつたことを韓国では褒め称へる。安重根がカトリック教徒であるのに殺人に及んだことや、その効果が独立運動の目的とは逆行したことなどからして、このやうな行為を「義挙」と評価するのは矛盾してゐても全くお構ひなしである。そして、韓国の児童用の偉人伝、たとへば、図書出版龍辰の偉人伝記文学館グランプリの「韓国偉人30」の6人目に安重根は登場する。まさに韓国の英雄なのである。

ところで、安重根のやうな人物は、本来ならば、どうしようもない政治オンチであり、サッカーで云ふなら、オウン・ゴールをしたドジな奴として非難に値するはずである。愛国者なのか、売国奴なのか本当は判断がつかない。そして、我が国では、安重根のやうな政治的テロリストは、マニアの間ではいざ知らず、少なくとも児童教育において「英雄」として教へることはあり得ない。そのことは、誰が加害者で誰が被害者かといふことで左右されることはなく、およそ殺人行為に全人格を表現しようとした人物をこれからの時代を担ふ子供の人生における指標とすることは絶対に相応しくないからである。それゆゑ、「人切り以蔵」と恐れられた岡田以蔵や、この以蔵を使つて多くの人を殺害した武市半平太などの「天誅」、さらに、明治以後に数多く繰り返された要人に対する政治テロの犯人などは、大人の世界の間ではそれなりに功罪が評価されるとしても、決して子供の教育の場面である児童用の英雄伝、偉人伝に登場することはない。安重根と同様に政治オンチと評価すべき我が国における大津事件(明治24年)の津田三蔵も、児童用の偉人伝、英雄伝には取り上げられないのである。

しかし、韓国では、政治テロの賛美が初等教育でなされる。そして、ことによる悪影響について問題にしないこと自体が問題なのである。それがどのやうな効果を生み出すと云へば、確かに中共と同じく、反日愛国でなければ統一ができない国内事情のために、これを辛うじて支へるといふ一時凌ぎにはなつても、政治テロによつて「義士」になれるといふやうな、テロの効用を子供に植え付けてしまふために、韓国の政治の世界においても、暴力的ないしは強権的な報復の連鎖が繰り返される弊害を生むことになる。

二・二六事件を手本とし、あるいはこれを反面教師として敢行した朴正煕による昭和35年5月16日の軍事クーデター政権は、不幸にして文世光、金載圭によつて血の報復を受ける。そして、全斗煥の粛軍クーデター、光州事件、金泳三の文民クーデター、親北朝鮮の金大中及び盧武鉉による人事報復と、その報復の連鎖は際限なく続き、韓国政治に混迷と怨嗟をもたらしてゐる。

このやうな状況を心ある韓国人は嘆く。今、韓国に一番必要なことは、「親日派」の祖先を今の尺度で魔女狩りして糾弾し祖先を冒涜し続ける、中共の「文化大革命」にも似た狂乱運動を直ちに止めて、韓国が近代化に至る歴史の光と影を冷静に直視し、安重根や趙明河ら「義士」の再評価を始める勇気を持つことが急務ではなからうか。

平成17年1月17日記す 南出喜久治

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