各種論文
トップページ > 各種論文目次 > H19.01.07 いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の三›天皇の戦争責任1

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

いはゆる「保守論壇」に問ふ<其の三>天皇の戦争責任

安倍の変節

安倍晋三は、首相になつた途端に、これまでの言説から大きく変節し、やはり羊頭狗肉の政治家であることが明らかとなつた。首相の椅子には、変節を余儀なくされる何かが潜んでゐるのであらうか。かう思ふ者も少なくない。

安倍が変節したとする点は主に次の三つである。

まづ、平成七年の村山談話を中心とする謝罪外交の方針を明確に踏襲することを宣言したこと。次に、占領憲法は有効であると宣言したこと。そして、大東亜戦争の開戦詔書に祖父岸信介元首相(当時、商工相)が副署したときの判断は間違ひだつたと答弁したこと。この三点である。


村山談話の踏襲

平成7年6月9日、当時502人で構成されてゐた衆議院(定数511人、欠員9名)は、出席議員251人中、賛成224人で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」、いはゆる「謝罪決議」を行つた。この種の決議については全会一致の原則がこれまでの慣例であつたことを無視し、しかも、出席議員が現員の半数であり、賛成は現員の半数にも満たないものであつたが、土井たか子議長はこれを騙し討ちに強行したのである。

それには、「・・・また、世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。・・・」との内容が含まれてゐた。

私は、これに対し訴訟原告団の編成を呼びかけ、同年7月5日に第一次原告団62名、同年9月13日に第二次原告団64名、同年11月27日に第三次原告団32名、計158名による訴訟を代理人として提起した。

この決議が占領憲法に照らしても違憲であることをその理由とした。つまり、この決議は、特定の歴史観(歴史思想)である、いはゆる東京裁判史観を表明してゐるものであり、「国家権力が特定の『思想』を勧奨することも、形式的には強制でないにせよ実際上は強制的に働くから、やはり本条(憲法第19条)の禁ずるところと解すべき・・・」(青林書院新社『注釈日本国憲法上巻』388頁、389頁)とするのが現在の憲法学における定説であつたからである。

ところが、その第一次訴訟を提起した後の同年8月15日に村山首相談話が表明され、これもその後の訴訟の対象に加へられた。つまり、村山は、「・・・わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします。・・・」と言ひ放つたからである。

村山談話は、その後、橋本内閣から小泉内閣に至るまでの歴代内閣で踏襲された。しかし、安倍は、首相になるまでは、「歴史の評価は後世史家の公正な判断に委ねる」として特定の歴史観を政府が表明することが越権になるとの自制と、政治家としての矜持によつて、外交と内政に対処してきた大平内閣までの見解と同じことを述べてゐたのである。さうであれば、国民に対して特定の歴史観を強制し、あるいは強く勧奨することは憲法違反になるとして、村山談話を撤回すると宣言すれば足りるのであり、また、さうすべきであつた。ところが、首相になると見事に変節して、あつさりと村山談話を支持してしまつた。「歴史の認識は歴史家の評価に委ねる」と言つてゐた安倍は、これと明らかに矛盾することを平気で表明したのである。

党首討論

さらに、安倍は首相になつてから占領憲法について重大な変節的発言をする。それは、平成18年10月18日に行はれた第165回国会の衆議院国家基本政策委員会合同審査会における民主党代表の小沢との党首討論においてである。小沢がこの党首討論の冒頭に取り上げたのは占領憲法の効力論(有効か無効かの論争)であり、これに関する安倍の見識を尋ねられると、安倍は占領憲法が有効であるとしたのである。

その党首討論の問答の該当部分は速記論によればかくの如くであつた。

(小沢)
 ・・・そうしますと、今総理も、やはり占領中に占領軍の少なくとも深い影響、関与のもとになされた日本国憲法であるという考え方から推し進めますと、フランス憲法に書かれておりますように、論理の一貫性からいえば、そういう状態においてつくられた憲法は無効だということになるわけであります。

これは、ほかの国にそういう憲法があるという例だけではなくて、議論としてそういう議論が、一方の、有効だという議論もありますけれども、そういう議論が当然あるわけです。

そうしますと、総理の主張を推し進めると、日本国憲法は本来無効だという方が論理としては一貫しているように思うんですけれども、その点についてはいかがですか。

(安倍)
 ただいま小沢さんが言われた議論については、この憲法の議論の中で、例えばハーグ陸戦協定を挙げて、占領下にあるときに基本法を変えることについての法的な根拠について議論がなされたというふうに思います。今例に挙げられましたフランスの例は、恐らくナチス・ドイツに占領されたフランスの経験から書き込まれたのではないか、このように思うわけでございます。しかし、日本は昭和二十七年に講和条約を結び、独立を回復した後も、基本的に現行憲法のもとにおいて今日までの道のりを歩いてきたわけでございます。ですから、現在、であるからそれが無効だという議論は、私はもう既に意味はないのではないだろうか、このように思っています。

私も、現行憲法をすべて否定しているわけではありません。現行憲法の持っている主権在民、自由と民主主義、そして基本的人権、平和主義、この原則は、私は、世界的な、普遍的な価値であろう、このように思っておりますし、・・・基本的に、私は、認識としては、既に国民の中に定着し、それを我が国国民も選んだのも私は事実であろう、こう考えています。

(小沢)
 今安倍総理が、日本国憲法の基本的な民主主義やら基本的人権やらそういったいろいろないいところがたくさんある、そしてまた既にもう定着している、そういうことをお話しになりました。事実そのとおりだし私自身は思っております。・・・

このやうなやりとりで、安倍は、「講和条約が締結されて独立したので占領憲法は有効となつた」といふ趣旨の見解を示したのである。安倍は、これまで、「改憲」といふ言葉を極力避けて、祖父岸信介の自主憲法制定論に沿つて、「新たな憲法」といふことを発言をしてきた。帝國憲法の復元改正を示唆し、無効論に含みを持たせてゐたのである。ところが、この発言は、これまでの予測に反して、明らかに有効論の立場に立つたことを明確に表明したことになる。これは、有効論の一種である定着説のやうにも思へるが、安倍の考へは必ずしも定かではない。しかし、おそらく、独立までは無効であるが、講和条約を締結して独立したことを以て有効になつたといふ、後発的有効論を支持してゐるといふことであらう。講和条約の締結とそれによる独立が有効化の根拠とするものと思はれるから、追認有効説の一種といふことになる。しかし、この説明だけでは何ら有効であることの理由付けにならない。安倍のブレーンとか取り巻きは、占領憲法有効論者で固められてゐるためか、これらに影響されて主体性が持てないのかも知れないし、そもそもこの程度が安倍の学識の限界なのかも知れない。講和条約の締結の日(昭和26年9月6日)と発効・独立の日(昭和27年4月28日)とを取り違へたことについて、ことさらに無知であると揶揄するつもりはないが、占領憲法が有効であるとする根拠について、一国の宰相としては、なんといふ不見識、不勉強であらうか。占領憲法の効力論について一度でも真摯に検討したことがあれば、こんな愚かな理由付けをすることはありえない。これは無知も甚だしく、著しい常識の欠如である。

それに輪を掛けたやうに、小沢もまた腰抜けである。小沢は、これまで、無効論か、あるいはそれに近い見解を表明してゐたはずなのに、この場で自説を披瀝することもなく、ただ聞き手に徹するだで、安倍が有効であるとする理由と結論に対しても全く反論をせず、むしろこれを認めてしまつたのである。これも節操がないことの証しである。

この議論は、党首討論の冒頭で行はれたもので、しかも討論時間の半分以上の時間をとり、その後で北朝鮮の核実験などの討論がなされたが、メディアは、憲法の効力論についての討論があつたことの報道を殆どしなかつた。また、保守論壇もこの討論を踏まへた議論を全くしてゐない。未だに、この問題をタブー視してゐるのである。

開戦詔書の副署

ところで、安倍の行つた最も問題とすべき政治発言としては、同年10月5日、首相就任後の初めて衆議院予算委員会の審議においてのことである。それは、民主党の菅代表代行が安倍の歴史認識について質問した際、「歴史の認識は歴史家の評価に委ねる」と答弁したまではよかつたが、菅が執拗に、安倍の祖父である岸信介元首相が大東亜戦争の開戦詔書に商工大臣として副署したことについて問ひ糾したとき、安倍は、「政治は結果責任だから、その時の判断は間違つてゐた。」と答弁してしまつたのである。「歴史の認識は歴史家の評価に委ねる」とそれまで答へておきながら、突然に自ら歴史評価をしてしまふといふ支離滅裂な答弁をしたのである。村山談話を撤回できない優柔不断に加へて、大臣としての詔書への副署が間違つてゐたとしたことは看過できない重大な発言である。

安倍は、「政治は結果責任」とするが、帝國憲法第五十五条には、「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス」とあり、副署は國務大臣の義務行為であり、國務大臣はその輔弼について責任を負ふのであるから、これは「結果責任」ではない。明らかに「行為責任」である。これが間違ひであるといふことは開戦詔書が間違ひであり、ひいては開戦自体が間違ひであるといふことにつながるのである。岸信介は安倍の祖父であつたとしても、この発言は祖父と孫といふ私的関係における発言ではない。紛れもなく国家行為についての評価である。つまり、安倍は、大東亜戦争が誤りであるとし、その詔書の主体である天皇の宣戦大権の行使が誤りであつたと言ひ切つたことになるのである。

つまり、岸元商工相の副署が間違つてゐたとすることを前提とすれば、その副署をなした開戦詔書を間違ひであることが導びかれ、そのことからさらに天皇の戦争責任を肯定しようとする左翼の論法であるドミノ理論を安倍は否定することができなくなつたといふことである。

まさしくこれは、天皇の戦争責任といふ問題に踏み込んだ発言であり、「政治は結果責任だから」とすることからして、少なくとも天皇には開戦の政治責任があつたと発言したことと同じなのである。

続きを読む

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ