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いはゆる「保守論壇」に問ふ<其の四>小山常実氏に対する公開反論

小山常実氏からの手紙

私が渡部昇一氏との対談形式の共著である『日本国憲法無効宣言』を今年4月に上梓したところ、知人である小山常実氏から、去る5月6日付けで私の見解に対して痛烈に批判した詳細な内容の手紙を突然に頂戴した。私の分類では、小山氏は、『戦後教育と「日本国憲法」』といふ処女作では旧無効論の紹介者に留まり、最近の著作になつてから無効論を自説として主張されるやうになつた旧無効論者であるといふ認識であつたものの、これまでいろいろと会つて意見交換したり、私が担当した教科書裁判などで熱心に協力していただいた方であつたので、この批判は、私の無効論をさらに深めるためにも大層有意義であつたとは云へ、正直言つて意外であつた。

そこで、私は、その反論を詳しく書いて返事すると、再び小山氏から再反論の手紙が届き、また、それに対する返事を書くなどして、これまでに四往復程度の手紙の遣り取りが続いてゐる。私は、このやうな議論は、無効論を進化させるにおいて最も有意義なことであるので、これまでの手紙の全てを公開したいと申し入れたが、今もなほ小山氏はこれを頑なに拒んでゐる。そこで、手紙の公開はしなくても、新たにこれまでの議題について公開討論をしようではないかと私は再度の申し入れをしたが、これについても現時点では未だ返答がない。

しかし、この遣り取りの内容は決して個人的な問題ではなく、占領憲法の有効性の有無とその根拠などに関する公共性、公益性のあるものであり、個人のレベルで留めておく問題ではない。そこで、失礼であるとの批判は甘んじて受けることを覚悟の上で、これまでの議論の概要について述べてみたい。

小山氏の手紙の内容を詳細に紹介することは公開の同意を得られなかつた事情もあつて差し控へるが、多岐に渡る小山氏の主張の主なものを要約すると、①井上孚麿氏、菅原裕氏、小森義峯氏、小山常実氏などの名前も紹介せずに、これを旧無効論であると一括りにして批判するのは礼儀知らずであるとする点、②旧無効論は概ね「占領管理法」であると主張してゐるので絶対無効ではないとする点の二点であつたので、これらについて以下において私見を述べてみたい。

礼儀知らずであるとする点

私は、そもそも舌足らずになる啓蒙書の出版には消極的であつた。しかし、渡部氏や出版社の要請もあつて今回の出版に至つたが、合計で約8時間以上に及んだ対談では様々なことを語つたものの、そのうち骨組みとなつた部分だけが文章化されたに過ぎず、旧無効論に属する論者の名前とその見解を逐一示すことは啓蒙書には馴染まないものとして割愛された。

ましてや、私が旧無効論として一括りにする理由は、旧無効論者の見解はバラバラで統一性がないからである。しかも、小山氏が指摘した小森義峯氏については、私は無効論者としては考へてはゐなかつた。同氏は改正無限界説に立つ有効論者であり、その後、非常大権説なる見解によつて占領憲法を「法律」(もどき)であると主張するに至るが、その根拠については充分に示されてをらず、未だ自説の変更(有効論から無効論への変更、國體と政体の二分論、改正無限界説から改正限界説への変更)を正式には表明されてゐない。それゆえ、正確に言へば、小森氏は学説的には有効論ではあるが、祖国再生運動論的には無効論の心情的な共鳴者であると私は理解してきた。

それゆゑに、そのやうな紹介の記述がこの啓蒙書において省略されたことを理由に、私に対して非難することには無理があり、ことさらこのやうな批判をする小山氏の意図が私には理解できなかつた。

それどころか、もし、そのことが非難に値するといふのであれば、私には、小山氏に対して、その言葉をそのまま熨斗を付けてお返ししなければならないことがいくつかある。

まづ、小山氏の『日本国憲法無効論』では、私の見解を改正限界説に区分するだけで、その内容については全く説明しない。参考文献として、私の『日本国家構造論-自立再生への道-』を掲げてゐたが、これを読んだ上で引用したのであれば、井上氏や菅原氏らの見解とは著しく異なることが当然に解るはずである。つまり、これは、拙著を読まず参考文献として単に掲げただけなのである。

また、少し前に、小山氏が月刊誌の『正論』において、占領典範の無効について帝國憲法第75条を根拠とした論評をされてたが、これまで一貫して、帝國憲法第75条に関して、占領憲法と占領典範の無効を主張してきたのは私だけであり、そのことを小山氏は知つゐたにもかかはらず、また、そのことを『月曜評論』で述べた私の「現行皇室典範無効宣言」といふ論文の存在も知つてゐたにもかかはらず、これを全く引用もしなかつたこともあつた。

さらに、最近の『別冊正論 Extra.06』の「日本国憲法の”正体”」に掲載された小山氏の「占領管理基本法学から真の憲法学へ」と題する論文があつたが、これには私の見解を全く誤つて引用してゐるのである。つまり、そこには、「この無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生するのであり、過去に遡ることはない。実際、無効確認の効力を過去に遡らせようと主張する『日本国憲法』無効論者は、誰一人存在しないのである。」として、私も遡及効がないとする見解であるとしたが、これは明らかに誤りである。私のいふ無効確認決議の効力は、あくまでも占領憲法制定時において無効であつたことを確認することであつて、将来に向かつてのみ無効とするものではないからである。

そして、さらに、小山氏は、この論文の中で、「成立時点の『日本国憲法』について言えば、井上孚麿は『占領下の暫定代用法』に転換解釈できるとしているし、菅原裕は占領軍が日本を占領するための『占領基本法』または『占領管理法』と位置づけている。小森義峯は『暫定基本法』として、南出喜久治はポツダム宣言からサンフランシスコ平和条約に至る『講和条約群の一つ』と位置づけている。いずれも時限法的、暫定的なものとして『日本国憲法』を位置づけていることに注目されたい。」と述べてゐる点も、私のことに関しては誤つてゐる。これは、私の見解が講和条約説であることを紹介するものの、私がこれまで講和条約の性質を有する占領憲法を時限法的、暫定的なものであると一度も主張したことがないのに、明らかに他の旧無効論の見解と味噌糞一緒にしたかの如く誤つた指摘がなされてゐるのである。

私は、占領憲法は憲法とては確定的に無効であるが、無効規範の転換により、講和条約としては確定的に有効とするのであつて、決して時限法的、暫定的な効力しかないなどと主張してゐるのではない。ましてや、これを法律として暫定的にでも効力を認めることもない。それゆゑ、小山氏は、私の著書の内容について瑣末な批判をする前に、私の見解を歪めて紹介した責任を痛感してもらふ必要があり、その点を後日の著作で訂正してもらふ必要がある。

附言すれば、このことについて私は、去る5月29日付けで産経新聞社の正論編集部に対し、以上の理由を述べた上で、誤解を解くために私の見解に基づく反論と釈明の論文を掲載してほしいと申し入れたが、現時点でも正論編集部からの回答はもらつてゐない。

旧無効論は絶対無効ではないとする点

この点について述べる前に、井上氏の見解について説明する必要がある。井上氏の見解は、他の旧無効論とは少し趣きを異にするからである。つまり、井上氏だけは、私と同様に帝國憲法第75条違反をも無効理由とし、これを根拠として、占領憲法は絶対無効であると主張してゐた。しかし、私は、これを絶対無効の根拠とせず、帝國憲法第13条と同第76条第1項を根拠として、無効規範の転換理論により占領憲法を講和条約の限度において有効であるとするものである。帝國憲法第13条は講和大権などを定めたものであり、同第76条第1項は、「法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ效力ヲ有ス」として、無効規範の転換を定めた規定である。つまり、これは、占領憲法の名称は「憲法」であつても、「講和条約」として効力を有するとすることの根拠となるからである。しかし、占領憲法を絶対無効とする旧無効論の立場では、この規定の解釈も否定することとなり、承詔必謹論による批判と法的安定性を否定するとの批判に直面することになるのである。ちなみに、この規定は、承詔必謹規定の一種でもあると評価できるのである。

ともあれ、井上氏は、一次的には絶対無効であるとしながらも、二次的には、「占領下の暫定代用法」であるとして、法的安定性の危惧と承詔必謹論からの批判を回避しようとするのであらうが、これには理論的な一貫性がない。また、その他の旧無効論(小山氏を含む)も、占領憲法を「法律」として、しかも、時限法的ないしは暫定的な効力しかないものとするのであり、これらにも論理的な一貫性がないのである。

それは、憲法として無効であるものが、そのまま法律としてならば有効であるとする論理は全く成り立たないからである。憲法事項を定めた規範は、憲法でなければならないのであつて、法律で憲法事項を定めること自体が憲法違反であつて無効でもある。ましてや、それが憲法改正の限界を超えた内容のものであれば、憲法として無効であると同時に、本来ならば如何なる規範としても認められないはずである。それが絶対無効であることの根拠でもあつた。

しかし、それは、純粋な国内法体系の領域において肯定されるものであり、国際法と国内法との双方の領界に跨る条約の領域、特に、領土や独立などの国家主権に属する事項を左右する講和条約については当然にこれが適用されない。このことが講和条約説の誕生を導いた契機であり、私の理論は、井上理論の矛盾を克服して生まれたと言つても過言ではない。

ともあれ、井上氏を含む旧無効論は、やはり憲法としては無効であるが「法律」としては暫定的に有効であるといふ矛盾から脱却できてゐない。そして、これらの見解は、それぞれ微妙な相違があるものの、暫定的に「法律」として有効であるとする論理に立つてゐる点において共通してゐる。その意味で私は、これらの見解を一括りにして旧無効論と命名したのであるが、この論理が成り立たないことから、結局のところ、論理的には旧無効論は絶対無効といふ結論に至らざるを得ないのである。

繰り返し述べるが、「憲法」としては無効としながら、それを「法律」として有効であるとするのは、論理学的にも破綻してをり、もはや旧無効論は学問的には存続し得ない。上位規範の憲法として無効なのに、どうしてその下位法規の法律としては有効なのか。違憲の法律は無効なのであり、憲法として無効のものが法律として有効であるとすることはあり得ない。それこそ、旧社会党の「違憲合法論」の如くである。それゆゑ、このやうな論理的破綻を前提とすれば、旧無効論は、占領憲法を憲法ではない「法律もどき」であると揶揄してゐる感情論を展開するだけで、憲法学的な主張ではないと判断せざるをえない。従つて、旧無効論は、憲法としては無効であり、しかも、その他の法令としても、「もどき」ではあるものの、真の意味で「法律」であると本気で主張してゐるものとは思はれないので、この旧無効論を「善解」するとすれば、やはり絶対無効といふことになるはずである。

もし、小山氏が、さうでないといふのであれば、憲法として無効なものが、どうして法律として有効となるのかといふ点について論理的、合理的かつ法律的に根拠付けていただかねばならないことになる。

本来の学術書であれば、井上氏の見解とその他の旧無効論の見解とを比較して旧無効論の内容を述べる必要があると思はれるが、『日本国憲法無効宣言』は啓蒙書である。啓蒙書であれば、その性質と字数の制約からして、そこまで述べることができず、そのやうな学術的な分析をすると却つて論旨を不明確にし、啓蒙の実を失つてしまふのである。それゆゑ、旧無効論は帝國憲法第75条を根拠とせず、効力についても絶対無効であると表現したのは、厳密には不正確ではあつても、旧無効論全般の説明としては決して誤つてゐるとは言へない。

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