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トップページ > 各種論文目次 > H17.08.09 國體護持:続憲法考1

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國體護持:続憲法考

概念の整理

これまで、占領憲法の効力論として、占領憲法が帝國憲法の改正としては絶対無効であると見解(無効説)の根拠を述べてきたが、ここでもう一度整理し、さらに掘り下げて考へてみる。

法律学は、権利と義務、物権と債権、債権と債務などのやうに、相容れない対立する概念を構築し(峻別の法理)、それをすべての法律事象に当てはめて分類し分析する論理的な学問である。もちろん、ここで議論される、「効力」の有無としての「有効」と「無効」といふ概念も法律学の中心的な概念の一つであることはいふまでもない。

亡尾高朝雄博士は云ふ。「法の妥当的な規範意識内容が、事実の上に実効的に適用されうるといふ『可能性』chanceこそ、法の効力と名づけられるべきものの本質である」と。つまり、一般に「効力」といふものには二つの要素があり、一つは法の「妥当性」、もう一つは「実効性」であり、この双方を満たすのが「有効」、そして、そのいづれかを満たさず又はいづれも満たさないものを「無効」と定義するのである。

従つて、占領憲法が有効か無効かといふ議論(効力論争)は、占領憲法に最高規範としての「憲法」としての「妥当性」があるか否かといふ側面と、さらに、占領憲法はこの「憲法」としての「実効性」を保ち続けてゐるか否かといふ側面とに分解できる。

ところが、これまでの無効説(旧無効説)は、専ら「妥当性」の側面のみで主張されてきた。しかし、ここでいふ無効説(新無効説)とは、「実効性」の側面においてもそれを否定する主張であることが留意されるべきであつて、本章においては、立法行為の有効と無効の概念に関連した概念を明らかにしつつ、この「妥当性」と「実効性」の二つの側面から無効説と有効説の種類と構造を鳥瞰し、有効説の誤謬を背理法などによつて証明することを試みることとする。

不成立、無効、取消

「無効」とは、一旦は外形的(外観的)に成立した(認識し得た)立法行為が、その効力要件(有効要件)を欠くために、当初に意図された法的効果が発生しないことに確定することを言ふ。換言すれば、外形的にはその立法行為(占領憲法)は存在するが、それが所与の内容と異なり、または所定の方式や制限に反し、あるいは内容において保護に値しないものであるが故に、初めからその効力が認められないことである。外形が整へば「成立」するが、その効力が認められないことから、外形すら整つてゐない「不成立」とは異なる。占領憲法が無効であるといふ意味は、帝國憲法第73条の形式的手続を整へて「成立」したとされてゐるものの、「無効」であるとするのであつて、決して「不成立」といふ意味ではない。

民法第96条には「詐欺又ハ強迫ニ因ル意思表示ハ之を取消スコトヲ得」とあり、これは詐欺又は強迫による意思表示であつても一応は「有効(不確定的な有効)」であつて、それを「取消」の意思表示をなすことによつて、行為時に遡つて確定的に無効とするのである。これが「取消しうべき行為」といふ概念である。

これは、英米法における「不当威圧」undue influenceの法理に由来するもので、支配的地位に立つ者がその事実上の勢力を利用して、服従的地位に立つ者の自由な判断の行使を妨げ、後者に不利益な処分または契約をなさしめた場合には、自由恢復の後において、その処分なり契約を取消して無効を主張することができるとされてゐるものである。そして、特に、その詐欺または強迫の程度が著しく自由意思によらない強制下でなされたときは、意思の欠缺となり、その瑕疵の著しさ故に、取消の意思表示やその他の観念の表明を必要とせずに当初から「無効」と評価される。これは、私法理論であるが、およそ社会関係に遍く適用される法理であつて、公法にも適用があることは疑ひはない。

ところで、「取消しうべき行為」は、「瑕疵ある意思表示」であり、後に「取消」によつて遡及的に確定的に無効とすることができるし、あるいは逆に、後述するやうに「追認」することによつて確定的に有効とすることもできる。これは、およそ効力評価において、無効か有効かといふ峻別の法理からして例外に属する範疇である。このやうな概念が定立されるのは、当事者の利益衡量を精緻にすることを目的とする私法固有の事情によるものであつて、私法の中でも団体法において、また、公法においては、法的安定性を重視するため、有効か無効かの二分法による峻別の法理が原則通り適用される。

それゆゑ、占領憲法の効力論争においても、後述するとほり、制定時において、その目的、主体、内容、手続、時期などに瑕疵があれば無効、瑕疵がなければ有効として評価されることになり、「取消しうべき改正行為」といふ概念は成り立たない。現に、この効力論争において「取消説」なるものは存在しないのである。

また、有効説の中には、追認、時効などの私法理論を援用するものがあり、これに対して、これらの普遍的法理を無効説の論拠及び反論として援用することも認められて然るべきものであるから、以下、特段に排除する根拠と理由がない限り、私法理論の普遍的法理を占領憲法の効力論に援用するものとする。

ともあれ、この「無効」とは、無効であることを確定させるための新たな立法行為(占領憲法無効化決議)をしなければならないものではない。法律的、政治的、社会的には無効であることを「確認」する決議(無効宣言決議)をすることは望ましいものの、それをしなければ「無効」が確定しないものでもない。また、占領憲法は無効であるから、占領憲法第96条の「改正条項」の適用はなく、過半数原則による通常の国会決議で充分であることになる。

破棄

次に、「破棄」とは、一旦成立し、しかもその効力要件(有効要件)を満たしてゐるので「無効」ではなく、あくまでも「有効」ではあつたが、当初からその立法行為(占領憲法)自体に内容的な欠陥や瑕疵があつて、その法をそのまま容認して継続させることができない場合(始源的事情の場合)、あるいは、その施行後に、立法行為時(占領憲法制定時)に存在した社会環境や政治環境などに変化が生まれ、立法行為(占領憲法)をその後も継続して施行しえない事情が生じた場合(後発的事情の場合)において、その立法行為(占領憲法)を将来に向かつてその効力を消滅させることである。つまり、始源的事情の場合であつても、その瑕疵の程度が「無効」とするまでに至らないし、また、後発的事情の場合であつても、その事情の変更によつて当該立法行為(占領憲法)が遡つて無効となることまでを意味するものではない。しかし、「無効」の場合と異なり、「破棄」は、そのための新たな立法行為(占領憲法破棄決議)が必要となる。そして、「破棄」されるまでは「有効」であるから、これを破棄するといふのは占領憲法の全面的かつ消極的な「改正」(削除改正)であつて占領憲法第96条の改正手続によらなければならない。さらに、破棄した結果、帝國憲法に復原するのか、新たな成文憲法を制定するのか、あるいは成文憲法を制定しない(不文憲法)とするのかといふ点については、破棄決議(立法行為)において確定されなければならないことになる。

このやうに、「破棄」とは、私法の領域でいふ「取消」と似たところがある。しかし、この「破棄」の用語は、法律用語として一義的な厳密さはなく、占領憲法が「無効」であるから、これを形式上も排除する趣旨で「破棄」するといふ用語例もありうるから、これは法律用語といふよりも日常用語ないしは政治用語であつて、厳格な定義を求められる「効力論」の領域にこの不明確な概念である「破棄」の概念を持ち込むことは妥当ではない。

失効

さらに、これに類似したものとして「失効」がある。これは、一旦成立し、しかもその効力要件(有効要件)を満たしてゐるので「無効」ではなく、あくまでも「有効」ではあつたが、その施行後に、立法行為時(占領憲法制定時)に存在した社会環境や政治環境などに変化が生まれ、立法行為(占領憲法)をその後も継続して施行しえない事由が発生して、その立法行為(占領憲法)を将来に向かつて(あるいは制定時に遡つて)その効力が消滅することが確定することである。この「失効」には、改めて「失効」のための立法行為(占領憲法失効決議)は不要である。これは、「無効」の場合と同様であり、「破棄」の場合と異なる。

そして、この「失効」は、私法の領域でいふ「解除条件付法律行為」と似てゐる。つまり、これは、ある条件が成就すれば、それまで効力のあつた法律行為が自動的に消滅する場合であつて、この条件のことを「解除条件」といふ。たとへば、落第したら奨学金の給付を取りやめるといふやうに、法律行為の効力の消滅を将来の不確実な事実にかからしめることを条件(解除条件)とする契約のやうな場合であり、もし、落第すれば、改めて解除などの意思表示をすることなく当然に消滅するのである。

また、私法の領域において、この解除条件成就による「失効」と類似したものとして、「事情変更の原則」による「失効」がある。これは、当事者が予期しえず、当事者が認識してゐた信頼関係を破綻させるやうな著しい事情の変更が事後に発生した場合には、その契約をその事情の変更の様相に対応させて改訂させ、あるいは契約を存続できない程度の事情が発生したのであればこれを消滅(解除、失効)させるといふ法理である。

これに関連する学説として、占領憲法無効説の一種とされてゐる占領憲法失効説がある。この失効説は、我が国が独立を回復したこと(占領終了)を解除条件とし、あるいは、その背景には独立の回復を以て社会環境や政治環境の変更があつたとして、その時点において占領憲法は「失効」したする見解であり、憲法としては無効であるが、占領憲法といふ名の占領目的の「管理基本法」としては独立回復(占領終了)までは有効であるとする。

しかし、占領憲法は、最高法規性を謳ひ(第97条)、憲法尊重擁護義務(第99条)を規定することからしても永続性を予定してをり、我が国が独立するまでの時限立法の趣旨を含んではゐない。

また、ポツダム宣言第7項には、「右の如き新秩序が建設せられ、且日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証あるに至る迄は、聯合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、吾等の茲に指示する基本的目的の達成を確保する為占領せらるべし。」とあり、わが国の独立回復(占領終了)は、ポツダム宣言による「保障占領」の目的達成後に実現されることが予定されてゐた。それゆゑ、独立回復(占領終了)は当初から予期されたことであつて、その後の独立の回復は予期しえない事情の変更ではない。

また、帝國憲法の改正として成立したとする占領憲法が何ゆゑに「占領管理法」といふ「法律」なのか。憲法改正としては無効であるのに、その下位法規である「法律」として有効であるとする根拠は何か。この管理基本法が独立回復(占領終了)を解除条件とする根拠はどこにあるのか。だれがそれを解除条件として決定(合意)したのか。この「管理基本法」といふ命名が、占領憲法を揶揄するためのものであれば単なる感情論であつて法律論ではない。このやうな点が解明されてゐないために、この失効説(旧無効説)は説得力を欠いてゐると云はざるをえないのである。

廃止と改正

さて、「廃止」と「改正」とは、立法行為(占領憲法制定)を「有効」とした上で、事後にそれを消滅させ(廃止)、あるいは変更(改正)する立法行為である。これは、いづれも占領憲法を有効とすることを前提とする点において共通する。条項的な変化としては、前者は全部削除、後者は一部削除と一部追加である。

また、「廃止」と「改正」は、その立法行為を行ふことの理由があることが普通であるが、その理由は何であつてもよい。内心は、押しつけ憲法であるといふ愚痴であつてもよいし、気に入らないからといふ気まぐれでもよいし、表向きは、時代に対応できないといふ現実論であつてもよく、特に理由は限定されてゐない。否、理論的には何らの理由も要らないのである。

そして、この「廃止」とは占領憲法の全否定であり、この方向と対極にある理念が占領憲法の「護憲論」である。その護憲論には、占領体制を占領憲法のまま完全に維持するとの「護憲論」と、占領憲法を修正しつつ、あくまでも占領体制の基本を維持するとの「改憲論」があることは既に述べたとほりである。

ただし、「廃止」した場合、帝國憲法に復原するのか、新たな成文憲法を制定するのか、あるいは成文憲法を制定しない(不文憲法)とするのかといふ点について、「廃止」の際に確定しなければならないことは「破棄」の場合と同じである。

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