各種論文

トップページ > 自立再生論目次 > H22.04.30 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第二十回 祭祀と和歌」

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第二十回 祭祀と和歌

やまとうた ことたまふりて こゝろむす ことはのたねの もゆるあしかび
  (大和歌 言靈振りて 心産す 言葉の種の 萌ゆる葦牙)


「古今和歌集」の仮名序の冒頭には、「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。」とあり、「しきしまのみち」(八雲の道、歌道)が説かれてゐます。この中に、「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし」とありますが、これはまさに和歌(やまとうた)には言霊の力があることを意味してゐます。


和歌(やまとうた)が記録上初めて登場するのは古事記です。最古の「やまとうた」は、古事記にある、八雲立つの歌、つまり、スサノオノミコトが詠まれた、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の和歌とされてゐます。

この八雲立つの歌には、歌意の言霊もさることながら、さらに別の意味があります。それは、この歌が三十一文字の数霊を示してゐることです。つまり、(や)八雲立つ (い)出雲八重垣 (つ)妻籠みに (や)八重垣作る (そ)その八重垣を の各句の頭を繋げますと、や(八)・いつ(五)・や(八)・そ(十)の合計で三十一となつてゐることなのです。つまり、和歌(やまとうた)は、五・七・五・七・七の三十一文字(みそひともじ)で表せる歌ですが、この句形の中に言霊を織りなすことができる妙味があります。

この世の中はすべて雛形構造ですから、万物の事象において「かたち」が必要となります。かたち(形)があるから、その中に「こころ」を盛り込むことができます。「から」(柄、幹)と「たま」(禮、魂)の関係です。ですから、和歌の句形は、御靈代(みたましろ)といふことができます。


また、先ほどの古今和歌集の仮名序に、「このうた、あめつちのひらけはじまりける時より、いできにけり。」といふところがあります。これは天地開闢の「はじめに歌ありき」といふ意味です。大和歌(和歌)は、まさに祭祀のためのものであり、祭祀に用ゐられる祝詞の原型を意味します。祝詞の原型は、和歌(やまとうた)であり、これからの祝詞は、この原型である和歌(やまとうた)に回帰する必要があるといふことです。


万葉集の時代からそれ以後も、和歌は階層の区別なく遍く詠まれましたが、その後、時代が下るに従つて、和歌は、流儀や用法などによる制約ができたり、流派や歌壇が生まれたりして、特別の階層にだけに独占される用法や、妙な理屈をこねた歌学なるものも生まれました。和歌は直観世界のものであつて、歌学といふやうな論理世界で語られるものではありません。和歌を論理的に捉へた瞬間に、和歌の世界は汚されてしまふのです。このことが理解されず、やたらと用法や技法に拘るやうになつてしまつたのです。

たとへば、和歌の末尾に「つゝ」を用ゐる用法は、「つゝ留め」と呼ばれ、一般庶民が使つてはならないとする歌学と流派が生まれます。「つゝ留め」とは、たとへば、「君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我衣手に 雪は降りつゝ」(光孝天皇)の歌のやうに、末尾に「つゝ」を用ゐて詠嘆の趣きを表現する用法のことです。この用法を一般的に使ふことを禁止し、その免許を得た人だけ用ゐることができるとして、歌の世界は狭い歌壇だけに独占されてしまつたのです。


しかし、このやうな和歌の独占状態から解放して、いつでも誰でもが広く和歌に親しめる万葉集の世界へと回帰しようとする文化復興運動が江戸期に起こりました。明治になつて、宮中恒例の歌会始の行事が始まり、一般からの詠進が許されることに至つたのは、この運動の成果です。そして、それが単なる文化復興運動にとどまることなく、国学発祥の源流となりました。つまり、国学は、下河辺長流やその弟子の契沖が和歌を中心とした文化復興運動から発展してきたものなのです。ですから、和歌には、国の内外を問はず地名や人名は別として、漢字語や外来語を一切用ゐず、大和言葉のみで表現することによつて、靈歌(魂歌、たまうた)、神歌(かみうた)、心歌(こころうた)、齋歌(まつりうた)となり、和歌は祝詞、歌は祭祀となり、歌道(しきしまのみち)は祭祀の道となつたのです。

ですから、国語の乱れは和歌の乱れの投影です。和歌に漢字語や外来語を用ゐたり、三十一文字の句形を乱して散文詩のやうになつたことが、言葉を見出し、言霊を曇らせる結果となつたのです。このことは童謡や歌謡曲などの音楽の世界についても同じです。歌詞に、外来語や漢字語が入れば入るほど言霊は響きません。外来語や漢字語は、論理表現に用ゐるためのもので、学問用です。これに対し、「やまとことのは」は、直観表現に用ゐるためのもので、和歌用です。音楽も、旋律と歌詞の調和によつて人の心に迫るものですから、決してこれは学問ではなく、だから「音楽」であつて「音学」ではないのです。この歌詞の乱れが言霊を乱し、旋律との不調和が音霊を乱します。


さて、言霊については、第四回でも述べましたが、江戸期には、五十音図の各音や「あかさたなはまやらわ」の各行には固有の意味があるとして、「一行一義説」や「一音一義説」などの音義説が唱へられたことを踏まへると、和歌は、その各音または各行の言霊を組み合はせた織物のやうなものですから、やはり言霊の素となる五十音を重視しなければなりません。

さうすると、この各音の並べ方もまた「言霊の織物」となるもので、その織物のパングラム (pangram)、あるいは、いろは歌アナグラム(anagram)が、これまで多くの人によつて作られてきました。

その言霊の織物は、一般には「手習ひ歌」と呼ばれ、その代表的なものは、「いろは歌」です。「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」(色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず」です。仏教の無常観を描いたもので、これまで一番定着してきた手習ひ歌です。

これは平安期のものですが、平安期に作られた手習ひ歌は、これ以外にも沢山あります。まづ、「あめつちの歌」です。これは、「あめつちほしそらやまかはみねたにくもきりむろこけひといぬうへすゑゆわさるおふせよえのえ*をなれゐて」(え* =ヤ行の「え(je)」)(天地星空山川峰谷雲霧室苔人犬上末硫黄猿生ふ為よ榎の枝を馴れ居て)といふものですが、これは脈絡のない単語を並べただけのものでした。

さらに、「たゐにの歌」といふものあります。これは、「たゐにいて なつむわれをそ きみめすと あさりおひゆく やましろの うちゑへるこら もはほせよ えふねかけぬ」(田居に出で菜摘むわれをぞ君召すと求食り追ひゆく山城の打酔へる子ら藻葉干せよえ舟繋けぬ)といふものです。

「あめつちの歌」と「たゐにの歌」は、いづれも言霊の低いもので、現在では全く使はれてゐません。


また、明治三十六年「萬朝報」に応募して採用された「とりなく歌」といふものもあります。これは、「とりなくこゑす ゆめさませ みよあけわたる ひんかしを そらいろはえて おきつへに ほふねむれゐぬ もやのうち」(鳥啼く声す夢覚ませ見よ明け渡る東を空色栄えて沖つ辺に帆船群れゐぬ靄の中)といふものです。

最近のものとしては、鹿児島の西郷南洲顕彰館にある「南洲歌」(平成十八年秋、中山典之作)があります。これは、「ゐしんにほろひ われをえす のそみつなけて へいねらむ うゑきゆくちこ おともせよ あめふりやまぬ たはるさか」(維新に亡び我を得ず希望つなげて兵錬らむ植木行く稚兒お伴せよ雨降りやまぬ田原坂)といふものです。


最後に、吉野山の吉水神社に奉納させていただいた小生の手習ひ歌を披露させていただきますと、「あまつくにから ゐをこえて よひぬちふゆる やそわせも うゑねとほさへ すめろきは たむけいのりし おんみなれ」(天津國から居を越えて夜昼ぬち殖ゆる八十早稻も植ゑね(根)と穗さへ天皇は手向け祈りし御身なれ)の「あまつうた」(平成二十年九月十四日作)があります。これは、これまでのものと異なり、すべて清音のみの大和言葉による今様歌です。この解説につきましては、このホームページでも少し触れてありますが、吉水神社に奉納いたしました際に社務所に備へ置かしていただいた解説書を参考にしてください。


ともあれ、この四十八音の言霊を紡いで詠はれる和歌は、賢(さか)しらく論理で展開して語る膨大な字数による文章と同じ思ひを、僅か三十一文字で、より深い意味を含めて表現できるものであり、世界にこのやうなものは外にありません。

この祭祀の道の連載において、冒頭に和歌を掲げたのは、その和歌による言霊の直観世界が、それ以下に述べてゐる論理世界と同等か、あるいはそれ以上であることを「直観」されることを期待してのことです。

言霊は直観世界のもので、和歌は、それを運ぶ船であり、言霊の織物です。それが和歌の本質です。決して論理世界のものではありません。そのことは祝詞についても同じです。現在の祝詞は、余りにも論理世界に浸つた表現となつてゐます。それゆゑ、祭祀の祝詞は、論理的なこれまでの祝詞の形式と表現ではなく、直感世界の和歌の「から」(句形)に、やまとことのはの「たま」(言霊)を織りなして、個々の祭祀毎に、それに相応しい和歌にしてほしいものです。できれば子孫の自作のものを御先祖様に手向け祈りて感謝することができれば、まことにすばらしいことです。



平成二十二年四月三十日記す 南出喜久治


前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ