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トップページ > 自立再生論目次 > H24.05.01 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第三十八回 和歌と言霊」

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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第三十八回 和歌と言霊

よきよきぬ めさめゆつみを かみのての みかをみつゆめ さめぬきよきよ
(良き世来ぬ目覚め斎つ海を 神の手の甕を満つ夢醒めぬ清き世)

これは私が神歌として作つた回文歌(回文和歌)です。上下どちらから詠んでも同じになる和歌です。

平安期にも、

なかきよの とをのねふりの みなめさめ なみのりふねの をとのよきかな

といふ有名な遊び歌が作られ、他にも現在に至るまでいろいろな歌が作られてゐます。


回文は、和歌や俳句だけでなく、「ちち」、「はは」、「みみ」などの二文字、「しるし」、「かすか」などの三文字、「たけやぶやけた」、「こねこのこねこ」などの七文字など、文字数によつてさまざまなものがあります。これらは、遊び心によるものですが、回文であることの特徴は、その響きにおいて安定したものがあることです。安定したものは、心のやすらぎを与へます。これも言霊のなせる技です。


また、回文ではなく、上から読むのと下から読むのとで意味が異なる言葉遊びもあります。子どもの言葉遊びに、「てぶくろ」とその逆の「ろくぶて」などがあり、これらは回文を越えた言葉の妙味を味はふものです。


このやうな言葉遊びから始めても、だんだんと和歌に親しんでくると、歌心が解つてきて歌の道を進みます。歌心は大和心であり、言葉遊びから入つたとしても徐々に和歌に馴染んでくると、自づと大和心を強め民族の本能を鍛へます。そして、大和心を強めれば祭祀の道を歩み続けることができます。これは本当に不思議なことです。ですから、ただ実践あるのみです。


和歌は、言霊の船です。船は、海原を掻き分けて進むものですから、当然に進みやすい船型でなければなりません。五七五七七の三十一文字の型は、言霊を乗せた船を進ませるために最も相応しい船型と云へます。


ところで、歴代の天皇は多くの和歌を作られました。御製は、叡慮や宸意を和歌に託された「みことのり」です。これを臣民が謹みて受け継ぐことは大切であり、御製を受けてその叡慮を実現することの決意を表すには、臣民もまた和歌に託して答へなければなりません。それが臣民の返歌です。


たとへば、楠木一族を悼まれた後醍醐天皇が吉野の南朝元宮である吉水院で詠まれた御製に、

あだにちる花を思ひの種としてこの世にとめぬ心なりけり

があります。

楠木一族は、二念のない尽忠を示して花と散りました。そして、七生滅賊(七生報国)の心の種を我々に残しました。皇恩に報ゆる臣民の生き様の模範です。

「楠木」とは、「木」「南」「木」に分けられ、「木」と「木」に囲まれた「南」の字を戴いて、それより出でたのが「南出」の姓の由来であるとの自覚から、私は、この御製を強く意識してゐました。

そして、この吉水院が神社として改まつた吉水神社の平成二十年秋の大例祭に返歌としての奉納した手向け歌が、

よしみづに きみとめられし みこころの おもひのたねを おふしみのらせ
(吉水に君とめられし御心の思ひの種を生ふし實らせ)

でした。これは、平成の中興を成し遂げることを誓つて詠める反歌です。


言葉(やまとことのは)を声にすると、言葉には言霊を宿すために、それを実現する力があります。歌は、それが広く知られて詠唱されれば、それに秘められた言霊が幸きはふのです。

ですから、みことのりである御製を世に広めて詠唱することは、伝統護持の文化運動であり、教育運動でもあります。そして、それによつて潜在的に政治への大きな影響をもたらすことになります。


特に、真正護憲論(新無効論)の立場からすれば、
明治天皇の御製である、

よはいかに ひらけゆくとも いにしへの くにのおきては たがへざらなむ

を重視して広く詠唱する必要があります。

また、昭和天皇が、ポツダム宣言受諾の折に詠まれた

国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

と、昭和二十一年の歌会始で詠まれた

ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松とををしき人もかくあれ

の二首の御製をもつと広く知つてもらひ、繰り返し詠唱する必要があります。


これによつて、人々の心に感性に、真正護憲論(新無効論)を浸透させることができます。歌心がなく、祭祀もしない「理性的」な人が、いくら理論として真正護憲論を理解しても臣民としては完成できないのです。逆に、真正護憲論(新無効論)を蛇蝎の如く嫌つてゐる人であつても、歌心を持ち祭祀を守る人であれば、真正護憲論(新無効論)が祖国再生のための理論であることを理解するときが来ます。


そして、この御製の詠唱については、できるだけ多くの人が一堂に会して何度も詠唱することが望ましいのです。さうすれば、言霊が震へて多くの人の心が共振します。

これによつて、「よみかへり」をするのです。

「よみかへり」(蘇り)とは、詠み反りする(何度も詠唱すること)によつて、黄泉(よみ)に帰ることであつて、循環無端の魂の再生を意味する言葉です。

言霊は、再生し続けることによつて永遠の命を授けてくれる聖なるものです。祖霊は言霊とともにあり、それが皇霊へと繋がります。これを理解して実践すれば、和歌と言霊と祭祀が不即不離の関係にあることを体感できるはずです。


冒頭の回文歌を作つた動機は、ひつくり返つても同じ姿勢を保つ「循環無端」の球体(まほらまと)を意識した言祝ぎの歌を作りたかつたためです。解説はしませんが、それなりに味はつてみてください。

平成二十四年五月一日記す 南出喜久治