國體護持總論
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著書紹介

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交換經濟と自給自足經濟

リカードなどに始まる自由貿易と分業によるグローバル體制は、もし、世界と地球が無限大の存在であれば行き詰まることがないかも知れない。世界各國が宇宙開發への關心を高めるのも、無限大の方向に發展し續けることを夢想してゐることによるものである。しかし、人類は、地球を離れることはできない。地球もこれ以上大きくなることもない。さうすると、無限大方向への發展は限界があるので、必ず限界に達するのである。にもかかはらず、無限大方向への發展を追ひ續けることは大きな矛盾があり、いつしか限界點に達して破綻に至ることは必至である。それは矛盾を增幅させる惡循環であり、飽和絶滅の方向へと、より加速して行く。現在の社會と經濟などの世界の大きな仕組みに缺陥があり、そのために次々と問題が發生し、それを解決できる自淨作用が働かずに破滅へと向かふのである。では、この仕組みの缺陥とは一體何であらうか。

それは、繰り返し強調するとほり、賭博經濟を生んだ土壤である商品經濟と貨幣經濟である。賭博經濟は、この商品經濟と貨幣經濟に寄生して咲き誇つてゐる徒花であり、これだけを驅除できない事態になつてゐるのである。

これまでの「商品經濟」とは、自給自足といふ財の生産と消費の一體性が崩壞して、生産と消費とが分離され、他者との分業と交換によつて成立した經濟であつて、自給自足經濟と對極にあるものである。當初の商品經濟は、「餘剰」の生産物が商品となつたが、資本制經濟による利益追求原理から、商品は「餘剰生産物」ではなく、明確に「販賣目的」の大量商品となつた。

交換の媒介として貨幣を用ゐなくとも商品經濟は成立するが、交換流通の効率を追求することによつて例外なく貨幣を用ゐた「交換經濟」となつたことから、貨幣を交換媒介とする「貨幣經濟」は、さらに「商品經濟」の發達を加速した。それは貨幣が交換價値の尺度となり、交換價値比較を簡素化し、國内だけに止まらず、貿易決濟にも用ゐられて世界的に擴大した。そして、貿易と金融といふ實體經濟の後を追ひかけて、虚業の賭博經濟を蔓延させる結果となつたのである。

しかし、前にも述べたとほり、共産主義のやうに、いきなり商品經濟や貨幣經濟などを廢止することで問題が解決するものではない。商品經濟と貨幣經濟などを自給自足經濟と對立させるのではなく、「將來において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を繼續する。」のと同樣、「將來において商品經濟や貨幣經濟、そして信用取引をなくす目的のために、その手段として商品經濟や貨幣經濟、信用取引を繼續する。」といふことである。

基幹物資の自給率を向上させる方向を目指すのと同樣に、自給自足經濟社會の「普及率」を向上させる方向を目指すのである。さうすれば、貿易依存率も徐々に低下し、海外の金融資本に依存する比率も低下し、その徒花のやうに世界を蠶食し續けてきた賭博資本も消滅して行く。

マルクスは、この交換經濟を是正する方法を用意せずして、一擧に貨幣制度を廢止しようとした點において、理論的にも根本的、致命的な誤りがあつたのである。しかも、貨幣制度を來たるべき社會の實現にとつて、不倶戴天の敵として憎惡の対象としてしまつたことに破綻の原因があつた。しかし、方向貿易理論により自給率を向上させる過程において、商品經濟と貨幣經濟は、自給自足經濟を補完し、これと兩立共存しうる點において決定的な相違がある。

そして、世界がさういふ方向に動き出せば、金融資本は、國内單位のみで循環することになり、國際金融は消滅の方向へと向かふ。賭博經濟は次第に失速して、早晩、國際的な博打場である外國爲替相場市場は縮小され、「實業」の貿易決濟だけを行ひ、それも徐々に終息する。勿論、賭博資本は撤退を餘儀なくされ、マネーゲームは終息するのである。そして、賭博經濟は終焉を迎へ、金融商品の先物取引は勿論、投機的な商品の先物取引などの「虚業」は結果的に禁止されるに至るのである。つまり、證券取引所も閉鎖され、株式、社債その他の多くの金融商品の賣買は賭博經濟の終焉と運命を共にする。

そもそも、株價や爲替の變動は、國家や會社の財政状態や經營成績の變動の投影ではなく、これとは無縁の政治的經濟的意圖による實態のないアナウンス效果によつて右往左往してゐるものであることは周知の事實なのである。一般に人々の生活が賭博によつて影響されるやうな國家や社會を擁護する者は、人類の敵であると云つて過言ではない。

雇用を生み出す會社組織は、投機株主や投資株主のものではない。働く者のものである。株式制度や會社制度を廢止して、經營者と勞働者の共有といふ企業組織制度を確立すべきである。そして、雛形理論に基づいて、さらにその企業組織制度を家族制度に相似したものとして改革されなければならない。

ともあれ、このやうな樣々な制度改革を實行して自給率を漸次向上させたとしても、國家によつては、一國だけで自給自足が直ちに實現しえない事情もある。そのやうな場合は、經濟ブロックを形成し、經濟的國家連合を結成することになる。そして、その經濟ブロック内の國家間の貿易と、そのブロック外の國家との貿易とを區別して、後者から前者へと轉換させる。そして、最終的には、經濟ブロックを解消して、各國の自給自足體制を確立させるといふ多段階方式でこれを實現する。

なほ、基幹物資の中には、石油などのやうに特定地域に偏在してゐるものがあることから、基幹物資ごとに自給自足の經濟ブロック單位を設定し、その極小化を圖る。勿論、その場合は、新たな代替エネルギーの確保と開發がなされれば、徐々にその經濟ブロックは縮小し、さらには消滅する。

ただし、現在のところ、石油に代はる基幹物質は存在しない。石油は、エネルギーとして基幹物質であると同時に、種々の製品や商品の原材料としての基幹物質でもあり、しかも、食料の原價としても組み入れられてゐる。石油は、原價的にも技術的にも、産業的汎用性が著しく高い資源である。それは、石油製品が生活の中に廣く入り込んでゐることからも理解できる。多くの製品、商品及び作物などの價格は、それを製造し栽培するための石油の原價で決定されてゐる。大量消費に向けられた農産物は、生産過程において石油や電力を費消し、その電力供給もまた石油の依存率が高いことからすると、原價的にみれば、農業生産物も石油製品であり工業生産物と同じである。それゆゑ、食料自給率とエネルギー自給率とは不可分の關係であることから、その觀點で自給率を見直すことが必要となる。我が國の食料自給率がカロリーベースで約四十パーセントであるとしても、石油の自給率が零に等しい現状では、實質的な食料自給率は絶望的な數値となるはずである。

ともあれ、石油は、「實業」の觀點からして、原料、製造、物流、生活資材など支配する「國際通貨」と同等の意味がある。消費財ではあるが、生産調整などによつてコントロールされた石油は、經濟の基軸となつてをり、世界の實體經濟(實業)においては「石油本位制」の樣相を呈してゐる。

それゆゑ、世界の自給自足體制の確立については、この石油に關して特別の配慮がなくてはならない。結論を言へば、究極的には、石油を「世界の公共財」として、生産國らの所有とさせないことが必要である。勿論、生産國の既得權益は認められるべきではあるが、メジャー(major)といふ國際石油カルテルや石油輸出機構(OPEC)などによる寡占状態は、戰後の國際體制に勝るとも劣らない邪惡で利己的なものであつて、世界を石油基軸のまま自給自足體制へと向かはせるのであれば、國連などによる國際體制と共に解體させなければならない存在である。

それゆゑ、自給自足體制へと向かふ國家が連合し、國連から脱退して新たな國際組織を結成し、石油利權の寡占組織との交渉窓口となつて、このやうな寡占状態から世界を解放させ、石油を「國際的公共財」とする努力を續けなければならない。

自給自足體制の確立のためには、このやうな問題があるとしても、方向貿易理論を各國が現實的に政策として數値目標を立てて實施して行けば、世界に大きな轉機が生まれ、これに異議を唱へる者に對しては、人類の本能を自覺させるやうな學習と教育の機會が與へられ、これによつて、世界の人類は共通した福利の認識に到達する必要がある。

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