國體護持總論
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著書紹介

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方向貿易理論

このやうに、國家の「經濟的自立」とは、國家が生存する上で必要最小限度の基幹物資の自給自足が實現されることを言ふのであり、そのことが政治的自立と相俟つて眞の獨立を意味することになる。しかし、政治的自立をしてゐる國家がそのことを自覺し、經濟的自立のために自立再生志向を國是として眞の獨立を目指そうとしても、現在の國際分業と相互依存のグローバル主義國際體制から容易に脱却することはできない。それは、「一國獨立主義」であり、自由貿易體制への挑戰である。それでも、この世界の趨勢に抗して、自國の自給自足體制を確立する努力を續けて行かうとすると、その課程において、この動きを阻止しようとするグローバル主義に毒された國家群の反發その他の事情によつて、自國において現時點で必要な基幹物資の供給を確保しえない不測の事態に遭遇することはありうる。つまり、段階的に基幹物資の輸入を減少させて行く自立再生志向の國家の基本方針を妨害しその方針を破綻させようとして、グローバル主義國家群が自立再生志向の國家に對する基幹物資の輸出を突然に全面禁止する措置をとりうる危険性がある。

假に、そのやうな事態に至つた場合、自立再生志向の國家としては、眞の獨立と生存を維持しようとして、他國から基幹物資を軍事的に收奪することも、國家本能である自衞權の發動たる「自衞戰爭」として認められることになる。大東亞戰爭は、まさにこのやうな自存自衞のための戰爭であつた。これは大東亞共榮圈の經濟的自立(ブロック經濟)であつたが、その究極の理念として一國獨立主義を見極めてゐたことは確かである。

それゆゑ、現在の國際體制は、今もなほ、大東亞戰爭と同じやうな自給自足體制の確立を目的とした自衞戰爭の再發を防止するためのものであり、そのやうな自衞戰爭の再發を恐れるあまり、自由貿易と賭博經濟によるグローバル化を促進しようとするが、それが却つて世界と地球を危機に陷れることになるのである。

そもそも、江戸期までの我が國は、鎖國政策により自給自足經濟を確立させ、産業技術、文學、藝術など多方面に創意工夫が施された獨自文化を開花させてきた經緯がある。そもそも、「鎖國」といふネガティブな言葉は江戸時代には用ゐられてゐない。これは開國を正当化するためのデマゴギーとして用ゐられたものである。江戸期の我が國は、その民度において明治以降よりも高い側面があり、しかも、自給自足が実現できてゐた國家であつて、それによつて平和を維持してきたのである。これは、「鎖國」といふよりも、自給自足體制を崩壞させない限度において特定國との貿易を許容するといふ制限貿易制度であつた。むしろ、長崎出島にあるオランダ商館付の醫師として来日したケンペルやツンベルグは、このいはゆる「鎖國」を高く評價してゐたのである。

しかし、歐米列強が東亞各國に開國を強く迫つた結果、その後は世界の貿易經濟に飮みこまれ、次第に獨自の文化を崩壞させて行つた。このことは、南北問題における窮乏國家の傳統が破壞されて行くことと軌を一にするものである。開國して貿易することは活氣のある進歩であるからこれを是とする觀點からは、鎖國は沈滯と怠惰なものであるとの否定的な評價でしかない。しかし、「開國」か「鎖國」かといふ對外經濟交流の現象面の選擇に意義があるのではなく、「依存經濟」か「自立經濟」かといふ經濟體制の本質面の選擇が最も重要な國家方針の試金石であつたのである。しかし、そのころの我が國を取り卷く情勢は、生やさしいものではなく、與へられた選擇肢は、壓倒的な歐米列強の軍事力を前にして、「獨立」か「從屬」かの二者擇一状況の中での「開國」と「鎖國」といふ相剋であつた。

このやうな歴史から學べば、自給自足體制を確立することが國家と世界の安定と安全を實現することであり、それは、全世界の各地域の多樣な傳統と文化の再生と復權を目的とする世界思想であつて、懷古趣味や復古主義としての單なる「新鎖國主義」ではないことが解る。

これは、極度の民族主義や國家主義の實現のための「手段や目的としての鎖國」ではなく、「結果としての鎖國」を意味してゐる。「貿易」と「鎖國」とは對立した概念ではなく、手段と目的の關係として調整統合しうる概念なのである。つまり、これからは、「將來において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を繼續する。」といふ方向について世界的な合意がされるべきである。本を正せば、グローバル主義も、グローバル化が目的ではなく、手段であつたはずである。それは、世界の平和と繁榮を實現することを目的とし、その手段としての自由貿易によるグローバル化であつたはずである。それゆゑ、自由貿易によるグローバル化の手段に勝るとも劣らない他の手段があれば、それぞれの功罪と長短を吟味して、より良いものを選擇することに異議があるはずはない。

この思想には、これまでの思想とは少し異なる性質がある。前に述べた「世界思想」の構造を見ても解るとほり、一般に、何らかの政治、經濟的な變革を求める思想には、その確立された一定の具體的な内容があつた。それは目的と手段を示し、それに至る課程を説明するものである。第一章で示した、V字型世界思想構造のとほりである。ところが、「將來において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を繼續する。」といふ理論は、いはば「方向」のみを提示し、それによつて到達しうる具體的な目的や理想世界を示さない。強いて目的があるとすれば、それは完全自給による自立再生社會の實現といふ方向性の目的だけであつて、到達すべき具體的な社會構造を目的とするものではない。いはば、これまでの世界思想(理論)が「スカラー(状態量)」の思想(理論)であるのに對し、この理論は「ベクトル(方向量)」の思想(理論)である。そして、この理論を「方向貿易理論」と名付けるとすれば、この理論の利點は二つある。

一つは、具體的な社會構造の到達點を示すことはその價値觀を示すことになり、それが今までの思想對立の主な原因であつたが、この理論ではその問題が少ないといふ點である。

確かに、リカードらの自由貿易思想も、ある意味では逆方向を目指した一種の方向貿易理論であつたが、歴史的に見て、これが誤りであつたことが歸納的に證明されたことは前に述べた。しかし、現在の國際社會は再びリカードの亡靈思想が支配してゐる。ところが、この國際社會の目指す方向は一定してゐない。完全な自由貿易を追求するといふやうな徹底したものではないのである。自由貿易といふアクセルと保護貿易といふブレーキとを巧みに使ひ分けてゐるだけで、完全な自由貿易を達成することは世界により大きな混亂と不安を與へることを認識してゐるのである。それゆゑ、特定の「方向」がなく、既に自由貿易化した現状を修正しながらも維持しようとするものにすぎないのである。ところが、ここで云ふ「方向貿易理論」の「方向」には、全くぶれがない。どのやうな手段・方法であつても、各國、各地域の自給率を高めることが世界の安定化をもたらすことに疑ひはないのである。

二つめは、この理論は、反グローバル化運動や新保護主義、そして、後で述べる「自立再生論」とに共通した手段としての理論であり、これと矛盾しない樣々な思想や理論と連携しうるといふ點である。

世界には、多くの民族、宗教があり、各地の気候風土も樣々で基幹物資も偏在してゐる状況では、政治經濟社會構造を一律に提示する思想には本質的に無理なところがある。これまでの世界思想は、一律の政治經濟社會構造を全ての國家や地域に均一に押し付けるものであり、各國・各地の風土や文化などと適合せずに軋轢と對立を生じさせて行き詰まつた。しかし、自立再生論は、その理念を總論とし、各國・各地域の國情等によつてそれを各論的に無理なく實施しようとするものである。その意味では、この自立再生論は、グローバル化することの危険を本能的に感知する人々に共通した認識となるはずである。

そして、なによりもこの「方向貿易理論」の背景には、自己保存本能、自己防衞本能による世界の國家のすべてが有する「自衞權」が存在し、それは、國家の自己保存本能と自己防衞本能、そして世界秩序維持本能、世界秩序防衞本能に基礎付けられてゐるといふことの認識が重要なのである。それは、「宗教」といふスカラー的なものであれば對立を深めるが、「祭祀」といふベクトル的なものであれば融合して行くのと同じであり、ここにも雛形構造が認識できる。

では、これから、方向貿易理論を取り入れた私見である「自立再生論」について説明する前に、初めに、結論を云へば、方向貿易理論は、本能の指令によるものであるから、その方向を進めば、その必然的歸結として自然に自立再生論の社會と到達することになるといふことである。つまり、これは、我が國の規範國體であり、それが、すべての國家に共通する本能の指令による歸結としての世界の規範國體であるために、反グローバル化運動も新保護主義なども、すべてこれに收斂されることになる。

現代の大衆社會において、今まで自由貿易による飽くなき豐かさの追求をしてきた大多數の無自覺な人々であつても、このままでは國家と世界は危ふいといふ本能的豫感を感じてゐるはずである。しかし、突如として直ちに自由貿易を廢止して自給自足生活をすることに決定し、個々人も長期に亘つて耐乏生活を強いられるとしたら、當然に大きな抵抗が生まれる。それは、反グローバル化運動に携はつてゐる人々も例外ではない。その抵抗もまた本能である。本能には、物理學でいふ「慣性の法則」、つまり、物體は外力の作用を受けなければ、現状の状態を維持し續ける法則がある。靜止してゐる物は靜止したまま、あるいは等速度運動を續けたままといふことである。生體もこれと同樣の原理で支配され、それは物理系に限らず、精神系も相似的な原理で支配されてゐる。望むと望まざるとにかかはらず、奢侈に馴致して行くのもこの作用によるものである。それゆゑ、自由貿易の方向へと活動を續けるグローバル主義の人々に、それを中止させて方向轉換させることを急激に強いてはならない。徐々に摩擦抵抗により自動車が減速して行くやうに、長い距離と時間を必要とする。しかし、自由貿易の方向へは加速してはならないことだけは必要である。「ゆるやかな鎖國主義」(大塚勝夫)といふ考へ方とも共通するが、フルセット型産業構造(食料、原材料以外の自給自足體制)といふ考へ方は、我が國においては、『日本國とアメリカ合衆國との間の相互防衞援助協定』によるMSA(Mutual Security Act)體制から脱却するための過渡的なものと限定すれば暫定的には認めてもよいだらう。

そして、方向貿易理論に基づいて、各國は、自給率向上のための年次數値目標を立てて具體的に貿易量を減少させるための樣々な政策を打ち出して實施することになる。さうすると、貿易依存の産業は徐々に衰退する反面、自給自足へ向かふ方向の産業が活發となり、産業構造が自給自足體制へと次第に轉換して行く方向性が決定する。決して、これは耐乏生活を強いる方向ではない。むしろ、産業構造の轉換による新たな社會資本の增加や雇用が創出されるなど經濟は發展し成熟して安定する。

そして、自由貿易が徐々に減速して行くと、次第に自給率が向上して行く。この進行速度は、基幹物資ごとの性質と事情もあつて一律ではないとしても、自給自足が實現できる地域的、構造的範圍が次第に擴大して行く。なぜならば、これまで世界の各地域において、自給自足の生活をしてきた人類の過去の記憶が本能的に甦るからである。それは、あたかも既視感(デジャビュ)の如く、本能に導かれて樣々な方策を編み出しながら歩み始める。そして、次第に各國や各地域の一部に、獨立した閉鎖系が生まれ、それが他の國と地域に傳搬していくのである。これは、一個の母細胞が徐々にいくつかの細胞に分裂して增殖して行く姿にも似てゐる。

ライプニッツは、宇宙の組成單位を物質的ではない靈的な不滅の實體(モナド)とし、全世界のすべてのモナドの相互關係や統一的な秩序が神(宇宙意志)によつて支配されてゐるとし、それを「豫定調和」としたが、もし、人類が特定の方向にその意志を定めれば、その豫定調和に向かふといふことになる。このことからすれば、この方向貿易理論に基づき、世界がその意志を共有し、各國が自給率向上政策をそれぞれの事情を踏まへ創意工夫して推進し續ければ、豫定調和として自立再生社會が實現するといふことになるのである。

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