國體護持總論
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單位共同社會

民度の向上が國家の健全さの指標である。これは、經濟統計上の數値と指標では到底認識しえないものである。ブータン王國の前國王が提唱した國民總生産(GNP)に代はる國民總幸福量(GNH)といふ概念も、同じ思ひから生じたものである。

我が國において、神道的な部民制の時代においては、祭祀の「齋(いつき)」を鎭守し、文化、教育、醫療、治水、農業、畜産業、林業、漁業、鑛業、工業その他の産業に關する技能や技術の習得については、職能別の專門集團が徒弟制度などによるその技術の承繼と教育を施した。これは、大政翼贊會運動における「職域奉公」に通底するものがある。それが「部民」であり、「部(べ、たむろ)」は、場所と集團とが一體となつた概念であつて、それが古代における自給自足の單位となつて民度を高めてきた。

このやうな原始風景に導かれて、世界各國が自立再生經濟に向かへば、將來は次のやうな理想社會が出現する。この理想社會の實現は、祖先への報恩であり、可愛い子孫への贈り物である。その豫測を示すと、かうである。

家族全員は大家族で生活し、その家で電力その他のエネルギーや食料を自給し、水も汚水處理して循環再生し、屎尿も肥料や硝石として再生處理して使用する方向へと向かふ。人類は、地球表層にある薄い地殻の上で生活をしてゐる。そして、その地殻のさらに薄い「土壤」と「水」が生活の場である。土壤と水から生まれ、土壤と水から食物を得て生活し、再び土壤と水に歸る輪廻の中に居る。土壤と水が命を育むのである。土壤と水が汚染されれば命(靈と體)も汚染される。そのためは、化學肥料や農薬、化學薬品や抗生物質などによつて、土壤成分や土壤に生息する有用微生物(土壤菌、土壤微生物、土着菌、土着微生物など)を減少・死滅させることなく、水を必要以上に汚染することなく、共生と循環を心がけなければならない。土壤と水とそこに棲む菌類などの微生物の世界は、大宇宙との雛形構造を持つ小宇宙である。土着菌(在來菌)と外來菌、さながら化學工場のやうな發酵と腐敗を行ふ微生物の働き、空中窒素固定する根粒菌(根粒バクテリア)と作物との關係などは微妙な均衡によつて營まれてゐるのである。

そして、土と水と作物などの關係と人の營みに缺かせないエネルギーについては、石油、メタンハイドレードなどの天然ガス、ウランなどに依存するのではなく、別の一般的な供給源によつて自給しなければならない。石油などに依存すると、その産出地が偏在してをり、しかもそれが原因で國際利權の対象となり國際紛爭の原因となる上に、これらを大量に消費すると、地殻表層の著しい變化を生じて、人類の生存環境に惡影響をもたらすことになるからである。望ましいエネルギーの供給源は、必ずや人々が誰でも容易に手が屆く土壤と水の中にあるはずである。大掛かりな裝置が必要であつたり、レアメタル(稀少金属)などの調達困難な稀少物を用ゐる技術であれば、これもまたその爭奪が原因で國際紛爭を引き起こすことになる。力學的及び熱學的エネルギー保存の法則、質量保存の法則、ファラデーの電氣分解の法則、熱力學第零法則、熱力學第一法則、熱力學第二法則、熱力學第三法則などからすると、他からエネルギーを得ず、または得たエネルギーより多くのエネルギーを生みながら永久に動く第一種永久機關や、唯一の熱源からの熱を完全に他のエネルギーに轉換する第二種永久機關もまた不可能とされてゐる。しかし、關與する対象や状態に關係なく一定の數値を保つとされる物理學の「普遍定數」が超傳導状態では適用されないことなどからすると、特別の諸條件が滿たされれば、ファラデー定數が適用されない電氣分解なども不可能ではない。特定の裝置によつて自然界から電氣エネルギーを得て永久に稼働させる一種の「永久機關」が開發されることが不可能であるとは斷定しえない。特に、核分裂や核融合の場合は、これらの保存則が質量・エネルギー保存の法則まで擴大されることになるので、その可能性はある。

核分裂や核融合のことについて云へば、放射性物質が、外的條件とは無関係に一定割合で崩壞し續け、さらに、少ない確率ではあるが自發核分裂を起こす不安定な性質を利用して、人爲的に高速裝置で加速した陽子、中性子などを照射衝突させて核分裂をさせ、その連鎖反應が臨界状態を超えれば爆發(原爆)が起こるのである。この臨界状態を維持しつつ、核分裂エネルギーから熱エネルギーに轉換して、さらにそれを從來の發電技術によつて發電するのが原子力發電であるから、この技術は、超臨界となる致命的な危險を常に抱へてゐる。また、核融合の場合も、超高温の熱運動を附與すれば、同樣の爆發(水爆)が起こる。しかし、核分裂に自發核分裂があるのと同樣、核融合にも自發核融合、つまり、常温核融合があると推定するのが自然である。世界には、水程度の攝取だけで長期の絶飲食を續ける「無食(不食)生活者」(Bretharian、ブリザリアン)が数萬人存在することからすれば、常温核融合や常温原子轉換は、人間も含め全ての生體内でも起こつてゐると推定される。長期の無食(不食)生活は、水と太陽光による光合成が營まれてゐるとの推定もはたらくが、この現象は、生命維持物質への原子轉換や常温核融合によるエネルギーの獲得をしてゐるとしか説明がつくものではない。原子轉換や常温核融合といふのは、國歌「君が代」の「細石の巖と成りて(さざれいしのいはほとなりて)」が暗示する世界である。それゆゑ、自發核融合を土壤と水から得られる触媒物質と簡易な原理によつて、世界のどこでも誰でもが常温核融合による電氣エネルギーを供給しうる單純明快な技術と方法が發見されるはずである。もちろん、その方法と技術は必ずや土壤と水から生まれてくるので、特定の者や特定の國家がそれを獨占することがなくなる。獨占しようとしても、獨占できなくなる。このことによつて、世界は、食料とエネルギーなどの基幹物資の爭奪状態から完全に解放されて眞の平和が達成できる。

そして、農業、畜産業、林業、漁業においても、土壤と水との關係が重視される。特に、内水面漁業、汽水域漁業及び近海漁業と農業、林業との關係は密接不可分なものがある。山の雜木林にある落葉樹が散らす落ち葉が枯葉となつて山間に堆積し、微生物の作用によつて腐葉土となり、それが雨水とともに河川に流入して河川内で食物連鎖がなされ、それが上流から下流、河口、さらに汽水域から近海まで續いてゐる。その養分を含んだ河川水が農業用水として利用されることによつて田畑も潤ふ。それゆゑ、山には落葉のない常緑樹だけしかない植林政策は、内水面漁業や近海漁業を衰退させるのである。そのため、農業、畜産業、林業などは、分業化、細分化をやめて合業化(統業化)すること、つまり、農業、畜産業、林業などを循環的に連結させた複合農業へと移行することになる。そこでは、微生物から水鳥(アヒル、マガモ、アイガモなど)までの食物連鎖を活用して、不耕起、不除草、不施肥ないしは有機肥料、無農藥の自然農法を實現して、これまでの慣行農法から脱却し、水と土壤の均衡によつて「地力」を高め、收穫量と收穫効率の向上を目指すことになる。

また、漁業においても、食物連鎖による生態系を安定させ、あるいは緩やかな變化を維持させることが必要となる。そのためには、生態系の激變を生じさせる特定種の驅除も必要とされる。また、それ以上に必要なことは、商業主義の要請に翻弄された亂獲を禁止しなければならないのである。均一した畫一的で小綺麗な粒揃の水産商品とするために、大きさの異なる稚魚や成魚を消費に向けることなくそのまま廢棄してしまふ。これによつて、漁獲高と流通量(消費量)との著しい乖離を生じさせてゐる現實が横たはつてゐるからである。

これらのことを踏まへた上で、水稻、陸稻、その他の種苗の保存、備蓄、土壤栽培、水耕栽培、植林、伐採などの技術、その中でも、穀類と蔬菜類(根菜類、莖菜類、葉菜類、花菜類、果菜類)のきめ細かい栽培技術、加へて、魚介類の捕獲、養殖、加工、保存などの技術、さらには、農地耕作における裏作、二期作、二毛作の技術、連作障害を回避する技術、好氣性菌、嫌氣性菌、発酵菌などの微生物の性質による選別とその活用の技術、触媒・負触媒の活用の技術、土壤・水質の維持と改良の技術、肥料、飼料、保存食の製造と備蓄の技術などを集積させ、それを平場、中間、山村、漁村などの區域區分、氣候、風土の異なる地域區分毎に分類整理されて、全國、全世界の人々が互ひに協力して自立再生社會を目指す。そこには、生産者であるとか、消費者であるとかの區分や特權意識はない。全ての人々が生産者であり消費者であり、全人的な生活者となる。人々は、心身を鍛へ德器を磨き、娯樂や遊興に節度を保ち、公共・公益のための學問と技術の研鑚、人格の形成に熱心であり、世界の隅々まで情報通信網は網羅され、いづれの人々も閉鎖循環系の自給自足社會が極小化した最小單位としての共同社會(以下「單位共同社會」といふ。)に屬してゐる。この單位共同社會は、水脈や地勢を基準として地理的、地政學的かつ生態學的に決定される。水は、生活と産業において最も不可缺なものであり、山から泉が湧き、それが川となつて農村と都市を潤して海へと注がれ、その海から雲が起こり、やがて山河に雨を降らせ、山河はこれを水源として涵養し、一部は地上水、他は地下水として再び循環するといふ「水の輪廻」を基準として、各閉鎖循環系の極小化された自給自足社會の最小單位となる「單位共同社會」は構成される。

自立再生論によつて實現する社會(自立再生社會)の單位社會である「單位共同社會」を「やまとことのは」で表現するとすれば、「まほらまと」が相應しいと思はれる。「まほら」とは、秀でた場所(土地)、つまり理想郷のことであり、「まと」とは、循環無端の「圓」であり「玉」であつて、それが「的」(目標)でもある。これは、方向貿易理論と効用均衡理論を驅使して閉鎖循環系の再生循環經濟構造によつて實現する自立再生社會の單位共同社會を意味する言葉なのである。

人々は、原則として、その單位共同社會(まほらまと)内で、その他の生活必需品の調達をし、醫療、教育及び勞働の機會を持つてゐる。その形成過程にある單位共同社會(まほらまと)は徐々に自給率を高めて行き、そして完全自給を達成して、さらにそれが極小化して行くのである。極小化するのは、物的交流の範圍と生活據點であり、人的交流、情報交換の範囲は、これとは逆に極大化する。

そして、海も空も川も湖も澄んでをり、生きとし生けるものは山河と共生してゐる。この單位共同社會(まほらまと)の地理的範圍は、我が國を例にとれば、單位共同社會(まほらまと)とは無縁の線引きで區別された都道府縣市區町村や、その單なる組合せである道洲制の構想などとは根本的に異なる。豫算爭奪のための地方分權などは些末で危險に滿ちた議論である。重要なことは、自立再生經濟への取り組みなのである。

それが方向付けられれば、すべての問題がこの方向で收斂していく。たとへば、雇用問題も然りである。究極の雇用對策とは、雇用生活者をなくすことである。つまり、自立再生社會となることは、分業體制から合業的統合へと向かひ、人々を企業の被用者から自營者家族の一員へと轉換させることであり、雇用關係に伴ふ紛爭や諸問題を質量共に縮小することを意味する。雇用の創出といふ雇用政策は、雇用が單位共同社會(まほらまと)の中に吸收されて行くことにより、相關的に不要となる。

經濟は、自立再生社會の建設を目的とした無限小への方向で内需を擴大して成長し續け、單位共同社會(まほらまと)の基盤となるべき「家産制度」が復活する。土地の利用と譲渡は、自立再生社會を實現するための家産形成の目的のために制約を受ける。そして、人々の「富の認識」は、家産の取得と基幹物資の備蓄へと變化し、これまでの富の認識を基礎付けた貨幣制度は、徐々に補助的なものとなる。

拜金主義は霧散し、家族團欒が復活して、「もののあはれ」を受け止める精神的に餘裕のある社會の實現し、せき立てられるやうな世知辛い暮らしを續けることはなくなる。

單位共同社會(まほらまと)の究極的な理想は、その單位が「家族」となることである。しかも、それは、夫婦と子供だけの核家族ではなく、歴史、文化、傳統などを傳承して搖籃しうる祖父母と兩親、兄弟姉妹などを包攝した「大家族」である。大家族單位で自給自足の自立再生が實現すれば、治安、秩序などにおいても諸問題は殆ど解決することになる。

また、單位共同社會(まほらまと)の出現は、國家の枠組みにも變化を生じさせる。それぞれの單位共同社會(まほらまと)は、食料調達における主要産業の種類(農業、畜産業、林業、漁業など)やその稻作漁撈文化及び畑作牧畜文化による生活の態樣(稻作、畑作、栽培、植林、伐採、採取、狩獵、畜産、漁撈など)に關して、地理的・地勢學的かつ生態學的に共通した他の單位共同社會(まほらまと)における自然現象の變化やその對應についての情報を共有し、協同統一的に處理・分析する必要がある。そして、類似する多數の單位共同社會(まほらまと)の各情報を統括して分析處理し、各單位共同社會(まほらまと)に必要な情報を傳達する統合機關として、これらの共同社會群で構成する連合體が國家である。そして、これらの國家の連合體として、國際的な情報統合機關としての世界連邦が存在することになる。

單位共同社會(まほらまと)や國家の運營における基本原則は、生産・流通・消費・再生の各産業部門が固有の産業原價の負擔に加へて、再生循環に必要な「再生原價」を應分負擔することにある。しかも、その分業は次第に解消し、これらが統合された人の合業(統業)の營みへと向かふ。即ち、事業者と消費者とが一體する方向の中で、自己の活動に伴つて生ずる「廢棄物(拜歸物)」が再び自らの生活を支へる資源になることを感謝しながら再生處理し、その費用を負擔することである。しかし、單位共同社會(まほらまと)の内部だけでは技術的などの理由で再生處理が不可能なものについては、その單位共同社會(まほらまと)に隣接する他の單位共同社會(まほらまと)などと連合協同して共同負擔によつて再生處理をなし、それでも不可能な場合は、さらに、その輪を同心圓的に擴大した連合體の中で協同處理することになる。そして、その同心圓の最大のものが國家といふことになる。これも入れ子構造(雛形構造)をなしてゐる。

そして、その費用負擔の割合は、受益者負擔又は汚染者負擔の原則に基づいて目的税方式にて決定する。これは「流通税」の性質を持つ「再生税」といふことになる。

「小さな政府」の税制の基本は、現代のやうに「普通税」を基本とする税制ではなく、逆に、このやうに「目的税」を原則としなければならない。また、もう一つ別の大きな「目的税」として單位共同社會(まほらまと)やその連合體、さらに國家に必要なものは、老幼病障などの弱者保護の共助原則に基づいて、「資産税」の性質を持つ「福祉税」を導入することである。弱者を切り捨てる社會は、如何なる意味においても肯定しえない。また、國民の大半を占める非事業者(雇用者)の「所得」に課税することは、自立再生社會へと移行するために各家庭が創意工夫して自助努力することに必要な財源を奪ふことになるので、原則として非課税とする。特に、農地などの自立再生用の「家産」を形成するものは不讓渡(不轉賣)を條件として、課税對象から除外する。これらを非課税としなければ、自立再生社會の構築を促進しえないからである。それ以外の金融資産や自立再生用の家産を形成しない土地その他の資産に課税することになる。

治安は、單位共同社會(まほらまと)を實現するための教育とその實踐によつて一層安定する。單位共同社會(まほらまと)が建設される過程において、その連合體で自治組織を結成し、一般的な治安維持活動を擔ふ。これによつて、廣域的、全國的な治安維持のコストを大幅に輕減できる。これと同樣に、キューバの医療體制のやうに、この自治組織において、一般医療を擔ひ、專門医療については廣域的、全國的な医療機關が擔ふことによつて医療費を節減する。これは、自警團と簡易医療機關とが統合された身近な司政機關であり、いはば、江戸期の自身番と木戸番の現代改良版である。

福祉政策の根幹は、自助、共助、公助の順位の確立にあり、年金、医療、國營保險制度(年金、雇用保險、医療保險、介護保險など)は、自立再生社會が建設されることによつて發展的解消へと向かふ。補完的な私營保險についても同樣である。

その他、資本制社會から自立再生社會へと移行させるためには、商人(反復繼續して営利を目的とする事業活動をなす者。法人を含む。)の所得については課税することになる。非事業者(非商人)であつても、利潤を發生させる取引についても同樣とする。

また、資本主義的な企業活動が收縮することによる失業者の增大に對して、新たな雇用を創出する政策が必要となる。このやうな企業活動の收縮に反比例して、自給自足制への移行と單位共同社會(まほらまと)の創設とその極小化のための技術開發、さらに、これらを實施する企業活動など新たな事業が增大することによつて雇用が創出されることの外に、労働集約産業を保護して雇用の安定確保を圖るため、雇用者數の增加に伴つて減税率を累進させる、いはば「累進税率」と反対の「累退税率」による課税を適用する。

そして、これらの「再生税」と「福祉税」の使途分配の決定を行ふ「小さな政府」を維持するため、さらに「人頭税」を徴收する。「小さな政府」の機構を維持する費用は、全構成員の負擔すべき共益費用であるから、各人の平等負擔にかかる「人頭税」によることになる。貧富や所得格差による人頭税の一律負擔による不公平問題は、別途の福祉政策で解消すべきものである。貧困などを理由に人頭税を免除することは、その納税者を自立再生社會の構成員として認めないことに通ずるので、人頭税は人格尊重のためにも均一に負擔させ、それ以外の方法で救濟すべきものである。そもそも、自立再生論は、公的扶助や公的年金を原則として必要としない社會を實現することにあり、それまでの過渡的な政策として福祉政策があることを認識する必要がある。

そして、その政府の豫算規模の範圍は、再生税と福祉税と人頭税の總額を限度とし、また、それで充分である。再生税と福祉税は目的税であるから、人頭税は、政府機關の維持と政策の實施運營に必要な限度で徴收される。その意味ではこの人頭税も目的税である。

各家族が家産を形成して行くことになることからすると、現行の野放圖な破産における「免責制度」は廢止し、家族の連帶責任制度の導入を檢討する必要がある。個人主義とか自己責任を唱へながら個人破産において免責を容認する免責主義の制度は矛盾するのである。現行の免責主義による破産制度の運用實態は、事業者破産も非事業者(消費者)破産も、無責任な「信用制度」が破綻してゐることの現象に他ならない。無謀な賭博的事業の清算といふ事業者破産や返濟計畫のない詐欺的借入による消費者破産を許容する社會であつてはならない。これこそが自立再生社會の實現の妨げとなるからである。

このやうな諸政策を重畳的に實施にして、全世界が自立再生論に基づく社會體制となれば、世界は安定した公平社會として蘇生する。人々は、自立再生社會の構成員となり、勞働を提供して生産し、かつ、物資を消費する地位にあることを自覺するために、家族單位で人口調整を行ふ。國家においても、自給自足經濟の社會を實現するために、人口調整の政策を實施せざるを得なくなる。それゆゑ、人口問題は、自立再生社會へと移行する過程の中で解消する方向へ向かふ。

そして、政治全般については、第五章で述べた効用均衡理論によつて、根本的な政治制度改革がなされて安定し、前記のやうな自立再生社會を實現するための立法と政策を擔ふことになる。人々は、それぞれが公務を含む全人生活を例外なく營むことになるから、特殊專門分野の公務以外には、原則として公務專從者(公務員)は不要となる。

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