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トップページ > 自立再生論目次 > H22.02.17 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第九回 祭祀と雛形」

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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第九回 祭祀と雛形

はらからと うからやからに ともからも すめらみくにの ひひなくにから (腹幹と 生幹家幹に 部幹も 皇御國の 雛國幹)

あと丁度二週間経てば三月三日の雛祭りです。桃の節句とか、古くは上巳(じゃうし)の節句(節供)と言ひます。支那から伝来したものですが、我が国では、これが独自の風習(祭祀)として今に続いてゐます。尤も、これも太陰太陽暦によるものですから、太陽暦による祭祀ではありませんが、今では太陽暦の三月三日に雛祭りをすることが多くなりました。

ちなみに、雛は、「ひな」とも「ひひな(ひいな)」とも読みます。特に、明確な区別はありませんが、一般には、ひひな(ひいな)と読むときは、人形(ひとがた)をしてゐるものに限り、それ以外のものは、「ひな」と読みます。つまり、たとへば、「雛鳥」の場合は、「ひなどり」と呼ぶだけで、「ひいなどり」とは呼びませんが、特にこれには深い意味はないやうです。


ところで、支那では、太陰太陽暦の三月の初めの巳(み)の日を上巳と言ひ、この日に、水辺に出て人形(ひとがた)を水に流して穢れや不祥を祓ふ禊ぎをしたことに由来します。上巳は年によつて日が変はることから、これを三日に固定して、三月三日を上巳の日としました。なぜ三日なのかといふと、三は奇数で割れない(壊れない)ことから吉数とされ、これをさらに重ねることによつてさらに瑞祥をもたらすとされたからです。ですから、この日を重三(ちょうさん)とも言ひます。それが我が国にも伝はりましたが、朝廷では宴節としてお供へ物をして「曲水の宴」が催されました。特に雛祭りとしての風習は、主に公家以下庶民の行事として、五節供(江戸時代からは節句)の一つとして定着しました。五節供とは、一月七日(人日、じんじつ)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)のことですが、これらはすべて奇数であり、しかも重五、重七、重九と呼ばれて、同じ奇数が重なつてゐるのは重三と同様の意味です。


五月五日の端午の節句が、武具や甲冑、武者人形を飾る男の子の節句となつて定着して行く中で、三月三日の雛祭りは婦女子の祝ひ日となりましたが、いづれの節句についても、人形を飾ることによつて、我が国古来の「雛形」の世界観に基づく祭祀として定着したのです。この雛形といふのは、この世の中にあるものは、極く小さなものであつても、逆に、想像できないやうな大きなものであつても、形や性質が似通つてゐるといふことです。たとへば、海岸線や天空の雲、樹木、人間の体など自然界にある、一見すると不規則で複雑な構造と形をしてゐるものであつても、それがそのどんなに小さな部分も、その全体に相似してゐるといふものです。マクロ的な宇宙構造についても、恒星である太陽の周りを地球などの惑星が公転し、その惑星を月などの衛星が回転するといふ重層構造も、部分と全体とが相似してゐますし、また、原子核の周囲を電子が回転するといふミクロ的な原子構造モデルとも同じやうに相似してゐます。海岸や雲の微小部分の複雑な輪郭線も、遠目でマクロ的に見た海岸や雲の全体部分の複雑な輪郭線に似てゐます。さらに、樹木でも、放射状構造の葉脈や根毛の微小部分が葉、枝振り、根、樹木全体の放射状構造と段階的に似てゐるのです。


古来からこの「雛形」は、「雛柄(雛幹)」(ひひなから)、つまり、相似した形(柄)でありそれが共通した特徴ないしは本質(幹)であるとする考へ方で万物を捉へてきました。そのため、祭祀のときに、祖霊や御神体の代はりとなる形代(かたしろ)、祖霊や神霊が宿るものとなる依代(よりしろ)又は招代(おぎしろ)などを用ゐます。また、生活の中でも、入れ子の重箱があり、盆栽、造園などは、小さな物や場所で、それよりもはるかに大きな世界を描き出す智恵を発揮するのです。さらには、縮尺模型を用ゐて、築城や邸宅建築、彫刻、仏像なども制作してきたのです。


この雛形といふ世界観は、記紀の中に見られます。記紀における国生みにおいて、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神様が天津神の宣らせ給ひた「修理固成」の御神勅を受けて、天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を指し下ろして、それでかきならして引き上げられましたところ、そこに出来た島が「オノコロシマ」(淤能碁呂島、オノゴロジマ)と呼ばれてゐます。そして、ここに二柱の神様が降りられて、國産みが始まります。この「オノコロシマ」については、いろいろな解釈がありますが、結論を言へば、「地球」のことです。「オノ」といふのは、ひとりでに、自づと、といふ意味の大和言葉で、「コロ(ゴロ)」といふのは、物が転がる様子を示した擬音語です。そして、「シマ」といふのは、島宇宙、星のことであり、いづれも大和言葉であつて、これをつなげた「オノコロシマ」とは、「自ら回転してゐる宇宙」、「自転島」、つまり「地球」のことなのです。

そして、このオノコロシマでなされるその後の国産みの話は、地球上に世界が生まれたことを我が国の国土(皇土)ができた話になぞらへて語られてゐます。つまり、我が国が世界の雛形であることを示してゐるのです。本州はユーラシア大陸、九州はアフリカ大陸、四国はオーストラリア大陸、北海道は北アメリカ大陸、台湾は南アメリカ大陸に似てゐます。五大陸の全部が我が国の皇土に相似してゐることも単なる偶然ではありません。

また、オノコロシマ(地球)といふ生命体が生まれ、さらに国産みがなされるときに、天の御柱を二柱の神様が回られるお姿は、個体細胞の染色体が二重螺旋構造をしてゐることを暗示してをり、まさに極大から極小に至るまで、世界はすべて相似した形象と構造になつてゐることを示す我が国の「雛形理論」を示してゐるのです。


フランスの数学者ブノワ・マンデルブロは、幾何学の中に、フラクタルといふ概念を提唱しました。いまやコンピュータ・グラフィックスの分野で応用されてゐるものですが、これも雛形理論のことです。また、「曼陀羅」の思想も、「大学」といふ書物でいふ「修身齊家治国平天下」といふ概念も、すべて雛形理論で説明できるものです。

このやうに、洋の東西を問はず、雛形理論は発見され提唱されてきましたが、そのことは、これが世界の、そして宇宙の真理であることを意味してゐます。しかし、この理論を明確に寓意的かつ体系的に描写表現したものは、記紀以外には見あたりません。つまり、記紀には、宇宙創世から地球の誕生、そして、修理固成と国産みを科学的に裏付けたと思はれるプレートテクトニクスによる大陸移動、人類誕生に至る壮大な宇宙性、世界性、普遍性が示されてをり、併せて、我が国が世界の雛形であるとの特殊性が描かれてゐることになります。


本居宣長も、そのやうな意味を含んだ歌を詠んでゐます。「上つ代の かたちをよく見よ いそのかみ ふることふみは まそみの鏡」といふ一首です。「いそのかみ」といふのは、「ふる」にかかる枕詞です。さうすると、この歌は、「上つ代」(かみつよ)、つまり太古の昔からの「かたち」(くにから)が極大から極小までの時空間を貫く全事象を包み込んだ雛形となつてをり、そのことは「真澄の鏡」である古事記(ふることふみ)に書かれてゐるとほりであるといふことなのです。「真澄の鏡」とは、よく澄んで真実を映し出す鏡のことですから、古事記をよく読めば、真の「かたち」(くにから、国幹)が見えるといふ意味です。

また、平田篤胤も、「玉たすき 掛けて祈らな 世々の祖(おや) おやのみおやの 神のちはひ(幸ひ)を」とか、「いさこども さかしら(賢しら)止めて 現人(あらひと)の 神にならひて 親をいつ(齋)かな」として詠んでゐます。

これらは、齋(いは)ひ祀(まつ)ること(祭祀)は、宇宙と世界のすべてを貫く本道へと連なる人の営みであり、それが宇宙と世界の雛形であることを教へてくれてゐるのです。同じ母親から生まれた兄弟姉妹は腹幹(はらから)であり、その親子が同じ家屋敷で家族(生幹)として暮らし、その周囲には親戚を含めた一門(家幹、屋幹)が暮らし、さらに、それらをさらに大きく包んだすべての部族、民族(部幹)も、同心円のやうに一つに連続してつながつた皇御国(すめらみくに)の國體(くにから)の雛形であるといふことを詠んだのが冒頭の歌なのです。


この本居宣長や平田篤胤と同じ時代を生きた高山彦九郎は、京の三条大橋の上から北西にある皇居が、無惨なあばら屋であることに気付き、それを仰ぎ見て、とめどなく涙を流しました。そして、御皇室のお護りし、皇運を扶翼してその回復をはかり、大御心を安んじ奉らんことをその場で土下座して誓ひました。その姿を彷彿させる高山彦九郎の銅像が三条大橋の東詰にあります。それは京都御所に向かつて土下座して遙拝する姿です。土下座の姿は、本来は惨めなものです。しかし、これほど美しく、切なく、そして勇気を鼓舞してくれるものは外にはありません。

全国、全世界には、勇猛な姿の像や端麗なる像など芸術的に優れた像が数多くありますが、私にとつて、見る度に魂を強烈に揺さぶられる像は、高山彦九郎の銅像以外にはありません。京都に来られる機会があれば、是非ともこの像と出会つて語り合つてください。

そして、その心を我々は共有し実践することです。御先祖様を遡り皇祖皇宗に至つて、その御宗家の御当主であらせられる天皇様に土下座遙拝する高山彦九郎の姿は、まさに祭祀の実践であり、美しい祭礼の心と作法なのです。

雛祭りでは、お内裏様(おだいりさま。天皇様)とお雛様(皇后様)のひな人形をひな壇にお飾りして、高山彦九郎の思ひと同じ気概を抱いて、美しい心と作法で拝礼し、家族揃つて祭祀を実践しませう。雛飾りがない家でも、その場からはるか皇居を遙拝し、せめてその日一日だけでも高山彦九郎になつてみてください。

平成二十二年二月十七日(神宮祈年祭)記す 南出喜久治


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