自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第十四回 水子

まがたまは みづこのすがた うつすひな おほみたからの もとゐなりけりへ
(八尺瓊勾玉は水子の姿映す雛大御宝の基なりけり)


水子(みづこ)とは、生まれて間もない赤子(あかご)を意味する言葉でした。母の体内で羊水に浮かんで育つた胎児が分娩して生まれてきた水々しい子どもだからです。ですから、分娩前の胎児も分娩後の赤子も、人として認識され、ともに「水子」でした。

ところが、出産後間もなく亡くなつた子どもや、流産した子ども、中絶した子どもも「水子」と呼ばれるやうになりました。それは、「流れる水」といふ自然な連想から、さう呼ばれるやうになつたのです。


昔は、貧しさ故に赤子を「間引」することがあり、その罪悪感を薄めるために、7歳前の子どもは他界に戻れるとして、間引することを「子返し」とか「子戻し」などと呼んできた悲しい歴史があります。


ところで、「青少年のための連載講座 祭祀の道」の「第五回 数へ年と正月」で詳しく述べましたが、分娩前の胎児や分娩後の赤子の姿は、三種の神器の一つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)そのものです。


しろがねも こがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも
(白銀母金母玉母奈爾世爾麻佐禮留多可良古爾斯迦米夜母)
と、万葉集で山上憶良が謳つたやうに、ここから「子宝」といふ言葉が生まれ、神宝である三種の神器の勾玉と連なつてきます。


子どもは国の宝であり、これなくして国は存続しないのです。


ところが、現在の法律を適用すれば、人は生まれたときは零歳とされます。この「零歳」といふ言葉は、実体のない「うつろ」を意味するものとして、何とも奇妙な響きではありませんか。


その「零歳」といふ響きには、いかがはしさすら感じられます。祭祀の道の「第三回 供へ物と手向け物」でも触れましたが、一(ひ)から始まり、十(と)で終はらない生存は「ひと」ではありません。また、胎児はそれ以前であることから、理屈からすればマイナス年齢で表示されることになり、人としては認識されなくなりました。マイナス五ヶ月とかマイナス一ヶ月といふ胎児が居るといふことになります。


そのため、間引されてきた時代以上に、現在では胎児の命は軽んじられ、人工妊娠中絶といふ堕胎手術に歯止めがなくなつた昨今のおぞましい風潮が生まれる素地がここにあるのではないでせうか。


敗戦直後に、ベビーブームが起こりました。それは空前の食糧難であつたから起こつたのです。食糧難によつて個体の生命維持が危ぶまれると、死ぬ前に子孫を残さうとする種族保存本能が強く働いたことの結果によるものです。しかし、それによつてさらに食糧難が加速し、反米意識の高揚と米国に対する報復戦争への戦闘人員の増強を生む結果になることを恐れたGHQは、産児制限の立法を目論みました。


アメリカでは宗教的倫理感から堕胎を禁じてゐますので、そのやうな立法をGHQが指示して成立させたといふことが暴露されると、自国においても批判の矢面に立つことになるので、さう言はれないために、GHQの意向を受けて、これに迎合した傀儡議員たちが集まつて議員立法の形式で「優生保護法」(昭和23年)を成立させました。この法律は、明らかに「胎児虐殺法」なのです。


「優生」といふ言葉は、優生思想によるファシズム下で制定された、いはゆるナチス断種法を模してわが国で昭和15年に制定された「国民優生法」を連想させるとして、平成8年に「母体保護法」と法律名が改称されました。しかし、国民優生法は、優生手術(永久避妊手術)を定めましたが、医師の行ふ母体保護目的以外の中絶を厳禁し、優生手術の理由以外による医師の避妊手術について罰則を規定し、戦争遂行のための人的資源を確保するために、「産めよ殖やせよ」を推進して産児制限することを禁止したのです。

このやうなことは、列強に伍して祖国の滅亡を回避し、国家を存続させるための「国家保存本能」といふ本能原理からして当然のことだつたのです。


ところが、優生保護法(後の母体保護法)は、「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」(第14条第1項第1号)の場合は堕胎(人工妊娠中絶)を認めるとする規定を定め、「経済的理由」といふ不遜で不道徳的な理由による中絶を奨励する「産児制限」を目的としたものですから、優生保護法(後の母体保護法)は、産児制限を禁止した国民優生法とは、真逆の考へなのです。


これによつて、わが国がアメリカに対して報復戦争をするための人的資源を枯渇させるために「胎児虐殺」を目論んだ法律ができたのです。


しかし、極度の食糧難の時代が終はつて、現在のやうに、奢侈で飽食の時代となり、食糧難の片鱗すら全くないときにおいても、これをさらに拡大解釈して、事実上無条件で中絶手術が敗戦直後のとき以上に頻繁に行はれてゐるのです


古い統計資料ですが、平成11年の統計でも、年間の中絶数は33万3330件で、そのうち、99.9パーセントが「経済的理由」で中絶してゐます。つまり、お金と欲望のために胎児を殺すのです。この年の出産数は、120万3147人でしたから、統計上でも全妊娠の21.7パーセントが中絶したことになります。


この傾向は、年々益々強くなつてゐますので、女性の出産率が低下した現在でも、おそらく数十万人の「経済的理由」による中絶が行はれて続けてゐるはずです。


妊娠の継続又は分娩が「身体的理由」により母体の健康を著しく害するおそれのあるものは当然であり、強姦などの犯罪行為による妊娠のやうな場合についても中絶することができることを選択的に認める必要はありま。やむをえずに妊娠中絶をすることの理由は様々ですが、「経済的理由」により「母体の健康を著しく害するおそれ」があるといふのは一体どんな場合なのでせうか。


 子供を産んだことで生活が困窮し、育児費用を捻出するために母親が飲まず喰はずとなつて健康を著しく害する恐れがあるといふやうな差し迫つた危険がある場合があるとすれば、それは最終的には、子宝=国宝として国家がその育児を支援すればよいのです。


この「経済的理由」によつて中絶ができるとする規定は、まさに露骨な個人主義といふか、その最たるものとしての利己主義によるもので、ここには、「家族」とか「子宝」といふ観点は微塵もありません。胎児を生かすか殺すかといふ重大な問題について、母親のみの経済力だけで判断してはならないはずです。父親や家族の力を合はせても、それでも「母体の健康を著しく害するおそれ」があるか否かを判断しなければならないのに、「経済的理由」といふ曖昧な理由で、人口中絶を安易に認めてはなりません。


ところが、この「経済的理由」の事実認定は、建前上は医師の認定によることになつてゐますが、実質的には何の証明も不要であり、私が携はつた事件においても、妊婦が子供を育てる経済力がないと勝手に自己申告さへすれば安易にこれを受け入れて堕胎されてしまふのです。


そもそも、医師に、妊婦の「経済的理由」による中絶の必要性を確実に認定できる能力があるといふのでせうか。

医師の国家試験科目や研修に、経済的理由に関して判断する専門教科や実習はありません。これについては、医師は全く素人です。その素人の医師に、その判断を委ねることは許されるものではありません。


ところが、医師にそれを委ねれば、医師に大きな「中絶利権」が転がり込みます。中絶手術は保険外医療として、闇から闇に医師の言ひなりの金額を請求できるので、医師としては儲かるし、そのやうに安易に堕ろしてくれる医師に不逞なる妊婦らの人気が集まるといふ、持ちつ持たれつの胎児殺害システムが出来上がつてゐるのです。これによつて性風俗が乱れ、無責任に妊娠すると出産や育児が面倒であり、これまでの奢侈で奔放な生活を維持できないといふ身勝手な気持ちから、それを「経済的理由」であるかの如くすり替へて安易に堕胎し続けてゐるのです。


もし、少子化防止対策が必要であるとすれば、この野放図の中絶を止めさせればよいのであつて、大きな予算を使つてまでの余計な対策は不要となり、その余計な対策費を育児手当とすればよいのです。これによつて性風俗の乱れと、すぐに堕胎すればよいとする安易な風潮をなくして、家族の絆を深くすることができる一石二鳥の政策であるはずです。


ところが、これまでの政府は、母体保護法第14条第1項第1号の「経済的理由」を削除せよとの我々の運動と提言を完全に無視し続けてきたのです。


占領憲法では、第十章において、大仰にも「最高法規」と謳つて、その第97条に、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」規定してゐます。


 ここで言ふ「将来の国民」とは、「胎児」を含むはずです。ところが、胎児を保護する法制度がなく、具体的には、前述のとほり、占領期から引き継がれた母体保護法第14条第1項第1号の「経済的理由」による人工中絶を野放しにして、産婦人科の巨大な闇利権と、これに便乗して戦後から始まつた「水子供養」といふトリクルダウンの宗教利権が根を張つてゐるからです。


ここで、占領憲法が素晴らしいとする人たちに提案したいと思ひます。もし、この占領憲法に正統性があり素晴らしいものであるとするのであれば、将来の国民である胎児を虐殺する母体保護法第14条第1項第1号の「経済的理由」を直ちに削除させるべきではないでせうか。


呉越同舟かも知れませんが、占領憲法真理教の皆さんは、この母体保護法の「経済的理由」条項の削除を私たちと共同して求めることが、占領憲法の理想を実現するはずですから、是非ともこの削除に向けて共闘していただきたいのです。もし、共闘を拒まれるのであれば、占領憲法真理教の「教義」と矛盾することになるはずです。


私は、清濁併せ呑んでも、反日勢力と共闘し、それによつて共通の敵を打破することによつて、一歩づつ祖国の再生に繋がることができると堅く信じてゐるのです。


平成二十六年十一月一日記す 南出喜久治


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