自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第二十三回 自立と支援

こそだてに くにのたすけを もとむひと さがのおとろへ おぼゆるがさき
(子育てに国の助けを求む人本能の衰へ覚ゆるが先)


冷戦構造が崩壊する以前の資本主義世界においては、共産主義が脅威であつたために、貧富の格差が拡大することによつて内部矛盾を指摘され、共産勢力が増大することへの懸念がありました。そのため、貧富の格差が拡大しないやうに、税制と福祉政策によつてある程度の富の再配分がなされ、急激な格差の拡大を抑制してきました。


ところが、冷戦の終結とソ連の崩壊後は、共産主義が壊死し、もう遠慮するものがなくなつて、貧富の格差の拡大は、「進歩」のあかしとして歓迎する傾向が出てきました。


当時の貧富の格差は、どちらかと言へば、南北問題に力点が置かれてゐました。地球の北半球に多く存在する先進国と、南半球に多く存在する発展途上国との国家間の格差が大きな問題とされ、国内における貧富の格差は、今ほど重視されてゐませんでした。


そして、冷戦構造の崩壊による世界秩序の大きな変化は、逆に、世界各地の紛争が多発する事態となり、紛争のたびに居住区を追はれた多くの難民が生まれました。

しかし、難民に対する支援は、生活物資の援助だけで、根本的な支援ではありません。窮乏国家や地域を「人間保護区」とするに等しく、物を与へるだけで、仕事は与へないので、難民キャンプは、自立心を喪失した「人間サファリパーク」になり、人口爆発が起こります。


世界では、多くの子供が飢餓にさらされ、餓死する者も多いのですが、その支援についても本質は変はりません。物を与へることだけです。たとへば、マラリアに罹つて多くの子供が毎年死んで行きますが、国連関係機関の対策は、殺虫剤と蚊帳を無償供与するだけです。ハマダラカの発生駆除の基本は、それが生息するため池等の水質浄化(改質)することですが、そんなことはしません。殺虫剤で一時凌ぎさせるだけです。栄養不良で子供の体力が奪はれ免疫力が低下してゐることで死亡率が高くなるのに、その対策もしません。蚊帳を使つて寝る習慣もないので、蚊帳の使用率も低く実効性に乏しいものです。


毎年毎年、殺虫剤と蚊帳を無償供与するのであれば、水を改質する費用は確保できるのに、それをしないのです。根本的な駆除対策をして成功すれば、そこを担当する国連関係職員が失職することになるからです。


だから、現地の人は、こんな活動を冷ややかに見てゐますし、それだからこそ成果があまり上がらないのです。支援する目的は、支援された人が自立心を持つために行ふことでなければならないのです。殺虫剤と蚊帳の無償支給する予算を、ハマダラカの根絶のために、現地の人も総動員して水の改質事業に注ぎ込むことを呼びかければ、人々に自立心と意欲が出て、問題が解決するはずなのです。


このやうなことは、わが国でも同様のことがあります。生活保護や子供手当など、援助をするだけで、自立心を起こさせる動機付けを全くしないからです。


このやうな問題を解決に解決に導くために、是非とも知つておいてほしい話があります。それは、鎌倉時代の律宗の僧で、良寛房忍性といふ律宗の僧の話です。これについては、子供向けに書いた平成23年6月11日の「おさなここち(幼心地)その十七 良寛房忍性」で紹介したことがありましたが、これを改訂した上で以下に述べたいと思ひます。


忍性は、大工、石工などを集めて、多くの橋や道路などを直したり、海辺を整備したりして、公共福祉事業に奉仕した人です。

仏教の教へを実践するために、聖徳太子や光明皇后のやうに、今でいふところの病院のような施薬院を作つたりして、その奉仕に一生をささげた人は多く居ました。忍性もまた、そのやうな奉仕をする一人で、聖徳太子を追慕し、多くの療病院や悲田院を設けて、数知れないほど多くの重病人や貧民を救つてきた人です。後に、後醍醐天皇から菩薩号を追贈されたほどでした。


しかし、大事なことは、どれだけ多くの橋や道路を整備したか、どれだけ多くの貧民や病人を助けたかというような、社会奉仕をした実績の数の多さだけで評価しても、それは単に物的な記録に過ぎず、そんなことだけで本当の人の価値は決まらないことは言ふまでもありません。


ここで、あへて忍性を取り上げたのは、忍性の行つた公共福祉事業等の数の多さもさることながら、その中身が重要だからです。


忍性といへば、日蓮との確執があつた人物です。鎌倉幕府は、大旱魃から人々を救ふために雨降りの祈祷をせよと忍性に命じ、忍性がこれにより祈祷したことに対して、日蓮はこれを痛烈に批判したことがあつたからです。


しかし、そんなことよりも、どうしても知つてほしいことは、忍性とハンセン病(らい病)患者との関係についてです。日蓮の信奉してゐた法華経(普賢菩薩勧発品)には、法華経の教へを誹謗中傷したりすると、らい病になると説いてゐます。そして、これに基づく説話が、日本霊異記にあり、法華経を書写してゐた女の人を罵つた罰として「白癩」(らい病)になつたといふ話が出てきます。また、法事讃といふ浄土教の聖典にも、蔑まれた存在として、らい病者が出てきます。この当時は、「非人温室」(らい病者を含む非人用の風呂)が近くにあるだけで穢れるとして、僧侶ですら近寄らなかつたといふ時代でした。そのような風潮がつい最近までずつと続いてゐました。


そして、悲しいことに、らい病者を差別した法華経に帰依すれば、逆にその病気が治るといふ逆手に取つたやうな風説が生まれて、熊本の本妙寺のやうな「らい部落」も出来たほどです。このやうに非人差別(部落差別)には根深いものがあります。


忍性は、そんな風潮の時代に、らい病患者を救ふために生きたのです。忍性は、奈良の町のはずれにある奈良坂で、乞食をして生活してゐるらい病患者を見つけます。その人は、らい病のため手足が不自由で足腰が立たず歩けないのです。すると、忍性は、その人を自ら背負つて、奈良の町の北山十八間戸に連れて行き、お風呂に入れてあげて素手で体を洗つてあげた後、また、その人が乞食をしてゐた奈良坂まで再び忍性自身が背負つて夕方に送り届けます。そして、それを毎日毎日続けます。暴風雨の日であつても大雪の日であつても、一日も欠かさずに毎日その繰り返しをして、その人が亡くなるまで続けました。


その人は、死にのぞんで、かう言ひました。「このご恩を返すため、私は必ず生まれ変はります。この顔にあるホクロが目印です。」と。そして、数十年後に、忍性にまた一人の弟子が加はります。その弟子の顔には、なんと亡くなつたその人と同じところにホクロがありました。その弟子は忍性に最後までまごころで尽しました。そして、周りの人々はその人の生まれ変はりだと思つたのです。という話が虎関師錬といふ臨済宗の僧侶の「元亨釈書」という書物に書いてあるのです。


忍性は、このやうな活動を奈良だけでなく鎌倉や関東にまで出掛けて行つてゐます。忍性については、多くの学者があれこれと研究してゐますが、どうも忍性の本当の姿が見えてゐないやうです。


ここで大切なことは、人の手助けをするといふことは、困つてゐる人に物を与へることだけではだめだといふことです。実践しなければだめなのです。実践するためには、自分自身が強くならなければなりません。弱い者は人を救へません。忍性が毎日毎日らい病者を背負つてこれを実践したのは、自分もその人も強くなるためです。毎日毎日続けることによつて自分自身が強くなり、それによつてその人の心までも救ふことができると思つたはずです。


忍性ほどの高僧であれば、弟子に命じてそれをさせたり、自らが背負つたりせずとも、大八車で送り迎へしたりして、もっと楽な方法をとることもできました。また、どこか安全なところに収容してあげて、食べ物を与へて生活の面倒をみることもできたのに、それをあへてしなかつたのです。


なぜでせうか。それは、人を助けるといふことは、その人の今の生活をまづは守つてあげることだからです。乞食をすることは、この人にとつては自活するための唯一の仕事なのです。だから、乞食で生計が成り立つやうに支援しました。忍性は、その仕事を奪はずに続けさせてあげることが一番大事と思つたからです。つまり、支援といふのは、物を与へる以上に、仕事を続けられるやうにしたり、新しい仕事をさせてあげるやうにすることです。物を与へることは簡単です。それは、動物園での飼育や、サファリーランドの飼育と同じことです。仕事も与へずに、単に物だけを与へる難民キャンプも同じことです。物を与へることだけが支援だと思つてゐる人は、どこか心の隅で、自分は人に物を与へられるほどの余裕があるので哀れな人に物を恵んであげられるのだといふ優越感があるのです。


みなさんが成長して強くなることの目的は、弱い人を守つてあげるためです。自分のお祖父さんやお祖母さん、両親や子どもを自分が守ることができるように強くなり、さらにもつと強くなつて、周りの人も守つてあげることなのです。決して、弱い者いじめをしたり、弱い者を見下したりして、自分の優雅さを見せびらかして優越感に浸るために強くなるのではありません。本当に強い人といふのは、本当の意味で優しい人であり、謙虚で直向きな人なのです。


南出喜久治(平成27年3月15日記す)


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