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トップページ > 自立再生論02目次 > H29.04.15 第七十三回 厠と河原

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第七十三回 厠と河原

かはやにて かげぐちたたく おとしぶみ くらしとたちの わるさしめせり
(厠にて陰口叩く落書暮らしと質の悪さ示せり)

かはらにて ざれごとうたで しめしける いにしへびとの すぐれたるたち
(鴨の河原にて戯れ言歌(狂歌)で示しける古人の優れたる質) )

昔の人は、「河原通ひ」をした。この場合の河原(かはら)とは、京都の鴨川の河原のことである。鴨川は、その上流を賀茂川と云つた。それは、加茂族(賀茂族)ゆかりの上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)に由来する。


河原は、鴨川だけに限らず、特別の意味があつた。川辺に川社(かはやしろ)を設けて行ふ川祓(かははらへ)を行ふ儀式があるやうに、河原は、禊(みそぎ)、祓(はらへ)、野辺の送りなどの場所である。人の死穢を30日と定めて神事などを控へることを定めた「延喜式」の触穢思想もあつて、河原は、穢れを清める場所として、そのことに携はる職能の人々の集住地となつた。そこから、自然と、罪人処刑の場所、晒し首の場所となつて行つた。


親鸞が、「親鸞閉眼せば賀茂河にいれて魚にあたふべし」(改邪鈔)として、「喪葬を一大事とすべきにあらず」としたのも、鴨川(賀茂河)の河原に意味があつたので、当時としては、さほど驚くことでもなかつた。

むしろ、禊や祓を迷信であると排斥した親鸞が、他所ではなく、あくまでも鴨川に限定して固執したのは、真宗教義を説く理性ではこれを排斥しながら、本能においてこれを受容してゐたことを示す言葉であるとして興味深いものがある。


その後、戦乱の時代が過ぎて、江戸時代になると、現在の戸籍台帳の原型となる宗門人別改帳が整備されて、檀那寺が葬儀を取り仕切ることになると、これまで多くの人が弔ひの場として集まつた「河原」が、娯楽の場として変化し、芝居見や若衆買ひに通ふ場所となつた。それが「河原通ひ」である。


つまり、河原は、出会ひの場であり、繁華街になつた。だから、昔から多くの人が集まることから、その人たちに知らせる落首、落し文(落書)が頻繁になつてきたのである。


そのころの情報伝達は、落首、落し文(落書)を見た人の口コミによる。そして、その後に瓦版が出てきた。落首や落し文(落書)の場合は、公然と言へないことを匿名で知らせるが、瓦版は、公然と言へることを記名(署名)で知らせるといふ違ひがある。


ところが、人の心理といふのは不思議なところがある。大量に頒布される瓦版での情報よりも、河原に行かなければ知ることができない落首や落し文(落書)の方が情報価値が高いと感じるのである。本当は、さうである場合とさうでない場合とが混交してゐる。情報操作と謀略のための虚偽情報も多かつた。


ところで、昔は河原(かはら)が厠(かはや)だつた。河(かは)の上に掛けて作つた屋(や)が厠(かはや)であり、水上の家屋の意味が、いつの間にかその一部分である水洗便所の意味になつた。そして、そこには、糞尿を司る埴山姫(はにやまひめ)と水罔女(みずはのめ)の二柱の厠の神が祀られた。


これは、古事記に由来する。イザナミノミコト(伊弉冉尊)が火を司るカグツチノカミ(迦具土神)を産んだときに女陰を火傷して、その苦しみから嘔吐して、そこから生まれたのが鉱山を司るカナヤマヒコノカミ(金山毘古神)とカナヤマヒメノカミ(金山毘売神)、脱糞した糞から生まれた土を司るハニヤスヒコノカミ(波邇夜須毘古神)とハニヤスヒメノカミ(波邇夜須毘売神)、失禁した尿から生まれたのがミズハノメノカミ(弥都波能売神)とワクムスヒノカミ(和久産巣日神)なのである。


河原も厠も、司る神が居る。そのやうな場所だから、落首、落し文(落書)は真摯に訴へるものだつた。


ところが、現代は、その場その場を司る神の存在を意識できない社会となり、「落書」ではなく、「落書き」に堕落した。ましてや、落首などは皆無である。

私が公衆便所の落書きで唯一記憶に残つてゐるものがある。和式便所に入ると、前に「後ろを見ろ」とある。何かと思つて後ろを見ると、後ろには「右を見ろ」とあるので、右を見ると、そこには「左を見ろ」とある。そして、左を見ると、そこには「きょろきょろするな」とあつた。なるほどさうである。これには、厠での所作を教へる機知に富んだものだからである。


しかし、最近は、公衆便所を利用することがめっきり少なくなつたのでよく知らないが、街の清浄化が徹底してきたので、落書きも少なくなつたと思ふし、落書きしても直ぐに消されてしまふのだらう。


公衆便所の落書きが、昔の河原や厠の落首や落し文(落書)の発信力とは比べものにならないほど低下したのは、書き手も受け手も、人々が厠の神を意識できなくなつたためである。

そして、この公衆便所の落書きに代へて、匿名性の高いインターネットでの発信に置き換はつた現在においても、そのことは変はらない。

「ネットの神」が居ることを意識してゐれば、恥を意識し、匿名ならどんな酷い言葉を発してもよいといふ傲慢さは押さへられる。しかし、これを意識しないから際限なく酷くなる。


ましてや、匿名ではなく実名の場合でも同じやうになつてくる。およそ真面目な言論も評論もできずに、単に人を罵るだけの暴言と侮辱しかできない輩が多くなる。

これは、ネットだけに限らず、瓦版の延長である紙媒体の新聞などでも同様である。


フランスで平成27年1月に、反権力テロによるシャルリー・エブド襲撃事件、そして、同年11月にはパリ同時多発テロ事件が起こつたが、事の起こりは、シャルリー・エブドが、イスラムを敵視し、ムハンマドの風刺画を掲載したことによる。偶像崇拝や肖像画を禁忌するイスラムを逆なでする品性下劣の行為であり、知性の崩壊が産んだ最悪の事態であつて、これは便所の落書き以下の品性下劣な行為である。


イスラム教徒が、ムハンマドの風刺画が落書きされた公衆便所であることを知らないまま入らされるのと同じである。


これは、ヘイトスピーチと同じであり、「私はシャルリ」といふ愚かな共感は全く持てない。嫌悪感すらある。「私はシャルリ」と無自覚で軽薄に叫ぶ人々には、フランス革命の狂気による殺戮のおぞましさが宿つてゐるのである。


言葉は、人が人に何かを知らせるためのものである。知らせることによつて説得することができるのであり、憎悪などの感情を伝へることは、相手を力で支配し攻撃する手段となる。それゆゑに、すめらみことの御代は、「知ろしめす」であり、「うしはく(領く)」ではなかつたのである。


冒頭の二首は、このことを踏まへて、昔は河原や厠での落首や落し文(落書)には、歴史を動かしてきた知恵があつたのに対して、今では公衆便所などでの落書きの延長線上に、メディアやインターネットによる発信が、不満の吐け口と支配・攻撃のための争ひの場になつてゐることを詠んだものである。


南出喜久治(平成29年4月15日記す)


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