自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百十三回 山西省残留将兵の真実(その十)

ひのしたを ときはなちたる すめいくさ みをころしても かへるうぶすな
(日の下(世界)を解き放ちたる皇軍身を殺しても帰る産土(皇土))


(兵役法施行令第114条第2項)


兵役法は、兵役の義務を定めた帝国憲法第20条がその義務の具体的態様については「法律ノ定ムル所ニ従ヒ」と規定し、「法律事項」とされたことに基づいて制定された法律である。

それゆゑ、「召集解除」といふ兵役の免除についても当然に法律事項であつて、兵役法にその定めがなければならないが、兵役法にはどういふ訳かこれに関する規定がない。しかも、この事項を勅令その他の法令に委任するとする規定もない。


ところが、兵役法施行令は、「前項ニ規定スル召集ノ解除ハ陸軍ニ在リテハ復員令・・・ニ依リ之ヲ実施ス但シ必要アル場合ニ於テハ之ニ依ラザルコトヲ得」(令第114条第2項)として収集解除に関する規定を設けてゐるのであるが、これは「法律事項」である召集解除に関する事項について兵役法が勅令に対して授権してゐないにもかかはらず規定されたものであるから、この条項のみは帝国憲法第20条に違反して違憲無効である。


それゆゑ、この令第114条第2項及びそれにより再委任された「復員令」を根拠として召集解除を行ふことはできないのであり、Sが昭和21年3月15日に召集解除されたとする法的根拠がそもそも存在しないことになる。


(兵役法廃止後の召集解除処分)

昭和20年10月15日には参謀本部が廃止され、同月26日の閣議決定に基づき、同年11月30日には勅令第675号により同日限り陸軍省官制が廃止された。その結果、以後は、復員等の残務は第一復員省、第二復員省が行ふこととなつた。


「帝国臣民タル男子ハ本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス」(法第1条)として、将兵の身分の得喪に関する事項を定めた兵役法が、緊急勅令(帝国憲法第8条)である「兵役法廃止等ニ関スル件」(昭和20年勅令第634号)により、同年11月17日を以て廃止され、これに代はる法令の制定(特に、現役将兵の身分を消滅させる権限に関する法令の制定)がなされなかつた。


尤も、兵役法は廃止されたが、兵役法施行令は廃止されてゐないことから、「前項ニ規定スル召集ノ解除ハ陸軍ニ在リテハ復員令・・・ニ依リ之ヲ実施ス但シ必要アル場合ニ於テハ之ニ依ラザルコトヲ得」(令第114条第2項)と規定した兵役法施行令に基づいて召集解除がなされるとの見解もありうるが、前述のとほり、授権規範と受権規範との関係において、前者が廃止されれば、後者はその存在根拠を喪失すると解されるべきである。親亀が転ければ子亀も転けるのである。


繰り返し述べるが、兵役の義務を定めた帝国憲法第20条には、「法律ノ定ムル所ニ従ヒ」とあり、兵役の義務の態様については法律事項とされ、そのために兵役法が制定されたのであるから、兵役法が廃止され、かつ、これに代はる法律が新たに制定され、又は、兵役法によつて授権された兵役法施行令、そして、兵役法施行令第114条第2項によりさらに授権された復員令(未制定)への授権が再びなされない限り、法律でない規定が一人歩きすることはないからである。


従つて、将兵の身分を召集解除処分により喪失させる権限は、復員業務を所管とする第一復員省及び第二復員省を含め、いかなる政府機関にも帰属せず、誰も行使することはできない。つまり、昭和20年11月30日に陸軍省官制が廃止されて、陸軍大臣の定めた実施細則の権限が第一復員大臣、第二復員大臣へ移管されたとしても、当然のことながら、それによつて細則第6条及び実施細則第9条などか有効化することはあり得ない。

仮に、兵役法施行令が独立した効力を有する場合であつたとしても、「復員令・・・ニ依リ之ヲ実施ス」とあることから、「復員令」の存在が前提となるのであつて、Sが召集解除された政府が主張する時期まで、この「復員令」なるものは制定されてゐないために、実施規範が存在しないことになる。つまり、要領、細則及び実施細則は、いづれも自らを令第114条第2項の「復員令」であると規定してゐないことからしても、これらは「復員令」ではないのである。


また、陸軍部隊の復員に関する事項を定めた要領及び細則が制定された昭和20年8月18日並びに実施細則が制定された昭和20年9月10日の時点では兵役法が存在したが、そもそも、要領、細則及び実施細則が兵役法、兵役法施行令及び兵役法施行規則とどのやうな関係があるのかが不明である。

しかも、現地召集解除を定めた細則第6条及び実施細則第9条は、兵役法、兵役法施行令、兵役法施行規則のどの条文によつて授権されたのかについても不明である。否、不明であるといふことは授権関係が存在しないといふことなのである。従つて、少なくとも現地召集解除について、これらを実施しうることの法令上の授権がなければ、現地召集解除を行ふ権限は存在し得ないのであつて、兵役法が廃止された同年11月17日以後は、召集解除を行ひうる法令上の根拠を喪失し、細則第6条及び実施細則第9条などの現地召集解除に関する規定は全て無効である。


また、Sの場合は、前述のとほり、在営期間の無期延長された現役将校であつて、令第36条第1項本文による主務大臣の「解止」がない限り、現役将校としての地位は存続することになる。もし、政府が本件召集解除処分について細則第6条及び実施細則第9条を根拠とするのであれば、上記のとほり、召集解除処分の根拠となる兵役法廃止後であり、かつ、復員令が制定される以前の処分であるから、本件召集解除の存否を論ずるまでもなく無権限無効であることが明らかである。


(むすび)

以上のとほり、これまで述べてきたことが、現在までに知り得た山西省残留将兵の実態である。

ポツダム宣言受諾後、陸軍省や海軍省で機密文書を大量に焼燬するといふ愚行がなされ、軍部に不都合な事実を闇に葬り去らうとしたが、山西省残留将兵問題についても、たまたま僅かに残つてゐる文書から山西省の残留将兵に関する事実が明らかとなつたのである。


このやうな官僚の愚行は、今始まつたものではない。

現在でも、官僚による公文書の隠滅や改竄は行はれてゐるのであり、このやうな愚行が繰り返されることによつて、史実が隠蔽され、我が国にとつて不利益な事実の主張に対して証拠に基づいて反論することの信用性が疑はれてしまふこととなり、明らかに国益に反する結果となる。


官僚によつて不利な情報を隠蔽し改竄する行為があるとすれば、これまで我が国の名誉を損なふ南京大虐殺とか慰安婦の強制連行などの歴史的事実の存否において、これを肯定する公文書がないことを以て、その史実を否定する根拠にはならない事態となつてくる。


山西省残留将兵の問題においても、日閻密約に基づいて、山西省の将兵に対して残留命令がなされ、現地召集解除なるものがなかつたことは史実として明らかになつてきたのであるが、これを隠蔽したのは軍の組織的行為によるものであつた。


残留命令を出しながら、自らは敵前逃亡の如く真つ先に復員し、その後も、残留してゐる多くの将兵が居ることを知りながら、司令官として彼らを安全に復員させる義務を怠り、全くその努力をなさず、具体的措置を講ずることもなかつた。将兵を遺棄した罪は万死に値するものである。


しかも、その非を認めることなく、むしろ、そのやうな残留命令はなかつたと国会で虚偽の答弁を行つた澄田の罪は重大である。裁判所もまた、山西省残留将兵問題に関する訴訟において、政府の隠蔽行為を擁護する御用機関と化し、これらの実体的真実を屠つてしまつた。


このやうな敗戦利得者によつて政府が構成され、澄田の長男は日銀総裁にまで上り詰めることなどに憤りを感じる人は多い。


陸軍省と海軍省は、GHQによつて解体され、第一復員省と第二復員省として改組され、さらにこれが分割統合廃止されたので、その隠蔽体質を今も引き摺つてゐるのである。組織防衛と個人の保身のため公文書を破棄し、あるいは改竄することによつてもたらされるものは、国家の信用が失墜するといふ事態であることの自覚が全くないのである。


そして、現在でも、消えた年金記録問題、森友学園問題、加計学園問題、そして、自衛隊の日報隠蔽問題などが暴露されたが、これらは氷山の一角に過ぎないのであつて、隠蔽が恒常化してきてゐるため、文書の存否を以て事実の存否を推認できないといふ、公文書の信用性を根本から否定する重大な事態に立ち至つてゐる。いまや我が国の官僚の優秀さといふのは、改竄と隠蔽の狡猾さを意味することになつてしまつた。


しかし、それでも政府は、改竄されたものであつても、そのやうな公文書は一部に過ぎないので、全体としての公文書には未だ信用性があるとするのであるが、公文書の信用性といふのは、国家にとつて極めて不利な文書であつても破棄されずに厳重に保存されてゐるといふとでなければ、公文書全体の信用性は失墜するのである。


このやうなことが平時で起こることは論外であるが、ポツダム宣言受諾後に大量の軍事機密を焼却処分したのは、占領政策において我が国が不利な立場に追ひ込まれないための配慮として、未曾有の緊急事態における狼狽状態の中で、ポツダム宣言や降伏文書などに直接に違反する事実を隠蔽する必要があると判断したためであらう。


そして、その焼燬された書類の中に、山西省残留将兵を生んだ日閻密約に関する資料が含まれてゐたのであるが、占領政策を承継した敗戦利得者による現在までの政権は、独立回復後においても、残存する資料によつてこれが明らかになつても依然としてこの誤りを糺さうとしない。


このやうな政府の軟弱で狡猾な態度は、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して軍事占領を受け入れて、占領憲法を憲法として今も尚、頑なに墨守することと表裏一体の関係にある。


それゆゑに、このままでは容易に山西省残留将兵の真実を明らかにして、政府にこれまでの誤りを認めさせることは、至難の業である。これが可能となるのは、我が国が真の独立を勝ち取るために、まづは、その嚆矢として占領憲法の無効確認決議をなして、ヤルタ・ポツダム体制の延長線上にある現在の連合国体制の矛盾を明らかにし、我が国が新たな世界の枠組みを提唱するときまで待たなければならないのかも知れない。

南出喜久治(平成30年12月15日記す)


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