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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第五十六回  共産党と憲法無効論

なかいまの よりどころなる きしかたの ゆかりをすてて ゆくすゑありや
(中今の拠り所なる来し方の縁を捨てて行く末ありや)
をすくにの よみがへりくる すがたをば しかとみとどけ あだなすものよ
(食国の甦り来る姿をばしかと見届け仇なす輩よ)


罪刑法定主義を唱へたフォイエルバッハの子、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハが、マルクス、エンゲルス、シュトラウス、 ニーチェなどに後世多大な影響を与へた『キリスト教の本質』(1841+660)を著し、その中で、「人間の唯一の神とは、いまや人間それ自身である。」、「人間が神をつくった。」と叫びました。


つまり、「主権」の「主」とは、「God」(絶対神)であり、「国民主権」とは、国民が神の地位を得て生殺与奪の絶対的な権利を持つといふことです。「共産主義」の根元は、まさにこの「国民主権主義」にあります。


また、この思想的源流は、革命国家アメリカの独立宣言がなされた同じ年(1776+660)にまで遡ります。この年の5月1日、南ドイツ・バヴァリア(現在のバイエルン)のインゴルシュタット大学の法学部教授であつたアダム・ヴァイスハウプトが秘密結社イルミナティを創設したのです。それから108年後にアメリカ全土でゼネストがなされた日が5月1日であり、これがメーデーの起源となつたのも、この日を記念したものです。

当時のバヴァリアはイエズス会の支配下にあり、ヴァイスハウプトもイエズス会員の家に生まれ育ちました。しかし、神の僕となる信仰に抵抗し、理性礼賛、合理主義、啓蒙主義哲学、世界主義(コスモポリタニズム)、キリスト教的信仰の否定、唯物論、自由平等思想、革命思想を唱へ、その実現の手段としてイルミナティを創設しました。しかし、バヴァリア政府はイルミナティを数回に亘つて弾圧し、遂にヴァイスハウプトは国を追はれ、以後は地下活動を開始することになります。イルミナティ会員には、理神論者、無神論者も居ましたが、理性礼賛において共通し、自分たちこそこの世界を支配する神であり、神さへ自分たちの前に従ふべきものであると信じたのです。それをフォイエルバッハ、ルソー、マルクス、ニーチェなどが受け継いだのです。


そのことは、昭和13年(1938+660)のトロツキスト裁判で、クジミンの尋問を受けたラコフスキー(ウクライナ人民委員会議長、元駐仏ソ連大使、革命家)の語つた証言に示されてゐます。


君は、歴史的には語られていないが、われわれだけに判っていること、つまり最初の共産インターナショナルの創立者がアダム・ヴァイスハウプトであったことを知っているかね。彼は革命家で、フランス革命を予見し、事前にその勝利を保証したユダヤ人で、元イエズス会士であった。彼は自分で、或いは誰かの命令によって、秘密結社をつくったのだ。


といふラコフスキーの証言は、革命国家が「主(ヤハウェ、エホバ)の権利」を合理主義(理性論)によつて奪取してきたことの思想的系譜を端的に示してゐるのです。


つまり、「共産vs非共産」といふ対立の図式は、政治思想の本質的な対立ではないのです。本質的な対立は、「主権思想vs反主権思想(國體論)」です。祖先から伝承された祖法(規範國體)を守るのか、これを否定するのか、法とは再認識された祖法なのか、それとも祖法を否定してこれと断絶して作られた法なのか、といふ対立なのです。ですから、主権思想を信奉して共産主義と闘ふといふことは、自己矛盾を来して敗北するのは必至です。


これは、主権思想の塊である占領憲法を憲法であるとして、我が国の伝統を守らうとする保守風味の人達が、これまで敗北してきたこと、そして、これからも敗北し続けることと全く同じなのです。


前々回(第54回)では、私たち(5027名)が東京都議会に、帝国憲法の復元改正のために占領憲法と占領典範の無効確認決議を求める請願を提出し、それが本会議の採択において4名の都議が賛成したことに対して、平成24年10月13日付けの『しんぶん赤旗』で橋下市長の日和見に対する共産党の批判を紹介しましたが、この記事の中に、次のやうな記載もありました。


報じた本紙5日付の記事が大きな反響を呼び、「しんぶん赤旗ツイッターコーナー」には6162件(12日午後6時)のツイートが寄せられ、『しんぶん赤旗』の真価発揮です。

ツイートには、「昨日の東京維新の会の記事、今朝のツイート数を見て仰天。4300超。...大ヒットですね」「右よりどころかメチャメチャ極右翼ですね。時代錯誤もいいところだ」などと書き込まれています。


問題の請願は、南出喜久治國體護持塾塾長(京都市)らが6月に提出したもの。東京維新の会の野田数(当時は自民を離党し無所属)、民主党を離党した土屋敬之(無所属)の2議員が紹介議員で、天皇を元首として無制限に権力を与え、国民を「臣民」として、自由と権利を抑圧した大日本帝国憲法を美化しています。


といふものでした。


どうしてこれほどにも誤つた情報操作をしてまで共産党が必死になつて過剰に反発するのかと言へば、主権思想の「本流」である共産党としては、主権思想の「亜流」である非共産であれば与しやすいのですが、主権思想自体を全面的に否定する反主権思想、すなはち國體思想は不倶戴天の敵であると認識してゐるからです。


「時代錯誤」といふ批判について言へば、夏目漱石の『三四郎』で描かれたやうに、文明開化論といふ軽薄な思想を振りかざし、それまでの時代と隔絶をするだけでは、決して人類は進歩することができないといふことを自覚せねばなりません。


昭和44年8月1日に、岡山県の奈義町で、「大日本帝國憲法復原決議」が可決承認されました。その提案理由の冒頭には次のやうな記載がありました。


 私達は下記の理由と目的により大日本帝國憲法復原決議案を提出いたします。


現行日本国憲法は、その内容に於て全く戦勝国が占領目的遂行のため、仮に憲法と称する行政管理基本法にすぎないものであることは、議員各位既に御承知の通りであります。而も制定当時の日本は無条件降伏、武裝解除、丸裸であった。アメリカは不当にも国際法規を無視し、連合軍の戦力を背景に銃剣で脅迫し押付けたアメリカ製憲法であります。昭和27年占領目的を達成したアメリカが引揚げと同時に日本は独立したのであるから、西ドイツ同様これを廃棄し棚上げされている大日本帝國憲法を卸し復活すべきものを、そのまま24年間放置し今日に到ったがために大学暴動を始めとして、今や国内は收拾し難い無法状態となったのであります。此占領憲法施行のため、一君万民民本主義の日本は、主権在民の民主主義を奉ずる英、米模倣の国家形態となりながら象徴天皇を戴く、木に竹を継いだような國體を出現し、言論の自由を始めとして、思想、信教、学問、表現の自由と、個人の権利のみ優先し、国権の衰退は眼を覆うものがあります。・・・


そして、この決議がなされたことに対して、当時の『週刊新潮』は、共産党と同様に、時代錯誤であるとして特集で批判したのでした。


歴史の断絶を認めずに伝統を守ること。これが伝統保守の本義ですが、「國體論」を否定して「主権論」に乗り換へた「時代の断絶」を認めてこれを「時代錯誤」として革命を肯定することは、週刊新潮に代表されるやうな保守風味の言説も共産党も同じ穴の中の狢であり、いづれも革命思想なのです。


ところで、帝国議会においては、衆議院で帝国憲法改正発議案を修正可決し、その後に貴族院でも衆議院の送付案をさらに修正可決し、それを回付された衆議院では、これを憲法改正特別委員会に付託せずに直ちに本会議で起立方式で修正回付案を採択して可決したのですが、このやうな重大案件を斯様に杜撰で強引な方法と手続で議決したことについて、手続面での合法性を満たさないことは云ふまでもありません。占領憲法が適正手続の保障を謳つてゐることからすると、占領憲法のモノサシからしてもこれは違憲のはずです。


ところが、天皇の憲法発議案に対して、帝国議会は賛否をするだけで法案条文の修正はできないといふのが当時の憲法学の定説であつたにもかかはらず、衆議院において二度、貴族院において一度、それぞれ修正決議した点は、発議大権の侵害となつて無効なのでした。ちなみに、帝国議会には修正権はないといふ学説を主張してゐた佐々木惣一と宮澤俊義は、共に貴族院議員でありながら貴族院での修正に何ら反対しなかつた典型的な変節学者でした。ところが、この変節学者らの唱へてきたこれまでの学説を受け入れて、帝国議会には発議案に対する修正権がないのが定説であるとして、帝国議会での修正に反対し、修正を加へることは法的連続性を欠くとして、昭和21年6月28日の衆議院本会議で明確に主張したのは、皮肉にも共産党の衆議院議員であつた野坂参三だつたのです。


まさに、野坂参三は、法的連続性と立憲主義から、占領憲法は無効であると主張したのです。その後、野坂参三は共産党を除名されましたが、その除名の理由は、憲法無効論を主張したことを理由とはされてゐません。


安保法制が法的連続性を欠き、立憲主義に違反すると唱へる今の共産党は、それこそ自家撞着を犯した「時代錯誤」の主張をしてゐるのです。


共産党の諸君!法的連続性と立憲主義について、私と討論をする気はありませんか。

南出喜久治(平成28年8月1日記す)


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