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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第五十七回 革命思想

えせのりを したりがほにて かすめとり つくろひだちを ねらふまがひと
(似非憲法をしたり顔にて掠め取り繕ひ立ち(改正)を狙ふ禍人)


GHQ(連合国軍最高指令官総司令部)占領期の非独立時代に帝国憲法を改正することは、御都合主義の左翼が好きな「立憲主義」に違反します。立憲主義といふのは、帝国憲法下でも憲法解釈の絶対的指針でした。もちろん、現在も同じです。


ですから、「立憲主義」といふ視点からだけでも、占領憲法は憲法として無効であることは自明のことです。従つて、立憲主義を前提とすれば、これに反した憲法改正は無効ですが、どうして左翼の「立憲主義者」はこれを認めないのでせうか。


もし、立憲主義に基づくのであれば、占領憲法はその存在根拠を失ひます。そこで、占領憲法について、これが立憲主義に違反したとしても、それでも憲法として認められる理由をどうしても見つけ出さなければならないことになります。


そこで編み出された「珍説」が「八月革命説」です。変節学者の宮澤俊義が、昭和20年8月15日に革命があつたといふ、あの噴飯ものの珍説です。東京帝国大学から追放されて教授の地位を失ひたくないので、自己保身からGHQに迎合するのための苦肉の策で編み出したのです。当時の憲法学者といふのは、帝国憲法を守護し、不磨の大典として護憲することを生業にする者たちなので、真つ先に戦争協力者ないしは憲法改正反対者としてGHQのパージの対象となる運命にありました。

ですから、真つ先に変節してGHQ草案を支持する保身の道を突き進んだのです。


いまでは、この八月革命説を支持する者は居ません。しかし、当時はこの見解が罷り通つて、今でもこの珍説の亜流に位置する見解が政界や学界を支配し、占領憲法真理教の信者として、敗戦利得を貪つてゐるのです。


ところが、殆ど人は、占領憲法の出自のいかがはしさと矛盾を知つてゐるので、何とかこれを解消するために改正することができないかと考へて、改正論者が登場してきました。


これは、冤罪で逮捕された人が、無罪を主張することをせずに、これに代へて、留置所の待遇改善を求め続けるやうな滑稽さがあります。待遇改善を叫び続ければ、そのうち、究極的には留置場の鉄格子が取り払はれて無罪放免になるとの妄想を抱いてゐる愚かな人たちなのです。


ところで、その占領憲法改正論者の真正護憲論に対する批判として、

「真正護憲論は、占領憲法を憲法として無効であるとするので、それはまさに革命思想 であつて、保守主義としては全く受け入れられない。」。

といふものがありました。この批判に対しては、熨斗を付けてそのまま改正論者にお返しすることになりますが、そのことについて以下に詳しく述べてみます。


まづ、革命とは何でせうか。


支配階級の変更、主権の変更、國體の変更といふことであれば、占領憲法の制定は、まさに革命です。

改正論者は、占領憲法が国民主権を定めてゐることは認めるはずです。

では、帝国憲法下では、天皇主権だつたのですか? もし、天皇主権から国民主権に変更したのであれば、それは革命ですよね。

私は、天皇主権だとは思つてゐませんが、少なくとも国民主権でなかつたものが国民主権になつた意味では、革命ですよね。


改正論者は、帝国憲法から占領憲法へと変更されたといふことによる革命(主権の変更)を認めることになるのです。これこそ正真正銘の革命思想なのです。


天皇が占領憲法を公布したから有効なのだといふマヤカシの承詔必謹を持ちだしたところで、結局は天皇から統治権を簒奪したことに変はりはありません。天皇が占領憲法を公布したといふのは、革命政権側としては占領憲法を正当なものであることを認めさせる行為に過ぎず、いはば天皇の「革命承諾書」ないしは「降伏文書」に過ぎません。


こんなことを承詔必謹などとして正当化すること自体が、典型的な革命思想なのです。


帝国憲法は天皇主権の憲法ではありませんが、仮に、占領憲法の制定によつて天皇主権から国民主権へと変更されたものだとして、この変更はよいことで歓迎すべきであると言ふ改正論者も居ますね。

これこそ革命礼賛論です。


どうして天皇主権だと都合が悪いのでせうか? 天皇が主権を濫用する危険があるとでも言ふのですか? これまで濫用された例があつたのですか?


帝国憲法は立憲君主制であり、天皇が独走することができない制度となつてゐます。帝国憲法の運用上の問題は、すべて臣民の責任であり、天皇が原因を作つたものはありません。


それでも天皇の不信感から天皇主権を否定するといふのは、革命思想の前に、天皇否定、天皇不信、不敬の思想といふことになります。


また、帝国憲法の内容も知らないのに、帝国憲法の内容より占領憲法の方が内容がよいといふ改正論者も居ますね。

そんなことはないのですが、仮に、内容がよければそれで全てが許されるのですか? これは、目的のためなら手段を選ばないといふ、まさに革命礼賛論です。


さらにまた、天皇は、帝国憲法下でも、それ以前でも象徴だつたので、國體の変更はなかつたといふ詭弁を吐く者も居ますね。

これほど小馬鹿にした議論はありません。


天皇が象徴であり続けてゐることだけを説明することで誤魔化し、天皇から、統治権の総攬者の地位も権力者を任命する権威者であることの地位も剥奪されたことについて、一言も触れないのは、詐欺商法と同じ常套手段を用ゐてゐるペテン師の言説です。


統治権の総攬者である地位を剥奪することは、やはり天皇が権力を持つことが危険だとする革命論者の口実の一つに過ぎません。


つまり、いづれの点からしても、占領憲法を憲法であるとして認め、帝国憲法の現存性を否定する改正論こそ、最も危険な革命思想であり、今も革命の途中であるとして、その革命を成就させるために、改正まで企んでゐる亡国の輩なのです。


ですから、改正論者も護憲論者も同じ穴の中のムジナです。これら二つの勢力が存在するのは、マッカーサーの置き土産だつたのです。


それは、どういふことかと言ふと、それは、「分割統治」の理論により、我が国の言論界を支配し軟弱化させようとしたためです。


分割統治とは、フランスのルイ1世国王が「分割して支配せよ」との言葉から生まれた支配統治の技術のことです。

人種、言語、宗教などの様々な要因に基づく被支配者間の対立と抗争を利用し、それをさらに助長させ、支配者に対抗する被支配者の団結と連帯を阻み、弱めることによつて、支配者に対する批判と抵抗を緩和させて支配者の被支配者に対する支配統治を容易にさせるといふ統治技術のことです。


これは、現在でも国の内外で、分割と征服(divide and conquer)の統治技術として、国の内外、そして世界政治において活用されてゐます。


マッカーサーは、プレスコードに反しないことをメディアに約束させました。占領期に設立された日本新聞協会といふのはその統制機関であり、それは、いまも存続して殆どのマス・メディアが加盟してゐます。


プレスコードといふのは、江藤淳『落葉の掃き寄せ 一九四六年憲法-その拘束』(文藝春秋)に詳しく説明されてゐます。これによると、削除又は発行禁止処分の対象となる項目は、30項目に及びます。


①SCAP(連合国最高司令官)批判(SCAPに対するいかなる一般的批判、及び以下に特記されてゐないSCAP指揮下のいかなる部署に対する批判もこの範疇に属する。)、②極東軍事裁判批判(極東軍事裁判に對する一切の一般的批判、または軍事裁判に関係のある人物もしくは事柄に関する特定の批判がこれに相当する。)、③SCAPが憲法を起草したことに対する批判(日本の新憲法起草に当つてSCAPが果した役割についての一切の言及、あるいは憲法起草に当つてSCAPが果した役割に対する一切の批判。)、④検閲制度への言及(出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行はれてゐることに関する直接間接の言及がこれに相当する。)・・・・などなどの30項目です。


そして、このプレスコードに反しないのであれば、その範囲内で様々な対立する勢力を作つて争はせ、その批判の矛先がGHQに向かはせないやうにしたのです。


その一貫として、護憲論と改正論を対立させました。つまり、GHQは、いはゆる「真珠の首飾り」といふコードネームで呼ばれたGHQによる新憲法制定の極秘作戦を立てて、上記のプレスコードの3項目である「SCAPが憲法を起草したことに対する批判(日本の新憲法起草に当つてSCAPが果した役割についての一切の言及、あるいは憲法起草に当つてSCAPが果した役割に対する一切の批判。)」を絶対に報道してはならないとマスコミを命じたために、占領憲法無効論はその存在すら伏されて完全に排除され、これについての一切の報道を許しませんでした。そして、そのまま独立後の現在まで、その構図は日本新聞協会によつて引き継がれてゐるのです。


独立回復時においても、メディアは、そのGHQの統制をそのまま引き摺つてゐたために、占領憲法の効力論争は揉み消されてきました。

ところが、いはゆる60年安保闘争の時代になると、そのアメリカによる分割統治政策の影響力が少し弱まつたものの、その憎悪の矛先が政府とアメリカに対してのみに向けられるだけで、この時点でも占領憲法の効力論争を公にすることをメディアはしなかつたのです。これをすることは、プレスコードによつて、言論統制がなされた偏向報道を続けてきたことが暴露され、国民に懺悔せざるを得なくなり、占領期の徹底検証を余儀なくされるので、保身のために到底それができなかつたのです。


また、この安保闘争のころになると、アメリカ以外にも、分割統治の手法で容喙してくるものがありました。それは、中共です。

昭和35年6月1日、中国共産党の陳宇が、日教組幹部の赤津益三に対し、労働者、学生によるいはゆる60年安保闘争を革命闘争の前段階であると評価し、それを完全に成功させるためには、「天皇と神社とより離隔」させることであるとの指令を出してゐたことが明らかになつてゐるからです(『修親』昭和41年1月号所収の今村均「現時における吾等の心がまえ」より)。


これは、いまもなほ、継続した中共の基本方針であり、全国で神社の荒廃を画策したり、神社を買収したりする活動が展開されてゐるのです。


つまり、占領憲法は、天皇と臣民との紐帯を断絶させるために、天皇の国事行為を儀礼的・形式的なものに限定し、天皇のこれまでの神宮祭祀その他の神事のすべてを奪つてゐることを最大限に利用しようとして、分割統治の手法により反天皇の勢力を育て上げたのです。しかし、天皇と神社との完全隔離は占領憲法によつて制度的に確立されてゐますので、中共の指令がなくても、そのうちに天皇の祭祀者たる地位は完全に消滅し皇室は立ち枯れることは必至です。つまり、改憲論者は、「天皇褒め殺し」を続けて皇室の自然消滅を図る国賊集団なのです。


こんな国賊集団のペテンに騙されて、これに加はる人が多くなつたことから、さらに占領憲法の効力論争ができない不利益な環境に陥りました。典範奉還を叫ぶ我々に対し、国賊である改憲論者から国賊呼ばはりされたり、革命思想だと罵つてくるのです。そして、改憲勢力は、占領憲法第9条改正を主張すれば保守風味の大衆の受けがよいと判断して、これを当て馬にし、第1条から第8条の傀儡天皇制条項(実質は国民主権条項)を死守して、天皇の立ち枯れを推進させることに決めたのです。


そして、改正論者たちは、護憲論の仮面を被る反天皇勢力とともに占領憲法による「革命」を鞏固なものとするため、意図したか否かとは関係なく、反天皇勢力と「占領憲法革命」を完成させるための共同戦線を結果的には結成することになりました。

ただ、占領憲法革命を鞏固にする方法論として、不備な点を改正してでも堅持しようとするために改正論を唱へて運動してゐるだけで、共同戦線内部の路線対立があるだけです。


改正論者は、無自覚のうちに反天皇の運動に協力してゐることになります。象徴のみの傀儡天皇を是とするために、天皇と神道との関係は完全に断絶し、ますます傀儡天皇となり、そのうちに、この象徴天皇制なるものは、皇位継承問題を抱へつつ、「立ち枯れ」となつて、憲法改正を待つまでもなく天皇条項は自然消滅(失効)して、完全な共和制へと変質し、ここにおいて「占領憲法革命」の目指した最終段階を迎へるに至るのです。


反天皇勢力は、護憲の仮面を被つた集団であり、占領憲法革命の中心勢力です。この勢力に協力してゐるのが無自覚な改憲論者であり、その方向は、天皇の立ち枯れへと必然的に導かれてしまふ宿命なのです。


占領憲法のままでは、これを少し改正したところで、我が国の伝統、文化、國體は徐々に崩壊して行きます。それも、最近ではその速度が加速してゐます。


ですから、もう時間がありません。いまからでも、改憲論者の中で心ある人は、他の改憲論者や改憲団体とのしがらみや利権をかなぐり捨てて、占領憲法革命を認めるのか否か、占領憲法は憲法としての効力があるか否か、効力があるとすればどのやうな効力があるのか、といふ真摯な効力論争を直ぐに始めて、祖国再生のために立ち上がつてください。


我々真正護憲論者は、決して「占領憲法革命」を容認しません。原状回復論を主張し、その具体的な方法論を提示するものであり、原状回復論とは、徹底した「反革命」であつて、その理論体系が真正護憲論なのです。

南出喜久治(平成28年8月15日記す)


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