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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第八十四回 丹後国風土記

ながえのや にじのゆみひく ゆんでには みすまるのたま かかやきにけり
(長柄の矢虹の弓引く弓手には御統の玉輝きにけり)
うみのはで あめたちのぼり めぐりみつ あめはあまなり うみもあまなり
(海の端で天立ち昇り巡り満つ天は「あま」なり海も「あま」なり)

いにしへ人の心を受け継ぐことは、歴史や伝統を理解して修理固成(をさめつくりかためなせ)の御神勅を実践するために必要なことです。

そのためには、古事記、日本書紀を読むことから始めて、さらに、それが一段落すれば、風土記や全国の神社の縁起などに接することがよいと思ひます。


風土記の中では、出雲国風土記は圧巻ですが、それ以外の風土記も読んで行くと面白い発見があるはずです。逸文になつてしまつたものもありますが、古事記、日本書紀との伝承の違ひについていろいろと思ひを巡らすことも楽しいものです。


京都の北にある丹後にも、逸文ではありますが、丹後国風土記があります。

この丹後国風土記には、浦嶋伝説や羽衣伝説の原型の物語があり、さらに、丹後には、天橋立伝説もあります。


「丹後国風土記」にある「浦嶋伝説」の原型の物語は、簡単に纏めると、こんな話です。


水江浦嶋子(みづのえのうらしまのこ)が小舟で海に釣りに出ましたが、3日3晩かかつて五色の亀しか獲られませんでした。この五色の亀が美女に変身し、海中の大きな島に誘はれました。そこには美しい館があり、7人の童子(すばるぼし)と8人の童子(あめふりぼし)が出迎へ、その美女はこの館の娘であり、その娘と3年間暮らしたが、浦嶋子は両親が恋しくなつて帰郷することにしました。そして、別れを惜しんだ娘から、再会したいなら決して開けなやうにと言はれて、玉櫛笥(たまくしげ、化粧箱)を渡されました。そして、故郷に着くと、なんと300年が経つてゐて、両親もすでに他界してゐることを知り、絶望して玉櫛笥を開けてしまひ、娘と二度と再会できないことに気付いて号泣したといふ話です。


この浦嶋伝説は、日本書紀や万葉集にも記されてゐますし、平安時代にも浦島子伝とか、室町時代の御伽草子にも浦島太郎が登場したりして、現在まで、童話や童謡などでも長く伝承されてゐます。


海中の国といふのは他にも出てきます。


山幸彦の火遠理命(ほをりのみこと)が兄の海幸彦から借りて失つてしまつた釣針を探しに綿津見神(わたつみのかみ)の宮殿に行き、綿津見神の娘の豊玉毘売(とよたまびめ)を娶つて、3年後に地上に戻るといふ話もあります。


また、神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子である少彦名神(すくなひこなのかみ)が海の彼方から天之羅摩(あめのかがみ)の船で出雲の美保の三崎に渡つてきて大国主神と国作りを行つた後に、常世国(とこよのくに)へ去つて行つたされてゐる、この常世国と同じであるのかどうかは解りません。


これらは、海から訪れ、あるいは海から戻つてきた客人神(まれびとがみ)には、強い力があり幸せをもたらすといふ客人信仰の原型となつてゐます。


いづれにしても、この「丹後国風土記」の浦嶋伝説が特徴的な点は、7人の童子(すばるぼし)が出てくることです。

これは、牡牛座のプレアデス星団の和名であり、「すばる」とか「六連星(むつらぼし)」と呼ばれる星のことです。

そして、この「すばる」とは「すまる」(統る)であり、古事記に出てくるアマテラスの「御統玉」(みすまるのたま)のことなのです。これは、世界平和の象徴です。


7人の童子(すばるぼし)とありますが、昴(すばる)は6星なので、あとの1星は、牡牛座の1等星であるアルデバランのことであるといふ解釈もあります。

そして、8人の童子(あめふりぼし)とは、プレアデス星団とアルデバランの間にあるアルデバランの近くにあるヒアデス星団のことと思はれます。


ギリシア神話では、最高神ゼウスの三兄弟は、ゼウスが天界を、ポセイドンが海を、ハデスが冥界を支配したとし、牡牛座は、ゼウスが変身した牡牛の背にエウロペ(ヨーロッパ)を乗せてクレタ島に連れ去る神話として語られてゐます。


古事記では、イザナギの禊によつて、左目からアマテラスが、右目からツクヨミが、鼻からスサノヲが生まれたとありますが、これとギリシア神話との比較をすると興味が尽きません。


アマテラス、ツクヨミ、スサノヲは、三貴子(みはしらのうづのみこ)と呼ばれ、イザナギの命により、アマテラスが高天原、スサノヲが海原、ツクヨミが夜之食国(よるのをすくに)を治めることになりました。


これは、ゼウスが天界を、ポセイドンが海を、ハデスが冥界を治めたことと重なるところがあります。


また、顔の右目と左目は、地球から見て、太陽と月の球体を暗示します。左目はアマテラスの太陽で、右目からツクヨミの月であり、その真ん中の鼻はスサノヲの地球だとの理解できます。与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」であり、蕪村の立ち位置は地球であるといふ宇宙観です。


それにしても、天上の星である昴が、浦嶋伝説として海の話になるのは、どうしてでせうか。


それは、「あま」(天)と「あま」(海)の共通性からくるものです。海原の水平線から連続して天空が立ち上がり、それが反対側にまで駆け巡ることからして、天と海とは一体のものとして、同じ大和言葉なのです。

天の川、銀河といふやうに、天界の星を河に見立てるのは、世界的な傾向です。galaxy、milky wayもそれを意味してゐます。


どうしてこんな話をしたかといふと、昴がアマテラスの「みすまるのたま」であるとする世界観が浦嶋伝説でさりげなく語られてゐるといふことに重要な意味があるからです。


古事記の世界性は、戦前の政府は否定してきました。古事記は、日本だけの特殊な世界であり、聖書などが示す世界性はないと判断した政府見解に対し、大本教(出口王仁三郎)や竹内古文献(竹内巨麿)では、日本が世界の中心であり、世界の雛形であると主張したために、明治維新から形成された公定の歴史観を否定するものとして、いづれも大弾圧されたのです。

治安維持法は、共産党に対するものではなく、古事記の解釈を巡る異端の思想を弾圧するためのものでした。


『古事記』や『日本書紀』には、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神が天津神の宣らせ給ひた「修理固成」の御神勅を受け、天の浮橋に立つて天の沼矛を指し下ろし、掻き均して引き上げて出来た島が「オノコロシマ」(淤能碁呂島、オノゴロジマ)とされます。そして、この島に天降り、天の御柱と八尋殿を見立てたまひて国産みが始まります。この「オノコロシマ」については、ひとりでに凝つてできた島だとか、あるいは、北畠親房の『神皇正統記』によれば、「おんころころせんだりまとおぎそわか」といふ薬師如来真言ではないかとの説明まで紹介されてゐますが、しかし、これは紛ふ事なく「地球」のことです。


「オノ」といふのは、ひとりでに、自づと、といふ意味の大和言葉であり、「コロ(ゴロ)」といふのは、物が転がる様から生まれた擬音語です。そして、「シマ」といふのは、島宇宙、星のことであり、いづれも大和言葉であつて、これをつなげた「オノコロシマ」とは、「自ら回転してゐる宇宙」、「自転島」、つまり「地球」なのです。


そして、このオノコロシマから始まるその後の国産みの話は、我が国が世界の雛形であることを意味してゐるのです。また、地球といふ生命体の創造において、天の御柱を二柱の神が廻る姿は、個体細胞の染色体が二重螺旋構造をしてゐることを暗示し、まさに極大から極小に至るまでの相似形象を示す我が国の伝統である「雛形理論」を示してゐます。洋の東西を問はず、雛形理論は発見され提唱されてきましたが、その発見の源流は記紀にあつたのです。記紀には、宇宙創世から地球の誕生、そして、その創世原理としての雛形理論といふ比類なき壮大な宇宙性、世界性、普遍性が示されてゐるとともに、我が国が世界の雛形であるとの特殊性が描かれてゐることになります。


つまり、「上つ代の かたちをよく見よ いそのかみ ふることふみは まそみの鏡」と本居宣長も詠んだとほり、古事記(ふることふみ)は、極大から極小までの時空間を貫く全事象を包摂する雛形を写し出す真澄の鏡であると認識されます。それは、いはゆる「本田霊学」を確立した本田親德(ちかあつ)も、人心は天之御中主神の分霊であるとし、また、本田親德の予言によつて丹波から出てきた出口王仁三郎も、「人間は宇宙の縮図であつて天地の移写である」として万物に相似性があるとして、霊主体従の雛形理論を肯定したのでした。


このやうな方向で、古事記、日本書紀、風土記や神社縁起を認識すれば、もつと大きな発見ができると思ひます。

南出喜久治(平成29年10月1日記す)


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