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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第九十五回 政軍関係

ひのしたを ときはなちたる すめいくさ みをころしても かへるうぶすな
(日の下(世界)を解き放ちたる皇軍身を殺しても帰る産土(皇土))

最近、政治と軍事の関係、すなはち政軍関係に関する議論が国内でも漸くなされるやうになつてきた。


ハンチントンは、『軍人と国家』を著して、現代における政軍関係論を切り開いた。ハンチントンは、『文明の衝突』で有名であるが、この『軍人と国家』の方が高く評価されるものであり、これに対しては、ジャノビッツもこれを批判的に研究するなど、現在では、これらの亜流と派生の議論が我が国でも盛んである。


たしかに、政治家と文官官僚(以下「文民」といふ。)の担ふ「軍政事項」(予算、部隊編制、募集、召集、召集解除など)と、軍人の担ふ「軍令事項」(作戦計画の立案、実施、訓練など)とは概念的には一応区分されるが、軍事専門性が軍に必須であることからすると、特定の軍人がその軍事専門性の有するか否かを判断できる専門能力が文民に備はつてゐなければ、軍独自の軍事専門性は維持できない。

文民とは、政治家によつて統率される行政府であり、その下請け(下部機関)が官僚であるが、原則的な政治統制(政治主導)の場合と、政治家と官僚との関係が実質的に逆転する官僚統制(官僚主導)とに別れることになる。

専門性のない文民が軍人の主要人事権を有することが許容されるかについて、軍人の人事権もまた軍事専門性の領域であり、文民はこれに容喙してはならないとの見解があつても不思議ではない。

また、その逆に、政治専門性のない軍人が文民の政治領域にどの程度容喙することができるのかといふ問題もある。

それゆゑ、軍政事項と軍令事項の区別は、それほど簡単なものではないが、これまでの議論では、このやうなことはあまり議論されてゐない。

ましてや、我が国では、自衛隊は軍隊でないことが建前となつてゐるため、この政軍関係を真正面から議論されたことはない。

実質は完全なる軍隊であるのに、形式的には軍隊でないとされる自衛隊が占領憲法下では実質的に野放しにされてゐることの制度的かつ実際的な危険性があるにもかかはらず、「文民統制」といふ言葉だけが空回りして、その具体的な検討がなされてゐない。

これを行ふことは、自衛隊を軍隊であると公式に認めることが前提となるため、これが公式にはできないのである。

このことは、有事に際して極めて危険な事態に追ひ込まれる。焦眉の急務たる現在の国難とは、極東の軍事的危機を前にして、このやうな歪な体制のままで、政軍関係について真面な議論が全くできない状況にあることである。

一般に、この政軍関係については、政治と軍事との権限の棲み分けによる区分ができるとし、三権分立制のやうに、政軍分立ができるといふ立場が多い。

たしかに、現在、世界の多くの国家が、民主制を採用した文民統制国家となつてゐるが、他方では独裁制を採用した軍人統制国家も少なからずあり、また、その中間的な形態もあつて、その具体的な国家統治の構造と態様は様々である。

しかし、政治と軍事をいかなる場合においても区別・分離できるのであらうか。

世界には、中共や北朝鮮などのやうな、民主集中制といふ名の共産党一党独裁体制の下に、議会や行政府などを構成した国家形態がある。つまり、国家の上に共産党が存在する体制のことである。党の綱領が最高規範であり、その下に国家の憲法がある。共産党は、軍隊(人民解放軍)を持ち、国家を指導するのであるから、軍事が政治に優越する軍人統制であつて文民統制ではない。北朝鮮は、これを「先軍政治」と呼んでゐる。


三権分立といふものも今や幻想に近いものとなつてをり、三権相互の抑制と均衡といふ並列的な認識では、現実の政治を理解するための役には全く立たない。

このことは、政治と軍事の区分についても同じではないのか。民主国家が文民統制であり、独裁国家は軍人統制であるととの単純な二分法もいまや通用しないのである。

そもそも、明治維新は先軍政治で船出した。

それが統帥権の独立の根拠となつたのであつて、国家構造を定めた帝国憲法の制定以前に統帥権が存在したからである。

政治は、慶応4年3月14日の五箇条の御誓文により「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」とされ、この政治の中には軍事が含まれてゐた。しかし、これは鳥羽伏見の戦ひに始まる戊辰戦争の最中のことであり、戦時においては、これは軍事には適用されなかつた。

また、朝鮮戦争において、中共の人民解放軍の参戦により韓国が消滅する危機に瀕したとき、韓国死守をただ一人唱へてこれを断行したウォルトン・ハリス・ウォーカー大将をマッカーサーが支持したときに語つた言葉は、「軍隊に民主主義はない。」であつた。このやうに、戦時においては、政治と軍事とは一体となり、民主主義が適用されない軍事の判断が優先することがある。

このやうな現実の世界では、政治と軍事とを峻別できるとする考へに疑問がでてくるのは当然である。

特に、両者の領界にある「外交」は、通常は政治の作用であるが、軍事は、火器を用ゐた外交であることからすると、外交の連続線上に軍事があるため、政治と軍事とを常に分離できるとすることは到底できないことが解る。

特に、現代の戦争は、総力戦となり政軍一体となるのが一般であるから、政治と軍事とを恒常的に分離できるとすることはできないのである。


帝国憲法体制においては、政治と軍事との間には優先劣後の関係はなく、天皇の統治大権による「統治内閣」と、統帥大権による「統帥内閣」(大本営)とが併存してゐた。大権事項には優劣はなく、これを調整し統合させることも天皇の大権に属するものであつた。この場合、統治内閣と統帥内閣との意思統一は、平時では枢密顧問を経由して天皇が親裁し、有事においては御前会議によることになつてゐたのである。

しかし、元老による枢密院が機能してゐた体制が維持されてゐた時代では、政軍一体の運用に問題は少なかつたが、昭和初期からは、この運用が変質し崩壊してきた。


その変質の様相が、「満州事変」であり、また、「山西省残留将兵問題」であつた。

満州事変については多くの人が研究してゐるのでここでは省略するが、山西省残留将兵問題については、「千座の置き戸」第六十二回「山中鹿之助」で少し述べたとほり、これは、政軍関係を考へる上で、避けては通れない事例なのである。ところが、この歴史的意義のある問題について詳細に研究する者が殆ど居ないことは不思議なことと言へる。

支那事変では、我が軍と閻錫山との「日閻密約」によつて、我が国の敗戦後を見据ゑて、皇軍将兵を残留させて我が国の友好国として山西省を独立させ、その豊富な資源を輸入して我が国の早期復興に役立てるといふ構想がなされた。

これは、第二の満州国構想であつた。

支那では、古来から「山西を制する者は支那を制する」と言はれたきた。現在の中共も、この山西省の石炭その他の豊富な地下資源が産業発展の原動力となつてゐることからしても頷けるものである。

そして、この「日閻密約」に基づき、現地召集解除後の昭和21年2月上旬、第一軍命令に基づき、残留指示の命令を受け、残留将兵は閻錫山麾下に入つて、引き続き八路軍と交戦し、同年3月下旬、第一軍司令部と閻錫山の部隊があつた太原の南方にある大営盤まで転戦し、以後はいはゆる山西省残留将兵の残留部隊として閻錫山側の軍隊に留用されて軍務に服した。

しかし、八路軍は、山西省の奪取が中共革命の戦略上も核心的利益であるとして、圧倒的な戦力兵力を集中させて総力戦で挑んだため、閻錫山麾下の我が皇軍将兵の多くは戦死し、残れる者は過酷な戦犯収容所で拷問と洗脳の日々を過ごし、ここで命を落とさなかつた僅かな者が長い年月の末にやつと釈放されて、やつと内地に復員した。

第一軍の上層部は、専ら保身のため、敗戦後においても、この違法な残留命令を行つたことを隠蔽するために、そのやうな命令を発令してゐないと虚言を労して残留将兵を非道にも遺棄したのである。これが「山西省残留将兵問題」の真相なのである。

ここでは、日閻密約といふ構想の当否を論ずるつもりはない。論ずべきことは、そもそも、日閻密約なるものは軍政事項であつて、第一軍だけで閻錫山と締結できるものではなかつた点についてである。それゆゑ、密約なのであるが、果たしてこれが当時の政軍関係に照らしてどのやうな問題を抱へてゐたのだらうか。


帝国憲法下では、統治権の総覧者であり、軍事大権(統帥大権、編制大権など)を有する大元帥としての天皇は、政治と軍事の双方を一体的に統括する地位にあつた。ところが、統帥権の独立を振りかざした軍部が天皇の統帥権を簒奪し、しかも、内閣と軍部とで構成される天皇御臨席の最高戦争指導会議(御前会議)も無視してでも、第一軍がこの密約を結ぶことができるとすれば、そこには国家存亡の危機に直面した極度の緊急性と非代替性がなければならない。しかし、果たしてこれを満たしてゐたと言へるのか。

また、臣民である将兵の安全確保のためには、召集解除は、内地でなされなければならないのに、臣民を戦場で遺棄するかの如き現地召集解除を行ひ、しかも、その前提として、志願制ではなく残留命令で残留強制するなどは、固有の軍政事項を犯してゐるが、これについても、緊急性と非代替性を満たしてゐたのかといふことが分析検討されなければならないのである。


政軍一体不可分の運用が崩壊した昭和初期以降の満州事変にせよ、山西省残留将兵問題を引き起こした日閻密約にせよ、統帥権の独立を振りかざして天皇大権を簒奪した軍の暴走による違法な制度運用こそが問題なのであつて、羹に懲りて膾を吹くが如く、このことを以て帝国憲法下の政軍制度そのものを批判するのは極めて短絡的であり、根拠に乏しいものと言はざるを得ない。


山西省残留将兵は、上官の命令は恐れ多くも天皇陛下のご命令であるとの偽りの軍令によつて残留したのである。第一軍司令官の独断による違勅命令であると知つてゐれば、天皇陛下の停戦命令に背いてまで残留するものは誰一人も居なかつたはずである。


平時においては、政治と軍事とはある程度区別できる。しかし、国家緊急時の戦時においては、政治と軍事とは不可分一体とならざるを得ないことがある。そのときに、政治と軍事とを形式的に区別して、その優劣関係を議論して政治は政治、軍事は軍事として、独立して判断し、相互に矛盾した決定がなされる可能性がある政軍関係といふものは緊急時には全く役に立たない。

特に、戦時において、「軍政事項」と「軍令事項」とを峻別することは出来ないことが多いものであり、まさに日閻密約による残留命令などはその典型例であつた。

政治と軍事、軍政と軍令とが戦時においては一体的に矛盾なく運用されるべきものであり、その統括者(総攬者)は、やはり我が国においては天皇陛下でなければならないのである。


天皇陛下のご命令であれば、将兵及び臣民は甘んじてその過酷な任務に就くことができるが、その時点における党派的に選ばれた内閣総理大臣の命令で自己の命を賭けることが果たしてできるのであらうか。


戦時でなくても、東日本大震災の際、平成23年3月16日に天皇陛下が発令された帝国憲法第8条の緊急勅令(玉音放送)で、我が国の国民は再興に向けて奮起したのであつて、内閣総理大臣(菅直人)の呼びかけでは誰も動かなかつたことが厳粛な事実なのであり、これが揺るぎのない我が国の国柄なのである。


「民」の漢字は、片目を針で刺した形であり、片目を潰された奴隷を意味するものであるが、我が国の歴代の天皇陛下は、「大御宝」(おほみたから)とされて、君民一如、君民一体としての慈しみにより無私にて平和を祈られ続けられてゐるのである。この国柄における皇軍の大元帥は、無私を貫かれる天皇陛下でなければならず、何よりも平和を望まれる謙抑的な伝統を体現された天皇陛下の御親裁であればこそ、我々は命を捧げることができるのである。

ここに、多数決原理一辺倒の共和制でもなく、逆にこれを無視した独裁制でもない理想的の姿として、「統治すれども親裁せずとの原則」による帝国憲法の立憲君主制があるのであつて、この立憲君主制にこそ政軍関係を調和安定させる機能の真価があることを積極的に見出すことができるのである。

南出喜久治(平成30年3月15日記す)


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